80年前の思い出    (中島 節) 
                         -2016.10. 1-


  80年前の昭和11年、私は村の小学校に入学しました。手元に保存している男女62名全員の入学記念写真の中ほどに、 可愛い小さな私(身長104cm)が写っています。その左上にクラスで一番長身の白い服を着た児が見えますが、彼は家庭の 事情があって、仲間より2,3歳上でした。そしてどんな縁か知らないが、教室の一番後ろで彼と同じ机(二人用、椅子は別々) になりました。何故か彼のことが、突然懐かしく思い出されたので一筆とることにした。

 一年生の四月、家庭訪問の時、担任の先生は開口一番、「節君は座席について何か言っていませんか」と父に尋ねた。 このことについて、私は何も親に話していませんでしたから、親は何かあったのですかと逆に質問することになった。私は誰と 並んでも平気ですとの元気な答えに、両者はほっとしたようだった。先生は、父が村会議員や青年学校教官をしていることなどの 家庭事情を承知し、この子ならと私を選んでくれたのかもしれない。

 珍しいことに、彼(小塙(こばな)峰吉)は乞食の子供でした。そして入学記念写真には白っぽい服を着て写っていますが、 これは彼の唯一の服(ちなみにクラスで服着用の男児は8、女児は1名。着物着用者は男:24名、女:26名)で、一年中、 この服を着ていたので彼のあだ名は「八月」になりました。そして休日には、盲目の母の手を取り、村中を物乞いに歩くのでした。 知ってか知らずか、我が家にも一度来たことがあります。これが僕の住宅・生活と納得しても、やはり遣り切れない羞恥心を感じ たのではなかろうか。たぶん、6年間在籍していたが、何ひとつ問題を起こすこともなく、とてもおとなしい人でした。その後 どこへ引っ越したのか、彼を見かけることも、また噂話も聞いたこともない。もう、彼は天国に永住していることでしょう。 衷心より峰吉君のご冥福をお祈りしながら。

 補注:当時、乞食と言えば、多くは瞽女(ごぜ)で、三味線を弾き、唄をちょっと歌って銭を乞うのが普通でした。もちろん男 の乞食も多少おりました。


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