前回(第十一回・第一六七号掲載)で挙げた『新愛知』掲載の「山火事」は、有爲男が名古屋で発表した唯一の小説と思われる。(同じく『新愛知』に発表されたという「帰る道」は未見)
中島健蔵は有爲男の作品の通有の欠点として、こしらえ物のやうな、悪い意味のスタイリストのやうなところが氣になつてゐたのである。しかし此の缺點は、一面から云えば人間のタイプをはつきりと掴み出す美點ともなってゐる。のみならず到底ありそうもないやうな、十分に不審な點を突いてみ得るやうな事件が、實に樂樂と出て來るのだから、大變にスケールの大きい感じがすると同時に、妙に肉の薄い張紙細工に似た印象を與える處がある。(『中央公論』「純粋か現実か」)
と述べている。張紙細工とは言い得て妙である。
さて、昭和四年五月十五日付『名古屋新聞』「異國の旅より(六)」に話を戻すと、紅海ではひどく波が荒れたらしい。セルバルを過ぎていくばくもなく、船はスエズの港に着いた。
私はこの船旅によつて四つの巨大なる亡國を見た、その一つは支那であり、その一つは印度であり、その一つは埃及であり、最後のものは希臘である、要するにいづれも単なる素通りであり、殊に希臘の如きは僅かにその片影クリーク島の山脈を舷側に認めたと云ふに過ぎないのであるが、これらの國によつて催させられた感慨は、けだし仲々に深いものがあつた。
有為男は、この旅で自分が通り過ぎた亡国、即ち、ヨーロッパの先進国によって荒廃した大陸アジアの植民地の屈辱を心に刻んだ。
海岸線沿いとはいえ、眼も鼻も失ったような国々を見聞したことは、大きな刺激であり、後の有為男の生き方に与えた影響は決して少なくはない。後に、国策に沿う言動に至るのも、この時の経験からではあるまいか。
殆ど十日間、島影一つ見ることも無かったが、ようやく船はアフリカのフランス領ジブチに寄港する。
ここでも有爲男は次のような感慨を抱いた。
過去の文明は南方に起こり、現世の強国は、それら過去の国々の北隣にあって、実に盛んである。これを見れば、一種の思いを抱かずにはいられない
五月十六日付同(七)
地中海に入って、風は更に荒れた。船は安定することが出来なくなり、波頭が甲板をたたいて水煙をあげた。この日の昼食に食堂に現れた人は、有為男を含め六名であった。
海が荒れたのは玄界灘以来で、この日はそれから丁度一ヵ月を経た後であった。窓の硝子に顔をあてて見れば、嵐の中にかすかにエトルタ島の山脈が見えた。
横浜港を出航したのが、二月上旬とすると、丁度一ヵ月を経た後
というのは、三月半ばであろうか。
船はついに欧州に来た。早くもストロンポリ火山島の断崖に沿って、船は噴煙の影を甲板に受けた。一時全く忘れられた形だったサロンへ再び華やかな賑やかさが帰って来た。活動写真や音楽会、舞踏会が催された。長い船旅も後、一夜二夜のうちに終りを告げようとしている。
船は遥々と祖国に帰って来た。あらゆる窓々からこの船の姿をみとめた人々が布や旗を振って合図するのが眺められた。
五月十七日付同(八)
明くればマルセイユ、もう私達の永い船旅も終ってしまった。夜に入ると、どこでもここでもシャンパンの杯が打ち合わされ、続いて破れるような大舞踏会が始まった。
税関も無事通過。有爲男は眼前の風景を画家らしいタッチで描写してみせる。
かくして私は始めて欧州の土地を踏んだ。春未だ浅く木々は未だ芽を持たない枝を街路の光にさしのばしてゐた。人々は外套の襟を立てゝゐるとはいふものゝ並木通りのベンチは散歩者達によつて占められ、街路に出されたキヤフエーの椅子にも悠々と談じあつてゐる人々の姿が認められた。舊港のすぐ上に聳へ立つた丘上のノートルダム寺院は逆光を受けて薄紫にうちけむり高いつり橋の上にその姿を見せた。いたる所に裸女の彫像が置かれてゐて、それが建物や街路にピツタリとした空氣をかもし出してゐるのも流石にフランスらしい味はひを感じさせる。
五月十八日付同(九)
夕方七時のワゴンリー車に乗り、いよいよ翌朝はパリへ着く。パリへ着けば、日本語が使える。それも親しい友人達と。
船以来の知人たち十人近くが、やはりこの汽車に乗り込んでおり、食堂車ではかたまって最後の別れを惜しんだ。
最後に有為男は、次の住所を書き記す。
この稿を終わるにあたって、私の現住所をお知らせして置く手紙を下すつた方にはお禮に綺麗な繪葉書をさし上げることにする、實際日本語の手紙は實になつかしいのです。
Monsicur Ouio ,Tomizawa.
Hotel Saris 15 quai S; Miki―chel Paris France.
封筒の左上に「シベリア経由」と書いていたゞく事も忘れないように(ノルマンジー、ブルクーニユの寫生旅行に出づる前夜)………(完)
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最終更新 2010年3月22日 ページ開設 2010年3月22日 サイト開設 2007年8月5日