日本三大火祭り鬼夜(大善寺)

 

日本三大火祭りひとつで、1600年以上の歴史を持つ鬼夜は、大善寺において、毎年1月7日に開催されます。

この火祭り(鬼夜)は、新年の邪気を払い無病息災を願う祭りで、国の重要無形民俗文化財となっています。

1.2トンもの6本の大松明に火が壮大に灯された中で、赤鬼と青鬼が戦う様は、戦乱の両軍の大将の決戦を想像させます。

なお、大善寺近辺には、中津、納江、楢津などの地名が残り、御塚古墳(周濠・周堤が三重に巡る直径約121mの帆立貝式前方後円墳で5世紀後半の築造)、権現塚古墳(周濠・周堤が二重に巡る直径約152mの円墳で6世紀前半の築造)があり、「奴国」の中心地であったことをうかがわせます。

大善寺は、「末盧国」の東南50kmにある「伊都国(吉野ヶ里)」からちょうど東南10kmに当たります。

 

《交通》

西鉄電車の大善寺駅で降り、久留米・福岡方面5分ほど歩くと大善寺玉垂宮(たまたれ)の大鳥居が見えてきます。

車の場合は、近くの御塚・権現塚古墳の駐車場が穴場です。

鬼夜のスタート》

19時頃の「汐井(しおい)汲み」からスタートします。汐井汲みとは、大善寺玉垂宮前を流れる広川で身体を清め、水を汲んで、神前に供える神事のことです。

続いて、450人程が白鉢巻きにさらしの締め込み姿で、松明を掲げて社殿と広川を往復する「汐井かき」が行われます。
そして、松明への点火に備えて、21時40分頃には、露店を含む全ての照明が消されます。

《大松明の点火》

鬼火(種火)は毎年大晦日に採火して、1月7日の鬼夜まで神殿で守り続けられます。

この種火は、神殿から一歩ずつゆっくり運ばれ、6本の大松明に順次点火されて、祭りは最高潮を迎えます。

なお、この大松明の構造は、数本の太い竹を芯にし、周りに竹を直径1mほど巻きつけ、さらに周囲を中太の竹で円形に巻き上げたもので、先端には点火用の松葉が差し込んであるとのことでした。また、20年くらい前までは直径が今の1.5倍はあったという話、でも、今でも直径1m、長さ13m、重さ1.2トンにもなります。

 

《赤鬼と青鬼の登場》

子供たちが扮した鬼たちが護衛する中、赤鬼が鉾を伴ってゆっくり中央舞台へ歩を進めます。つづいて、青鬼が登場します。

赤鬼と青鬼は、舞台上で向かい合い、鉾と剣で戦う「鉾面神事」が古式にのっとり執り行われます。

なお、鉾につけられた鉾紙は、神事後、玉垂宮の袋に入れて販売され、安産や幸福を呼ぶと言われています。

 

 

 

 

《鉾面神事》

赤鬼と青鬼が鉾で戦っているときに、脇役が両者から鉾を奪って「鉾とった」と叫びます。

しばらくして、脇役が赤鬼と青鬼から面を奪い「面(つら)ぬいだ」と叫びます。続く「そら扱いだ」の叫び声を合図に、鉦や太鼓が打ち鳴らされ、祭りは絶頂となります。

赤鬼と青鬼は、最後に、剣で立合いを行った後、両者とも神殿に消えて行きます。

大将同士の一騎打ちのように思えます。

《大松明の移動》

鉾面神事が終わると、大松明の移動が始まります。

火の粉が降り注ぐので、松明の先端を「かり股」と呼ばれるY字型の棒で持ち上げて移動させます。

一つの松明を締め込み姿の男が約75名で抱え上げていました。

鉦や太鼓が鳴り響く中、6本の大松明は、順次、列を作って神殿の周りをゆっくり2周まわります。

松明の爆竹音が、鉄砲のように鳴り響きます。

《大松明の火の粉》

警備の人に、「大松明の火の粉を浴びると難を逃れると聞いてきたのですが、浴びれますか?」と聞いたら、「火の粉は焼け炭だからとても無理、火に照らされるだけで良いのですよ」と教えてもらいました。

6本目の火が消されて、壮大な祭りがすべて終わったのは、23時30分を過ぎていました。

 

 

 

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