■これは杖ではない!と心中叫
んだ一品。しかし、依頼主の気持
ちを尊重するのが一番なので出
来る限りの努力を惜しみませんでした
■近くで見ると湾曲具合がよく判る。
天然素材は材質が固いことあり、
焼印を入れるのが難しい
■社務所のベテラン先輩が「魔法
の杖」と呼ぶ難易度の高い代物にも
挑戦させてもらいました
2006年、私は御嶽神社頂上奥社社務所で夏山シーズンを過しました。これまでの7年間は山小屋勤務だったこともあり、勝手が違う仕事内容に戸惑うことも多々ありましたが、社務所の諸先輩による時には厳しく、温かい指導と眼差しによって期間を全うすることが出来ました。その中でも数百本とこなした焼印が一番の思い出として残っていますが、中には想像を絶するような依頼を受けることもありました。
無理難題と言っても過言でもないそれらの注文に、「それは金剛杖じゃない!」と何度も突っ込みを入れそうになりましたが、焼印を依頼する方々には私が考える以上に強い想いがあると推察されます。焼印マスターを目指していた私はそれらの依頼に応えられるよう、技を磨くことに熱中しました。ここではそれらの無理難題に立ち向かった記録を写真で紹介します。
■御嶽神社頂上奥社社務所では
24時間体制で炭を管理している
山小屋によって違いますが、焼印の版型には年号(平成○○年)が刻まれているため、一年ごとに新調する必要があります。大体、スペアも含めて2つの版型を発注するので、3〜5万円ほどの経費がかかります。月日の部分は「七月」「八月」及び「十日」「二十一日」などのパーツを細かく組み合わせて使用するため、新調する必要はありませんが、毎年、熱によって膨張したり、錆によって嵌らなくなったりするのでヤスリで削って調節する必要があります。また、月日のパーツは非常に小さく、誤って七輪の中へ落とした時などは早く救出しないと溶けて消失していまうので大変なパニックに陥ります。
さて、以下の写真は実際に使用されていた焼印の版型です。私が7年間働いた剣ヶ峰旭館では毎年新調するため、不要になった焼印をもらって帰っていたのですが、それが平成11年から17年まで揃っています。剣ヶ峰旭館では平成18年から経営が個人から株式会社に移行したため、焼印も消滅しました。往年の版型を復活させようとする思惑もあるようですが、私は最後の年に旭館の主人からスペアも含め、2つの版型を譲渡されました。
焼印は熱の伝導を良くする一方、お客さんからいつ注文が入っても応じられるよう、常に一定の温度を保っておく必要があります。そのため、黒沢口にある御嶽神社頂上奥社社務所では24時間、60日間、ずっと七輪の火を落とすことなく焼印を管理しています。また、八合目・女人堂で使用する焼印の版型を見ると足(七輪に差し込む部分)が長く継ぎ足されています。こうすることによって、熱を長く保持することが可能になるのだそうです。
御嶽山の焼印をコレクションしよう!
御嶽山の信仰2で紹介した焼印について、ここではさらに踏み込んだレポートをしてみようと思います。
前述の「現存」「消滅」を併記して紹介した焼印ですが、2007年現在、焼印を扱っている山小屋は以下の通りです。
■王滝口・七合目、御嶽神社遥拝所
■王滝口・九合目、御嶽神社王滝頂上社務所
■黒沢口・七合目、行場山荘
■黒沢口・八合目、女人堂
■黒沢口・九合目、石室山荘
■黒沢口・九合目半、覚明堂休泊所
■黒沢口・二の池湖畔、二の池本館
■黒沢口・頂上、頂上山荘
■黒沢口・頂上、御嶽神社頂上奥社社務所
以上、9つの施設です。黒沢口のロープウェイで金剛杖を買って、黒沢口から登山して反対側の王滝口へ下山するルート上にある全部の施設で焼印を押していくと、最初は真っ白だった杖が登山の証となる焼印で黒々と埋め尽くされ立派に見えることでしょう。1個600円だと計算すると全部で5400円ということになります。
【焼印が消滅する理由】
焼印が時代を映す鏡であることは前回述べました。そのため、「皇太子御成婚記念」や「有史以来大噴火」のように、時代を反映する記念版のような焼印は「一年限りのオリジナル」と言えます。それ以外にも焼印が現存しない理由として、例えば下記の「千本松見晴山荘」の場合、小屋自体が廃業してしまったという理由があります。
「松尾瀧摩利支天」「黒沢口四合目・大祓瀧」も同様な理由が考えられます。また、「社務所」や「御嶽山奥の院」などは焼印版を新しく造り直す際にデザインを変更したようです。二の池新館では2007年現在、焼印がありませんが、柄杓が掛かってる調理場の壁には昔あった焼印が残っています。更に黒沢口・女人堂ではかつて「三の池道・大雪渓」という希少価値の高い焼印が存在していました。
今年、一番の驚きは、飛騨口方面の焼印が存在したことである。これまで、焼印といえば王滝口・黒沢口の専売特許であり、裏山(先述した2つの登山道を開拓するときに毒蛇などを封印したという伝説が残されている)と呼ばれていた飛騨口には焼印は存在しないと考えられてきた。
実際、これまで焼印の存在を窺がわせる資料は何一つ出て来なかったのだが、今年訪れた信者さんの金剛杖に「濁河温泉」の焼印を発見して度肝を抜かれた。大げさな表現ではなく、本当に青天の霹靂のような衝撃を受けたのである。その後、何の因縁か「五の池」「飛騨口頂上」という焼印まで目にすることになった。
ここで紹介する多くの焼印は黒沢口・3合目半で旅館を営んでいた男性の実家の倉庫にお客さんの「忘れ物」として眠っていた30年ほど前の金剛杖から採取したものだが、「いいのあるか?」と聞かれて「民俗博物館に展示したいほど貴重なものばかりです!」と答える私の声は興奮で上擦っていた。
「もう受け取り手が現れないのでもって帰ってもいい」というようなことを言われたが、四半世紀以上前に使用されていたその杖は磨り減り具合と言い、焼印の数と言い、一つ一つの傷までから持ち主の想いが滲み出しているように感じられ、とても私などが持ち帰れるような代物ではなかった。
ここで紹介する焼印は全部、現在は消滅したものであり、中にはどこで押されたものか、その所在すら定かではないものも多くありますが、それだけに御嶽信仰の永い歴史を感じさせてくれます。
【飛騨口・三部作&四の池】
濁河温泉の焼印が押してある杖は「祖母の代からのものなので・・・」どこで押した焼印かはわからないとのことだった。それにしても珍しい。「五の池」と「飛騨口頂上」はおそらく、昔の五の池小屋で押していたのではないだろうか。そして驚いたのが「四之池 八大龍王」の焼印だ。五の池のすぐそばに今でも巨大な石碑が建っているが、八大龍王をモチーフにした焼印など前代未聞。
2008年、新たに発見した焼印 !
■「御嶽山 四之池 八大龍王」
■「飛騨口頂上」
■「五之池」
■「御岳七合目 濁河温泉」
【三十年前の黒沢口】
御嶽信仰が最も盛んだったのは昭和40年代はじめ頃だと言われている。そのため、三岳村には多くの宿泊施設があって、オリジナルの焼印を押していたようだ。5合目の「千本松見晴らし小屋」は廃業して久しいが(現在でも赤屋根の建物は現存している)、当時はここまでしか道路がなく、路線バスの終点だったため、多くの登山者で賑わったという。
「白川大権現飯盛(いいもり。御岳ロープウェイの山麓駅の名前「飯森」の由来)」「蔵王大権現」「三笠山不動明王」「三笠山刀利天」などはいずれも五合半に祀られた神仏で、現在でも「三笠山登り口」と書かれた看板が立っている場所から旧道を徒歩30分ほど進むと三笠山や白川大権現を祀った施設が残っている。「表山 神王原(じんのうばら)」は6合目で、御岳ロープウェイに向かう途中で道路が大きく左にカーブする辺り。現在は建物などは何もなく、やや広い駐車場のようなスペースは山小屋のヘリ荷上げの時に基地として使用される以外、人気(ひとけ)が無い。黒沢口を「表山(おもてやま)」と呼び習わしていた頃を示す貴重な資料でもある。
また、昭和16年頃には太平洋戦争に行く前に大勢の参拝者が訪れ、戦勝祈願を示す焼印が押された。ちなみに、私が興味を引かれたのは、「白川大権現飯店」。「飯店」とは中国語で「レストラン」を意味する言葉だが、これも一種の飲食施設だったのだろうか?
■2合目半〜3合目半
■「黒沢口 寒登山頂上 八海山」
■「昭和五十四年 八海山
寒登山」
■「五合目 八海山 昭和31年」
■多治見市医眼科検診の石碑
■現在でも眼の神様として信仰
が篤い
■「米英○○○勝祈願 御嶽山
○○○」
■「木曽御嶽 中の湯 黒沢口
六合目」
■「黒沢口 中の小屋 六合目」
■「御嶽山登山 田ノ上百草店
黒沢口六合目」
■「三笠山刀利天」
■「黒沢口 三笠山刀利天
五合半」
■「黒沢口 三笠不動明王
五合目」
■「黒沢口 三笠山不動明王
五合目」
■「黒沢口 蔵王大権現 五合半
昭和三十六年」
■「黒沢口 蔵王大権現 五合半」
■「黒沢口 本山 白川大権現」
■「本山 白川大権現 昭和
四十年」
■「白川大権現飯盛」
■「白川大権現飯店」
■「表山 神王原」
■「御嶽山 登山記念 千本松
見晴山荘 黒沢口五合目」
■「御岳登山記念 千本松見晴
山荘 黒沢口五合目」
■「御嶽 四合半 正小屋」
■現在の神王原(6合目)
■千本松見晴小屋の建物(5合目)
■三笠山の祠内部(施錠されているが、
覗くとこんな感じ)
■バス停が残るのみの正小屋(4
合目半)
■三笠山にある祠には蔵王大
権現が祀られている
■馬に跨る白川大権現の銅像
■黒沢口5合半、三笠山へ続く
旧道の入口
■三合目半からは御嶽山がよく
見える
■「御嶽山黒沢口 三合目半」
■「御嶽山 二合半 覚明堂」
■「オンタケ山 二合半 カクメイ
堂」
「八海山」は御嶽山の5合目にあたり、黒沢口、王滝口ともに神社が鎮座する。どちらも眼の病に御利益があるとされ、境内で湧く清水は御神水として信仰を集める。黒沢口の八海山神社の入口には白い幟が幾十も林立しているのですぐに分かるだろう。夏山シーズン以外は常駐しておらず、焼印をやっているかどうか事前確認が必要。八海山ではかつて、恵比須顔の神様を模ったユニークな焼印も見られた。
■「御嶽山清滝」
■「御嶽山新滝」
■「寒登山清滝」
■「寒登山新滝」
■「清滝不動明王」
■「御嶽山 清滝」
■「王滝口四合目」
■2つの滝では現在も滝行が行
われている(写真は筆者)。
■「清滝不動明王」
■「御嶽山 清滝」
■「王滝口四合目」
■2つの滝では現在でも滝行が
行われている(写真は筆者)。
■「松尾瀧 摩利支天」
■「御嶽山四合目 松尾滝」
■「平成参○ 寒山 摩利支天
松尾滝」
■「御嶽山 黒澤口 日之出瀧」
■「御嶽山 百間瀧参拝記念」
■「黒沢口四合目 大祓滝」
■「寒頂上松尾瀧」
■「寒頂上松尾瀧」
■「御嶽山四合目 松尾瀧」
■「黒沢口 松尾瀧 四合目」
■今も変わらぬ願掛けの人形
■10月は水量が少なかった
■松尾滝の入口
【滝場を示す焼印】
御嶽山の焼印の中でも異色の存在と呼べるのが「滝場」を示す焼印だ。日本一滝が多い山として知られる御嶽山では、昔から水垢離などの滝行が盛んだった。それぞれの滝の近くには仮小屋や宿泊施設があり、そこで焼印を押していた。今となっては珍しいものばかりだが、「清滝」「新滝」は王滝口、「大祓滝」「松尾滝」「日之出滝」「百間滝」は黒沢口にある。
王滝口にある2つの滝は距離も近く、金剛杖を見るとセットのように押してある。また、「日之出滝」は霊神場の中にある滝で、「松尾滝」は入口に鳥居があり、現在でも信仰の対象となっている。黒沢口にある「不易の滝」「木漏れ日の滝」は近年整備が進められた観光用の滝である。「百間滝」の近くには当時、山小屋が存在していた。
■「木曽御嶽 奥ノ院」
■「御嶽山奥之院」
■「中央不動尊」
■「御嶽山奥之院」
■「御嶽山王瀧口頂上」
■「田の原大黒天」
■「王瀧口金剛童子」
■「御嶽七合 田の原 昭和
三十七年」
■「御嶽山七合目田の原 昭和
三十九年」
■「御嶽 王滝八海山 昭和
三十三年」
■「八海山荘 昭和37年」
■「木曽御嶽 王滝口八海山
昭和三十二年」
■「王滝口八海山」
■三の池
【デザイン力不足な二の池、三の池、摩利支天】
二の池本館では、主に「二の池」「三の池」「摩利支天」、それから「賽の河原」「高天の原」「三十六童子」という数種類の焼印を扱っているが、今回見つかった昔の焼印を見るにつけ、デザイン力不足の感は否めない。個性溢れる他の焼印を目にすると、ただ文字が刻まれるだけで年号やデザインが無っていない焼印は物足りなさを感じる。その中では唯一、「三十六童子」の焼印のみが時代と共に進化して、最終的にはなかなか見応えのあるデザインになっている。
■二の池
件の倉庫に眠っていた金剛杖はおよそ100本。そのうち、46本から新種の焼印を見つけることが出来た。今でも時々、古い蔵から国宝級の骨董品が見つかってニュースになることがあるが、この金剛杖も御嶽信仰の歴史や地域の記録という観点から見れば非常に貴重なものである。
比較的、形や記録に残り易い歴史学と違って、民俗学は常に生活の中に自然に存在するものであることが多く、意識して口伝などの記録を残さなければいつしか完全に人々の記憶から消滅してしまう。この焼印という文化を記録することにより、御嶽信仰の歴史を紐解く鍵を少しでも多く後世に残すことが出来れば幸いである。
【王滝口の焼印】
王滝口にある山小屋(および登山基地)は田の原観光センター、王滝頂上山荘、剣ヶ峰山荘は観光会社の運営で、最近になって焼印は廃止された。そのため、王滝口で焼印を押そうとする場合は、田の原遥拝所、王滝頂上社務所の2ヶ所へ足を運ぶことになる。
現在、御嶽山で名物と呼べるほど伝統ある食事は黒沢口・7合目、行場山荘の「力餅」くらいになってしまったが、2、30年ほど前までは田の原に餡子餅を商う店が並んでいたという話を聞いたことがある。焼印も今より種類は豊富で、「七合目・田の原」や、「四合目・中小屋」などという珍しいものも存在したようだ。
■「開闢普寛堂」
■「十二大権現」
■「普寛霊神」
■「王滝行場」
■「御嶽山大又三社」
■「王滝口 四合目 中小屋
昭和三十七年」
■「御嶽山王瀧里宮」
■金剛杖に託す想いは人それぞれで、それに焼印を押す仕事を誇りに思う。
■「黒沢口 八合目 金剛堂」
■記念に一ついかがですか?
■「御嶽 八合目女人堂」
■「御嶽山 八合目 女人堂
黒沢口」
■「御嶽山九合目 石室一万尺
風呂」
■「御嶽山九合目石室山荘」
■「木曽御嶽山仁六天」
■「御嶽九合目石室
昭和三十八年」
■仁六天の石碑
■「御嶽山頂上奥社 海抜
一万二百十八尺」
■「御嶽山頂上 海抜三〇六三米
昭和廿二年」
■「御嶽山頂上奥社 遥拝所
社務所 昭和五十五年」
■「平成天皇即位記念」
■「紀元二千六百年 御嶽山登山
記念」
■「木曽御嶽山頂上 紀元二千
六百年登山」
■「木曽御嶽山頂上 海抜
一〇二一八尺」
■「頂上登拝記念 海抜3063M
昭和59年」
■「御嶽山頂上一〇二一八尺」
■「頂上地獄谷」
■「御嶽剣ヶ峯 海抜一二一八尺」
■「御嶽山頂上一〇二一八尺
昭和三十一年」
【手書きの焼印】
2008年10月、二の池本館の仕事が終わり、秋山シーズンを黒沢口・8合目、女人堂で働いている時のこと。
頂上へ行ってきたお客さんに焼印を頼まれた。何気なく杖を受け取って、「あれ?」と首を傾げる。(何だ、この焼印は?)押す場所を確認する手を止めて、まじまじと杖に目をやると黒のマジックで書いた手描きの焼印であることに気付く。「平成二十年、御嶽山頂上剣ヶ峰、天候、御来光」とあり、日付は「十月五日」となっている。
なるほど、頂上の小屋はその時期、もうどこも閉まっているからなあ・・・。しかし、なぜ手書き?不思議に思たので焼印を押し終わってから訊ねてみると、「御嶽山登山は私にとって大切なものだから」と答え、慈愛に満ちた表情で杖を見つめていた。その様子を見て私は胸が熱くなり、そんな大切なものに自分が携ることが出来る御嶽山での仕事に誇りを感じた。
【八合目・女人堂の挑戦】
王滝頂上社務所や頂上奥社社務所では長さ30センチほどの短い金剛杖、「ミニ金剛」に焼印を押して販売している。その場で押してもらったうえに、日付も入るということもあり、お土産に最適だと一般の登山者に好評だ。
更に黒沢口・8合目にある女人堂では手のひらサイズのミニ板に焼印を押したものを発売している。焼印は欲しいけど金剛杖はちょっと・・・という人でも気軽に御嶽山登山の思い出を持ち帰ることが出来、人気が高い。専門の道具を使って「板」に押し当てるため、ちょっとしたテクニックが必要(←私もやってみたが、結構難しい)なので、主人自らが丁寧に押してくれる。
御嶽山では伝統の中に新しいアイデアを取り入れた創意工夫が行われているので、一人でも多くの人が興味を持ってくれたら嬉しく思います。
【展望風呂の石室山荘、幻の仁六天】
御嶽山には4つの三角点(剣ヶ峰、継子岳、継母岳、摩利支天山)と3つの頂上(剣ヶ峰頂上、王滝頂上、飛騨頂上)があるばかりでなく、それぞれの尾根上や池に様々な神仏が祀られている。白龍避難小屋から右へ延びる尾根にはアルマヤ天(阿留摩耶天狗)が祀られており、9合目・石室山荘の近くにある尾根の先端には仁六天(正しくは仁録大神)が祀られている。
私自身、この仁六天というものの存在を知ったのはつい最近のことだが、そこには滑らかな石肌をした石碑が孤高を保つかのように建っている。裏面にクッキリと刻まれた年号は「大正」読むことが出来、華奢な外見からは想像も付かないほど永い間、ここで登山者を見守ってきたことになる。かつて石室山荘にはこの「仁六天」の焼印があった。
また、御嶽山の山小屋で一番最初に風呂のサービスを提供したのも石室山荘で、名物の「一万尺風呂」の文字は焼印にも見ることが出来る。石室山荘の焼印は比較的何度もデザインの変更が行われているが、全体に細身で美しいフォルムに仕上がっている。
【頂上剣ヶ峰の洗練されたデザイン】
御嶽山の頂上、標高3067メートルにある頂上山荘、剣ヶ峰旭館(経営者が代わり現在は剣ヶ峰山荘と改名、焼印は消滅)、御嶽神社頂上奥社社務所の3ヶ所で押す焼印はどれも洗練されたデザインだった。中でも私が7年間お世話になった剣ヶ峰旭館の焼印は当時の主人が他の小屋に自慢するのが納得できる力作だった。また、「頂上地獄谷」というユニークな焼印も存在した。
■三十六童子
■摩利支天&高天原
■賽の河原