木 陰 と 仙 人




 梅雨が明けた。
 高地といえど夏の日差しはそれなりに暑く、崑崙の仙人達もこの時期は涼を求めて水辺に立つことがままある。
「がぼっ…ぐ…ぶはっ」
 バシャバシャバシャ。
 …まあ、立っていないこともある。

「うわぁ、ちょっ、溺れてル!?」
「おぼれてません!」
 悲鳴のような声を上げたのは岸にいる黒づくめの仙人。間髪入れず答えたのはそれまで派手に水しぶきを上げていた少年だった。
「え……? だって今キミ、がぼがぼって」
「……見苦しかったかもしれないけれど、別に僕はおぼれていたわけじゃな……ありません、太乙真人さま」
 水しぶきがやんでみれば、確かにそこは少年の腰ぐらいの水位でしかなく。
 ぶすっとした顔でそっぽを向きつつ、少年は水辺にしゃがみ込んだ仙人の名を口にした。

「あれ……私、キミに会ったことあったっけ?」
 足でもつって溺れているのかと思ったら溺れていなかった、初対面のハズなのに自分の名を知っている少年。頭の中の混乱を追いやろうと、太乙は改めてマジマジと彼を見た。
 年は若い。多分、外見とそう大差ないだろう。赤みがかった髪は崑崙ではそう珍しいものではないから思い出す助けにはならない。整った、ともすれば可愛らしいと言っても良いだろう顔立ちをしているが、利発そうな強い光を放つ瞳がそれを拒絶している。
 確かに何処かで見たような気はしないでもない。
「うーんうーん……あ、そうだっ。ヒント無い?」
「はぁ?」
 考え込んだのはほんの数瞬、あっさりと手がかりを自分に求めてきた太乙に、不機嫌だった少年は毒気を抜かれたようだった。
「あ〜……。じかに挨拶するのは初めてですね。僕はりょ、っ、太公望です」
 どもったところを見るとどうやらその名は道士名、それもいただいてさほど間がないようだ。つまり仙人界入りほやほやの新米道士。ってことは
「太公望って、もしかして私の後輩ってゆーか弟弟子? そういえば原始天尊さまに聞いたかもしれないっ」
「え〜……。一応顔合わせしましたよ、12仙の方々とは。僕が弟子入りした時」
 ピコピコーン!って感じで勢い込んで回答 → 一応正解 … ただし伝聞形では不正解。
 太公望の瞳の温度は再度、そして更に下がり、太乙の額には冷や汗が流れた。
「僕のこと自体は憶えてないかもしれませんが、1年も経ってませんよ」
「アハハハハ…ハ…あれっ?」
 笑ってごまかせなかった。

「いや、まぁ、ほら私も結構トシだしさぁ! えっと……、憶えてなくてゴメンね。取り敢えずこれからよろしく」
 どうにも居心地が悪かったので、それなりに誠意を込めて謝ってみた。このぐらいで機嫌を直してくれれば……無理かなぁ、この子結構キツそうだし。
 しかしそんな内心のつぶやきとは裏腹に、太公望は戸惑ったようだ。
「あの、すいません。大人げないことを言いました…。こちらこそ、これからよろしくお願いします」
 うわぁ。なんか新鮮。
 これが他のみんな(ex.道徳・雲中子・道行 等々)だったら絶対なんか言ってる。
「運動をしないから頭まで固まるんだ!」
とか
「頭脳明晰ライトニングデルタ(←薬品名…らしい)試してみようか」
とか
「その若さで痴呆症でちゅか?(<お前の方が幾つだっ!?)」
とかっ。
「……太乙真人さま?」
 間近から聞こえた声に我に返ると、太公望が岸のすぐ側まで寄ってきて下からのぞき込んでいた。寸前までニコニコしていた相手が急に握りこぶししてプルプルしだしたりするから(しかも謝罪を受けたのに返事もしないから)、少し不安になったらしい。
 視線から険の取れた太公望は、思った通り可愛かった。
「あ、いやゴメン。何でもない、よろしくよろしくっ! あははははは!」
 誤魔化し方が悪かったらしい。視線が今度は不審なモノを見るような感じになった…。

「ところで太乙さまはこちらに何か用があっていらっしゃったんじゃないんですか?」
 この初対面(じゃなかった)少年は、もしかしなくてもとっとと自分を追い出してしまいたいのかもしれない。割とハッキリ迷惑そうに問われて思い出す。誰か溺れてると思って駆けつけてからこっち忘れていたけれど、この鳳凰山に彼が訪れたのはある施設のメンテナンスのためだ。2、30年ごとに『暑いなぁ』と思う日に涼みがてら見に来ている。今日も暑かったから、ちょっと目立たない日陰になってるこの道を通って……
 次に言ったひとことを、その時の太乙は大変後悔することになった。

「あ。もしかして太公望って泳ぐ練習してたのかい?」

 ブリザードが吹き荒れたかのようだった。
 ……………夏……………?
「うわ、ごめん、ごめんねっ? いやあの目立ちたくないからこんなトコ居たのかなーとか、水遊び見られてバツが悪いだけにしちゃ険悪ってゆーか、だから泳げないの気にしててこっそり練習…と、か……」
 墓穴ほりまくりだった。
「たいいつさま…………」
「はっ、はいっ!?」
 俯いた太公望がぼそっと口にした自分の名前に思わずビクッ!と背筋を伸ばして返事をしてしまう太乙。こうなってはどちらが格上なんだかしれたものではない。
「ななな、なにかな太公望…?」
「…………………」
 オドオドと尋ねる太乙だったが、その返事はなかなか返ってこない。高まる緊張感に、もう一度口を開きかけた時、
「その。…………僕に泳ぎ方を教えていただけませんか?」
「 ゑ ?」
「だからっ! そこまで分かってるんだったら僕に泳ぎを教えてくれないかって言って!…るんです」
 猛然とくってかかってきて、すぐに真っ赤になって。また俯いてしまった。
 ……か、かわいいっ。
「そういうことなら不肖この太乙、後輩のために力になっちゃおうかなぁっ! 科学の天才にかかれば水泳特訓マシーンなんてちょちょいのちょいで出来るからね!!」
 も〜う、頼ってくれて全然OKーっ!
 と、思ったんだけど。
「マシーン? そんな、機械まで作っていただかなくても」
「いや、その。………私も泳げなくてねぇ」
 また機嫌悪くしちゃうかなぁ、と思った太乙だったが、自分と入れ替わりに真っ赤になった彼があんまりしょげかえったからだろうか。
 太公望はしばし拍子抜けしたような顔をして、それから、苦笑い した。
「……こんな水のあんまり無いトコにいたら、そうですよねぇ」
「……だよねぇ」
 一拍置いて、初めて何の緊張感もなく、共犯者みたいに笑いあって。
「あのね、太公望。私は確かに君の先輩だけど、立場的には同格ってことになっててね。だから様付けで呼んだり無理に丁寧な言葉とか使わなくていいんだよ。そうだね、年の離れた友達ってことで。改めてヨロシク」
「…こちらこそ」

       × × ×

 それが二人の出会いで、仲良くなったきっかけで。
 だから今ではあの時に
『じゃ、私は用があるから。またね』
ではなく、
『あ。もしかして太公望って泳ぐ練習してたのかい?』
なんてドツボなことを言ったりしたのを後悔なんてしてないけれど。

「太乙〜! あの水路おぬしがメンテしとったそうだなぁー!?」
「いたっ!痛いよ。ちょっ、やめてっ」
「望ちゃん、とりあえず程々にね」<ニッコリ笑いつつ止めない。

 水路のメンテナンスをそのまんま忘れちゃったのはやっぱり少し後悔している太乙だった。


◆季節ネタ、前回からの連想で〜。呂望って草原で育ってるから、あんまり大量の水のある場所って行ったこと無いですよね…ってことで。
 ……ひとことで言うとヨロシクしまくりな話(笑)。思ったより長くなっちゃったかな。

03/08/13


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