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西暦260年という時代
〜帝国東方の状況・パルミラ
西暦260年は帝国に激震が走った年だった。エデッサ(シリア北方の都市)の戦いにおいてローマ皇帝ヴァレリアヌスがササン朝シャープール1世の軍に大敗を喫し、なんと皇帝が敵の捕虜となってしまったのである。ローマ軍史上最大の屈辱だった。ササン朝軍はこの戦闘以前からシリア、カッパドキアで連戦連勝しており、帝国東方領はササン朝に飲み込まれんばかりの勢いであった。
この危機に対して、ヴァレリアヌスの息子のガリエヌス帝はローマ帝国の元老院議員にして、隊商都市パルミラの主オデナトゥスを頼った。オデナトゥスはこれに応え、私兵を率いて戦線に参加、ササン朝軍を突いて大勝利し属州メソポタミアを奪回した。
オデナトゥスはこの功績により、東方の防衛を一任された(帝国東方軍団の指揮権も与えられたと解釈する)。以後パルミラの名声と実力は急成長し、もはや独立国と呼べる状態になっていった。
〜帝国西方の状況・ガリア帝国
皇帝、捕虜になる!!!・・・この事件の影響は帝国西方で最も顕著な形で現れた。もはや中央政府は当てにならないと、西方諸州をゲルマン民族から防衛する為、西暦260年秋、ゲルマニアの総督ポストゥムスが反乱を起こした。西方諸州はポストゥムスに賛同し、ゲルマニア、ガリア、ブリタニアの3地域は帝国から離脱、新帝国(ガリア帝国)を宣言したのである。やがてポストゥムスの元にはヒスパニア総督も恭順し、一大勢力を短期間でまとめ上げることに成功した。
〜帝国中央の状況・蛮族
帝国の東西でとても無視できない大事件が勃発していたにも関わらず、皇帝ガリエヌスは全く動けなかった。中央はもっとひどい状況だったからである。帝位を狙う簒奪者は内部でうごめき、記録に反乱者の名前が残らないような小さな反乱がそこかしこで発生していた。しかし最もやっかいなのは北方のゲルマン民族の動向だった。特に黒海北岸に(おそらく数十万人単位で)住み付いたゴート族は西暦251年にはデキウス帝を敗死させ、黒海沿岸を頻繁に荒らしまわった。他のゲルマン諸族もその圧倒的な数の力で帝国領内に侵入略奪を繰り返し、辺境はおろか、ギリシア、イタリア、ヒスパニアにさえも突破を許してしまう有様だった。この討伐戦争にガリエヌスはまさしく東奔西走、とても中央を動くことはできなかったのである。
しかし、このような状況の中でもガリエヌスは改革を進め、重装騎兵による機動軍を創設、歩兵中心のローマ軍を騎兵中心の軍隊に変えていった。また、軍の上層部に元老院議員を登用する伝統を捨て、たたき上げの将校を将軍に登用した。結果的に、この改革がローマ帝国を救うことになる。
〜ササン朝ペルシャ
西暦200年代、アレキサンダー大王の東征から500年経ったにも関わらず、いまだイラン世界はギリシア文明の支配下にあった。しかしこれに異を唱え、西暦224年に開祖アルダシール1世がゾロアスター教を奉じて「ペルシャの復興」を掲げた政権がササン朝ペルシャである。世界史上初の理念国家であった。
シャープール1世は、ササン朝2代目の君主である。まさしく旭日の勢いで発展し、対ローマ戦でも3人のローマ皇帝を打ち負かし、ヴァレリアヌス帝は捕虜にした。ササン朝の君主の王座の下には左右に中国の皇帝の座とローマ皇帝の座が作られていたと言われているが、まさしくその片方を埋めたのである。しかし西暦260年、パルミラからの痛撃を食らい、たった一度の敗戦でカッパドキア、シリア、メソポタミアを失って、西方からは全面撤退を余儀なくされていた。・・・・・
このゲームは3世紀の一時期、ローマ帝国が最大級の危機に陥った頃を扱った戦略級SLGです。新帝国ササン朝ペルシャの脅威が続く中、北からはゲルマン民族群、西ではローマ帝国を離脱したガリア帝国、東では突然、裏切ったパルミラ・・・に対して、皇帝たちは奮戦しなくてはなりません。幸い、その皇帝たちも優秀で、かつローマ帝国はまだ活力を保っており、領土の半分を失っても最強国ではありました。史上では戦神アウレリアヌス帝により、かつての領土を回復できることになるのですが・・・
さて、このゲームでは、プレイヤーは何度かその役割を交代し、得点を争うことになります。その点、戦略級らしくないシステムとなっていますが、どうかよろしくお付き合い下さい。
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