舟ヶ谷の城山(ふながやのしろやま)は、今川一族で新野領主新野左馬助公の居城と伝わる城である。
昭和45年(1970)、鈴木東洋先生により「城山」の字名から城跡が確認され、47年(1972)静岡古城研究会が調査を行い、縄張り図が作られた。
現在は、大規模農道工事や採土により、城の中心部分が破壊されている。
城山の外周部残存遺構(平成4年鈴木東洋作図)によれば、④⑦⑧⑪⑫は堀切、⑤⑥⑨⑩は横堀である。
本城跡は、多くの堀切を持つ点に特色がある。現在は採土により残っていないが、かつては、本曲輪、二の曲輪は土塁で囲まれ、堀切で守れていた。本曲輪には、南と東に低い土居を構えた帯曲輪が付き、尾根に沿って北には北曲輪、西南には西出曲輪が配されていた。
写真1は、本曲輪より北東方向の大規模農道を望んでいる。左隅の三角形の白く見える所は、削られた山の斜面でその手前に新しく出来た農道がある。写真中央のこんもりとした茶畑でない所は、井戸跡の東側の土塁である。
写真2は、二の曲輪東側の土塁である。
現在の遺構は、新野左馬助公の時代の遺構ではなく、山城として利用された最終的な形を残すものである。戦国期、特に天正初期、高天神城を中心とした武田・徳川両軍の攻防の頃、武田軍により改修されたものと考えられている。
※引用文献『城きちがいの寝言』鈴木東洋先生 注;写真は掲載してありません。
『浜岡町史 資料編 考古』平成18年 御前崎市

