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北インド旅行記
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東京デリー

2004(H16)年12月9日(木)晴れ

 ヨーロッパにもない、他のアジア諸国にもない何かがありそうな国インド。そんな国への旅行が急に決まったというか決めた。同行の連れ合いは1978(S53)年に出張で行ったことがあり、今回のインド旅行は2度目。

 インドには日本の面積の約9倍の土地に人口10億5,000万の人々が生活している。日本との時差は3.5時間、インドの方が遅れる。3〜5月は酷暑、6月〜9月は雨季というから12月はベストシーズンとみた。

 これまでのところ西新宿から成田空港まではエアポート・リムジンを利用していたが、今回は山手線と京成線の特快にした。日暮里で京成のホームに移動する時、急ぎ足の通勤客に逆らって進むことになった。7時半という時間は朝のそういう時間帯だったのかと改めて思う。成田空港行きの特快は日暮里を7時31分に発車し、8時40分空港に到着した。

指定されたH33HISカウンターで航空券を受け取り、9時にチェックインした。JL471のゲートはD97。免税店ではJTのたばこが1カートン1,000円も安くなっている。ウイスキーの中ビンを1本購入。ホテルでのチビリチビリ用。ちなみに外国たばこは巷より900円安い。免税店の酒類売り場の前で梅酒の宣伝をしていたので、ストレートと緑茶割を試飲。なかなかおいしい。ここで味をしめて、機内でのお飲み物は梅酒になった。空港内はウィークデーにもかかわらず結構混雑とまではいかないが混んでいた。ゲート前でマイレージ・カードにマイルを増やす。

 滑走路には順番待ちの飛行機が数珠繋ぎに並び、離陸までに長時間を要した。われわれ2人の通路側座席には他のツアーのおばさんが座ったが、気を効かせてすぐ前の空席に移動してくれたので『すみません』という言葉を使うことがなく済んだ。上海、武漢、昆明を経てミャンマーの上空辺りから意地悪雲がカリフラワー状に形を変え、ゆっさゆっさと漂っていた。直線状に延びた褶曲山脈や小規模の山火事(野焼き?)なども見え、やはり窓際は楽しい。

 JL471便の51J51Kの座席は翼の少し後ろの窓際だった。景色が良く見えるところと注文をつけたので、当然と言えば当然。おかげで雲に意地悪されるのを除けば、高層建築のひしめく上海の街並みを望めたし、バングラデシュのダッカを経てヒンドスタン平原に入ると、世界の屋根白いヒマラヤの幻想的な山並みを延々と眺めることができた。デリー付近では4周ほどの順番待ち旋廻をした後、8時間40分のフライトを終えて、インディラ・ガンジー空港に着陸。H機長の着地はほれぼれするほど見事だった。ほれぼれという表現は単にうまい着陸というだけの話しではない。今まで地面から離れていた巨体が、気がつけば滑走路を滑っていたというくらいスムーズな着地だった。

褶曲山脈 北 インド 黄金の三角地帯 旅行記 ヒマラヤ山脈 エベレスト チョモランマ 北 インド 旅行記
褶曲山脈 ヒマラヤ山脈
右端がエベレスト(チョモランマ)

 空港のイミグレーションはさまざまな肌色の人の群れでごった返していた。果たしてどんなに時間がかかるのだろうと思っていると、予想より早く40分で入国可となった。スーツケースは回転ベルトから下ろされ並べてあった。両替所には人影がなく予想に反して、ルピーの購入は素早く終えた(1ルピー:約2.4円)。税関検査もあっさりパスし、ゲートを出た。出迎えの人垣を隔てる柵が途切れるあたりで、われわれの名前をローマ字でプリントした紙が目についた。出迎えてくれたのはサリー姿の若いインド女性だった。その彼女が毎日色柄の違うサリーに身を包み、ホテルに時間厳守で迎えに来てくれることになる。

われわれ2人は日本車によく似たインド製小型乗用車に乗せられて空港を後にした。その彼女と運転手には帰国時まで身柄を預けることとなる。2人以外に連れがいないのがありがたい。同じ飛行機に乗り合わせ、気をきかせてくれた女性を含む20名ほどのパーティとは、観光地で何度か出くわすことになる。彼らのインド人男性ガイドの日本語はかなりお粗末。こちらのガイドSさんは、大学で2年間学んだだけというのだが、うまいのみならず丁寧な日本語を使う。Sというのは由緒ある姓であるようだ。そして今はカースト云々とは表立っては言わないようだが、カーストの上位に位置する家柄だと彼女の話からうかがえる。

彼女は1ヶ月ほど日本に滞在したことがあり、東京と大阪、京都で友人の家にホームステイしたという。とても楽しかったが1ヶ月で、自国では1年間生活できるほどの金がかかったとか。また宗教的なベジタリアンであるため、日本では国から持参した材料で自炊したとのこと。ベジタリアンは包丁、まな板、鍋等も肉を料理する道具とは区別し、また肉類を食べないだけではなく、料理をしてもいけないのだそう。動物性の食物でもチーズや牛乳はオーケー。卵はダメ。

 車が空港を出て街路を走り始めた時、外国にいるような違和感がないのに気がついた。英国の植民地だったので、交通ルールは日本と同じ左側通行で右ハンドル。しかし車やバイクの多いこと多いこと。その上に絶えずクラクションが鳴り響く。追い越すたびにクラクションを鳴らすのがマナーでもあるらしい?

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旅のお伴
TATA社(ホンダと提携)製小型車
オールドデリーの宿
ブロードウェイホテル

今晩の宿はオールドデリーにあるブロードウェイホテルという名のスタンダードホテル。そこへ到着したのは夜の8時。部屋は古いが十分に広く、掃除は行き届いているようだが調度品は古く、壁にはかなり大きなシミもある。でも泊まるだけの宿だから高級な必要はない。シャワーを浴びて9時には床についた。

Hiroo NATORI 名取博夫
直線上に配置