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I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
「大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求
めたのに 謙遜を学ぶように 弱さを授かった」
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
「偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った」
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
「幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった」
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
「世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった」
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
「人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものをいつくしむために 人生を授かった」
I got nothing that I asked for―but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
「求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて
聞き届けられた 私はもっとも豊かに祝福されたのだ」
AUTHOR UNKNOWN(作者不詳)
この詩は、ニューヨーク大学の壁に掲げられていて、140年前
にアメリカの南北戦争に従軍した南軍の兵士が記したものとい われている。中日新聞で紹介されて大きな反響があったとか。
私が初めて目にしたのは下記のような内容だった。
*大きな事を成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求
めたのに 謙遜を学ぶように 弱さを授かった
*偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
*幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
*世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
*求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた (中略)
私はもっとも豊に祝福されたのだ
読んだ瞬間に、“これは素晴らしい詩だ!”と感じて、(中略)の
部分をぜひ知りたいものだと願っていた。そして、その日のうち にその願いは叶った。足もみに来た女性になにげなくその詩を 見せたら、「この詩は見たことある!」とのこと。そして、まもなく して英語の原文が添えられた上記のメールが届いた。
私が知りたかった(中略になっていた)部分は次の通りだった。
*人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものをいつくしむために 人生を授かった
お礼のメールを書きながら、“人生の目的はあらゆるものをい
つくしむことか”と、一瞬は納得したものの、何か変だな、と思っ て原文を見てみると、 enjoy → いつくしむ となっていた。
多くの人々は、“楽しむ”よりも“いつくしむ”と訳してある方が、
重みがあって、深みがあって、趣があって、ピッタリするものと 思われるが、私にとっては“楽しむ”の方が合っている。
なぜかといえば、“人生はあらゆるものをいつくしむ”となると、
仏教的で慈悲的な生き方が頭に浮かぶ。それに対して、“人生 はあらゆるものを楽しむ”となると、神道的でアホ(阿=絶対神 を保つ)的な喜びに満ちた生き方がイメージされる。
“あらゆるものを楽しむ”とは、生きていくために必要なものは
すでにすべて豊かに与えられている、だから、与えられている ことに感謝して、あらゆることに喜び、楽しみなさい、となる。
“あらゆるものをいつくしむ”とは、あらゆるものに慈悲の心で
接する、感謝する、情けをかけることとなる。
この違いは、独断と偏見によれば、“楽しむ”は絶対の世界で
あり、“いつくしむ”は相対の世界での行いと言える。絶対の世 界では、与えられたものを感謝してすべてを受け容れるので、 そこには人間の思いや願望は入らない。相対の世界では、人 間と他者との関係において善悪が決められる。慈悲の心で接 することは善であり、自分さえ良ければの行為は悪となる。
絶対の世界では、善一元であり悪はない。楽一元であり苦は
ない。生きるとは、善一元であることに気づくことであり、楽一 元を体得すること。相対の世界では、勧善懲悪であり、周りの 人に喜びを与えることが修業となる。生きる目的は、修業を積 んで自他一如(絶対の世界)を体得することとなる。
この世は相対の世界であり、相対の世界の価値基準で生きる
のは一般的であり、当然のことではあるが、相対の世界のゴ ール(行き着く所)が絶対の世界であるとするならば、この世で 絶対の世界の価値基準で生きてみるのも面白い。
絶対の世界を信じることができれば、人生は歓喜に満ちたもの
となり、“あらゆるものを楽しむために人生を授かった”となる。
もうひとつ気になったことといえば下記の文章。
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
「世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった」
やはり、“得意にならないように”は、“神を感じるように”の方
がピッタリする。絶対の世界では、称賛を得るのは絶対神のみ で、決して人間ではない。この世での成功は単なる個性の発 揮であり、称賛の対象にはなり得ないようです。
絶対神は、ありとあらゆる人にあふれるほどの“愛”を与え続
けているにもかかわらず、それに気づかないでいる人が多い 中で、それに気づいたこの無名の兵士は“素晴らしい!”の一 言に尽きます。
<2004年11月16日記す>
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