三 日 月 〜周の休日〜 (2/2)









 ゆさゆさ。
「――――――うーん」
「…ょうさま、お師匠さま!」
 ゆさゆさゆさ。
「ぬぅ〜ん…」
「もー、風邪ひいちゃいますってば、お師匠さまぁっ!!」
 ゆさっゆさっゆさゆさぶんぶん。
「ぐぅぬぬぅ…もう見つけおったか」
 邑姜が去って丁度30分ばかり過ぎた頃。ご苦労にも城下までぐるっと一周して戻ってきた武吉に発見される太公望。
「でもさすがお師匠さまですね。自分の部屋のすぐそばならニオイが紛れて判りにくくなることを計算してここにいたんでしょう? 風向きが変わらなかったら、僕もう一周してきちゃうところでした!」
「ふははははっ、そうであろう・そうであろー」
 実際のところそんなところまでは考えていなかった太公望。あんな置き手紙は単なるシャレで、隠れていたつもりもない。単に少し風に当たりたかっただけなのだが…ついつい見栄を張ってしまったり。しかし、
「僕ももっと精進しなきゃですね! でも、頭の中身ってどうやって鍛えればいいんですか?」
 あんまりにも素直に受け取られてしまうとちょっぴり“しまった…”と思ってしまう彼である。今みたいに半ば冗談で言ったことを真面目に考え込まれてしまったり、わざとボケてうやむやにしてしまおうとしたことを流してくれなかったり。
 天然な武吉は本当に時々だが、誰よりもごまかしのきかない相手になることがある。そんな彼だから、太公望は弟子入りを正式に却下することができないのかもしれない。
「まあ、頭なんてのは毎日フル回転さすよーに心がけておればなんぼかは強くなる、ハズだ、多分。あー、それより武吉。わしに何ぞ用でもあったではないか?」
 話を逸らしたくてつい口にしたことだったが、それは墓穴への第一歩だった。
「あ、そうでした! でも、スケジュールを伝えに来たんですが、今日は取り敢えず部屋にある書類を片付けるだけでいいそうですから、取り急ぎ必要なことはありません。もう少し昼寝するんだったら上掛け取ってきますけど」
「もうよい。しかし、書類なんぞ朝には届いておらんかったが」
 これが第二歩目。
「さっき邑姜ちゃんが持って来てました。そうそう、その時邑姜ちゃんお師匠さまを連れてくるようにって言ってました、すっごいハリセン持って。お師匠さま専用すぺしゃるかすたむらしいです!」
 ピシッ、と引きつる太公望。先刻の邑姜は何も言っていなかったが、あの後武吉と出会ったと考えればつじつまは合う。……あの邑姜のスペシャルなハリセン。見なくても分かる、確実に周公旦の物より、痛い!

 ―――彼女が一度は見逃してくれたということを太公望は知らない。しかし、どちらにせよ邑姜はやると言ったことは必ずするし、特例というものは一度だけ。

「ほっ、ほほーう。では、その、しごとをちゃっちゃとかたづけたあと、おもむくとしようかのーう」
「駄目ですよ、お師匠さま。“一番に”だそうですから」
 時間稼ぎを謀るもあえなく撃沈。
「邑姜ちゃんすっごい忙しいのにそう言ってるんだから、大事なことですよ、きっと。なんなら僕お師匠さまおぶっていきましょうか? すぐ着きますよ」
 それは地獄の直行便に等しい。ううう、おぬしのせい……ではないんだよなぁ。
「…………………歩いてゆくからよい」
 トボトボと墓穴へと歩き出す太公望。その後ろに従おうとした武吉はふと立ち止まると、開け放たれていた太公望の部屋の窓をそっと閉めた。風で中の書類が飛んでしまうかも知れないと思ったからだ。そして、今度こそ太公望の後ろ姿についてゆく。



 周が成ってから太公望の部屋になったそこは、それまであまり使われていなかった部屋だった。しかしこの数日間忙しく人の出入りする場所となり―――そしてまたあまり使われない部屋に戻ろうとしている。 誰もいない室内の机の上には武吉と同じ危惧を抱いた人物が文鎮で押さえた数件の書類。そのさらに上には太公望の置き手紙。文鎮で押さえられていないあたり、もしかして飛んでいってしまってほしかったのだろうか。
 その理由は多分、“探さないで下さい”という文字の下に書き加えられた短い文章。

“それは無理な願いでしょう”。その文章の意味は―――だって皆があなたを探すのは、何も頼りにしているからというだけではないのだから、ということ。

 それを目にするだろうこの部屋の仮初めの主は、どんな思いを抱くのだろうか。



× × ×


「それでは太公望どのはここには残られないのですな」
「うむ」

 周公旦の執務室。最後の書類に署名し終わり筆を机に転がしながら答えるのは太公望。カラン、という音は執務室に意外なほど響いた。城内は依然そこかしこでドタバタしているのだが、この時間帯その喧噪は執務室近辺にはない。
 窓の外は夕暮れ、空には煮炊きの細い煙がたなびくのが見える。
「後はオヌシ達だけで頑張るのだな。武王は当分頼りなかろうが、おぬしがついとるなら大丈夫だろ。まあ、邑姜もおる。ははは、これでしばきまくられる生活ともオサラバだ!」
 たった今しがた軍の総帥の任を正式に返した彼は幾分気の抜けたような顔で笑う。
 盗み食いはするしサボるし寝坊するしそれを注意すれば悪態を吐くし騒ぎが起これば鎮めようとするどころか事を拡大するし、周公旦からすれば大変ロクでもない人物なのだが有能であることは間違いない。問題のある言動はするものの、その“ひと”を見抜く才能、臨機応変な行動、軍師ではなく政治家としても十二分にやっていける―――今や国一番の政治家と呼ばれる周公旦の正直な感想だ。自分が“国二番”となっても引き留める価値はある、とも思っていた。その願いはつい今しがた潰えてしまったが。
「ま、しょせんわしは軍師上がり。小狡い手には精通しておれど、治世には向いておらぬよ」
 本人はそう言って飄々と笑うばかりだ。
 しかし、そもそも旦の思う太公望が政治家向きだという理由は、その駆け引き上手や先見性より、意外なほどの公平さにある。普段は我が儘なクセに必要とあれば自分という物を殺して物事を判断することが出来るそれが―――。
「太公望どの、今までありがとうございました」
「ぅを?! ……っ、何じゃい、やぶからぼーに」
 グキゴキ肩を鳴らしながらのびをしていた太公望は旦のかけた言葉に驚き、一拍置いてちょっと迷惑そうな顔で問い返した。その言葉のあまりの意外さに勢い余って関節を少々変な方向に曲げてしまったのだ。
 それは周公旦だとてお礼くらい言う。相手がいくら無礼千万な太公望であっても、受けた礼には返礼をするのが当然。
 それでも、きっちり威儀を正し真心を込めて、というのは実は今まで無かったりしたので。
「あなたは殷を倒すために周を……父・姫昌を、そして武王を立てた。そしてその軍を率いて戦った。私達としてもあのまま急激に腐っていく国をどうにかしたかった。お互いがお互いを利用したわけですな」
「それがどうした」
「しかし、どちらが得をしたかといえば我々だと思うのですよ」
 彼はそれまで“何を急に改まりおって気色悪い”というような顔をしていたが、そこで表情はそのままに僅かに雰囲気を硬くした。ポーカーフェイスの上手い彼からそんなことが読みとれる程度には長く付き合ってきたのだな、と思う。
「得、かの〜? 元凶は仙人だということを差し引いた上で言っておるのか?それは」
「そうですね、仙人が人間界で問題を起こし、その解決を仙人が手助けする。その図式は実に理にかなっている。そもそも妲己さえいなければ紂王は確かに賢君のままだったでしょう。しかし、それでもやはり国は永遠に続く物ではないでしょう? それはこの周にしても言えることですが」
「周公旦……?」
 北側に面するため他よりも早く影を濃くしていく室内に明かりを灯そうと立ち上がりながら、この新しい国随一の政治家は言葉をつなぐ。
「殷の寿命が縮まったのは仙人―――妲己のせいでしょう、確かに。我々は多大な被害を受けた。それでも私達は国の終焉と始まりにあなた方の助力を受けることが出来た。本来なら全て自分たちでやらなければならなかったことを」
「だから、それのどこが得なのだ。せいぜい差し引きゼロ! そもそも仙道の介入さえなければここまで大きな戦にはならなかったのだぞ?」
「そうですね、差し引きゼロ。ですから私達が得をしたのは、あなたというひとを迎えられたことですよ」
 灯火に照らし出された元軍師の顔はハッキリ言って見物だった。
「……………悪い物でも食ったか」
「まあ、あなたはよくよく失礼な方ですし、個人的には色々言いたいこともあります。が、それでも他の仙道の方でなく、指導者として来られたのがあなたで良かった。優秀だからというだけではなく、私達の視点で考え、共に苦しんでくれる人だということが。あなたが父上を選んだ以上に、あなたを選んだ父上は正しかった。この結果だけではなく、ここまでの過程全て―――途中一年くらいいなかったりもしましたが―――」
「……………」
「本当に、ありがとうございました」
「よさんかい、マジで気持ち悪い。……そこまで言うんならせいぜい民族間の差別問題にでも力を入れとけ。今度のことで殷族であるというだけで割りを食ったりせんようにな…」
 ブスったれた顔をしてそっぽを向いたその顔がかすかに赤い。照れる彼など初めて見た。たまには礼も言ってみる物だ―――自然、こちらも頬が緩む。
「わかりました。あなたにとっては羌族のこともありますしね―――そうだ、ところで先刻おっしゃっていた邑姜どのとは確か……」
「そう言えばおぬしはまだ会っておらんかったか? 羌族の統領だ。わしの…姪にあたる」
 ちょっと嬉しそうな表情で答える太公望。この地に生きる人々全てを大切に思っている彼だが、同じ血に連なる者とあって、やはり特別な思い入れがあるのだろう。彼は、家族を早くに亡くしたと聞いている。
「桃源郷の裁判官なんぞもしておったようなお堅い奴でな……贔屓目でなく、オヌシ好みの優秀な人材であろうよ」
「察するに桃源郷では毎日まっとうな理由で叱られてばかりでしたね」
「察するな! おまけにその断定口調はなんなのだ!」
「私好みの優秀な人材であれば太公望どのを叱らないはずがありません。そもそも逆ギレするあたりすでに図星ですね」
「ぐぐぅっ」
 いつもの舌戦、いつもの結果。そしていつもの助け船は車のエンジン音のごとき足音と共にやって来た。 ブロロロン、キーッ!!
「おっしょーさまっ、夕御飯の時間ですよーっ! みんなもう待ってます。お仕事終わりましたかーっ?」
「おおう、今行く! ―――ではな。あとは頼んだぞ!」
「それじゃ周公旦様、失礼しまーす!」
 引き止める間もなく逃げ出す太公望。例によって例のごとく。いつものように。
「さて、私も一段落としますか」

 これからも毎日は続いていく。国が滅びても。仙道が消えても。彼が周を去っても。
 多分、どんなことがあっても、今までと同じように。
 それはとてもあたりまえで、でもだからこそ価値があるのだろう。
「私もせいぜい努力しますよ。周を後世に誇れる国にするように……やがて新しい国が興るその日まで」
 それまで自分たちが生きていなくとも―――きっとそれは、彼が見届けてくれるだろうから。

 例えこの地にいなくとも。



2002/10月 初出

 

 

 ●駄文な気分●

 太公望と周の三人。と言いつつ邑姜部分が多いのは元々彼女の話として書き出したものだったから。周公旦部分は付け足しというかページ合わせというか(おい)。そうは言いつつ彼を書くのはかなり楽しゅうございました。

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