「ランブルフィッシュ ヒストリー」


1982年夏、
佐治朝吉(Vocal.Harp)、庄司タロー(Slide Guitar)、片山道郎(Guitar.Acoustick Guitar)、
岩佐トオル(Bass)、西浦三太(Sax)、斉藤モ吉(Drums)の6人が出会い、
「NEKU-SKA」結成。
奈良のライヴハウス「宝島」を中心に活動を始める。
一種独特な佐治の詩の文学的世界は初期の頃から確立されていた。
’85年頃から「ランブルフィッシュ」と名前を改め、大阪に進出。
今はなき西成のライヴハウス「エッグプラント」や西九条「ヤンタ鹿鳴館」等で
ライヴを展開。バンドのエネルギーが高まりつつあったこの時期に
岩佐(B)とモ吉(Dr.)が脱退、シェイク吉村(B)とMAU(Dr.)加入。
’88年11月にまだオープン間もなかった十三FANDANGOに出演。
’89年秋、関大の学祭企画で浅川マキと共演。ランブルフィッシュのインプロビゼイションに乗って
浅川マキが歌った。

そして、絶賛の嵐の中、ランブルフィッシュとFANDANGOは切っても切れない
関係になって行く。折からのバンド評価の追い風に乗って、
ランブル出演時のFANDANGOは人であふれた。当時FANDANGOの
ブッキングマネージャーだった戸村京子がランブルのマネージメントを手がけ、
東京、名古屋等にもツアーに出かける。名古屋「ハックフィン」でも火がつき、
毎回、大阪の狂騒がそのまま名古屋で再現された。
FANDANGOでのライヴはTV「原色ライヴ図鑑」でも「すかんち」や「ジッタリンジン」と
共にオンエアされた。
その頃のランブルのライヴの日は、酒類の売り上げ率が異常に高く、
狂乱の後には急性中毒者達が多数出現した。
当時のランブルについて。
最大の特徴であり魅力はヴォーカリスト佐治朝吉の歌にあっただろう。
ドスの効いたしゃがれ声のシャウト、そして独特のまるで喋っているような歌い方。
肩まで伸びた長髪を振り乱し、その目は恐ろしい程ギラギラしている。
そして2本のギター、庄司は変幻自在のスライドギター。
安定したテクニックと抜群のリズム感で深みのあるフレーズを奏でる。
そして片山のギターは境界線ギリギリの危ういところで大暴れする。
シェイク吉村のベースは渋目の、しかし超絶テクニック。5弦ベースである。
そして大木のドラムスの音圧と迫力は当時から驚異であった。
更にダメ押しのサックス。ランブルフィッシュの音楽的な最大の特徴は
この、三太のアルトサックスの音色だったのかも知れない。奴はいつもクールに
ひょうひょうとドライな音色を響かせていた。
そして、その詩世界は荒涼とした心象風景だったり、
荒廃した都市生活だったり、胸をしめつけるラヴソングだったりするのだ。
全盛期のランブルフィッシュはそれこそひとつの奇跡だった。どこまでも昇りつめる白昼夢だった。
’89年には4曲入り30cmレコード「青の時代」を自主制作盤として発売。
当時のインディーのレベルをはるかに超えた驚くべき内容だった。
プレス枚数が少なかったため、後に「幻のレコード」と呼ばれる。
’90年には京都「磔磔」で当時、MAD GANGを解散させたばかりの碇健太郎と出会い、
翌年(碇健太郎グループ改め)SOUTH SIDE SHUFFLE、山口富士夫の3バンドで
東京、名古屋、大阪の3大都市を廻るツアーを決行。
3つとも会場はまだ新しかった「クラブクアトロ」である。
後年、山口富士夫がFANDANGOにライヴで訪れた際、
「ランブルフィッシュの奴等はいねえのかよ!?」と叫んでいたという。
FANDANGOではその頃(1990年前後、)
ウルフルズとランブルフィッシュの2バンドが2大勢力のようになっていて
「どちらが先にメジャーに行くのか?」とよく噂されていた。
’91年音楽的方向性の違いからシェイク吉村(B)が脱退・
”ジャンクヤード”でギターを弾いていた山家高がベースで加入。
そしてそのまま当時隆盛を誇った「キャプテンレコード」のオムニバスCD
「ジャンキージャングル」に参加。発売ライヴで東京、大阪を廻った際、
”怒髪天”と出会い意気投合。
その後、青森六ヶ所村で開かれた、現代のヒッピーたちのキャンプ&ライヴイベント、
「いのちの祭り」でボ・ガンボス、山口富士夫らと共演。佐賀県での「いのちの祭り」にも参加、
共に大絶賛を受ける。
そしてFANDANGOレーベル第一弾としてライヴ音源
「RUMBLE FISH LIVE AT FANDANGO 1990.12.14」を30cmジャケットの
CDとして発売。混沌と情熱が結晶したすばらしい内容のライヴで、
何故このバンドが解散してしまったのか今もって不思議である。
何はともあれ、CDという形で彼等のライヴが形で残ったのは、彼等にとってもリスナーにとっても
幸運なことであった。
FANDANGOでは現在も発売中である。
’92年初頭の川崎クラブチッタでの「FANDANGO NIGHT」
(ボアダムス、電気グルーヴ他が出演)
でのライヴを最後にランブルフィッシュは解散。

ヴォーカルの佐治とギターの庄司はこの後「BUTTERFLY PEOP.」を結成、
新境地ともいえるハードな音楽を生み出すがその後解散。
ギターの片山はヴォーカル・ギターに転向、自身のバンド「風の歌」を経て、ギタリストに戻り
MAU、石原ボケロウらと「ばるぼら」を結成、MIDI CREATIVEより3枚のアルバムを発売するも
解散、現在は「MITT’S THE SLAPSTICK TRIANGLE」で活動中。
ドラムスのMAUはランブル解散後、「ニューエストモデル」に参加。数枚のアルバムを残すが
「ソウルフラワーユニオン」へと進化する際に脱退。(その後「ばるぼら」結成)
ベースの山家は現在「ALTZ」という一人ユニットで活躍中。

・・・そして’04年、待望の声にこたえて
ランブルフィッシュ復活が始まろうとしている。
まず、’04.8.25 FANDANGOにおいてJUNK YARDのヴォーカリストだった加藤の
追悼のために、ランブルフィッシュとして出演する事が決定した。


伝説はまだまだ終わらない。
ランブルフィッシュは14年の時を超えて 復活する。

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