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モンゴル旅行記
Yuka NATORI 名取楡香
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ウランバートル→テレルジ国立公園

 2005(H.17)年5月5日
 目覚めると昨夜の控えめ過ぎた夕食を思い起こさせるようにお腹がグーッと鳴った。7時10分ホテルのレストランで朝食。同胞が3組ほどいた。バイキング形式で欧米風の食材。特に珍しいものはないが、スープが2種類あり、これがおいしかった。背が高い美人のウエイトレスが優雅に動きまわっていた。ウエイトレスは厳しい面接等の難関を突破して採用されるとのこと。

ウランバートル 朝日 パレスホテルのレストラン
ウランバートルの朝日 パレスホテルのレストラン

 9時に出迎えを受け、まずホテルに隣接する銀行で両替。1円=11.48Tg(トゥグリク)。壁に貼ってあるポスターの縦書きの文字を珍しそうに見ていると、ガイドのDさん「モンゴルの文字は縦書きでそれも日本と違って左から書くんです。現在国会でローマ字化の議論が行われています。このモンゴル文字は1990年代の民主化後に復活し、現在は学校で教えていますが、1940年代から民主化するまではロシア文字のキリル文字が使われていました」

食品スーパー&銀行 ビアホール・イフホラルダイ、チンギスビール直営
パレスホテル(高層ビル)に隣接する食品スーパー&銀行、看板にJETROとあるが日本貿易振興機構(JETRO)ではない  パレスホテル前庭チンギスビール直営のビアホール・イフホラルダイ

 地図上で見るモンゴルは北をロシア、南を中国にがっちりと押さえられている。実際にこの国は1921年にソ連の後押しで独立した国であり、ソ連邦が崩壊する1992年までソ連の体制下に置かれ、体制批判的な政治家が粛清され、多くの僧侶が処刑されたという。現在は中国からの影響も強くなっている。

 こちらの人に挨拶ぐらいはモンゴル語でしたいと思った。しかし「おはよう」はウグリョー、「こんにちは」はウドゥ、「ありがとう」はバイラルラー。覚えられそうもないと言うとDさんは「いつでも使える言葉は「ごきげんよう」でセンベイ・ノーと言います。センベイは日本人だったら言い易いでしょう」「煎餅ノーか。なるほどね」車は9時15分にウランバートルの東北東にある首都から一番近い保養地、テレルジ国立公園へ向けて出発した。70キロのドライブ。

 車は泊まったパレスホテル前のチンギス通りを北上し、市の中心に位置するスフバートル広場前で右折、エンフタイヴァン大通り(平和大通り)を東に向かう。

モンゴル国立オリンピック委員会ビル ウランバートル アパート
パレスホテル前のモンゴル オリンピック委員会ビル、この背後には国を挙げての祭典ナーダムの会場となるセントラルスタジアムが広がる。 ウランバートルのアパート

 エンフタイヴァン大通りは、交通量が多く、大型バス、トロリーバス、マイクロバス、タクシーなどのほか、自家用車が実に多い。日本車もみかけるがベンツが多い。車の普及率は4人に1台の割合になるという。

 沿道には政府関係ビル、大使館、ホテル、博物館などとともにアパート、日本流にいうマンションの存在が目立つ。アパートには洗濯物などなく、スッキリしている。不思議に思い規制されているのかDさんに問うと、強風が吹き荒れるので外には干せないというもっともな理由からだった。湿気が少ないから家の中でも十分に乾くのだろう。

ウランバートルのトロリーバス ウランバートルのトロリーバス
ウランバートルのトロリーバス メインストリート エンフタイヴァン大通り(平和大通り)

 中心街をはずれると板塀で囲ったゲル(移動住宅)があちこちで見られるようになった。これらは2000年と2001年の未曾有の雪害で多くの家畜を失った遊牧民のゲルで、生活の糧を都会に求めざるを得なくなった難民の住居とのこと。2002年に土地所有法が国会で可決され翌年には施行されているので、今後勝手にゲルを作ることは難しくなるといわれる。板塀で囲っているのは土地占有権の主張のためとか。

 街を離れると、なだらかな、しかし起伏に富んだ草原が広がり、モンゴルへきたことを実感させる。草原とはいえ緑の絨毯が一面に広がるのはもう少し先のこと、今はベージュの絨毯に覆われている。国土の79パーセントが草原といわれるので、一面緑に染まれば、どんなに素晴らしいことか。このような時期でも放牧されている牛、羊、馬、山羊、ヤク、ラクダ達が地面に鼻先をすりつけ、なめるように草を食んでいる。若い芽が地表に近いところで、外へ出る機会を窺ってスタンバイしているのを彼らはちゃんと知っているかのように。

 遊牧民は牧草を求めて季節に合わせて家畜と共に移動する。例えば春の出産シーズンには春の訪れの早い場所へ、夏には食料の不足する冬に備え、良質な草が豊富にある場所へと移動する。しかし、移動範囲は時代と共に狭まり、社会主義時代以降は40キロ範囲に収まるようになったという。その理由としては、井戸の普及により水場の数が増え、水のための移動範囲が小さくなったこと、家畜の糞に頼っていた燃料や、野草だけに頼っていた飼料などの代替品が、共同組合を通じて入手できるようになったこと、移動手段もラクダからトラックに替わったことなどが挙げられる。しかし社会主義の崩壊により、現在では遊牧民個人の力に委ねられることが多くなり、牧畜運営は厳しくなってきている。しかし、この国は依然として遊牧民が多数を占める国であることには変わりないという。

 Dさんは遠来の客にモンゴルを少しでも多く知ってもらいたいと、歴史、民話、遊牧民の生活など様々な話をしてくれる。それにしても彼女の日本語は素晴らしい。日本には昨年福岡で催されたちびっこ大会(?)の平和親善大使として招かれたという。経済学を学ぶ大学生で、学ぶことがとても楽しくてしょうがないんですと目を輝かせて言う。知識欲旺盛で、しかも美人。彼女なら親善大使という栄誉を勝ち取る資格は十分にあると思った。来日の折、都庁も訪れたというので多分公園のブルーシートの住人に気がついただろうと思って聞くと「ええ、見ました。でもモンゴルのホームレスと比べたら、日本のホームレスはお金持ちです」「・・・」モンゴルのホームレスはついぞ見かけなかったが。

 モンゴルにはラジオのチャンネルが多い。日本の大相撲の場所中はFM放送を通じて、自国のヒーロー朝青龍の活躍を国中で熱烈に応援するそう。テレビも普及していて「おしん」も放映されたという。
Hiroo NATORI 名取博夫