コッふん

2013.12.31大晦日
埼玉県行田市


大晦日のこの日、関東の古墳の聖地、行田市にやってきました。
JRで熊谷駅まで行き、そこからは車両が面白い秩父鉄道で4駅。武州荒木という駅で下りました。
本当はJRの行田駅から市内循環バスに乗る予定だったのです。
しかしなぜ武州荒木駅に来てしまったのかというと。。。

 

行田市周辺は決して本数がたくさん有るわけではないものの市内循環バスというものが張り巡らされています。観光するのにもとても役に立ちます。
数年前『さきたま古墳群』に来たときはこの循環バスを下調べもしていなくてあまり活用できなかったので今回はかなり念入りに調べて予定を立ててきました。

さぁ、そろそろ行田駅が近づいてきました。
もう一度スマートフォンで時刻表や乗り場などをおさらいしておきましょう。

 

 

ん?

 

 

 

 

 

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Σ("д" )

 

 

 

 

 

まぁそんなわけで半ば強制的に武州荒木駅から全体約6キロくらい歩いて周ることになりました。

 

 

虚空蔵山古墳 (こくぞうやまこふん)
所在:
埼玉県行田市小見
墳形:
前方後円墳(推定墳長60m)
年代:
6世紀後半
説明:
小見真観寺古墳の北西に隣接する前方後円墳。現在は前方部の墳丘が一部残るのみですが、
平成20年の発掘調査で後円部と周溝の一部が県道の東側で確認され、推定墳長60mの前方
後円墳であったことが明らかになりました。周溝内からは大きな乳房を持つ笑い顔の女性の人物
埴輪、馬形埴輪、太刀形埴輪、円筒埴輪などの破片が出土しています。埴輪の形態から小見真
観寺古墳に先行して6世紀後半に築かれた古墳であると思われます。なお、現存する墳丘は東西
26m、南北約19m、高さ約3m、墳丘には名前の由来となった虚空蔵菩薩がまつられています。
小見真観寺古墳を目指して歩いていると、あからさまに古墳ぽいふくらみがあり、回り込んでみるとやはり古墳。見た地図には載っていなかったのですが、それなりのちゃんとした古墳。ちょっぴり得した気分でした。

 

小見真観寺古墳 (おみしんかんじこふん)
所在:
埼玉県行田市小見1124
墳形:
前方後円墳(全長112m)
年代:
七世紀前半
説明:
この古墳は、小見古墳群に属する前方後円墳で、星川の右岸の低台地上に立地している。
現存の墳丘の大きさは、全長112mである。埋葬施設は 後円部と鞍部付近に緑泥片岩の
一部である一枚石を組み合わせた二ヵ所の横穴式石室がある。後円部の石室は寛永11
年(1643)に発見され、前・後室よりなっている。
鞍部の石室は、後室のみが現存するが、前室については明らかではない。この石室は明治
13年に発掘調査され、衝角付冑、挂甲小札、鉄鏃、金環、頭稚太刀、圭頭太刀、刀子、蓋付
有脚銅鋺等の副葬品が出土している。出土品は東京国立博物館に収蔵されている。
これらの副葬品から、この古墳は七世紀前半に築造されたと考えられるが鞍部石室はやや
遅れて造られた可能性がある。前方後円墳としてはもっとも新しいものであり、埼玉古墳群
に後続する首長墓として重要である。
真言宗智山派寺院真観寺の敷地内にある百メートル超えの古墳です。石室の一部も覗くことができました。看板を読むとかなりの権力者のお墓らしいことがわかります。実はこの後訪れる八幡山古墳のついでのつもりだったのですが、なんだか立派でした。境内には立派な鐘がありますよ。

 

地蔵塚古墳 (じぞうつかこふん)
所在:
埼玉県行田市藤原町2-28-1
墳形:
方墳(一辺約28m、高さ約4.5m)
年代:
七世紀中葉
説明:

この古墳は、若小玉古墳群の一つで、墳頂に地蔵堂が安置されていることから、
地蔵塚古墳と呼ばれています。墳形は方墳と思われ、築造時期は七世紀中葉
頃と考えられています。
規模は一辺約28m、高さ約4.5m、周堀幅約1m、深さ40~50cmです。石室
の形態は、胴張りで、奥壁と天井石は緑泥片岩ほかは安山岩の切石を用いてい
ます。奥壁及び側壁下には、根石が置かれていました。遺物としては石室内から、
鉄鏃(矢じり)片や須恵器片が少量出土しています。
この古墳の最大の特徴は、左壁・右壁及び奥壁に線刻画が描かれていることです。
鳥帽子を被った人物、弓を引いている人物、馬、水鳥、家かと思われるものが描か
れています。北武蔵唯一の線刻画として大変貴重なものといえます。

お寺から歩いて20分くらい。年末で静まりかえった住宅街真ん中の公園のなかにあります。
看板の説明の通り頂にはお地蔵様が安置されています。

 

八幡山古墳 (はちまんやまこふん)
所在:
埼玉県行田市藤原町
墳形:
円墳(直径約80m?)
年代:
7世紀前半
説明:

八幡山古墳は、この周辺に広がる若小玉古墳の中心となる古墳のひとつで7世紀
前半につくられた直径約80mの大型の円墳と推定されています。昭和9年に約2km
東にあった小針沼埋め立てのために古墳を崩した際に石室が現れ、翌年には発掘
調査が行われて、前・中・後室の3室からなる全長16.7mの巨大な石室であること
が明らかになりました。その後昭和52~54年に発掘調査と復元整備が行われて
現在の姿になっています。
発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺の破片や銅鋺など豪華な遺物が発見され
ており、この古墳に葬られていた人物がかなりの権力者であったと考えられることか
ら、この古墳を「聖徳太子伝暦」に登場する武蔵国造物部兄磨(むさしのくにのみやつ
こもののべのむらじえまろ)の墓と推測する説もあります。なお、この石室は奈良の
石舞台に匹敵する巨大な石室であることから「関東の石舞台」と呼ばれています。

こちらも住宅街の中の公園の中にあります。もともと径80m程の円墳であったせいか空に向けて建つ神殿のような神秘的な印象を受けました。普段の土日祝日は石室内部が公開されているようですが、柵の外側や岩の隙間から覗き込んでも十分に内部を見ることができます。

 

帰りは秩父鉄道の東行田駅から電車に乗ります。
今日は電車運がいいのか、駅に着いて1分もしないうちに電車がきました。

 

<参考>
現地看板

 

 

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