明日から九月、いよいよ秋ですね。皆さんお変わりありませんか? どうにか九月号の駄文をまとめることが出来ましたので
お読みください。
夏になると、高校野球選手権大会で国中が沸き立つ平和な国になり,誠にお目出度い限りです。ここで簡単に選手権大会の歴史に
触れておきましょう。最初は「全国中学校優勝野球大会」という呼称で1915(大正4),関西の豊中球場で実施されました。
そして1924(大正13)から現在の甲子園球場に変わりましたが、1941(昭16)の27回戦は太平洋戦争のため中止。
そして翌年1942から主催者は文部省に変わり、大会名も「全国中等学校野球大会」に変更され,現在にいたっています。
私の過ごした時代は大東亜戦争(太平洋戦争)中で、教室で授業を受けたのは在学中の最初と最後だけでした。でその間は兵器製造
会社、あるいは農家などで勤労奉仕をさせられました。敗戦後、授業は一応平常に戻りましたが、教室、教師、教科書の不足が問題
でした。教科書は先輩から借り、あるいは小冊子、謄写版刷りの印刷物などを使用しました。私の通学していた農学校には 英語
専門の先生は一人もいませんので、農業系の先生でお茶を濁していました。戦後, 私のクラスは幸運にも(?)ドイツ語専攻の先生に
一学期ほど英語の手ほどきを受けることが出来ました。
農学校卒業後は 師範学校理数科に入学し 数学の先生を目指しました。2年生になるとき時代の要請に応じ 英文科が設置される
ことになり 希望者に簡単な選抜試験が実施されましたが不合格。しかしどうしても英語を専攻したい学生には面接試験をしてく
れることになりました。入学後の英語試験の成績が勘案され幸いにも転科が許可されました。それからは毎日 暇さえあれば英語の
勉強を続けました。ある日 結婚していた姉が帰宅した時 「いつ来ても 節は英語ばかり勉強しているが 英語はそんなに大変なの
かい?」と問いかけられたのが 今でも強く脳裏に焼き付いています。
このような時代を過ごした私達も、戦後は野球に興味を持つようになりましたが、プレイの方は? 1969(昭44) 高専に転任する
直前,同僚数人で野球の真似ごとをした。その時、旧制水戸高校,東北大学を卒業した男は、球を打つと三塁ベースに向かって走り出
したので、私達仲間はびっくり 大笑いした記憶が 今も鮮明に脳裏に焼き付いています。
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