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前身は「舞潟フライングクラブ」
信濃川の鮭孵化場の近くの田圃と土手に囲まれた河川敷に造りました。
滑走路は田圃の際だったので皆着陸は上手かったんです。
「新潟フライングクラブ」って、うちの事か?
ある時マスコミでクラブが紹介されましたが、その時に間違って、
「新潟フライングクラブ」と紹介されてしまったため、世間からは「新潟フライングクラブ」と呼ばれるようになりました。クラブ員は、その後もずっと「舞潟」と呼んでいたんですが・・ ・・・・
舞潟の閉鎖
その舞潟も8年ほど経ったところで環境条件が整わず閉鎖することになりました。
1998年春のことでした。 クラブ員は路頭に迷うことになります。
新天地を求めて
新三役となる、
鈴木会長(舞潟から続投)、佐藤副会長(当時)、田中会計(当時)が、第二の舞潟を求めて奔走することになります。・・・・・ そしてようやく発見です!
「ここなら素晴らしい飛行場ができるぞ!」
阿賀野川河川敷の占用許可を取得。
役員の努力により、98年10月に占用許可を取得しました。
翌99年春に飛行場開きを果たすことになりました。
再開と再会
舞潟の閉鎖に伴って、一時的に他クラブに御世話になった方々や、それ以来ラジコンを休止してしまった方々などが、飛行場再開(クラブ員再会?)の朗報を聞き、それを待ち望んでいたかのように阿賀野川河川敷飛行場に集まってきました。

