異世界ファンタジー編 第29話
- 862 名前:1
[] 投稿日:2005/05/30(月) 22:51:06
- 第29話(前半)
「お兄ちゃんだぁ!!」
「うわっ!甜歌、ちょい待て!」
深田との再会を噛み締める間もなく、毎度おなじみ、こちらの都合などお構い無しで甜歌が抱き付いてきた。
「おわっと、っと、と!?」
俺は、まるで歌舞伎のように片足でステップを踏んで、辛うじて体勢を保った。
「やっぱお兄ちゃんはウチの王子様だね」
年収280万の貧しい王子様です。
「よくあの牢獄を逃げ出してこれましたね」
平井は感心した表情を浮かべて、懐から取り出した拭い紙で刀身の血を拭った。
「ああ、カエラがうまくやってくれたんだ」
皆が一斉にカエラの方を向くと、彼女は頬を紅く染めて目を逸らした。結構照れ屋らしい。しかし実際の所、今回の
脱出劇は彼女の腕力と機転が無ければ有り得なかった。もっとも投獄される原因を作ったのも彼女と言ってしまえば、
それまでなのだが。
俺は彼女に笑いかけた。
「ほんとありがとな、カエラ」
「え!ん、うん…」
紅い頬を更に紅潮させて俯くカエラ。どうにも具合が悪そうだ。
「助けてくれえええええ!」
和やかな空気をかき消すように、闘技場に裏返った悲鳴が轟いた。すっかりさっぱり忘却の彼方だった生贄2(吉川。
中学校。ドルーピーに似てる)が、ワイバーンに頭から丸呑みにされているではないか。
「ああ、吉川…」
生贄3(野間。中学校。何故か正露丸の匂いがする)が顔面を蒼白にして、憐れな生贄2を襲った惨劇に身体を震わ
せている。恐らくは親しい旅の仲間だったのだろう。
その側にカエラが歩み寄り、
「仇は取って上げるわ」
いとも簡単そうに言ってのけた。また喧嘩を吹っかけるつもりなのか。
「この人が先陣を切って」
- 863 名前:1
[] 投稿日:2005/05/30(月) 22:51:34
- 腕を水平にピンと張って俺を指差した。マジか!俺か!この俺が取るのか!!仇を!!
「か、カエラさん。何で俺が…」
「さっきのお返しよ」
先ほどの赤面ぶりとは打って変わって、彼女の態度は至ってつっけんどんだ。
「さっきの?」
「私を照れさせるなんて言語道断」
カエラの言葉をどう解釈していいか分からずうろたえる俺。それをよそに生贄2が悲愴な表情で訥々と言う。
「彼、吉川は俺の……いえ、何でもありません。どうかよろしくお願いします」
いや、そこ濁すくらいなら言わなくていいから。エキストラなんだし。俺は心中突っ込みながら、表向きは神妙な面
持ちで頷いた。
「皆で同時に仕掛けた方がいいんじゃないか?」
俺は平井に耳打ちした。
「ここはカエラさんに従っておいた方がいいですよ。また何かあったら面倒ですし」
確かにメンヘル発動されたら困るが、と言って俺が1人で立ち向かうのは幾らなんでも。
「っつか、さっきから気になってたんだけど、あれってほとんどドラゴンだろ。1人で渡り合えるものなの?」
「大丈夫でしょう。あとドラゴンと違って、ワイバーンには腕がないんですよ。毒こそ持っているものの、ブレスも大
した威力じゃありません。まぁ、ドラゴンに比べたら足元にも及びませんね」
平井は事も無げに解説した。
「敢えて注意点を挙げれば?」
「ブレスと、あと毒牙にさえ気を付ければ、何てことないです」
「毒を喰らったら?」
「あなたが一発抜く余裕すらなく死ねます」
短時間で対象を死に至らしめる即効性の毒ということか。平井が何故俺のオナニーペースを知っているかは、記憶の奥
底に封印してしまおう。
「それ聞いて安心したよ…」
- 864 名前:1
[] 投稿日:2005/05/30(月) 22:51:58
- 俺は俺専用異世界人専用聖剣の柄を握りしめる。いざ相対してみると、改めてその大きさに驚かされる。頭から尾の先
まで、全長は大型の観光バスぐらいはあろうか。蝙蝠の翼を生やし、細長い首の天辺に蛇の頭が舌をチロチロと出し入
れしている。
先手はワイバーンが仕掛けてきた。息を大きく吸い込んだかと思うと、炎のブレスが俺を襲う。しかし、初動で察知し
た俺は、横に回りこみワイバーンの脇腹を剣で斬りつけた。が、敵もさるもの。ものともせず、尻尾で俺を叩き飛ばす。
「痛ぇ…」
地面で腰をしたたかに打ち付けたが、何とか立ち上がる。そこにどす黒く鋭い牙が、俺の腕を捉えた。
「お兄ちゃん!」
甜歌が叫んだ。
「く、くぬやろ!!」
激痛に顔を歪ませながら、俺は腕に咬み付く巨大な頭部に、渾身の力で剣を突きつけた。一声奇声を上げた後、ワイバ
ーンの首がだらりと垂れ落ちた。
「ヤバ!俺牙にやられたぞ!!毒回る、ドクヲ('A`)dこえかcsgyふじこlp;!!」
すっかり理性を無くし、慌てふためく俺の腕を、誰かが優しく持った。
「あ…」
カエラだ。無言のまま俺の前腕部を持つと手の平をかざした。そこから発せられるわざとらしいほどに神々しい光が、
腕から毒を抜き去っていくのがわかる。
「あ、ありがとう」
「これに懲りたら、あんなシチュエーションはもうやめてよね」
何も赤面させたくらいでそこまで根に持たなくても。並外れた照れ屋だ。或いは他に何か理由があるのだろうか。それ
にしても、今まで腕力ばかりが目立っていたせいで本業の回復術が影をひそめていただけに、彼女の新しい一面を垣間
見た気がした。
- 865 名前:1
[] 投稿日:2005/05/30(月) 22:52:23
- そんな中、俺は異変に気付いた。グレーターデーモンに続いてワイバーン、ヤックソ軍を代表する2匹の魔物が敗れて、
闘技場に不穏な空気が渦巻き始めたのである。彼ら独自の言語で、こちらに向けて野次が飛んでくる。口汚く罵られて
いるのだろう。皆目解読できないのが寧ろ幸いとするべきか。
「観客、いや、兵士達が騒ぎ始めた…」
これから予測される事態に、俺は危機感を覚えずにはいられない。深田らはともかく、乱戦になると唯一心配なのは甜
歌だ。
「甜歌、俺の側を離れるな…って、甜歌?」
甜歌は俺達の後ろであぐらを組んで座っている。
「どうした、甜歌?」
「いや、ちょっと準備を」
「準備?」
「いいからいいから、ウチのことは気にしないで」
気にしないでといわれると、余計に気にしたくなる。
「来ます!」
深田の声に反応して、俺は周囲を見渡した。痺れを切らした魔物達が、闘技エリアに侵入し、ジリジリとこちらに迫り
寄ってきている。その数は数百、いや、ひょっとすれば千を上回っているようにも思える。
近年稀に見る量の冷や汗を垂らしながら、俺は俺専用異世界人専用聖剣を構えた。深田達も一斉攻撃に備える。眼と鼻
の先まで詰め寄って、魔物達は停止した。
「息を合わせている…」
まるで台風を前にした一時の静けさ。所々から漏れる魔物達の不気味な呼吸の合唱には、圧倒されるものがある。
そして轟音。闘技場を埋め尽くす無数の魔物が同時に咆哮した。そして、津波のように俺達を目掛けて、ある者は跳躍
し、ある者は走り、とにかく怒涛の勢いで押し寄せてきた。
俺は覚悟を決めた。
- 866 名前:1
[] 投稿日:2005/05/30(月) 22:52:44
- 「死なばもろとも!」
先陣を切って跳躍してくるゴブリンを迎え撃つべく、俺は上半身を反らせて剣を力任せに振った。ところが、
「あれ?」
剣身は魔物の身体に命中することなく、空を切った。勢い余って無様にこける俺。ゴブリンの姿は見えない。代わりに、
つい先ほどまでは無かった光の筒が、俺達がいる闘技エリアを覆うように天に伸びている。そして、そこを境にして、
魔物はこちらに入って来られないようだ。
「こ、これは…」
虹色の壁が俺達をぐるりと囲んでおり、その頂点はどれぐらいの高さなのか、視認することができない。俺はその美し
さに思わず見惚れた。
「私も見るのは初めてですが、恐らく最高位魔術アブソリュート・サークルですね」
深田がのほほんと呟いた。
「あぶ、あぶ…アブナソー…」
「あの、つっこむの面倒くさいので、一々ボケないでもらえますか?」
やんわりと怒られた。
「これは魔力で構築された、いわゆる結界みたいなものです。この輪に触れた者は敵であろうが味方であろうが、たち
まち消滅します」
確かに。考えなしに輪の中に潜り込もうとする魔物が、光の輪に触れた途端に消滅している。輪は相当強い魔力で形成
されているようだ。
「まさか!」
俺は甜歌に目を移した。やはりあぐらを組んだまま、小声で、しかし絶え間なく詠唱している。アブソリュート・サー
クルは甜歌が作り出している。
「少なくともこの中にいる間は安全です」
「でも、甜歌は…」
「ええ。術者の魔力と体力を徐々に消耗させる為、持続時間は甜歌さんの能力次第ということになります。恐らく半時
といったところでしょうか」
- 867 名前:1
[] 投稿日:2005/05/30(月) 22:53:12
- 俺は甜歌の額を伝う一筋の汗を見て、歯噛みした。早急にこの窮地を脱する手立てを考えねば、彼女の身が危険だ。
その時、頭上から甲高い笛のような音が迫ってきた。
「なっ!?」
その異様な音が消え、ふわりと人影が降り立った。砂が巻き上がり、視界を遮った。
「まだ子供なのに大したものだ。雲の上まで伸びていたぞ」
砂煙を纏って現れたのは、他ならぬヤックソだった。上空までそびえるアブソリュート・サークルを飛び越えてきたよ
うだ。
「この醜態は貴様等を見くびった私の身から出た錆だ。この始末は我が手で付ける。その前に…」
ヤックソはロンパった眼で、エキストラの内で唯一生存している生贄3を見据えた。そのキモい視線に射られた生贄3
が、足元から石化していく。眼で殺す男、ヤックソ。
「雑魚はこの場に相応しくないのでご退場願った」
無慈悲で底知れぬ力を見せつけられた俺達は、攻撃に踏み出せない。
「ククク、貴様等と剣を交えられるのは、或いは僥倖かもしれんな。さぁ、4人一緒にかかってくるがいい…」
ヤックソは腰に下げた鞘から、細身のレイピアを引き抜いた。
続く
- 16 名前:1
[] 投稿日:2005/06/07(火) 00:01:57
- 第29話(後半)
圧倒。そんな言葉が俺の脳裏に浮かんだ。
せいぜい5分ほどだ。ヤックソと剣を交えたこの5分で、俺はすでに激しい疲労感と絶望に身体を支配されている。いや、
俺だけではない。深田と平井、そしてカエラも、この恐ろしいほどの強さを誇る魔族と凄まじい攻防を繰り広げ、肩で息
をしている。
「こいつの強さ、今まで戦ってきた連中とは桁違いだ」
平井が顎の汗を拭いながら、吐き出すように言った。4対1という状況にありながら、相手は傷らしい傷を負っていない。
魔族としての実力は間違いなく上原より数段上だ。
俺は横で喘いでいる深田を気遣う。
「大丈夫か?深田さん」
「ええ。でも、これではいつまでたっても埒が明きませんね。あの動きを封じられなければ…」
そうだ。ヤックソの強さはカエラ並みの腕力や、魔術の才もあるが、それ以上に超人的な読みと素早さに支えられている。
細身のレイピアでこちらの攻撃をことごとく受け流し、難なく弾いてしまうのだ。
「…全く勝ち目がありません」
次の手に移れず、俺達はヤックソを正面にしてただ構えることしかできない。
「まだ始まったばかりだぞ。かかって来ないのならば、こちらから行くぞ」
ヤックソが深田に対して突進をかける。彼女は辛うじて避けたが、そこに幾重もの攻撃が重なってくる。
「深田さん!」
俺は思わず叫んだ。
「深田?」
ヤックソが静止した。そして、唐突に防戦一方の深田の腕をぐいと掴んだ。
「そうか。君が深田か。ということは、この腕が上原を殺した腕というわけだな」
2人の顔が接近する。ヤックソの死の目線に当てられた深田は、まるで超能力特番でオバハン催眠術師に施術された芸能
人のように、身じろぎできずにいる。
「く……」
- 17 名前:1
[] 投稿日:2005/06/07(火) 00:02:14
- 「有田と婚礼の約を交わした上原。その上原を殺したのが有田の昔の女とはな。皮肉な話だ」
「その手を放せ!!」
ヤックソの二の腕を狙って、俺は俺専用異世界人専用聖剣を振り下ろす。しかし寸前で腕は消え、代わりにレイピアの剣
首が俺の腹部にめりこんだ。
「己の分をわきまえろ、俗物が!!」
ヤックソは吐瀉する俺の頭を抱え、力任せに地面に叩き付けた。
「私は今このお嬢さんと楽しんでいるんだ。外野は我が兵達に委ねるとしよう」
ヤックソは空いている方の指先を、詠唱中の甜歌に向けた。
「しまった!!」
指先から放たれた閃光が甜歌の胸を射る。甜歌は声一つ上げることなく倒れ伏した。ほんの数瞬の出来事だった。
「甜歌、大丈夫か!」
彼女の側に身を屈めて、俺は傷の状態を確かめた。心臓や肺への直撃こそ免れたものの、傷は肩と脇の間を貫通しており、
血が服に滲んでいる。
「大変だ。サークルが!」
平井の声に反応して周囲を見回すと、闘技エリアを守っている光の壁が徐々に薄くなり始めた。甜歌の魔術が破られたか
らだ。外では、数え切れないほどの魔物達が、今か今かと壁が消滅する瞬間を待っている。平井とカエラは侵入させるま
いと、弱まった壁を抜けて侵入してくる魔物を倒していく。しかし、このままでは彼らが大挙して襲ってくるのは時間の
問題だ。完全包囲で俺ら絶対絶命のピンチ。
「愚かで卑小な人間どもよ。安心するがいい。貴様等を葬った後は、全ての人間をこの世界から完全に根絶やしにしてや
る。親、兄弟、友、恋人、全てが同じ無に還るのだ」
高笑いをするヤックソは、依然として深田の自由を奪っている。
「こんなところで…」
力なく呟いて、俺は腕の中の甜歌に目を落とした。何と苦悶の表情を浮かべながらも、彼女は詠唱を続けているではない
か。俺は挫けそうになった自分を心中叱咤した。
「こんなところで…死ぬわけにはいかない」
とは言っても、俺は布で甜歌の傷口を押えてやるしかできない。と、その時である。魔物が攻撃を緩めたのを見計らって、
カエラが俺達の前に立った。
「カエラ…」
「心配はいりません」
- 18 名前:1
[] 投稿日:2005/06/07(火) 00:02:34
- 彼女は異様に穏やかな表情で、甜歌の傷口に左手をかざした。眩い光がそこに集中し、傷口を塞いだのだろう、出血がお
さまった。
「さしあたって大丈夫のはずです」
まるで聖母のように、というよりも何かに憑かれた様に、にこりと微笑んだ。
「どうしたんだ?様子が変だぞ」
そんな俺の問い掛けを遮るように踵を返すと、彼女はゆっくりとヤックソの方に歩を進めた。そして、深田の腕を握って
いるヤックソの右手首を掴んだ。
「その手をすぐに放しなさい」
「ククク、戯言を」
当然、ヤックソは手を緩めない。そうする内、ギシギシと腕の骨が軋む音がはっきりと聞こえてきた。その音は次第に大
きくなり、ついにはヤックソの右手首は砕け折れた。握力を失った手から開放されて、深田は我を取り戻し、よろめきな
がら後ろに下がった。
俺は深田の身体を受け止め、カエラの様子を見守る。その表情は実に落ち着いており、明らかに今までのカエラとは違い、
「まるで別人だ」
そう。完全に別人格だ。大学時代、教養科目の心理学で齧った、確か解離性同一障害というやつだろうか。自傷、躁鬱だ
けでなく、多重人格まで備えているとは、まさにメンヘルデパート。
「やるじゃないか」
ブラリと垂れ下がる右腕をかばおうともせずに、ヤックソは興味の対象をカエラに移した。
「魔族を駆逐することは僧侶の天命です。罪も無い人達を傷付けるあなたを看過する訳にはいきません」
カエラは己の頬を、拳で力任せに殴打した。唇が切れて、口元にじわりと血が滲む。自傷癖…ではない。今回のそれは、
彼女流の覚悟を示す行動に見て取れる。
「罪もない人達とは…笑止!」
ヤックソはロンパった目をさらにロンパらせながら、レイピアで阿修羅のごとくカエラに猛襲をかける。しかし、カエラ
の動きはさっきまでとは別格だ。ハルバートの柄はそれを全て捌ききり、返す石突がヤックソの顎を撃った。
「人間ごときが、なぜこれほどの力を…」
- 19 名前:1
[] 投稿日:2005/06/07(火) 00:02:53
- 初めてヤックソが膝を地に付けた。それに対して、カエラはハルバートを小剣でも振り回すかのように軽々と振り回して
構えの姿勢をとった。
不意にカエラが問う。
「どうして人を傷つけるの?」
「分かったことを。この地上を下劣な人間どもから救済することが、我ら魔族に与えられた使命だからだ」
即答したヤックソに、再びカエラが問う。
「どうして人間と解り合うことをしないの?」
「自身よりも下等な存在と対等に話すことをするものか。人は牛や豚同然。貴様等とて家畜と対等に話はすまい?」
神職者と魔族。互いに相容れるはずが無い。いつの間にやら、外で騒いでいた魔物達までが、2人の一騎打ちを固唾を呑
んで見守っている。
「カエラさんは次で決着をつける気です」
ようやく落ち着いた深田が囁いた。
カエラが意を決して繰り出したハルバートの斧部。それをレイピアで受け止めるヤックソ。両者の力は拮抗。いや、違う。
互角ではない。力比べの最中だというのに、カエラは両手で握っていた得物を、片手に持ち変えた。そして、懐から抜
いた小刀でヤックソの両目を切り裂いた。
「ぐぉ!?」
ひるんだヤックソの腹部を、今度は先端の槍部が刺し貫いた。顔面と腹に連続攻撃を食らい、さすがのヤックソも力な
くよろめく。しかし、それでも戦意は衰えを見せない。視力を失った眼で、なおレイピアを手放さない屈強な精神は壮
絶ですらある。魔族の優位性に絶対の自信を持っているからこそだろう。
「これしきのことで!まだだ。まだ私は…………な!?」
瞬間、ヤックソの身体が浮き上がった。その胸から何かが突き出ている。魔族の黒い血液で塗られたそれは、紛れも無
い人の腕だ。持ち上げられたヤックソの背後から、あたかも台所の暖簾からそうするように、スポーツ刈りの男がひょ
いと顔を見せた。
- 20 名前:1
[] 投稿日:2005/06/07(火) 00:03:38
- 「もういいよ。君、どうせ勝ち目ないし」
「そん、な、え、なり……貴様!!」
ヤックソはどす黒い血を吐き、絶命した。
えなり。こいつがえなりなのか。その風体は魔族と言うには不釣合いで、結構長めのドラマに子役時代から出演してい
たり、ゴルフ誌に連載を持ったりしていそうな、とにかく見事なまでにえなっている。
仲間であるえなりが、ヤックソに止めを刺した。この異常な展開に誰もが唖然としている。
「えなりぃいいい!!」
突然、平井が咆哮した。俺は驚いた(商品手配を忘れていて、一週間経ってから思い出した時くらい)。今まで彼が一
度としてみせたことのない鬼気迫る形相だ。
平井は刀の刃を立てて、恋人の仇を討つべく疾走する。するとえなりの後ろからもう一人の男が進み出た。その黒髪の
男は、背中に背負っていた巨大なクレイモアを抜くと、平井の刀から主を守った。
「お前にはまだ僕と闘う権利はないよ」
えなりは垂れ目をこれでもかと細めて最高の笑顔を投げかける。それに対して苛立ちを顕わにした平井の刀に、曇りが
生じた。クレイモアの勢いに押され砂飛沫を上げて後退する。彼が持つ刀の刀身に亀裂が走った。
「有田に勝てないんじゃ僕とは闘えない」
えなりは笑顔を微塵も崩すことなく、ヤックソの身体を打ち捨てた。
側近と思われる男の名に、俺は聞き覚えがある。彼は平井から目を離し、深田に顔を向けた。その全身からは負の気が
迸っており、天を突く毛髪も相まって、彼が生粋の魔族であることを如実に証明している。穏やかな面持ちで、彼は静
かに口を開いた。
「…久しぶりだな。恭子」
「有田…今頃なぜ…」
男は、深田のかつての恋人であり彼女の身篭っている子供の父親、有田だった。
続く
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