久留米市 (福岡県)(2017年 4月))




久留米市 (福岡県)(2017年 4月)

久留米市は福岡県南部筑後地方の中心都市、江戸時代は有馬21万石の城下町として栄えていました。現在は福岡都市圏に組み込まれ、またブリジストンの企業城下町となっています。



概論 (2017年 4月)
久留米市は福岡県の南部・筑後地方の中心都市、30万人の人口を有する都市です。人口規模からしますと盛岡市(岩手県)とほぼ同規模で現在の順位はそれぞれ72位、73位となっています。また、江戸時代、両藩の石高は20万石程度で全国で20位くらいの大藩でした。同じ時期に盛岡市を訪問しましたが確かに同規模と感じます。ただ盛岡が独立した都市圏を形成して地域の中核都市としての風格を感じるのとは対照的に久留米市は福岡都市圏に飲み込まれつつあると感じました。30万人規模の都市、江戸時代から続く城下町ともなりますとある程度の観光名所があるものですが久留米市にも久留米城址、水天宮の本宮、梅林寺外苑などがありますがどれも地味でどちらと言いますと「通好み」の場所で、一般の人にアピールし、客を呼べるような観光地ではないように見えます、その為、観光客もほとんど居ないように見えます。

九州の中央に位置し筑後川に面していて交通の要衝であり、恵まれた状況の中で発展した都市です。九州という名称の通り、文字通り江戸時代までは9つの国に別れていてその内薩摩と常に一緒にあった大隅は鹿児島県、新政府、特に長州に対抗した豊前は二つに分割され福岡県と大分県に分割されました。筑後の国は江戸時代北部は久留米藩、南部は柳川藩となっていて独立した国で筑後川の下流には肥沃な平野が広がり石高も高く経済的には恵まれた土地でした。久留米市は姫路市や福山市同様に明治維新の際の廃藩置県で県庁になり損ねた都市となってしまいました。明治維新の時代新政府に反乱を起こすなどの事件があり、サイズも小さいので福岡県に編入されてしまいました。現在では福岡県は九州の中で人口、経済力とも抜きに出た存在となっています。もし筑後を独立した県として久留米に県庁が置かれていればもう少しどっしりとした風格の在る都市になったでしょう。

明治以降、多くの大藩の城下町は商業都市として政治経済の中心として発展したところが多いのですがここ久留米は多少例外的にブリジストンの企業城下町として発展したことも大きな特徴でしょう、タイヤ生産では世界シェア一位という世界企業で、「久留米=ブリジストン」というイメージが強くなり江戸時代からの城下町、伝統的な商業都市というよりはゴムの街、産業都市というイメージになっています。

もうひとつ大きな存在が西鉄天神大牟田線の存在でしょう。JRよりも手軽に利用出来、本数も多く、何より福岡市の中心になっている天神が終着駅で30分で行けるというのも便利です。天神付近のビジネス街に行く場合、福岡市内でバス便の場所よりも久留米からの方が早く確実に到着出来ます。福岡市が発展し現在では大福岡都市圏に飲み込まれつつあります。歴史ある城下町からブリジストンなどゴム産業を中心とする産業都市へそして福岡大都市圏の副都心的な役割へと都市の性質が変化しているように見えます。今後は単に福岡のベットタウンにならずに独自性を保ちながら発展して行くのか注目しています。

盛岡市・岩手県(2017年 4月)





JR・久留米駅 (2017年 4月)
JR久留米駅には鹿児島本線、久大本線が乗り入れ交通の要所でした。九州新幹線が開通し新幹線のホームを新設し現在の駅舎が建設されたそうです。新幹線や久大本線との乗り換えの為でしょうか結構乗降客が多いように感じました。駅で市内の地図をもらいに観光案内所を訪問し遠方からの訪問と説明すると喜ばれました。



(写真:駅構内)



(写真:プラットフォーム)



(写真:鹿児島本線上り・門司港行き電車)



(写真:上には新幹線の乗場)



(写真:新幹線)



JR・久留米駅前 (2017年 4月)
駅舎は立派でシンボルとなっているカラクリ時計も素敵ですが、駅の周囲は新幹線も停まる人口30万人の代表駅とは思えないほどレトロな雰囲気です。駅前というの繁華街が別に存在してもある程度は賑わい高いビルなどに囲まれている場合が多いのですが何となく殺風景です。



(写真:駅舎とカラクリ時計)

駅前でまず目に付くのは大きなタイヤですね世界最大級のタイヤとあります。久留米市はブリジストンタイヤの企業城下町、ここは日本のゴム産業発祥の地、タイヤ造りが始まったのですね。



(写真:大きなタイヤ-01)



(写真:大きなタイヤ-02)



(写真:大きなタイヤ-03)

そしてもう一つ大切なモニュメントがあります、「とんこつ発祥の地」です。九州のトンコツラーメンは今では関東でも普通に食されるようになって来ましたが本場はこの久留米なのだそうです。関東でいただく九州風ラーメンは臭みを抜いていますが本場のは正直食べなれていない人には「臭い」と思います。本当のファンはこの臭さがたまらないと思っています。それにしてもこのモニュメント良いですね。



(写真:モニュメント「とんこつ発祥の地」-01)



(写真:モニュメント「とんこつ発祥の地」-02)



(写真:モニュメント「とんこつ発祥の地」-03)



(写真:カラクリ時計と市街地方向)

大きな街の駅前とは思えないレトロな雰囲気ですね。



(写真:駅前)



JR久留米駅から西鉄久留米駅 (2017年 4月)
JR久留米駅と西鉄久留米駅は約キロ離れています。西鉄天神大牟田線は1924年(大正13年)に福岡-久留米間が開通しています。現在のJRとの接続の無い孤立線で競合を避けたのかも知れませんね。JR鹿児島線と西鉄天神大牟田線はほとんど並行して走っており、途中に2回交差していますが途中に乗り換え接続駅は存在せず、終着駅の大牟田駅が唯一の乗り換え駅となっています。

二つの駅の間が市街地となっています。大都市とは異なりゆったりとしています。ひときわ大きな建物がありましたが、これは久留米市役所ですね。筑後地方の中で長年ライバル関係にあった大牟田市は炭坑の閉鎖と共に衰退して現在では大きな差がつきましたが一番顕著に分かるのが両方の市役所の建物ですね。



(写真:JR久留米駅から西鉄久留米駅へ-01:ひときわ大きい建物は市役所)

立派ですね。



(写真:久留米市役所)



(写真:JR久留米駅から西鉄久留米駅へ-02)



(写真:JR久留米駅から西鉄久留米駅へ-03)



(写真:JR久留米駅から西鉄久留米駅へ-04)



六ツ門町アーケード街その周辺 (2017年 4月)
多くの都市ではシャッター街になってしまった商店街が多い中、ここ六ツ門町アーケード街はしっかりと機能していました。場所は市内の中央部、JR久留米駅と西鉄久留米駅の間ですが少し西鉄寄りになります。






(写真:六ツ門町アーケード街-01)



(写真:六ツ門町アーケード街-02)



(写真:六ツ門町アーケード街-03)



(写真:六ツ門町アーケード街-04)



(写真:六ツ門町アーケード街-05)



(写真:六ツ門町アーケード街横の大型商業施設)



(写真:六ツ門町付近)



西鉄久留米駅とその周辺 (2017年 4月)
西鉄久留米駅はJRと比較すると乗降客数も圧倒的に多くこちらの方が中心駅という感じです。JRの駅に有りがちな重さのようなものは無く首都圏や京阪神にはよくあるちょっと大きな駅という雰囲気です、福岡市の中心街である福岡天神まで30分で行く事が出来、福岡市の副都心化してしているのかも知れません。駅の下には大きなバスターミナルがあり、久留米市並びに近郊に向けて多くのバスが発着しています。また駅の隣には岩田屋デパートが見えます。



(写真:西鉄久留米駅)



(写真:駅前)

バスターミナルは非常に大きい。



(写真:バスターミナル-01)



(写真:バスターミナル-02)

近くにはアーケード街があります。かつては多くの人で賑わっていたのでしょうね。



(写真:近くのアーケード街-01)



(写真:近くのアーケード街-02)



(写真:近くのアーケード街-03)



(写真:近くのアーケード街-04)



(写真:新京極通り)

駅の近くで評判お久留米ラーメンをいただきました。



(写真:久留米ラーメンのお店)

メニューを見ますと最初に「昔ラーメン:650円」とあります。わざわざ「昔」それも赤字で記しているのは伝統的な久留米ラーメンである事を強調したいのでしょう、黙ってこれを注文してみました。



(写真:店内の様子)



(写真:久留米ラーメン)



寺町とその周辺 (2017年 4月)
お寺がずらっと並んでいる地区があります。江戸時代には26、現在でも17の寺があるそうです。久留米城は背後は筑後川ですので大丈夫、いざという時に反対側をブロックする砦の役割を担うのがこの寺町であったそうです。そう言えば大坂の陣の真田丸も寺院を繋げて作った砦でした、寺は要塞としての役割も果たしていたのですね。




(写真:寺町-01)



(写真:寺町-02)

散策している方も居ます。



(写真:寺町-03)

真宗大谷派の寺院。



(写真:真教寺-01)



(写真:真教寺-02)

浄土真宗西芳寺。



(写真:西芳寺)

誓行寺(せいぎょうじ)は浄土真宗東本願寺派の寺院。



(写真:誓行寺-01)



(写真:誓行寺-02)

日蓮宗の寺院、妙正寺。



(写真:妙正寺)

七宝山 妙蓮寺は 浄土真宗東本願寺派



(写真:妙蓮寺)

日蓮宗の寺院、大雲山 妙善寺。



(写真:妙善寺)

曹洞宗、持地山 正覚寺([正覚禅寺)



(写真:正覚寺)

日蓮宗の寺院、安住院法栄山 本泰寺



(写真:本泰寺)

浄土宗宗安寺



(写真:宗安寺)



久留米城とその周辺 (2017年 4月)
江戸時代は有馬氏の城下町として栄えた久留米、筑後の北半分を治めていました、21万石あったと言いますから結構大きな藩だったのですね。城跡に行ってみました。明治七年の廃藩置県の際に廃城となり、取り壊され、本丸御殿跡地に篠山神社が建造されています。一旦は久留米県が成立し、後に佐賀県を含めた三潴県なる県があったのですが、結局は福岡県の併合されてしまいました。歴史を眺めると明治三年に久留米藩士が一部の長州藩士と共に新政府を打倒する計画があり発覚して処分されているのですが、この事も多少は影響しているのかも知れません、筑後は全体が福岡県になっています。


城跡には説明の看板がありましたので掲載します。



(写真:城跡に在る説明)



(写真:石垣-01)



(写真:石垣-02)



(写真:石垣-03)

城跡は篠山神社になっていて有馬記念館という名称で結婚式や会食を行えるようになっています。ただ喫茶・レストランは消されています、多分利用者が減少したのでしょうね。



(写真:篠山神社案内)



(写真:篠山神社入口)

中に入ると城跡というよりは普通に神社です。



(写真:篠山神社-01)



(写真:篠山神社-02)



(写真:篠山神社-03)



(写真:篠山神社-04)



(写真:篠山神社-05)

城址からは市街地が見えます。



(写真:城址からの眺め-01)



(写真:城址からの眺め-02)

城址を出来ますと医大通りという道に出ました。ここに在る久留米大学は医学部から始まった大学で医学部通りでは無く医大通りとなっています。付属高校は全国有数の受験校で久留米大学附設高校、単に「附設」と呼ばれています。特に医学部進学が多く、合格者が毎年100名を超えているそうで特に九州大学医学部の2.3割はここの出身者なのだそうです。



(写真:医大通り)



(写真:久留米大学医学部・病院)



水天宮・真木神社・梅林寺外苑 (2017年 4月)
全国にある水天宮の総本宮、壇ノ浦の合戦で亡くなった安徳天皇などを祀ったものなのだそうです。筑後川のほとりに建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのが始まりなのだそうで、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって社殿が整えられ遷座したのが現在総本宮なのだそうです。東京の人間にとって水天宮と言いますと半蔵門線の水天宮前駅(東京シティーターミナル)を思いおこしますが、これは文政元年(1818年)9月、9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請したのが始まりで、明治5年(1872年)、有馬家中屋敷があった現在の日本橋蛎殻町二丁目に移転したのだそうです。



(写真:水天宮-01)



(写真:水天宮-02)



(写真:水天宮-03)



(写真:水天宮-04)



(写真:水天宮-05)

少し行きますと真木神社があります。これは久留米藩士で幕末の志士・真木和泉を祀ったもので、傍に像が建っています。真木は長州と共に戦い最後は蛤御門の変で戦死しています。真木家は代々水天宮の宮司の家柄であったそうです。



(写真:真木神社)



(写真:真木和泉像)

梅林寺外苑には市民らが寄進した約30種500本の梅と、多数の久留米ツツジなどが植えられているそうです。梅の名所となっているそうです。



(写真:梅林寺外苑説明)



(写真:梅林寺外苑-01)



(写真:梅林寺外苑-02)



筑後川 (2017年 4月)
阿蘇山が源流で有明海に注ぐ流路延長143.0キロメートル、流域面積約2,860平方キロメートルの河川、九州地方最大の河川として、利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに日本三大川のひとつと言われ、筑紫次(二)郎(つくしじろう)の別名で呼ばれることもあります。この辺りは中流で福岡県と佐賀県の県境になっています。



(写真:筑後川の説明・看板)



(写真:筑後川-01)



(写真:筑後川-02)



(写真:筑後川-03)

鹿児島本線並びに九州新幹線の鉄橋です、対岸は佐賀県鳥栖市です。



(写真:筑後川-04)

鹿児島本線で佐賀県側から久留米市に入る鉄橋を渡る際によく見えるのがこのアサヒシューズの建物です。ブリジストンの源流の会社ですね。



(写真:アサヒシューズ)



観光しての感想 (2017年 4月)
久留米市はそもそも観光客を増やそう、訪問する人を増やそうと全く考えていないように見えます。ここを訪問する人はビジネスで来る人というのが久留米の常識になっているのでしょう。久留米に到着後駅にある観光案内所に行き「市内の地図を下さい」と係の人に言いますと「観光ですか?」「はい」と答えると満面の笑み、何が用がありついでに観光という人は居るでしょうが、わざわざ久留米に観光で来る人は少ないのでしょう。そして係の方「どちらからですか?」との問い、これに対して「南米、パラグアイからです」と正直に答えると逆に不思議な顔になってしまいました、相手の期待するような「東京からです」とでも答えておけば良かったのかも知れませんね。

久留米城址は明治の早い時期に消失していますので城跡らしくなくなっています。神社になっていますが何となく中途半端、もう少し整備して市民が集え、また観光客を呼び込めるように工夫して欲しいものですね。水天宮はここが本宮とは知りませんでした、全国にどれほどあるのか知りませんが東京では地下鉄の駅名(水天宮前)になっていますが、由来などは全く知りませんでした。ここも大宰府のように上手に売り出し、梅が枝餅のような名物を作りだし多くの人が訪問するように工夫して欲しいものですね。

またせっかくのトンコツラーメン発祥の地なのですから名物といてアピールし「ラーメン食べ歩き」の客を楽しませるような工夫があっても良いのではないかと思います。ラーメン以外にも何か名物のB級グルメを作り出して食を目当てに訪問する人を増やして行けば観光客も増えるように思います。

それでも久留米を訪問先に選んで良かったと思っています。大藩の城下町でこれほど観光という観点から注目されていない都市は珍しいと思います。地元の人も「久留米に観光」という事になりますと多分「何もないよ」という事になるでしょう。しかしながら実際に訪問しますと城下町として歴史が刻み込まれ、産業都市であり、そして福岡の副都心としての役割を担っている、非常に興味深く考えさせられる街でした。



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