桃の木。 〜太公望の災難〜 (1/4)









 豊邑に程近い林の中。川辺にせり出した大岩の上。ここは、ちょっとばかり特別な場所だ。

 まずひとつ、(滝がそばにあることを気にしなければ)昼寝に絶好のポイントであること。
 ふたつ、釣りの穴場であること。
 それから仙道にとってはみっつ目、霊穴であること。ここまでにはまともな道がないので人気が無いというのもポイントが高い。ふと暇が出来ると足が向く、そんな場所だ。

 そして、ある人物にとっては特にお気に入りの場所の一つ。

 今は遠く離れた友と語り合った場所。
 周の文王と諡(おくりな)された人に王となる事を要請した場所。
 仕事をサボって考え事をする時にいつも使っていた場所。

 そんな思い出の場所によく似ている。

 『自分』にとってはほんの短い期間の出来事であるはずなのに、心を占める大部分の人達は皆、その時期に出会った者なのだ。

 よく晴れた、気持ちのいい朝だ。
 自分の座るこの岩は夜露を受けてかなり冷えているが、夏に近いこの季節、一日を過ごすにはむしろ向いている。
 今日は一日ここで釣りをして過ごす。昨日までは桃源郷で羊の世話をしていたが、そろそろ誰か仙道が見回りにやって来る頃だ。その場に居てもごまかす自信はあるが、今日は釣りをしたい気分だったのだ。それはきっと、ちょっとした予感。

 夜の香の残る水気の多い空気の中、辺りには川のせせらぎと風に揺れる木々の葉擦れの音のみがある。  ―――そして、ほんの数瞬前から、それに混じる衣擦れの音。
 多分、この場では彼にしか聞こえない、それは少々特殊な…音だった。

「……ふむ……」

 決して振り返らない。理由は二つ。『振り返ってはならない』―――それは自分に科した枷―――そして、

「最近、独り言が増えて仕方ない。かといって申公豹なんぞとお喋りしたくはないからのう」
「申公豹とお喋りするのも、楽しいかもしれないよ」

 もう一つの理由は…『振り返る必要が、無い』。
 まるで予想通りの『何かの』『音』が聞こえるから、『なんとなく』『独り言』を続けてみたりする。

「…普賢なら楽しめるかもしれんがのう」

 よく晴れた気持ちのいい朝で、漂う空気も柔らかく。弁当(桃源郷産の桃)もあり、好きな釣りをしている。『だから』、なんだか口を開きたくなるのだ。

「こんな日には思い出話なんぞをするのもいいかもしれん。誰が聞いておらぬでも、な」


×  ×  ×


「脳を働かすには糖分が一番だからのう♪」

 甘党で酒好き。高カロリーは脳で消費しているらしい。
 そう、それこそが我らが師叔・太公望。
 丼村屋のアンマンが好き。桃まんが好き。甘いデザート系で嫌いな物は多分無い。
 周の軍師になってからは専ら桃を盗み食いする毎日。
 し・か・し。度重なればチェックもされる。そこをかい潜るのがスリルなゲーム♪
 …もっと別な所に使えよ才能。
 結局、見つかったりして。


「なぁ〜にやってんですか師叔!?」
ごっくん。
「んぐぇえぇえぇぇっ」
「まぁったく!いつになったらその盗み食いを、…って、何苦しんでるんです?」
 薄暗い食料庫の片隅でじたばたする太公望。
「だねをのんでじまっだ…のどがいだい〜」
「自業自得ですよ……。ハイハイ、部屋に戻りましょ〜ね」
 あまりに情けない上司に楊ゼンはすっかり力が抜けてしまった。今日こそはしっかり言い聞かせなければ、と力んでやって来たはずだったのだが、もはや逆さに振ってもそんな気力は出てこない。
 まったく―――大体、そんなに桃が食べたければ、そう言って誰かに命じればいいのだ。外見えらく若作りなジジイであろうが、少々手癖が悪かろうが、これでも一軍の総帥なのだから。
 思わずもらしたタメイキに、考えている事を顔から読みとったらしい。
「これはワシの楽しみなのだ、ほっとかんかい!」
 言ってる事も言ってる事だが、声はガラガラ、目はうるうる。軍の総帥の威厳?なぁにそれ?って感じだ。
「そーゆーハタ迷惑な趣味をしているからバチが当たったんですよ」
「いーやっ!これはおそらく敵の罠なのだっ。そう、やがてわしの腹から桃の木が生えてきてだな」
「…疲れてるんですね?師叔。仕事少しは手伝いますから、今日は早く寝ましょうね」
 自分より歳食ってる奴に年寄り扱いされてみたり。
「お主…そのミョ〜に優しい笑顔をやめんかい…」
後で絶対イヤガラセしてやると思いながらその日は終わって数日後。
災難はこの時に始まっていた事をしみじみ思い返してみたりして。

後悔、まさしく先に立たず。


「こんな所に木なんて生えてたっけ」

 近道に突っ切ろうとした中庭は、いつも通る道ではないので確信は無いのだが。
 深く考える前に上から声がかけられる。
「ああっ、楊ゼンさん。やっぱり自室には戻ってないっス。仕事もほっぽったままで…ドコ行ったんスかねぇ」

 太公望が消えた。

 …とは言っても、 いつもの事ではある。丸一日近く無断で出掛けてしまうのはちょくちょくあって、もはや気にする人間はそう多くない。
 勿論、そうやって出掛けた後は周公旦にしばかれる。
 太公望が周公旦にしばかれなくなる日―――それはきっと軍師をクビになる日に違いない。
 今回の場合、要塞からの出軍間近とあって武王と周公旦が打ち合わせも兼ねて激励に来ており、周公旦と顔を合わせたくない太公望が逃げ出したのだと大概の者は思っているようなのだが。
「他のみんなにも聞いてみたっスが、誰も今日は見てないそうっスよ。…周公旦さんには散々グチ聞かされて参ったっス」
 まったくご主人ときたらロクな事をしない、と言いながらも心配そうな色を見せる四不象。なんのかんの言っても一番長い付き合いでもあり、太公望の乗り物であるという立場上、遠出する時はいつも一緒の彼である。
 連絡無しでもう三日目ともなれば、心配しないわけがない。
 しかし、基本的にチャランポランな太公望の事、現在のところ彼を表立って心配しているのは四不象のみ。楊ゼンと周公旦は仕事が滞るので探しているだけである。
 なにしろ、今は殷への進軍を間近に控え、軍の要たる太公望=軍師にサボられては困るどころの話じゃないのだ。
「師叔を探すのが一番得意な君が分からないとなると…そうだ、武吉君なら師叔のニオイを追える筈だ!」
 四不象がここに居る以上、太公望は歩いて出ていった筈である。犬並の武吉の鼻は使える!…しかし武吉なら頼まれなくても尊敬(!!)するお師匠様を捜していない訳無いのだが?
「武吉君っスか?休暇をもらって家に帰ってるところっスよ。もうそろそろ戻ってくる時間っスね」
「じゃあ、それまで待とうか」
 自分が武吉に変化するとは言わないんだな、楊ゼン。
「何で僕が師叔のニオイなんか嗅ぎ回らなきゃならないんだい!?」
「誰に向かって喋ってるっス?」
「え、だって今誰か余計な事を―――」
「誰も居ないっス」
 天の声に突っ込み入れるとは、さすが天才(笑)。

 それはさておき、武吉は割とすぐに戻ってきた。
「ええっ、お師匠さまが行方不明!?大変だっ、早速探さなくっちゃ!」
 実に素直な反応で心が洗われる。どっかの○○とは大違い。
「ぐっ……!」
「どうかしたっスか、楊ゼンさん?」
「なんか、先刻から妙にイライラする…」
「お師匠さまが心配なんですね。わかります」
いや、分かっていないかもしれない。


 そうして始まった捜査は目撃証言に沿って進められた。

証言1
『最後に見たのは一昨日だったよな。なんか朝から気分悪いとか言ってたけど。だよなー、旦』
『小兄さま言う通りです。私がこの要塞の居住部分についての詳細を尋ねようとしたところ、そう言って逃げられました。まあ、いつもの仮病と違って、確かに顔色は悪かったですね』

「仮病。そんな事を『いつも』やっているのか…」
 ちょっとショックな楊ゼン。能力が高い分、単独の仕事をすることが多い彼は、太公望の普段の行動について知らない面も多いのだ。しっかーし、後の二人は慣れている(それも問題だ)!。軽〜く受け流してさっさと捜査を開始した。
「えーと、それじゃまずはこの廊下からっスね」
「うん、僕がんばるよ!」
「…じゃあ、頼むよ。武吉くん」
 どんな時でも一生懸命なのが武吉の良いところである。
「おっしょーさまのニオイ、おっしょーさまのニオイ、っと…」
 どんどん進んでいくその先には昼食の準備を始めた厨房があったりするのだが。
「ちょっと武吉くん!お昼御飯の匂いに釣られたりしないでくれよ」
「でも、ニオイは確かにこっちに続いてるんですぅ」
「じゃあ、料理人のヒトに聞き込みしてみるっスよ」

証言2
『太公望さん?ああ、来た来た。気分悪くて朝飯が食えないからって、デザートの杏仁豆腐だけ三人前くらい持ってったよ』
『気分悪い時くらい控えておけばいいのにねぇ。まぁ、その食いっぷりがあたしゃ気に入ってんだけど?(←デザート担当)』

「ご主人……そんな時までそんな事を」
「でも一昨日の朝御飯までは確かにここに居た事が分かったよね」
 さすがに呆れ返る四不象は雑草グルメ。甘い物好きの気持ちは分かるまい。その点、太公望のやる事にほとんど文句を言わない武吉は前向きな発言。ちなみに楊ゼンは言葉も無い。
「あ、ここからお師匠さまのニオイに杏仁豆腐のニオイが混じってます。えっと……こっちですね」
向かった先は一般兵士達も来る食堂だった。早速聞き込み開始。

証言3
『太公望さん?あの人ここにはよく来るよ。大抵は馬鹿話ばっかしていくけどね』
『このあいだも青い顔しながら冗談言ってるから、「そんなもの食べてないで早く医者に掛かった方が」って言ったんだけど、聞こえないフリして俺のデザートつまみ食いしてったよ』

「ご主人、普段はここでデザートをお代わりしてたっスね。どうりで知らないワケっスよ」
そもそも四不象は食事を外でする事が多いし。……一般人と同じ食事をしていたら、量がちょっと半端じゃないから。カバの一日の食事量を、あなたは知っていますか?
 そこをいくと武吉はこれでも一応太公望の秘書なので、
「あ、四不象はここに来た事無いんだ。僕は何度か付いて来た事あるよ」
とのこと。
 しかし太公望は、なにも無駄飯食いに来ている訳ではなく、兵士達の不満や要望などを直に聞くためにここにやって来るのだが、武吉はまだそこまでは気付いていない。
 兵士達の手前、信頼感を損ねるような行動はなるべく控えている太公望だが、真面目なだけでは人の本音は聞き出せない。結果、単にお喋りしに来ているように見えたりする訳だ。
 まあ、今問題なのは普段の太公望の行動ではなく、現時点での彼の行方である。
「おっしょーさまのニオイ…あれ、こっちって医務室のある方ですよね」
やっぱり具合悪かったんでしょうか、とちょっぴり不安になる武吉。スープーはと言えば、
「気分悪いのに三人分も甘い物食べたらお腹痛くするに決まってるっス!」
 ま、もっともだな。
 そうこう言っている間に医務室に到着。なにしろ軍設備の医療機関だから、なかなか大きな物である。今のところは全くの用無しで閑散としているが。
 それでも一応は詰めている医者が数人いるので聞き込み開始。

証言4
『二日前ですか?ええ、来ましたよ。昼少し前ぐらいでしたか。仰る通り腹痛の薬をお出ししましたよ。はい、糖衣錠で。そう言えば、「このままでは昼飯が食えん」とか言ってましたっけ。クスクス』
『え、あの人が軍師だったんですか?このあいだそこのカバさん連れて昼寝に来た人じゃないですか』

「…」
「……」
「………カバ君、かな?」
「…ハッ!い、いや違うっス!ご主人は確かにサボり魔っスけど、仕事する時はするんで、たまに徹夜が続いたりして、それで……」
 なんか厭〜な感じのオーラを発し始めた楊ゼンに、先刻までとは一転、太公望を庇う発言をする四不象。哮天犬に一日中追いかけ回されるというお仕置きは是非とも勘弁してもらいたい。
「そ、そうだよね!お師匠さま最近忙しかったしっ。それより、薬を飲んだ後、お師匠さまがどこに行ったか知りませんかっ!?」
 さすがに天然(意味は二重にあり)の武吉も四不象の危機に話を逸らそうとする。それにスープーの言っている事は事実でもあり、一応は三尖刀を収めた楊ゼンだった。
 でもあの顔は絶対説教したがっている顔だ。だいたいこれでも楊ゼンは周公旦ほどではないにしろ、基本的にはかなり真面目な部類に入るのだ。自意識過剰のナルシスで、たまに突っ走るところがあるのであまり認識されていないようだが…。それに(主に)太公望に説教したがるのは、自分が認めた相手だからこそ、でもある。
 結局こうやって太公望を探し回っているのも、表には出さないが結構心配しているからなんだし。

しかし……。

「お医者さん達はお師匠さまが何処行ったのか知らなかったね」
「やっぱりニオイを辿って行くしかないっスかねぇ」
 医務室を出た後、薬品の臭いの為に鼻が利かなくなった武吉のために一休み中の三人。武吉とスープーはもう一度心当たりを考えているが、楊ゼンはと言うと、なんかこー、大分投げやりになっていたりする。
「師叔ってば、やってるのは盗み食いだけじゃなかったんですね……」
当然と言えば当然な事をダークな顔でぶちぶち呟きながら、心の中の太公望専用エンマ帳にチェックを入れる。現在、百九つ目。『除夜の鐘の音=煩悩の数』からすると…一般人のラインを越えたな。
「楊ゼンさん、疲れましたか?もう少し休みましょうか」
「ダメダメなご主人のために苦労をかけて本当にすまないっス」
 またもや厭なオーラを発し始めた楊ゼンに、残りの二人が気遣いの声を掛ける。
 確かに(精神的に)疲れた。けれど、それをこの二人に言うのはさすがに大人気無いので軽い笑顔で否定し、ちょっと真面目に考えてみる。

(今回の事は敵の仕業とは考えにくい。師叔がいくらボケボケ道士でも、誰にも気取られずに殺されたり、ましてや誘拐される事なんて、いくらなんでも無いだろう。だったらこれは彼の意志による物なのか、それとも何らかの事故にでも巻き込まれたか。…自分で出てったんなら、問答無用で正義の鉄拳!だね。進軍間近なのに用意を僕らに全部押しつけて雲隠れはいくら何でもヒド過ぎるよ。ああ、でも事故の可能性もまだあるから一概に判断は出来ないか。けど、事故に巻き込まれる道士……ねぇ。一般人ならともかく……まあ一応は助けなきゃマズイだろうけどさ。)

「師叔が自分で出掛けたんだと仮定したなら。何処に、何のために、どうやって行ったんだろう…」
(今回、火急の用事で仙人界に出掛けた、というのは考えなくてもいい。現在周にいる道士の中で自力で空中にある崑崙山に行けるのは四不象と哮天犬を持ってる僕だけだ。迎えが来たのなら誰かが報告してきただろう。それに崑崙側も今要塞を空けさせてまで太公望師叔自身を呼び出すような事はおそらくしないはずだ。)

「それなら、何かの事故に巻き込まれたか……その場合参考になるのは師叔の普段の行動範囲だけど」
(今日の事でよく分かったけど、師叔って実は結構謎のヒトだよなー。公私ともに一番近い位置にいるだろう武吉君と四不象でさえ知らない面が多々あるんだもんね。それに事故って言っても、ここ二、三日要塞内では騒ぎもなくて修理も順調。巻き込まれるようなナニがあるって?はっきり言ってまるで見当も付かないよ…天才なのに。)

 ふと、武吉と目が合った。
「もう鼻は大丈夫ですよ。行きましょうか?」
 自分を気遣う彼は、多分この場で一番太公望を心配している。彼の大切なお師匠様だから、と言うだけでなく、太公望がこの場所に―――この要塞に、この周に、この時代に必要な人だと知っているから。
「―――そうだね。とりあえずは地道に後を辿ってみるかぁ!」
 本当は楊ゼンだって、そんな事は知っているのだ。
 気合いを入れ直して腰掛けていた欄干から身を起こそうとした、その時。
 ソレは聞こえてきてしまったのだった。







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