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1978年11月30日、ノース・カロライナ州の州都ローリーにて誕生。フルネームはClayton Holmes Grissom。Claytonは南部の慣習により、祖母の旧姓からとられた名前。1999年に母方の姓をとりAikenとした。Clayは“アメリカンアイドル”(AI)プロデューサーの勧めにより短くしたもの。父はVernonヴァーノン(2004年没)、母はFayeフェイ。(腹違いの姉Debデブもいたが、一緒に住んだことはない。今は故人。)
父がアルコール中毒で母に暴力をふるったため、2歳の時にクレイと母は家を出た。
1歳半から歌い始めていたというクレイは、3歳の時には母の働く地元スーパー、シアーズで歌の才能を現す。「みんなが1ドルくれて、僕はカーペットのサンプルの上に立って歌ったものさ」
5歳にして、彼はハイスクールの冬のダンスパーティで
“Islands in the Stream” を歌い、学生たちのマスコット的存在になった。
6歳の時、母がレイ・パーカーと再婚。レイは2002年7月に亡くなった。家族は他に、義理の兄ジェフ、義理の姉エイミー、たね違いの弟ブレット(同居したのはブレットのみ。7歳年下)がいる。
母の好きなオールディーズやカントリーの専門局を聴きながら育つ。初めて買ったシングルは、マリー・オズモンド&ダン・シールズの
“Meet Me in Montana”。
11〜13歳まで、地元ローリーの少年聖歌隊に加わった。クレイは学校でいじめられていたが、学校で聖歌隊にいたのが1人だけだったこともその一因であったという。
Leesville Road中等学校でも、合唱団に入った。また、小学生に体育を教えるアシスタントをした経験がある。
Leesville Road高校に入学。学生ミュージカルに参加、1年生ながら
“Leader of the Pack” などの作品で次々と役を得た。在学中に
“オクラホマ!” や “The Music Man” などに出演したほか、1995年夏には
“サウンド・オブ・ミュージック” のディナーショーに参加、のちに
“マルコムin the Middle” に出演するフランキー・ムニッズと共演した。生徒会にも入っていたという。
1997年、高校卒業記念にデモテープ“Look
What Love Has Done”を作成。
高校卒業後、クレイはYMCAで
働き、教育のおもしろさを知った。19歳の時は、Brentwood小学校で、自閉症児クラスの代理教師を務めたこともある。
2000年に、ノースカロライナ大学シャーロット校に進学、特別教育を専攻した。音楽の勉強も、歌手としてのキャリアも追わないと決めていた。「特殊教育を学ぼうと決めて、自閉症児の教育に生きがいを見出した。人生のプランを決めたんだ。6年現場で教えて、その後ウィリアムアンドメアリー・カレッジに進んで修士号を取るつもりだった。」50歳の時には高校の校長になっていたいと思っていた。
趣味としてJust by Chanceという地元バンドで音楽活動はしていた。
また、2000年に“Redefined”という2枚目のデモCDを作っている。
←Redefined(2000)
大学に通いながらのバイトとして、発育障害児のための地域プログラムのワーカーとなったクレイは、ノース・カロライナ州シャーロットのブーベル家に派遣される。そこで、自閉症を持つ12歳の息子マイクのケアをすることになった。このマイクの母親、ダイアンこそが、クレイにAIシーズン2のオーディションを受けるよう勧めた人物である。

また、本当は世界一周に挑戦する番組Amazing Raceに挑戦したかったクレイにAIを勧めた大学のルームメイトAmyという存在もあった。

1999年のクレイ映像!
(Windows
Media Player)
Jonson
Community Collegeで歌うクレイ
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