若葉の季節。 (2/3)
「ふむ、誰にも見つからんかったようだな。よしよし」
「もしかしてそのための道っすか、アレ…迷路みたいにグルグル…ううっ」
ようやく一息付けたのは山やら岩やらもいい加減減った崑崙の端に当たる空域まで来てからだった。ちょうど黄巾力士と同じくらいの大きさの岩に腰掛けて一休み。もちろん腰掛けてんのは黄巾で、俺達は操縦席なんだけど。
「おぬしが崑崙教主自らふるう罰を食らってみたいと言うなら真っ直ぐ飛んでもかまわんかったんだがな。ま、良いではないか。上達したことだし落ちんかったことだし」
「落ち…?! こんな事で命懸けさすのやめてくだせェよ〜…」
ぐったりする俺の隣で太公望師叔はドコ吹く風って感じでカカカと笑い、懐から今度は桃を取り出すとムシャムシャ食べ出した。俺の視線に気が付くともう一つ取り出して放ってくれた。いや、別に欲しかったワケじゃなかったんだけど…ありがたく戴いておく。
空は目が痛くなるほどの深い青。
彼方には壁のようにそびえる入道雲。
かすかに髪を揺らす風が、慣れない操縦で散々汗かく羽目になった身体に気持ちいい。ああ、下界は今頃残暑でメッチャ暑いんだろうなぁ。母上、っとついでに父上、元気かな…。
…………。
………………?
何だろ、アレ。
「すんません太公望師叔、あそこに何か丸い物が浮かんでんの、アレ何すか?」
「あれは気象観測用の気球だな」
打てば響くって感じで答える師叔。もしかして常識?
「いや、崑崙の中の方には浮かんどらんし、知らん奴は知らんだろ。―――崑崙は中空にある故、気象には気を遣っておるのだ。もっとも嵐に巻き込まれたからと言って落っこちるような事はないがな」
「へぇ〜っ」
……しばらく後に知ったことだけど、崑崙が落っこちないよーに天気に気を遣ってんのはそこそこ広い崑崙中に一人だけ。らしいっちゃらし過ぎるハナシだぜ。
気象観測用の気球とやらは見た感じ丸っこいんだけど、どうやら蜘蛛みてぇな形をしているようだった。目を凝らしてみると時々“脚”がワキワキ動いているのがわかる。
「近くで見てみるか?」
手をかざして目を細めている俺を見て、師叔が珍しく気を回してくれた。好奇心から俺はその問いにうなずいたんだけど、―――多分そうしなければフツーに崑崙を一周して帰ってフツーに普賢師匠におやつ抜きの刑を受けて、それでお終いだったんだろうな。
要するにそうはならなかったわけさ。
近寄ってみると気球はまさに“蜘蛛”だった。
足は八本。たくさん付いた観測用だろうカメラのレンズが蜘蛛の複数の単眼を思わせる。極めつけにはお尻に中る部分から銀色に光る糸を数本ヒラヒラとたなびかせていた。
「ふーむ、バージョンアップしたようだのう。前に見たときはこんな脚は生えとらんかったが」
「なんでワザワザこんな形にしやがるんだか……」
「ははぁ、木タクは蜘蛛やらムカデやらが」
「あ゛〜〜嫌いっすよ、気っ色悪ぃし!」
師叔はホントに人が悪い。ほーん とか ふーん とか言いながらニマニマニマニマ。別に、足の多い生き物が多少嫌いでも普通だよ、フツー! あー、この人の弱点はなんなんだろうな!
「まあ、そう怒るな木タクよ。太乙にしてもおぬしへのイヤガラセでこんな形にしたわけでもあるまい」
膨れっ面の俺をひとしきり眺めやがった後、涼しい顔でそんな事をのたまってくれる。はあ、まー、そりゃそーでしょうね。
「んじゃ、何のためだっつーんですか」
「んん、そうだのう。追加されたのはあの糸と脚部分か…おそらくは」
まだ楽しげに、それでもちょっと真面目な顔になってそこまで師叔が言った時。
ちょうど変わった風向きにヒラヒラ揺れていた糸が黄巾力士に触れて、その途端。
ワキョワキョワキョワキョワキョワキョワキョワキョ
「うっげぇ、マジで蜘蛛……」
「と、まあこんな感じに空中を移動する物体のサンプルを捕獲する仕掛けでは、って何じゃこりゃ―――――っっ!!!」
あの糸、多分センサーか何かだったんだな。蜘蛛気球、ってーか蜘蛛ロボは素早く近付いてくると黄巾力士の首筋辺りにしがみついた。要するに俺たちのすぐ側で、足が。
ワキョワキョワキョ。
………………………………うげ。
「ぬぬぅ、こんなモンくっつけて帰るのはちょいと遠慮したいとこだのう……。太乙の奴め、なんっちゅーはた迷惑なもんを」
全くだぜ。う゛〜気色悪い。
「でも大したこと無さそうですぜ。ちょいと揺すれば簡単に外れるハズ、」
「馬鹿者っ、そんなやり方では…!」
脱力しちまった師叔をよそに、それまでの練習でコツを掴んでいた俺は何にも考えずに黄巾を動かし―――結果、太公望師叔の制止は遅かった。確かに蜘蛛ロボは外れた。ただし、黄巾力士の首のスカーフと一緒に……!
「! まずいっ」
つい数刻前に師叔に教わったばかりの事が頭の中でおどり出す。
“―――で、こいつが黄巾の名の由来だな。よいか、これはわしらにとってはかなり重要だぞ? 黄巾力士はこれで受け取る崑崙からのエネルギー供給を動力としておるのだからな。なんせワシらの仙気じゃこんなデカブツ到底動かせるもんじゃないからのう―――”
そうだよ、俺にも師叔にも黄巾力士を支えられるだけの仙気はまだ無ェんだ!!
「うっ、うわああああああああぁあぁっぁぁ………………」
真っ逆さまに墜落していきながら、パニックに陥った俺を押しのけて師叔が何かしていたのはなんとか憶えている。長い長いほんの一瞬の後訪れた衝撃が、俺の意識を吹き飛ばすまで。
◆
目を開けたら星が見えた。
いや、本物ほんもの。アタマの周りをクルクルする奴じゃなくて。
ぎゅっと目をつむって、次に開いたらもう星が、って感じだったから、とっくに夜になっちまってんだってことを理解するのには少し時間がかかった。
で、それに気付いて慌てて飛び起きようとして今度は身体の痛みに気が付いた。っても大したことはない、ちょっとした打ち身ぐらいのもんで。
「………俺、空から落ちたんだよなぁ………?」
頭を振ると少しクラクラしたけれど、それは気絶していたからだろう。何だって俺、大怪我してねぇんだ? いや、むしろもう死んじまってんだったりして。その割にゃあの世っぽくないけど。誰も居ねぇし…。
「そーいや、師叔…?」
やっとハッキリしてきた頭でなんとか物を考えようとして、ようやく俺は座り込んだ自分のひざに濡れた布が落ちてんのを発見した。多分、太公望師叔の頭巾か……額にかすかに残る冷たい感触。そして先刻まで俺の背中があった辺りに見慣れた上着。師叔もどうやら無事らしい。
改めて周囲を見回す。黄巾力士はすぐ後ろにゴロンとのびていた。…げ、壊れてる。でっかい木にぶつかってやっちまったんだな…。辺り中はもー、折れた木々の幹やら枝やらで散々。
つまりここは森の中、だった―――後で普賢師匠に聞いたところによると、そのせいですぐには俺たちを発見できなかったんだそうだ。草原に落ちれば一発で見つかったことだろう。でもその場合クッションになる物が無くてもう少し怪我をしていただろうとも―――。
そうやって辺りを見回していくらかの状況はわかった。でも太公望師叔は?……ってぇのも俺が寝転がっていたすぐ横に、墜落の時に折れたものではなさそうな良く乾いた枯れ枝がいくらか集めてあったことで、師叔はたき火を作ろうとしているんだろうと知れた。遭難した場合、火の確保ってのは大事なことだもんな。―――やっぱ“遭難”だよなぁ、この状況。
俺があん時うっかりしてたせいで。
…………師叔、ドコ行ったんだろ。
大本の元は師叔が原因かもしれないけど、事故ったのは俺だし、この時点で頼りになりそうなのは師叔だけだし、情けねぇけど正直心細くって。
黄巾力士の周りをウロウロキョロキョロして、それでやっと黄巾力士の上の人影に気が付いた。
けど、俺がまず思ったのは『誰だろう』だった。
体格は小柄、格好からして多分男…俺とそう歳は離れていない。
空の一点を見つめて微動だにしないその頬に光る筋。泣いている……?
言っとくけど、俺は目は悪くない。どっかで見たことがある顔だと頭のどこかでは分かっていたけれど、その表情(かお)は絶対俺の知っている人じゃぁ、無かったから。
振り仰いだ横顔にはどんな表情でもない“何か”が浮かんでいた。強いて言うならそれは悲しみに似た物だったと思う。
月明かりの静寂の中、その絵のような風景を壊してしまいそうで、夜の闇に溶けていってしまいそうなその人に俺は声を掛けることが出来なかった。
だから、気絶から目覚めたばっかでボケてた俺は、次の瞬間もう一回ひっくり返るくらいビックリする羽目になった。その人は俺が身じろぎした音を聞きつけてこちらを振り向いた瞬間、見慣れた人になったからだ。
「おお、目が覚めたか! 大したことが無くて良かった……ま、ワシが庇ったのだから当然かのう!!」
にぱぁっと笑った途端、きれいだなんて思った自分の脳みそを疑った。
「すっ、師叔ぅ…!?」
それは、いつもの師叔。特徴的な頭巾と上着を脱いでたおかげでちょっと雰囲気違ってたり……さらにはオプションとして頭から血ぃ噴いてたりしたケド。その血が月明かりを反射して……さっき涙に見えたのはこれかぁっ!? いや、そんな事より怪我してるって事じゃんか!
「す、師叔ッ、き、きず、傷は深いです!!」
「……あー、それを言うなら“浅いです”だろうが。錯乱するな。大丈夫、わしは大したことはない。おぬしもその様子なら頭の中身以外は大丈夫そうだの。取り敢えずは一安心か」
頭の中身の心配もしてくれよ!
混乱する俺をほっぽって、師叔は血ィ流したままひょいひょいその辺を歩き回って折れたばかりの枝を集めると用意してあった枯れ木と混ぜて手際よくたき火を作った。生木を混ぜたおかげで盛大に煙を上げるので目が痛い。
「ちょっちケムイが我慢しとれ。これで崑崙の者もわしらを探しやすくなるだろ。見つかったら見つかったで大目玉だがな」
さっきまでの笑顔が一転、めっちゃ渋い表情。って、他人事じゃねぇし。俺なんか黄巾力士を壊した張本人……。
「「 はあぁ〜〜 」」
とりあえず師叔と二人ダブルでため息つきつつダークな気分にひたる時間はそんなに長くならずに済んだ。五分もしないうちに黄巾力士の飛行音が近付いてきたから。
その黄巾に乗っていたのは普賢師匠だった。
◆
師匠は太乙さんの黄巾力士から降りると、まず壊れた黄巾を見た。それからこっちを見た。いつも通りの笑顔がなんかメチャクチャ怖かった。
「二人とも無事だったんだね。よかった」
「わしは無事では無いぞ」
近付いてきて俺の頭をナデナデする師匠に向かってツッコミ入れる太公望師叔。うわ。そりゃ師叔は血ィ噴いてますけどねぇ…。
「そんな軽口叩けるようなら望ちゃんは大丈夫だよ。絶対。大丈夫じゃなくても平気。雲中子がバイオキシンβ(ただいま臨床被験者=別名イケニエ募集中♪)を分けてくれるから」
「すみません。わしはたいへんぶじです。つかうのでしたらそのてにもっていらっしゃるフツーの薬箱の使用を希望」
いきなり顔色の悪くなった師叔は、よく見れば鳥肌を立てていた。話にゃ聞いてたけど実在するんだな、超生物薬バイオキシンって。
プルプル震える師叔を脇に置き、師匠は最初俺の方を診て湿布薬を貼ってくれた。
「すいやせん、ご心配おかけしやした…」
「それが分かってるんなら僕が言うことは何もないよ。それにそそのかしたの望ちゃんなんでしょ? まぁ、今度からはもう少し慎重にね」
ああ、師匠って優しい…! 怖いなんて思ったのは気のせいっしたぁ…! いつでも絶やさないその微笑みが器の大きさを、ってアレ? いつの間にか笑ってないし。
「さ、今度は望ちゃんの番だよ」
「す、すまんな」
口ごもる太公望師叔に師匠は無言。頭の傷をしばらく診た後でおもむろに太極符印を取り出すと……いきなり空中に水流が現れて師叔の頭を直撃!
「っ、ぶはあっ! な、ナニをんぐっ…」
文句を言いかけた師叔の頭を水分をタオルで乱暴に拭き取ると今度は傷口にスプレーで何か吹きかけた。
「ぎゃ――――――っ!!しっしし滲みるっ!痛い!うがっ、め、目に入る、っぎゃ〜っ!!」
脊椎反射っぽく暴れる師叔を片手だけで押さえ込むともう片方の手で器用にチューブの蓋を開けて、クリーム状の薬を傷に塗りつける。流れるような作業。
「悪かった! もう木タクを巻き込むようなことはせぬから、許せ! 頼む、もうちょっと丁寧に!」
「それだけで怒ってるんじゃないんだよ? 僕は…」
一拍おいてもう一度口を開いた師匠の口調は、俺が初めて聞く強さだった。
「…ほんとに心配したんだよ。黄巾の宝貝反応も弱くなってて、なかなか見つからなくて……。やっと見つけたと思ったらこんな怪我までしてるし。ほんとに、もう……」
「……すまんかったな」
謝る太公望師叔に師匠は何も返さず頭に包帯を巻き続けた。それが終わってようやくかすかにひそめていた眉を解き、そのまま師叔の頭を軽く抱き寄せてささやいた。
「無事で良かった……」
「むぅ…」
何かもう思いっきり二人の世界で、その厚い友情?に立ち入れない俺としてはちょっと居心地悪い数瞬だったんだけど。応急手当が完全に終わった辺りから、それまでのしんみりした空気は次第に正反対の性質の物に変化してってたらしい。
「落ち着いたところでちょっと聞きたいんだけどね、望ちゃん。これは一体どういう事だったのかな?」
「…もしかして普賢、まだ怒っとるのか?」
師匠はもういつも通りのニコニコした表情に戻っていたけど、言われてみれば雰囲気がびみょ〜に違うような気がする。
例えるなら、嵐が来る直前の、風のない生暖かい曇り空みたいな。
「ちゃんと説明してくれれば怒ったりなんかしないよ。どうしてこんなトコで事故ったりしたの?」
「え〜っと、それはだなぁ…」
崑崙の中での事故だったら、確かにこんな大事にはならなかったかも知れない。でもそうすると師匠の監督の下にやんなきゃならなくって、つまり今日の内に練習なんてそもそも出来なかったろうから、こんなはずれた所にコソコソ来ることになったんだよな。そりゃ、太公望師叔の思いつきって言っちゃえばそうなんだけど、一応は俺のためだった訳だし、事故った時の操縦は俺だったんだし、庇ってももらったし。
「あの、師匠。師叔はですねぇ、」
「ごめん、木タクはしばらく黙っててね。僕は望ちゃんに聞いてるんだから。ねぇ、望ちゃん?」
「あー、うー、うむ」
目の前じゃ、さっきとはまた違った二人の世界が出来上がりつつあった。
……今度のは俺、入り込めなくっても全然いいや。