異世界ファンタジー編 第32話(甜歌)
- 244 名前:1
[] 投稿日:2005/07/05(火) 22:31:07
- 第32話 (甜歌ルート前半)
「甜歌と一緒に行動させてもらっていいか?」
俺は甜歌の顔をうかがった。
「え!?あ………いいよ!万事おk!」
瞬間、彼女は驚きを見せたものの、すぐに笑みを湛えて返事をした。しかし、どこか引っ掛かる「……」だ。思い過ごしだろうか。
「じゃあ、また一週間後にこの食堂で」
平井の言葉に頷き合って、俺達は別れた。一時の別れ。各々がどこに行くかはお互いに敢えて聞かない。俺達は並んで平井とカエ
ラの後姿を見送った。
「さて、一週間どうしたものか。甜歌はどっか行きたいとことかある?」
「実はね、レク村にちょっとした用事があるんで、一度帰ろうかなと思ってるんだ」
「そうか。まぁ、はいりさんにも甜歌の元気な顔見せてあげた方がいいだろうな。じゃあ、行こうか」
俺が厩舎に向かおうとすると、
「うん。でもその前にちょっと寄りたい所があるんだけど」
「寄りたいところ?」
俺達は冒険者が集結し、お祭り状態のシフィーロを彼女の目的地に向かって歩く。そうして、そろそろ人ごみにうんざりしてくる
頃、甜歌は小さな店の前で足を止めた。看板は非常に古ぼけて意味をなしておらず、業種は判然としない。
「おにいちゃん、そこら辺でブラブラしてて」
「へ?あ、ああ」
甜歌は俺を残して店内に消えて行った。いきなりのほったらかし状態。しばらく手持ち無沙汰でいる内、俺ははたと気付いて自分
の身体を見た。そういえば、またしても家電屋の制服でこの世界に来てしまった。案の定、先ほどから道化師と間違われているよ
うで、往来の通行人は好奇の視線を俺に投げかけている。
辺りを見ると、ちょうど真向かいに服屋が一軒営業している。
「しばらく甜歌は出てこなさそうだし」
早速、入店する俺。この世界で一般的な布の服を一式見繕って、早速試着室で着替える。と、脱いだズボンからバラバラと落ちる
ものがある。クリップ、シャチハタ、車のキー、MP3プレイヤーといったもの。現実世界での携行物だ。俺はそれらを急いで拾い
上げると、新しく購入した麻で出来た腰袋に入れ直した。
服屋を出ると、ちょうど正面の店のドアが開いて人影が出てきた。
「あ……」
- 245 名前:1
[] 投稿日:2005/07/05(火) 22:31:27
- 誰だろう。見覚えの無い少女。いや、知っている。この赤い魔術士の服装。
「へへへぇ。どう?似合う?」
少し照れ気味に笑うこの少女は、甜歌だ。ここは床屋だったのか。元々ショートだった髪が更に短くなっている。ボーイッシュな
髪型で、彼女の活発さを更に如実に表しているかのように思える。
「ああ、よく似合っているよ。なんていうか、スッキリしたね。うん」
俺はぎこちなく答えた。実際のところ、持ち前の無粋さ、というより女性経験の少なさが手伝って、女性のヘアスタイルを誉めた
ことなど滅多にないのだが。
「ありがと!おにいちゃんもいいセンスしてる」
新調した服を誉められて、俺も自然と顔がほころんだ。
「それじゃあ!レク村に向けて出発進行!!」
ハイテンションな甜歌の号令。一路、東のレク村目指して馬を出発させる。俺の後部には甜歌が乗っている。初夏の涼しい風が吹
き抜ける平原をひたすら走り続け、レク村に到着した頃には、既に夜の帳が下りた後だった。近くの沼から発せられる蛙の輪唱に
耳を傾けながら、甜歌の屋敷に向けて馬をゆっくりと歩かせる。
「そんなに長いこと留守にしてたわけじゃないけど、何だか懐かしいなぁ」
よく見知っているであろう建物を見回して、懐かしさに身を浸す甜歌。レンガ造りの中央通りを抜けると、広場に行き当たった。
数人の男がこちらの姿を認めて、声を上げる。
「おお!!南の魔術士様だ!!」
「みんなー!!魔術士様が帰ってこられたぞー!!」
呼びかけに反応して、家々の灯りが次々と点り、中から村人達が顔を出す。村の青年(久保島。小学校。こいつをモデルに学級内
で久保島太郎という昔話が創作された)が、甜歌にうやうやしく一礼した。俺と甜歌は馬から下りた。
「魔術士様、ご無事で何よりです」
「はい。私が留守の間、村に異常はありませんでしたか?」
俺は驚嘆した。あの甜歌が落ち着いた敬語調で会話を交わしている。俺に対しては、初対面から一度として敬語で話したことなど
無いのに。村人に対しては、あくまで「南の魔術士」として接しているようだ。彼女の知らない一面を見た気がする。
「はい。えなりの軍勢もここまでは及んでおりません」
「それは何よりです。ところで明後日の……」
- 246 名前:1
[] 投稿日:2005/07/05(火) 22:31:46
- 彼らのやり取りに俺が聞き入っていると、不意に宿屋のドアがもの凄い勢いで開け放たれた。そして、3、40人はいようか。大
勢の男達が飛び出して、鬼気迫る勢いでこちらに突進してくるではないか。
「え!!なに!?なに!?」
「あ。ヤバイ。おにいちゃん、早く家へ!!」
事情も分からないまま、甜歌に手を引かれて俺は脱兎のごとく逃げる。逃げる。逃げる。追っ手には、巨大な戦斧を背負う屈強な
戦士や、魔術士の杖を持った冒険者風の者もちらほら。ほとんどが筋骨逞しい荒くれ者達。そんなバーバリアンな連中が血眼にな
って追いかけてくるのだからたまったものではない。
「うぉぉぉおおおおお、テンカタソ!!!!」
「む、むぉ、萌むぉえおおえええええ!!!!」
この世のものとは思えない怒声を張り上げている。俺は恐怖心に駆られながら肩越しに後ろを見た。バイキングそこのけの勢いで
大容量の髭を生やした重戦士(藤井。高校。柔道部。正直これだけでかい奴を他に知らない)が、すぐそこまで迫っている。斧を
持つ腕はまるでボンレスハムのように野太い。
「着いたよ!おにいちゃん」
甜歌の家が見えた。扉を開け、甜歌は中に滑り込む。俺もその後に続いて屋敷内に避難しようとドアに手をかけた。が、
「おっしゃああああ!!!甜歌タソ、ゲットぉおおお!!」
つかまったぁあああああ!!!俺は襟首を力任せに後ろに引き寄せられ、窒息しそうになりながら必死で戦士の腕を数回タップす
る。そろそろ意識が朦朧として気持ちよくなってくる頃、
「あ、これ甜歌タソじゃねぇじゃん」
首を抑える力が緩んで、俺は地面に投げ捨てられた。
「マジかよ。イラネ」
捉えたのが甜歌でないと知った途端、彼らはさも関心がなさそうに、宿屋へと戻っていった。俺はほうほうの態で固く閉ざされた
扉を叩く。扉が少し開き、中から甜歌が片目をのぞかせた。
「もう大丈夫?」
「ああ。行っちまったよ……」
- 247 名前:1
[] 投稿日:2005/07/05(火) 22:32:08
- ドアの隙間から屋敷に入った俺は、恐怖から開放された安心感を噛み締め、その場にへたりこんだ。すると、奥からはいりが水を
運んできてくれた。俺はそれを受け取り、一気に飲み干す。
「はいりさん。ありがとう」
はいりに礼を言う俺。やはりどうしてもエラに目の焦点がいってしまう。とにもかくにも一息ついた俺は、今度はもの凄い剣幕で
剣幕で甜歌に問い詰める。
「甜歌、あれ何!?強盗団!?借金取り!?」
「ウチのファン」
「ファン!?」
「うん、実は3日後にサイン会があるの」
「サイン会!?」
「甜歌様は南の魔術士であると同時に魔術士界のアイドル。殿方の人気が非常に高いのです。そこで強い要望に応えて、半年ごと
にサイン会兼握手会を開催されているのです」
エラ、ではなく、はいりが説明した。当日は先ほどのような連中が大挙して押し寄せるわけか。
「それで、実はおにいちゃんにサイン会のボディガードしてほしいの」
甜歌は俺に向かって拝むように手を合わせた。
「なるほど。そういうことか。お前、最初から俺のことを利用する気だったんだな?」
俺が甜歌との同行を決めた時、彼女が浮かべた笑みが脳内に蘇った。わざと意地悪な口調で問いかけると、
「ごめん!でも、お願い!おにいちゃんじゃないと、ファンの皆さんを止められないの」
「う〜ん。そこまで言われると」
悪い気はしない。
「よし。わかったよ。引き受けよう」
「ありがとう!!」
「ところで前のボディガードは?」
前回もサイン会があったのだから、その際もボディガードがいたはずだ。
- 248 名前:1
[] 投稿日:2005/07/05(火) 22:32:25
- 「村外れの土の中」
甜歌は明るい声色で答えた。
「土の中……」
突如、表で雷鳴が鳴り豪雨が降り始めた。まるで俺の運命を暗示するかのように。殺されるかもしれない。えなりとの決戦に赴く
前に、既に死の予感を感じている俺であった。
後半に続く
- 299 名前:1
[] 投稿日:2005/07/11(月) 22:11:51
- 第32話(甜歌パート後半)
屋敷に来て3日が経った。
ここでの生活は快適そのもの。宿泊している部屋は現実世界の自室が3つは入りそう広々空間。2階のテラスからは広大なセットー海が
見渡せる。そして朝昼夕とはいりの作る料理は逸品。完璧だ。ある一点を除いて。実はその一つの問題点が、この屋敷を恐怖の屋敷た
らしめている。
問題点とは、故南の魔術士、つまり甜歌の爺様が残した数々の仕掛け。さすが南の魔術士。以前訪れた時は、特定の部屋しか利用しな
かったので気付かなかったが、屋敷内のいたるところに侵入者撃退用の罠やら怪奇現象やらギミックが満載されているのだ。普通に歩
いているはずが堂々巡りする無限ループ廊下、夜な夜な屋敷内を徘徊して不審者を見境無く攻撃してくるフルプレートの騎士、そして
極めつけはあちらこちらに隠された即死必至の魔術地雷。甜歌や、はいりのナビ無しに迂闊に歩こうものなら、命すら失いかねないの
だ。とてもではないが、常人に住みこなせる代物ではない。俺自身、何度死にかけたことか。
昨晩も正体不明の影にのしかかられて悪夢にうなされた俺は、くまが出来た目をこすりながら階下の食堂に向かっている。思考は不明
瞭で、まだ夢の中にいるような気分だ。
階段を下りていると、俺は表が妙に騒がしいことに気付いた。
「何の騒ぎだ……?」
ぼんやりした意識で幾多の罠を避けつつ、窓から外をうかがってみる。するとどうだろう。正面玄関前に、男ばかりで形成された長蛇
の列が。
「サイン会!!」
俺、覚醒。そうだ。今日はサイン会当日だ。ようやくハッキリしてきた意識で、俺は食堂へと走る。
「おにいちゃん。おはよう」
甜歌が笑顔で挨拶をした。
「おはよう、ってのん気だな、おい!!表がえらいことになってるぞ」
「ああ、あれ全部サイン会に来てくれた人達だよ」
「多杉だろ。少なく見繕っても200人近くいるぞ。収拾がつかなくなるんじゃないか?」
「いつものことだし。ファンの皆さんもそこら辺はプロだから、ちゃんと考えて並んでくれてるよ」
- 300 名前:1
[] 投稿日:2005/07/11(月) 22:12:35
- プロって……。当の本人は慣れ切っているのか、どっしりと落ち着いたもの。興奮冷めやらない俺は、はいりにすすめられるまま席に
つく。味もほとんど分からないまま、落ち着かない朝食を済ませた。
のんきに食後の紅茶まで頂いた俺と甜歌は、会場である大広間へと向かった。その途中、玄関から広間に至るまで、順路を示すポール
が続いているのに気付いた。が、肝心のロープが張られていない。通常は列が乱れぬようロープを張るものだ。日替わり特価品の人員
整理をしていた経験上、そこは気になる。
「ロープとか張らなくていいの?」
「おkおk♪」
「おkおkって、これじゃ簡単に列からはみ出ちゃうんじゃ……」
俺はポールの向こう側に身体を乗り出そうとした。
「あ。それ、ポールから少しでも向こうに出ると魔力で身体燃えちゃうよ」
「それ先にっ!!」
俺は間一髪で身を反らした。前髪の毛先が少々焦げたが⊂(^ω^;)⊃セフセフ。なるほど魔力による壁が張られているわけか。一寸先
は死。それを承知でサインを貰いに来るファンの執念深さは尊敬に値する。
大広間に入ると、台座とその前に据えられた長机が目に入った。机上にはペンとインク瓶が置かれている。甜歌が、小柄な体格とはお
よそ不釣合いな台座に座り、俺は机の斜め前に戦々恐々としながら立つ。
スタンバイ完了。俺は思い切り手を振った。遥か先の正面玄関にいるはいりが、小さく首を振ってドアを開けた。いよいよ地獄のサイ
ン&握手会開始。
はいりに導かれて、ファンの列がこちらに近づいて来る。人員整理用ポールのトラップについては心得たもので、それに触れない様に
一列で進んでくる。よく訓練された行進を見るようだ。
行列の先頭、記念すべき一人目のファンは、一切の頭髪を纏っていない無骨な強面の戦士。無口らしく一切言葉を発さない。色紙を差
し出さないのでどこにサインをして貰うのかと思えば、何とブロードソードの鍔にサインを書かせている。特別なインクなのか、鍔に
も難なく文字を書けるようだ。
(こわげだなぁ)
俺が胸中で慄いていると、サインを貰い終えた戦士は決心したように声を絞り出した。
「これ僕の手作りです!受け取ってください!!」
と、差し出したのはファンシーなぬいぐるみ。
- 301 名前:1
[] 投稿日:2005/07/11(月) 22:12:53
- (わぁ、可愛らしいテディベアちゃんだぁ)
GJ!俺、感嘆。
「ありがとう!」
嬉しそうな顔でそれを受け取る甜歌。握手をして貰った戦士は、一瞬絶頂とも思える歓喜の情を顔に浮かべたが、すぐに元の強面に戻
って帰って行った。あの剣で敵を屠っていくのかと思うと複雑な心境だ。
続いて2人目、3人目とサイン会は滞りなく続いてく。中には一般人もいるが、多くが無骨な戦士や騎士、魔術士など冒険者風の連中
ばかり。しかし皆マナーを守る、清く正しい炉利ヲタどもで、甜歌に危害を与えるようなことはなさそうだ。
(これじゃボディガードの出番も無さそうだなぁ)
俺は胸を撫で下ろして、サイン会の流れを見守っていた、かれこれ50人目くらいだろうか、いい加減退屈になってきた頃、今までとは
明らかに違う雰囲気の人間が現れた。この場におよそ相応しくないホスト風のその優男は、甜歌の前に一枚の色紙を差し出した。
「サインを頂きたくて参りました」
実に堂々とした語り口。
「今日はありがとう」
甜歌はごしゃごしゃと珍妙なサインを書いて、男に手渡した。
「こんな時でないとあなたには会えないですから。実は私はあなたを……食べたいんです」
「え……?」
甜歌は優男の顔を見上げた。男はニヤリと邪に笑う。
「おい!てめぇ、甜歌タソが怖がってるだろ!!」
すぐ後ろのファンが、業を煮やして優男の肩を掴んだ。
「うるさいですね」
ファンの手を掴んだ優男は、ねじり上げて身体ごと後ろの列に向かって投げ飛ばした。憐れ将棋倒しに倒れる男達。異常に気付いたは
いりが、咄嗟に魔力の壁を解いた。
「あなたほどの魔術士を食えば、私は永遠の命を得ることが出来る」
優男の顔が破れ、漆黒の魔物へと変貌した。ドラゴニュートの一種か。耳まで裂けた口に鋭い牙を生やし、長い舌をチロチロとのぞか
せている。
- 302 名前:1
[] 投稿日:2005/07/11(月) 22:13:10
- 「我が下僕達よ……」
と、列に並んでいたファンが人間の皮を脱ぎ捨て、ドラゴニュートの正体を現した。その数は50体近く。こんなにいたのか。
「どうりでいつもより多いと思ってた」
甜歌があっけらかんと言った。和やかなサイン会場の空気は一変して、緊張が張り詰める。
「ポールの魔力を消してますから、皆さんには逃げてもらいましょう」
「そうだな。ファンの皆さん、逃げてください!」
主催者側の手前上、俺は叫んでファンに促した。すると、
「あ?何一人で格好つけてんだ?てめぇ」
へ。
「俺も手を貸すぜ!甜歌タソを守ってみせる」
え。
「っつか、俺が甜歌のナイトだからwお前らもう帰っていいよ」
といった具合に皆様闘う気満々。そういやこいつら冒険者だった。あっという間に大広間は大乱戦会場に。ファンの皆さんはやはり百戦
錬磨のツワモノ揃いのようで、次々と雑魚を葬り去っていく。
「小癪な連中だ。まぁいい。その間に私はこの少女を頂くとしよう」
台座の前に立つ甜歌に、手を伸ばす魔物。その指先に剣の切っ先が当たる。
「ボディガードを忘れてくれるなよ」
俺は聖剣の刃を魔物の黄色をした眼前にちらつかせる。
「邪魔をするな!」
魔物は黒く光る鋭い爪で、俺に狙いをつけて攻撃を浴びせかける。さすが長だけあって、スピードも威力も相当なもの。だが、そこは俺。
それを確実に捌ききり、隙をついて剣で魔物の胸を斬り裂いた。黒い血液が飛び散る。魔物はよろめき、机を破壊してその上に倒れた。
彼は虫の息で甜歌を見上げる。
「お前の肉を食えば永遠の命が…!!」
最後の力を振り絞って口を開く魔物の頭部を、俺専用異世界人専用聖剣が貫いた。
「永遠の命っていうか、こんなの食べたら腹壊すぞ」
会場内の雑魚達もあらかた片付いたようで、ファンの皆さんは汗を拭いて、各々の武器をおさめた。
「甜歌タソ、大丈夫ですか!」
- 303 名前:1
[] 投稿日:2005/07/11(月) 22:13:27
- 「お怪我は!」
あっという間にファンに囲まれる甜歌。それに答えるように、彼女は身体を動かして身の安全を示している。
一人寂しく俺専用世界人専用聖剣をしまう俺の元に、一人のおっちゃんが近寄る。
「ひ弱そうな外見してやがるから雑魚かと思えば、なかなかやるじゃねぇか。糞ったれ野郎。これでお前も立派な甜歌タソファンの仲間入
りだぜ!」
彼は俺の肩を景気よく叩いた。ちょっとした友情が芽生えた予感。
そして夜。今日も故南の魔術士が仕掛けた影で眠れない俺は、一人で海岸の流木に腰掛けている。昼間の騒ぎはどこへやら、夜の岸部は
静けさに包まれている。小波がゆっくりと打ち寄せては引き、打ち寄せては引く。その光景は心に束の間の平安をもたらしてくれる。
思わぬ襲撃を共に撃退したファンの皆さんは、それぞれの日常へと戻って行った。何という爽やかな炉利ヲタ達だろう。次回のサイン会
も懲りずに参加するつもりらしい。
俺は皮袋を開けて中からデジタルオーディオを取り出す。イヤホンを耳に当てて再生ボタンを押すと、以前よく聴いていた曲が流れてく
る。毎朝、通勤時に聴いていた曲なのに、ひどく懐かしく感じれる。
そうしていると俺の隣に甜歌が座った。
「甜歌も聴いてみる?」
「うん」
イヤホンを甜歌の耳に付けてやった。途端に彼女の顔が驚きと共に明るくなった。
「すごい!!これなんて魔術!?」
「魔術っていうか、科学なんだけど」
「ふぅん」
再び沈黙が戻った。と思いきや、
「あ、思い出した!!」
突然、甜歌が素っ頓狂な声を上げてイヤホンを外した。
「な、な、何?」
「昼間、サイン会の時ウチにひどいこと言ったでしょ!」
俺は昼間の出来事を回想した。
「お前を喰ったら腹壊すって言ったこと?わりぃ。あれ、つい勢いで言っちゃったんだよなぁ」
- 304 名前:1
[] 投稿日:2005/07/11(月) 22:13:41
- 「もぅ。人を腐ったものかなんかみたいに言ってくれるんだから。ウチを食べたからって…………と思ったけど、やっぱおなか壊すか」
納得しちゃった!この子、納得しちゃったよ。自分で抗議しておいて。やはり天然だ。
またもや押し黙って、甜歌は異世界の歌に耳を傾ける。
「おにいちゃんの世界。素敵な世界なんだろうなぁ」
甜歌はうっとりとしながら、小さく呟いた。
「俺の世界……か」
俺の世界なんかじゃない。現実世界での俺は脇役だ。脚光など浴びることなく、生きがいも無く日々を送るだけのエキストラに過ぎない。
「そんないい世界じゃない」
「でもウチは行ってみたい。あなたが暮らしていた世界に」
意表を付く言葉を浴びせられ、俺は甜歌の顔に目をやった。
「不思議な曲……」(LovepsychedelicoのFantastic World)
彼女は自分が言ったことも既に忘れたように、瞼を閉じて音楽に聴き入っている。海原を見つめていた俺も目を閉じた。小波の音、風の
音。あらゆることを忘れられるこの瞬間。心が自分でも信じられないくらい澄んでくる。この場所にいることが幸いと感じられる。
そして何よりも、甜歌の一言が俺の心を救ってくれた。
「ありがとうな。甜歌」
彼女の耳に届かない位の小さな声で俺は呟いた。と、不意に俺の下唇に、柔らかい何かが触れた。
「……え?」
俺は自分の口に軽く指先を当てて、甜歌を見た。
「ボディガードの報酬だよ」
柄にも無く頬を紅く染めて、甜歌は再び目をつぶった。俺は妙に嬉しくて、今度は目を開けたまま、いつまでも夜の海を見つめていた。
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