流れる刻は空の青 (1/2)









「やあ、望ちゃん。ちゃんと修行してる?」
「…この目の前の惨状を見てわからんのか」
「うーん、いつも通りサボっていたら見つかって折檻されて追加レポートを出されて、提出する期限はもう明日で追い込みにかかってるように見えるけど」
「わかってんのなら聞くなぁっ!!」

 普賢が仙人になったのは、もう五年ばかり前になる。今年からは弟子もとった。このままいけば十二仙になるのも近いだろう。
 親友であることは一生変わらないだろうが、今までとは生活も立場もまるで違う。だから、幾分は疎遠になるだろうと内心思っていたというのに。

「おぬしこそ、ちゃんと弟子の面倒を見ているのであろうな…?」
「いやだなぁ望ちゃん、そんな人聞きの悪い。もちろん見てるに決まってるじゃない」
「それなら何故弟子がおらんかった時より頻繁にここに来るのだ」

 それもたいした用事があるわけでもないのに定期的に、だ。

「それはほら、望ちゃんもよく知ってる様に修行には息抜きも大切でしょう? でもまだ自主的にサボってもらっちゃ困るしね〜。それで木タクにもお休みをあげてるんだよ、僕も好きなところに行くからって言って」
「…ま、洞府の修行方針は洞主の自由裁量であるし、とやかくは言わぬが」

 伝え聞いたところによると崑崙に来るまで料理をしたことがなかったらしい木タクにとって、料理好きでその腕達人の域にある普賢が一日洞府にいないというのは結構辛い事態なのではないだろうかとちらりと思ったりもする。だがそれは昔の自分たちもたどった道だ。これも修行だと思って、適当に頑張れ木タクよ。休日にはならぬかも知れぬがな。

「しかし、折角来てくれたのに悪いのだが察しの通りこのレポートの期限は明日なのだ。今日は相手してやれんぞ」
「わかった。でも、邪魔じゃないなら、ここに居てもいいかな」
「暇を持て余すだけだと思うがのう。ま、好きにせい。どーせ手伝ってはくれんのだろ」
「だって望ちゃんの課題でしょ」
「おぬしには助け合いの精神という物はないのか!」
「時と場合によるよねぇ」

 邪気無くニコニコと返される言葉はいつもながら容赦ない。自分の言い分の方が間違っているのは分かっているし、そもそもこの親友が折れることは期待していたわけではない。わけではないが。
 部屋の備え付けの寝台に腰掛けてのほほ〜んとこちらを眺めているのを見ると、なんか無性に悔しい感じ。わかった、とっとと終わらせるっつーの!
 心の中でぶちぶち言いつつも何とか思考を切り替えて課題に集中する。これは過去の論文を複数併せて内容を専門外の人間にも解りやすくまとめよ、という物だった。3日もあれば楽・勝♪と思ったのは最初だけ。必要な資料の数を知った時には本気で倒れるかと思った。やはり元始のじじぃはタヌキだ。のんびりやってた日にゃ、下手すりゃ…っつーか今の自分なら連続完徹・それでも締め切りぎりぎりで間に合わないこと確実なのだ! 見越していやがるあのクソジジィ。
 ……しかしここまでくると出来ることなら鼻をあかしてやりたい!!と、思ってしまうのを止められない。あぁ、しまい込んだはずの負けん気が……。


 初めは嫌々そうな表情だったのが次第に険が取れて無表情に近づいてゆく。これは“本気”の顔だ。なかなか見れない望ちゃんの一面。
 彼の集中力は凄いの一言だ。……多分もう、僕がここにいることも意識から外れているだろう。時々頭をぽりぽりかきながら、ほとんど手を休めることなくレポートをまとめていく。
 部屋には紙と筆のこすれるサラサラという音だけが流れている。僕から見て望ちゃんの向こう側には外に面した窓。望ちゃんの瞳みたいな真っ青な空。此処にははっきりした四季はないけれど、雲の形が今が夏だと教えてくれる。

 紙面を繰る音。
 心臓の鼓動。
 かすかな椅子のきしみ。
 遠くから鳥の声。


 時がゆっくりと流れる。久しぶりの感覚。人間の時間。


 仙人界で修行を始めた人間が下界の人達と最もかけ離れていくのは時間の感覚だという。
 有名な話だよ。いわゆる“象とネズミ”の話―――寿命の長い生き物と短い生き物とではライフサイクルとしての一日の長さが違うっていう事に似ている。さすがに元々は人間だから時間の単位としての一日は変わらないんだけど、僕ら仙道と普通の人間とでは過ごしていく時間の絶対的長さが違うから、どうしても感覚がずれていくようになるって。それは当然の結果だよね。だけど、よく太乙なんかが『やあ、五百年ぶり!』なんて言ってるの、最初は絶対冗談だと思ってた。
 それが自分の身にも起こることだっていうの、君と離れるまでは思ってもいなかったよ。

 望ちゃんの目標は仙道のいない人間界を作ること。仙人界に上がってきたのはそれを実現するための知恵と力を付けるため。
『けど、年を取らなくなるってのは盲点だった』
 もうすぐ三十歳になろうかって時に望ちゃんの言った言葉。
 僕たちだって年を取らない訳じゃないんだけど、昇山してきた十二歳の時とこの時の外見はせいぜい一歳くらいしか違わなかったからね。
『かっこいい渋いオヤジになる予定だったんだがなぁ。ま、これはこれでいいが』
 代わりに言葉遣いと振る舞いだけ、年齢相応になるようにしたもんだから、今じゃ身体は十四、五なのに元始天尊様みたいなしゃべり方するようになっちゃって。…それはそれで似合ってるし、本当は地上人のままでいたかった君らしいなって思っていたんだけれど。
 でも、そんな君と一緒にいたから、僕は下界にいたときと同じ時間感覚でいられたんだね。毎日修行をしたり、サボったり。イタズラして怒られて、追いかけ回されたり罰掃除させられたり。五十年間分、毎日ぎっしりの思い出。
 なのにこの五年間、自分の洞府を開く準備をしていた間一人で生活していた僕は、こんなにも長く君と離れていたことなんてそれまでなかったって言うのに、せいぜい二、三カ月しか経っていないような感覚でしかなく。―――それに気づいた時は愕然とした。絶対寂しくってしょっちゅう会いたくなっちゃうだろうな、なんて思ってたのに。年に一、二回は会ってたそれで充分だった。
 時間が飛ぶように過ぎて行くんだ。日々はこれまで通りに流れて行くんだけど。

 それで初めて理解した。仙人界はゆったりした時が流れているように見えるけどそうじゃないって。むしろ、時間に取り残されているから、そう見えるだけなんだって。本来の時は―――地上の時間は―――仙道の周りを避けるように過ぎて行く物なんだって。
 望ちゃんはいつか地上に戻るために、ある意味ずぼらな仙人的時間感覚にならないよう前もって準備してたってことだね。僕は君に付き合うつもりでいたのに、これには気付けなかったよ。でも僕は普通におじいさんになってもこんなしゃべり方だったろうし、やっぱり見た目は不自然だし、同じ事はしなかったと思うけど、ね。

 やがて木タクがウチの洞府にやって来て。
『どーして仙人ってのはあんなに気が長いんっすか!“え? すぐだよ? ちょっと・ちょっと!”って言ったら三日間で、“うーん、少しかかるかな〜?”っつったらいきなり十年!! まったく信じられやせんぜっ』
 太乙の所にお使いに出したときの感想がこれ。あはは、まだまだ地上のヒトだよね!百年単位の仙人界ではけっこうこれって当たり前の話だもん。でも太乙、あれで結構律儀で仕事は速い人だからなぁ。からかわれたんだろうね、多分。
 そんな感じで彼の修行をしている内に僕の時間はまた地上に近い流れに戻った。
 でもそれはあくまで“地上に近い時間”、なんだよね。木タクと過ごす時間は望ちゃんといる時ほどの濃密さはない。もちろん新米の師匠と新米の弟子の組み合わせだから、毎日慌ただしいというか忙しいくらい色々起こるんだけど。…こればっかりは醸し出す雰囲気とでも言うのかなぁ。
 強いて言えば行動予測の可・不可ってとこかな? 望ちゃんと違って木タクは裏表ないまっすぐな子だから、考えとか行動とか、すごく読みやすいんだよね。だから、次の瞬間何をしでかすか、とかある程度予測がつく。一方望ちゃんはって言うと、付き合い長いから結構読めるけどそれでも突飛なこと時々するから油断できない。僕の思い入れの種類の違いもあるんだろうけど。
 弟子ってね、仙人にとっては自分の子供みたいなもの。ある意味それ以上かもしれない。大抵の仙人が弟子のためなら命懸けるだろうね。
 でも、僕は望ちゃんの為だったら。“存在”を懸けてもいい。
 僕が、僕じゃない物になってしまってもいいよ。
 こんなこと……絶対、教えないけどね。


 課題も大詰め、ノリに乗ってランナーズハイ気味、そろそろ終わりが見えてきた頃。
「すいません、こちらに普賢師匠来てやせんでしょーかー」
 紙片の散乱する太公望の部屋にひょこんっ、と顔を出したのは見知った顔だった。集中を解くと途端にぼんやりするアタマで少し考え込む。
「……うん? 木タクではないか。ああ……普賢?」
 頭を振り振り、木タクからは死角になる自分の側面に目を向ける。最後の記憶ではそこでニコニコ微笑んでいた人物は。
「……スー……スー……んん…」
「あ。ししょお」
 課題ボケの太公望と部屋に入ってきた木タクの前で、やはりニコニコしたまま、すっかり眠り込んでいた。
「…まだおったのか。そういえば今何時なのだ?」
 とりあえず窓の外は暗い。部屋の明かりを自分でつけた記憶はないから、つけたのは普賢で、そのくらいまでは彼も起きていたのだろう。
「もうすぐ九時っす。その、俺、昼飯作っててまたやらかしちまって。今日こそは、って頑張っちゃみたんすけど、もぉどーしよーもこーしよーも……金タク兄ちゃんトコ行こうかとも思ったんですが、こっちのが近かったもんで」
 妙に弱々しいしゃべり方にマジマジと見直してみると、いつも元気でご機嫌な木タクが心なし青い顔をしているような。
「あの、何か食べる物ありやせんか……? ちょっ、限界……」
「あわわ、倒れるでないっ。ほれ、これを食え!」
 課題を仕上げるあいだ食べようと思って用意したものの、結局手つかずだった菓子を斜めに傾いだ木タクの口に突っ込む。一心不乱に食べ始めた友人の弟子に残りの入った菓子鉢を手渡しながら、太公望は軽くため息をついた。
「やれやれ、仕方ない。わしも一段落つくところだし、飯ぐらい食わせてやるわ」
「す、すんません師叔……」
「よい、おぬしのせいではないのだしな」
 真っ赤になった木タクを見て太公望はニヤリと笑い、視線をひょい、と後ろに向ける。その先には彼の寝台を独り占めにしている友人の寝顔。
「こぉゆう状況だし、な。……ま、今日のところはわしが師匠だ。簡単なメシの作り方を教えてやろう。支度を手伝え、木タク!」







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