一銭であめ玉二つ    (中島 節) 
                         -2017. 7. 1-


 私は農家生まれ、五人兄弟の末子。幼児期の私は、一銭銅貨を貰って三軒先の駄菓子屋 へ あめ玉を買いに行くのが日課の一つであった。 ある日 いつものように銅貨を差し出し 元気よく「あめ ちょうだい」と言った。すると店の小母さんが、もじもじしながら「みさをさん これは 五厘だから 一個しか あげられないよ」と 教えてくれた。仕方なくべそをかきながら 一個を口に入れ家に帰った。

 当時 わが家では お金が欲しいときは 使用目的をと金額を親に告げ、 親の財布から自由に 小銭を持ち出す習慣になっていた。確かに 汚れた野良着姿で家に上がり、小銭を取り出すのは 親にとり面倒なこと。親子の信頼に基づく、この金銭授受法はわが家の宝と言えるのではないで しょうか。そして晩秋、米を売って札を手にした父は、笑顔で私達子供を集め、これが五円札、 十円札、百円札と見せてくれるのでした。この他あまり使用されない一円札もありましたから、 当時流通していた円札は四種類。この他五、十、 五十銭の紙幣もありました。

    追記:この銅貨もまた旧紙幣も1946年(昭和21年)2月16日の新円切替で姿を消しました。 新円切替とは戦後のインフレーション対策として新紙幣(新円)を発行し、従来の紙幣流通を 停止したことです。


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