下野物語(Shimotsuke Story) 本文へジャンプ
下野かるた
かるたの表紙 テーマ解説 ブログリンク
●序 下野かるた
●番外編
■野口雨情
 本名英吉。明治十五年茨城県・磯原で生まれた。明治、大正、昭和を通じ、民謡、童謡詩人として活躍。「船頭小唄」「波浮の港」などの流行歌や「あの町この町」「赤い靴」「雨ふりお月さん」など数多くの童謡を作詞。今でも多くの人に愛唱されている。
 昭和十九年、宇都宮市の羽黒山ろくに疎開、翌年六十二歳で没した。雨情旧居の向かい側、鹿沼街道沿いに「あの町この町」の詩歌がある。
■あの町この町雨情の碑
■大谷麿崖仏 
 宇都宮市大谷町は石の里。大谷石の岩肌と緑のコントラストが美しい。地下採掘場跡の巨大空間や27メートルもある平和観音像に観光客は息をのむ。
 大谷寺は板東十九番の札所。岩壁には平安時代の初期に作られた千手観音をはじめ十体の仏様が浮き彫りされており、こうした仏像を「麿崖仏」という。国の重要文化財、特別史跡で、全国で初めての二重指定。
■石の里大谷におわす磨崖仏
大谷観音
●大谷町の..スポット
●大谷の石の彫刻
●異空間 大谷資料館

■雲厳寺
 黒羽町にある臨済宗妙心寺派の名寺。八溝の山に囲まれ、山門の前を流れる武茂川の渓谷が美しい。大治年間(十二世紀前半)に開かれたといい、後嵯峨天皇の第三皇子仏国国師が入山して堂塔を建立、法燈が栄えた。
 元禄二年、「奥の細道」で、門人曾良とともにみちのくの旅に出た芭蕉はこの寺を訪れ「きつつきも庵は破らず夏木立」の名句をのこした。境内にこの句碑が建てられている。
■雲厳寺の 夏木立
●雲巌寺の夏木立
■川上澄生(かわかみ すみお)
 本名澄雄。明治二十八年横浜の生まれ。大正十年、宇都宮中学校(宇都宮高校)の英語教師になった。
 戦時中、北海道に疎開した。昭和二十三年教え子の招き再び宇都宮に帰ったが、四十七年、七十七歳で没した。文明開化の明治調と紅毛南蛮の異国情緒を追求し続けた版画家。詩情豊かなユニークな作品で有名。毎年九月、宇都宮市の延命院で澄生をしのんだ「洋澄忌」が開かれている
■エキゾチックな澄生版画
●川上澄生美術館
■おたりや
 宇都宮二荒山神社のお祭りで、毎年一月十五日と十二月十五日に行われる。一月は「春渡祭」十二月は「冬渡祭」と書くが、どちらも「おたりや」と読む。夜になるとみこしが渡御(とぎょ)し、お旅所前で田楽舞いが奉納される。たき上げ所では古いお札や松飾りを燃す炎が夜空をこがす。
 火災よけ、無病息災を祈る氏子でにぎわい、各家庭では甘酒をつくり、縫い物やふろをわかすのをやめる風習があった。
■おたりやの甘酒
■干瓢
 稲荷ずしやのり巻きに欠くことのできないカンピョウは、栃木県の特産品。石橋、壬生、小山など県の南西部で栽培されている。夏の収穫期になると、どの農業も、庭先一杯に、細長くむいたカンピョウを下げて干すが、まるで純白のすだれのように見える。
 いまから二百七十年前に壬生城主の鳥居忠英が旧領地の滋賀県から種をとりよせ領民に栽培させたのがはじまりという。
■干瓢の白すだれ
■小砂焼
 那須郡馬頭町、八溝の山かげでひっそりと生産されて続けてきた小砂焼。民芸ブームに乗って、今は町の観光の”目玉”になった。約百六十年前、水戸藩主の徳川斉昭が、当時水戸領だった小砂で良質の陶土(とうど)を発見。庄屋の藤田半三郎が水瓶、すり鉢、土鍋など日用民具を焼きはじめた。
 小砂焼の特色は渋味と光沢の優美さ。独特の「金結晶」という金色に輝く美しい色つやが有名。
■金結晶の小砂焼
■城鍬舞い(県指定民族文化財)
 大田原市上石上(かみいしがみ)に伝わる民俗芸能。毎年十月十七日、上石上温泉神社の例祭に奉納する。黒の衣装に紅白のタスキをかけ、花笠をかぶった少女十二人が、軍配を持った指揮者「うちわとり」のかけ声で、笛、太鼓に合わせて踊る。
 農具のクワの刃先を鉄棒でたたきながら踊るので、この名がうまれた。ここと塩原町の一部に伝承されている。
■鍬をたたいて城鍬舞
■二宮尊徳
 幼名を金次朗といい、天明七年(1787)いまの大田原市栢山(かやま)に生まれた。没落した一家を支えて、けんめいに働きながら学問に打ち込んだ。たきぎを背負い、読書している像が各地の小学校に建てられている。
 すぐれた農政家で、荒れ果てた農村再建に手腕を発揮したが、県内では芳賀郡の二宮町ね日光の神領だった今市などに数多くの事跡が残っている。今市の報徳役所で死んだ。七十歳。
■倹約の二宮尊徳
■足利学校跡 (国指定史跡)
 足利市昌平町にある。わが国最古の学校跡。入徳門、学校門、孔子をまつる聖廟などが残っており、平成二年、聖廟の東側に学校の建物も復元された。創立については諸説があるが、室町時代の足利学校は三千人の学徒がおり、”板東の大学”であった。
 当時使用した教科書一万二千冊が足利学校遣蹟図書館に所蔵されているが、「文選」(もんぜん)など中国で宋代に出版された七十七冊は国宝に指定されている。
■孔子をまつる足利学校
●漢字の試験をやってみませんか?
●そろそろ寝ましょうか
●足利学校でお勉強
■鹿沼土
 鹿沼市を中心に産出する鹿沼土はサツキの栽培ブームに乗って全国に出荷されている。数万年前、赤城山の噴火による火山砂礫(されき)が積み重なり風化した。関東ローム層のなかに黄褐色の層をつくっている。珪酸とアルミナが主成分で通気、保水、排水性に富み、通気も良いので、酸性を好む植物に最適。
 特にサツキ栽培には欠くことができず、鹿沼を全国一のサツキ産地とした。
■さつき育てる鹿沼土
■詩情豊かな栃木の街並み
 昔、巴波川の舟運が盛んだったころ、川岸に立ち並ぶ船積み問屋の土蔵の白壁が夕日に染まると、江戸から舟荷が帰ってきた。米、大麻、カンピョウの代わりに、髪油や赤いかんざしを積んで江戸時代から明治の中頃にかけ、栃木は物資の集散地として栄えその輸送は町の中を流れる巴波川の舟に頼った。
 土蔵や黒い板塀などが今でも川岸に残っていて、歴史と伝統が息づいている。
■白壁うつす巴波川
■鶏頂山スキー場
 藤原町の鶏頂山(1795メートル)の西北斜面にあるスキー場。 有料道路『日塩もみじライン』わきの牧草地のスロープがゲレンデになっている。 鬼怒川、川治、塩原温泉に近く家族連れに最適。 雪質が良く東京から夜行列車で日帰りも可能なスキー場として都会の若者の人気を集め
 シーズン中に二十六万人が繰り込む。六本のリフト、三本のロープーウェイのほか、一週1500メートルのスノーモビル場もある。
■スキーを楽しむ鶏頂山
■葛生原人
 葛生は江戸中期に石灰岩が発見されて以来。石灰、セメント、ドロマイト工業の町として発展した。昭和二十六年、足利市の中学生が山菅前河原町の採掘現場で成人男子の大腿骨を発見。同年、早稲田大学の古生物研究所員が学術調査したところ、獣の歯跡のある幼児の下顎骨など
 六点がみつかった。約五十万年前のネアンデルタール人の古型の人骨とわかり、「葛生原人」と名付けられた。
■石灰の町の葛生原人
■益子焼
 益子焼きは民芸ブームに乗って素朴で温かい味わいが根強い人気を集めている。嘉永六年(1583)に大塚敬二郎が笠間焼きの技法を取り入れ焼いたのが始まり。瓶、土瓶、片口など台所用品が作られたが大正十三年、人間国宝の浜田庄司が定住、作陶してから民芸陶器の製作が盛んになった。
 戦前に三十六軒だった窯場(ようば)はぞくぞく増し 百二十軒にもなっている。
■そぼくな手ざわり益子焼
■八木節
 足利を中心に群馬県太田市周辺でうたわれる盆踊 り歌。
幕末の頃、八木宿(足利市福居町)で盛んになったので「八木節」と言われるようになった。
 また、堀込(足利市山辺)の馬子、渡辺源太郎がアレンジして歌詞をつけ、歌い広めたので「源太節」と呼ばれる。足利織物の宣伝に使ったため、全国に知られた。太鼓の代わりに酒樽を使い、陽気に、にぎやかに演奏する。
■たるをたたいて八木節音頭
■田中正造
 明治時代の栃木県を代表する政治家。
足尾銅山の鉱毒問題と取り組み、被害を受けた農民を救うのに一生を捧げた。
日本では最初に公害問題を取り上げた。いま佐野市小中町の生まれ。
 明治二十三年第一回総選挙に当選。二十年間代議士を務めたが、衆議院では常に鉱毒問題を攻撃。
血を吐くような演説をした。明治四十三年、足尾銅山の操業停止を明治天皇に直訴したのは有名な話。

■血の叫び田中正造
■ぼうじぼ打ち
 栃木県内の各地に残っている子供たちの風習。サトイモの茎をワラで包み、縄を巻き上げたワラ鉄砲をつくり『十五夜のワラ鉄砲、大麦あたれ、小麦あたれ、三角畑のそばあたれ』と大声で叫びながら、地面をたたき各戸を巡った。
 豊作を祈願した行事で、ところによっては十三夜に、また、県南では十日夜(とうかんや)に実施した。ボウダラ打ち、ワラデッポウともいう。
■月の宵ぼうじぼあたれわらべ唄
■古峯神社(ふるみねじんじゃ)
 鹿沼市草久にあり、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)
 防火、水よけ、農漁業の守護神として、関東、東北、信越地方などに広く信仰され、一万三千もの講中をもっている。鎌倉時代には、修験者(山伏)が峰修行のため訪れ。出流山、横根山を経て日光に至る修業霊場の中心として栄えた。
 千人を収容できるこもり堂の各部屋には巨大な天狗や烏天狗の面がかけられ、当時のおもかげをのこす。

■てんぐのごりやく古峰ケ原
古峯神社
■塩原温泉
高原山の北のふもとを流れる菷川(ほうきかわ)の渓谷に沿った温泉郷。大綱、福渡、塩釜、塩の湯、元湯など十一の温泉があり、年間百六十八万人の観光客でにぎわう。明治の文豪 尾崎紅葉が山と渓谷、滝などを美文で描写し、一躍有名になった。新緑と紅葉が美しく、とくに渓谷と周囲の山を彩る紅葉がすばらしい。
ここの名前は、名所巡りの遊覧トテ馬車で、旅館街を蹄の音も高く走り、子供達の人気の的。

■とてとてトテ馬車もみじの塩原
■生子(いきこ)神社の泣き相撲
鹿沼市樅山町にある生子神社には、病気で死んだ子どもを御祭神が生き遅らせたと言う伝説があり、幼児の健康を祈願する親が多い。毎年九月十九日の例祭に奉納されるのが「泣き相撲」の神事。まわしを締めた若者に抱かれた幼児が土俵にあがる。
行司の軍配で高くふり上げ、先に泣き出した方か勝ち名乗りを受ける。「泣く予は育つ」ということわざか生まれた奇祭らしい。
■泣き相撲の勝ち名乗のり
■那須国造碑(国宝)
 群馬県の多湖碑、宮城県の多賀城碑とともにヽ日本で最も古い碑の一つ。那須郡湯津上村の笠石神社にある。那須国造くにのみやつこ(那須郡の長官)直韋提(あたいいてい)の善政をたたえてつくられた。持統三年(六八九)長官になった韋提は慈愛心に富み、新羅の帰化人を領内に住ませ、手厚く保護した。その徳を募う帰化人がこの碑を建てた。
■日本最古の国造碑
■下野国分寺跡(国指定史跡)
 天平十三年(七四一)に聖武天皇のおことばで、全国に建てられた国分寺の一つ。下都賀郡国分寺町にある。いまは雑木林だが、金堂、講堂、塔、鐘楼跡など寺の規模と配置がほぼ想定される。
一部に礎石や土塁が残っており、布目のある古いカワラも数多く出土し、なかには田=梁田、安=安蘇、都=都賀、川=寒川、内=河内、塩乃屋=塩谷など当時の郡名をしるした文字カワラもある。

■布目瓦の国分寺
■大中寺の七不思議
大平町の北部、太平山の南のふもとにある禅寺。延徳元年(一四八九)に小山城主小山成長が創建したという。上田秋成の「雨月物語」の「青頭巾」はこの寺を舞台にして書かれた。この寺には「馬首の井戸」「枕返しの間」など七不思議の伝説がある。 そのて「根なし藤」は境内にある歴代住職の墓にある大藤。開山の快庵禅師が地面にさした杖が成長したという。

■大中寺の七不思議

●大平町・大中寺(前編)

●大平町・大中寺(後編)

■城興寺(延生地蔵尊)
 芳賀群(はが)祖母井から南西に約三キロ、下延生の五行川の左岸に城興寺がある。
 本尊の地蔵さまは、昔皇子が誕生したときに霊験をあらわしたと伝えられ、安産、子育ての地蔵さまとして、庶民の信仰を集めてきた。
 毎年八月二十三日の縁日には、境内で盆踊りや演芸大会が開かれる。露店もたち並び、参拝の人たちでにぎわう。
■延生地蔵は子育て
■八雲神社の山あげ祭り
 七月二十五日から三日間、烏山町の八雲神社の例祭に奉納される独特の野外劇。国の民族資料に指定されている。地元特産の烏山和紙を使った張り子の山、波、橋などを背景に『将門』などの芝居が上演される。
 踊りの動きに合わせ、指揮者が拍子木で合図すると、背景の山が一斉に変化するのが見物。踊り、おはやし、常磐津、山の組み上げ、切り返し、舞台の解体、移動、すべて地元の人達が行う。

■早がわりの山あげ
■那須与一
 中世、県の東北部を支配した豪族那須氏は、中央部の宇都宮氏をはじめ、陸奥の芦名、白河氏、常陸の佐竹氏と戦い、その勢力を那須郡全域に広げた。与一宗隆(よいちむねたか)は、高館(黒羽町大輪)の城主那須資隆(なすすけたか)の十一子。
 『平家物語』によると、源平屋島の戦いのおり、波間に揺れ動く小舟にかかげた扇の的を、見事に射落とし、弓の名手として、その名を天下にとどろかせた。

■ひきしぼる与一の弓
●那須与一の郷
■しもつかれ
栃木県の代表的な郷土料理。呼び方は「しもつかれ」「しもつかり」「しみつかれ」など県内各地で幾分違う。大根と人参を「鬼おろし」でおろし、節分の残りの豆、塩サケの頭、油揚げ、酒カスを加えて煮込む。初午(はつうま)の日につくり、稲荷様に備える。栄養があって、消化もよい。初午につきものの赤飯によく合う。庶民の知恵が生んだ料理で、ふるさとの”手作りの味”がする

■ふるさとの味しもつかれ
■湯西川温泉
 栃木県の秘境、栗山村は鬼怒川沿いと、湯西川沿いに集落が分かれ、それぞれに平家の落人伝説が残されている。特に湯西川温泉は源氏との戦いに敗れた一族が逃れてきて、ひっそりと隠れ住んだという。ひなびた情緒が観光客の人気を集めており、十七軒の旅館に年間十七万人の宿泊客がある。旅館の料理も落人伝説にちなんだ独特の物が多く、平家そば、落人なべ、すべてに平家が登場する

■平家ゆかりの湯西川
●平家の里
■間々田の蛇まつり
 小山市間々田地区に伝わる竜神信仰の珍しい行事。毎年旧暦四月八日の八幡宮の例祭に奉納される。地元の子供たちは竹、ワラ、フジツル、シダなどを材料に、長さが30mの頭が竜、胴体が蛇の形を作り上げる。数十人がこれかつぎ叫びながら「蛇がまいた。蛇がまいた」と叫びながら町内を練り歩く。疫病除け、豊作、雨乞いの願いがこめられており、県の無形民族文化財に選ばれている。

■豊年祈る間々田の蛇祭り
●間々田の蛇まつり01
●間々田の桜だより

●間々田の蛇まつり02

■三毳山(みかもやま)
標高223m。 佐野市、岩舟、藤岡町にまたがる、なだらかな起伏の女性的な山。万葉の昔から、東山道を通った旅人は、下野に入るとまず三毳山をながめて旅愁を慰めた。万葉集の東歌には安蘇(あそ)の河原と三毳山をうたった二首が下野の歌として収録されている。
 下つ毛野 みかもの山の小楢(こなら)のす まぐはし子ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ
 の万葉歌碑が、山の南のふもと、藤岡町大和田にたっている。
■万葉の三毳山
■越名舟唄
佐野市越名町の越名、馬門河岸跡は、いま見る影もないが、素朴な船頭歌が残されている。二つの河岸は、江戸時代中期から両毛線が開通した大正初期まで、江戸両国に荷を運ぶ川船の発着場としてにぎわった。常時二百艘近い高瀬船が停泊し、河岸には駄馬と荷車で混雑したが、そのころ船頭たちに歌われたという。
『アー 船はろでゆく 越名の河岸を お江戸通いの 高瀬船』

■民謡に残る越名の船頭
■残念桜
茂木町天矢場の大曲り、国道123号線と国鉄(現JR)真岡線にはさまれた水田のなかにある。
天正の昔、北条軍によって茂木の桔梗城が包囲されたとき、宇都宮家の援軍がかけつけたが、間に合わずに落城した。援軍の隊長は城の火の手を見て「残念」と、手にしていたサクラのむちを投げ捨てたが、地面に突き刺さったむちは根が生えて大木に成長。「残念桜」と呼ばれた。今は何回か植え替えられた。

■鞭投げ捨てた残念桜
■陽明門(国宝)
国宝、重文建造物が多い東照宮を代表する建物。特に、白、黒、金を基調にした彩色が美しい。間口が7m、奥行き4.4m、高さが11.1mのこじんまりした楼門だが、四百を超える装飾彫刻は、朝から日暮れまで眺めていても、あきないので「日暮らしの門」とも言われる。世界に誇る豪華な木造建築。
正面に後水尾天皇筆の「東照大権現」の額が掲げられている。
■目をみはる陽明門
●東照宮
■真岡木綿
江戸時代に綿の栽培が盛んだった真岡、上三川、石橋、下館、結城と広い範囲で折られたが、問屋が真岡にあったので『真岡木綿』と呼ばれた。質が良く丈夫だったので、藍染めの着物やはんてんなどが庶民に好まれた。全盛期は百五十年前。年産三十万反を越えたが、明治になってからは、安い外国の綿布が輸入されるようになったため、しだいにすたれ、今はその名を残すだけとなった。
■真岡木綿だ藍を着る
■やおつつじ
 日光国立公園を中心に県内の山岳一帯に見られるツツジ科の落葉低木。
 花の色がピンクの「アカヤシオ」純白の「シロヤシオ」濃い紅紫の「ムラサキヤシオ」があり。いづれも四月中旬から五月上旬にかけて咲く。
 昭和四十四年、県の花に指定された。なお県木には栃の木、県鳥にはオオルリ、県獣にはカモシカがそれぞれ指定されている。
■やおつつじは県の花
■おもちゃのまち
戦後のおもちゃ産業は、これまでの家内工業から脱皮し、近代的な生産体制を整える必要に迫られた。このため、壬生町に造成された『おもちゃ団地』には、立地条件の悪い東京都墨田区付近からおもちゃメーカーが集団移転し、昭和四十年から操業。子どもたちの夢を創造している。東武宇都宮線には『おもちゃのまち』駅も新設された。四十五の企業が新しいおもちゃの開発に打ち込んでいる。
■夢を育てるおもちゃのまち
●おもちゃのまち駅
■七ツ石(夜泣き石)
天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐のとき、小山城主の小山政種は義父の北条氏政のため秀吉と戦った。敗れて小山城は没収され、城の庭園にあった七つの石が結城城に運ばれた。ところが、夜ふけになると、声をそろえてむせび泣きをし、まるで落城の悲しさを訴えるようなので、結城城主は七つの石を小山に送り返したという伝説がある。いま小山市の
須賀神社境内に保存されている。
■夜ふけに泣いた七つ石
●初詣 須賀神社
●今年も後半に入りました
■録事尊
粟野町下粕尾の常楽寺にある。鎌倉時代の名医、中野智元をまつった録事尊にお参りすると雷の災害を避けられるといわれ、この地方の人たちに信仰されている。雷神の重い病気を診察した智元はお灸をすえてなおしてやった。感謝した雷神は智元の住む里には決して落雷させないと約束。さらに雷よけの祈祷を教えて天に戻っていった。雷の多い栃木県には雷神信仰の伝説も多い。
■雷神のやまいなおした録事尊
●常楽寺の彼岸花と三体の石仏
■那須高原
 白い煙を大空に噴き上げる活火山、茶臼岳(1917m)を主峰にした那須五岳のふもとにひろがる那須高原。雄大なながめがすばらしい。澄んだ空気。抜けるような青空。明るい太陽。数多くの温泉が都会の人たちの心を慰め、年間四百万人の観光客が訪れています。
 秋になると、いち早く高原を彩るのは紫のリンドウです。かれんな花が風に揺れ、紅葉シーズンももうすぐです。
■りんどう揺れる那須高原
■竜王狭
 水と渓(たに)をキャッチフレーズにする鬼怒川、川治温泉の間にある鬼怒川の渓谷。鬼怒川の浸食によってできた岩の変化がすばらしく、その間にシブキをあげるるり色の鬼怒の清流。春はヤシオツツジと新緑、秋は奇岩を彩る紅葉。四季それぞれの自然美が楽しめる。
 延長5キロの自然研究路には、竜王神社、虹見の滝、青竜ケ淵、五光岩など名所が多く、手軽なハイキングコースとして最適

■るりのながれ竜王峡
■日光街道の杉並木
 日光、今市両市にまたがって、日光、御成り、例幣使、会津西の四街道の両側にある。延長37キロにわたり、その数は一万三千本。規模の大きさは世界に類がなく、国の特別史跡、特別天然記念物にしていされているが、特に例幣使街道の杉並木がすばらしい。
 この杉並木は、三百七十年前、日光東照宮が造営されたとき、松平正綱、信綱父子が二十年をかけて植樹し、東照宮に寄進した。
■例幣使街道の杉並木
■木幡神社(きばたじんじゃ)
 八世紀の延歴年間に、蝦夷を平定した坂上田村麻呂が戦勝を感謝して、矢板市木幡に創建したという。本殿、楼門は室町中期に建てられ、いずれも重要文化財。とくに、楼門は「一間一戸」と呼ばれる建築様式で、関東地方では珍しい。毎年十月九日が例大祭。スケールは小さいが、日光東照宮と同じ武者千人行列を氏子が奉仕し、楼門とともに地元の人たちの誇りになっている
■楼門が木幡のほこり
■日光和楽踊り
 栃木県の代表的な民謡。大正二年九月六、七の両日、大正天皇、貞明皇后が日光電気青銅所の工場を御視察されたのを祝って、踊ったのがはじまり。一般の盆踊りと区別して、和楽踊りと呼ばれた。
 いらい毎年八月上旬に行われるが、数多くの見物客でにぎわい、日光の夏の風物詩になった。石投げ踊り、手踊り、笠踊りの三種あったが、いまは笠踊りが主流になった。
■和楽踊りで夏がくる