国技館の由来    (中島 節) 
                         -2017. 3.23-


  県内出身力士稀勢の里、高安が活躍中の大相撲春場所、毎夕テレビで観戦し ている方が皆さんの中にも多いことでしょう。私も酒杯を傾けながら仲間入り しています。さて今日、 読んでいる「ことばの四季報」稲垣吉彦にたまたま、 この題名が取り上げられていましたので、ご参考までにそこを抜粋してみます。

 「建物が完成に近づいたが、名まえについては議論百出して決定しなかった。 遂に板垣退助伯が委員長となって委員会まで結成して議論されたが、それでも 「武道館」をよしとする者、「相撲館」を可とする者があって意見がまとまらなか った。開館の日が近づいているので、ようやく委員の顔に焦りの色が見えはじめ た時、たまたま尾車文五郎という年寄りが「国技館」はどうだろうと言った。こ れを聞いた板垣委員長は即座に同意した。それから柔道や剣道等の他の武道を さしおいて相撲を国技と呼ぶようになり、国技館の名も一般に親しまれるように なった」

 今場所も残り2,3日になりましたが、お互いにテレビ観戦を楽しみましょう。

  補注:両国の旧国技館が完成したのは、明治24年6月の夏場所前。


Topへ戻る