三 日 月 〜周の休日〜 (1/2)
「それではお師匠さま、今日のお仕事スケジュールはですね…」
武吉はよく働く。朝から晩まで“お師匠さま”な太公望の秘書をやり、その合間に城内の手伝いをし、足の速さを活かした伝令もし、ときどき実家の様子もうかがって、暇かと思えば四不象と漫才をし……疲れそうだな〜と思うのだが、
「やりがいのあることばかりですし、何よりお師匠さまと一緒にいられますから疲れてなんかいられません!」
はぁ、そうですか。
しかし、太公望は確かにそれなりの人物ではあろうが、何故武吉はそこまで彼に心酔していられるのだろう?
例えば今だってスケジュールを告げに来た武吉の目の前には『探さないで下さい』と書かれたメモがひらりんと舞っていたりするというのに。
◆
「あれー?お師匠さまってばドコに行っちゃったんだろう…」
部屋を出た武吉は軽く鼻を鳴らしてみたが、太公望の匂いはキャッチできなかった。仙道は代謝スピードがゆるやかなので体臭という物はあまり無い(韋護くんは?)…奴が多いが、武吉の鼻にかかれば逃れられるものではない。そう、いつもなら食料庫で盗み食いしていたり書庫で昼寝していたり武器庫でクワを磨いていたりするのを易々と発見するのだが。←太公望倉庫好き疑惑?
「あら、武吉さん。太公望さんはいらっしゃらなかったんですか?」
とりあえず心当たりを見て回ろうと廊下を歩き始めた彼だったが、ちょうど向こうからこの部屋へと歩いてくる人影に声を掛けられて足を止めた。手に書類の束を持った邑姜だ。
彼女との付き合いはほんの一週間ほどの武吉だが、相手は“お師匠さま”=太公望が世話になったという人である上、彼の血筋に連なるという身の上。もともと人見知りなんて単語はどこかに置き忘れてきたような武吉ではあるが、もちろんすぐに打ち解けた。今ではその頭脳の明晰さにひたすら憧れていたりする。
一方の邑姜はと言えば、真っ直ぐな気性の武吉をかなり気に入っているのだが、太公望に対して無条件の信頼を寄せている部分に何故かちょっとばかりイライラすることがある。
彼女も今では太公望のことを嫌ってはいない。最初は…あの通りだったので、その評価も最低ランクだったりもしたのだが。それも徐々に上がって、一族に、この世界に誇れる人だと素直に思えるようになった。しかし、彼の普段の行動スタイルはほとんど素だということも理解しているので、周の建国がなった今もその立て役者たる太公望の扱いは、桃源郷にいた時と変わらない。さすがに釘バットは使わなくなったが、周公旦と同じく巨大なハリセンを毎日のようにふるっていたりする。そんな彼女なので、
「武吉さんは太公望さんにもっと厳しく接するべきではありませんか。いくら弟子だからといっても、絶対的服従をすれば良いというものでもありませんよ?」
といったセリフが出てきたりするわけだ。
「もっとも、太公望さんにお願いしなければならない仕事はほとんど無いんですけどね。最低限のことはもう私たちだけでも処理できますし―――」
「そうなんだ〜! やっぱりお師匠さまはスゴイなぁ」
「 ―――はい? 」
なんで今の話でそんな感想になるわけですか?
「お師匠さまが昨日言ってたんだ。『いい加減仕事も減ってそろそろお役御免の時期だな』って」
「……それで早速逃げ出したんですか、あの人。追っ手は来ないと踏んでいるのね……それならそうと引継くらいしてからにすればいいものを! いいですか、武吉さん。太公望さんを見つけたら、一番に私のところに来させるようにして下さい」
「うわあ邑姜ちゃん、なんでそのハリセン、とげとげがいっぱいついてるの?」
「それは太公望さん専用特別仕様だからですわ」
ズバシャァッ、と重量感のある金属音をさせながら問題のブツを何処へともなくしまうと、彼女はため息を吐いた。怪訝な顔をする武吉に向かい、少しだけ改まった態度をとり、言葉を紡ぐ。
「それであの人は、これからどうするつもりなんですか」
殷周革命は終結した。そして“お役御免の時期”という言葉。
けれどもう、“仙人界”はないのだ。崑崙も金鰲も、もはや大陸の空ではなくその地上に残骸を留めるばかり。周に残るというのであれば、自分も含め皆それを歓迎することだろう。しかし、彼の目的を考えると―――
「えーっとね、皆がもうちょっと落ち着いたら妲己を探しに行くんだって。結局この戦争では倒せなかったからね。今じゃ共通の敵だから金鰲のヒト達も異存はないってビーナスさんも言ってたし」
異存は無理矢理封じ込めた可能性があるような気もするが……妲己は通天教主を手に掛けていたわけだから、確かに彼らにとっても敵だろう。他に行く場所も無いわけだし。
それはつまり、太公望も含めた仙道が全て、この地からもうすぐ立ち去るであろうということを意味する。
「まだ終わっていないんですね、太公望さんの戦いは……」
想像はついていた。でも、言葉にするとまた違った感慨が湧く。そしてそれは次に武吉の発した言葉に対しても同様だった。
「そうなんだよね。それで僕、邑姜ちゃんにお願いしたいことがあるんだ。僕のお母さんのことなんだけど……病気は治ってるし心配はないんだけど、たまーに様子を見に行ってくれないかなって」
「え? ―――それじゃ、もしかして武吉さんは」
「もちろんお師匠さま達についていくよ。それが僕の道なんだ。だってみんな僕の仲間だし、何より弟子は師匠についていくもんだしね!」
ニコニコしたその顔には迷いというものが微塵もない。
邑姜はなんでだかそれが羨ましいと思いながら少し戸惑う。
「お別れってことは、戻ってこないつもりなんですか?」
彼は天然道士だ。自称ではあるけれど、太公望の弟子でもある。きっと仙道達と共に去るのだろうと予想はついていた。でも、彼は仙人界の者ではないというのに? それで納得しているのだろうか。
「それは、たまに戻って来れることがあれば嬉しいけど。でもお師匠さま、妲己のことが片付いたら仙道はこの国にはもう必要ないって言うんだ。僕もそうだと思うし。だから、ここで残ったら、お師匠さまには二度と会えなくなっちゃうかもしれないし、何より僕で力になれることがあるならお手伝いしたいしね! まだまだ教わりたいことはいっぱいあるんだもん。それで周の皆さんとお別れになっちゃうのは寂しいけど、多分絶対会えないってこともないだろうから」
屈託無く答える武吉に、邑姜はそれ以上問いただすことは出来なかった。
「そうですか―――」
“仙道は人間の世界に必要ない”。もっともだ。彼女だってそう思う。けれど、それを言う彼―――太公望もまた仙道であり、そしてこの地上を愛しているのだ。それが人間の世界との決別をすでに決心しているというのは、ひどく寂しいことのようにも思える。
そんなことを思って口を閉じた彼女の様子には気付かずに、武吉は少し楽しそうにこう続けた。
「それにね、もしかしたらお別れにはならないかも知れないんだ。お師匠さま、前に“妲己を倒したら面倒臭い修行ともオサラバなのだ〜! ああ〜、待ち遠しいのう〜”とかって言ったりしてたし、道士をやめちゃう気アリアリみたいなんだよね」
は? 道士をやめるぅ?
「そ、そんなことを言ってたんですか!?」
寂しいなんて思って損したかも。言われてみれば太公望らしい考え方、昔似たような内容の会話をしたような気もするのだが、面倒臭いってのはなんなのだ。
「うん。でも、道士やめてもお師匠さまはお師匠さまだし! でも山奥で隠居とかするんだったら、ちょっともったいない気もするけどねっ」
武吉にとって太公望はなにも仙道としての師というわけではないので、その辺こだわりはないらしい。そうやって隠居したとしても、ついていって身の回りの世話を焼いたりするのだろう。
「―――万が一そんな事態になったら、太公望さんのことです、きっと、いいえ確実にコアラやナマケモノ以下の怠惰な生活を送ることになりますよ!? あの人がそーゆーふうに人生を無駄に過ごすのは勝手ですが、みすみす武吉さんをそんな境遇に送り込むわけには行きませんっ! もしそうなる兆候を感じたら、かまいませんから適当に理由を付けてあの人をここに引きずっていらして下さい。何か適当な職を世話してさしあげますから!」
「えーっと……じゃあその時にはお世話になるね! ありがとう、心配してくれて」
それじゃ僕お師匠さま探しに行ってくるね、と言いながらその場を後にする武吉。
「ほんと、邑姜ちゃんっていい子だなー、あんなに親身になってくれるんだもん。さすがお師匠さまの親戚だけあるよね!」
そういう感想を持つあたり、すでに武吉は太公望中毒末期症状のようだ。
◆
彼を見送った邑姜はそのまま太公望の執務室に入ると手にした書類を机の上に置いた。その量は建国以前と比べると格段に少ない。
戦争は終わったのだ。軍師の仕事はこれから減りこそすれ、増える事はない。
「“探さないで下さい”…? こんな物を書くなんて、探して欲しいからに決まっていますわ! どうして男の人ってこう、子供っぽいのかしら。武王にしろ太公望さんにしろ―――」
置き手紙を一瞥するとブツブツ呟きながら彼女は窓へと歩み寄る。
太公望は窓のある部屋を好む。窓がある、というのは警備上あまり好ましくはないのだが、『相手が人間ならいくらワシとてそうそう不覚はとらぬ。仙道であれば、窓の有る無しなんぞ大差ないからのう。道徳の例を見よ!』と言って(もちろん邑姜は道徳真君とは会ったことなど無いのだが…)結局我を通した。
そういえば、倉庫にいるときも必ず戸なり窓なり開けていてそれで結局見つかるのだ。
「屋内でゴロゴロするのが好きなクセに、四方が閉じた部屋では落ち着かないのね…」
南向きの窓からは春の日差し。それにまだ幾分冷たい風が室内に新鮮な空気を送り込んでいた。今日もいい天気だ。ほんの十日も経っていない、あの殷最後の日と同じように。
さらさらと葉擦れの音がする。何気なく窓際に植わっている木に目をやって、……邑姜は一気に脱力してしまった。
木洩れ日の中寝転がっているこの部屋の主。
「た…! 太公望、さん…」
一瞬腹立ち紛れに怒鳴り飛ばしてやろうかと思った彼女だったが、結局呼びかける声は宙へと消える。
眠っている太公望は、いつもの小憎ったらしい内面ジジイな雰囲気は微塵も無く、肉体的年齢通りの少年に見えた。
直接知り合って約一年。彼はいつだって実質年齢を漂わせた人物だった。霊獣を連れた道士で、ジジイ語を喋り、常にふてぶてしく、ナマケモノで自分勝手で確かに子供っぽい部分もあるけれどむしろ頑固でボケていて。けれどそれでいて仲間を、敵でさえも大事にするどこか大きな人。
でも、眠っている彼はそんなことを感じさせない。自分と同年代にしか見えない。多分、それも確かに彼の本質なのだろう。普段は老獪な仮面の下に隠しているだけで。
未来の為に振り返らない生き方を選んだ彼が少年でいられるのはこんな意識を手放した瞬間でしかないのかもしれない。そしてそれは、おそらく彼が疲れきっているからこそ垣間見えるのだろう。
この一週間、実のところ太公望は働き詰めだった。いつも通り振る舞ってはいるけれど、盗み食いだのサボりだのは一切していない。その理由はなんとなく分かる。人の死を何より厭っていた彼。それがあれだけ身近だったろう人を、その腕の中で亡くしてしまったのだから。走り続けずにはいられなかったのだろう。そして、走り続けなければならなかったのだろう。
つかの間の夢くらい、見たって良いんじゃないかと思う。
「私たちは一段落つきましたけど―――あなたは、まだこれからなんですね……」
だから今だけは気付かなかったフリをしてやろうと、小さな声でそれだけつぶやいて窓から離れようとしたその時。
「まだこれからなのはオヌシ達も同じことであろうよ」
目を閉じたままで口を開いたのは、彼女の大伯父にあたる人物。
「なにしろこれだけ荒廃した国を復興して行かねばならんのだからな」
「起きてたんですかっ」
「いや…眠りかけだったようだな。ちょいと風にあたろうと思っただけだったのだが」
軽く首を振ると太公望は上体を起こし、窓の中の姪っ子に視線を向ける。
「何かわしに用か?」
「い、いえ…」
眠りかけていた反動らしくぼんやりとした彼のまなざしはとても真っ直ぐで、邑姜は書類を持って来たことをつい言いそびれてしまった。
「そうか。しかし、ちょうど良い。わしの方はおぬしにちょっと頼みたいことがあってな」
「頼み、ですか?」
ふと先刻の武吉のことが頭をよぎる。きっとこの師弟の気懸かりは、後に残されるひとのことばかり。
「うむ。まあ、大したことではない。家庭教師のようなものだ」
だからそれだけ聞けば何を言いたいのかは大体わかった。しかし、それはずいぶん大したことでは?
「私に武王の教育を任せると?」
「武王というか、姫発のな。やる気はあるようだが、基本的には遊び人気質だからのう。周公旦もいるが、兄弟だけにちみっと甘いところがある。おぬしがビシバシやってくれればありがたい。周公旦は政治に精通しておるから、司法について教えてやってくれ」
「……それは、ここまで関わってしまったことですし構いません。でも、私の一存で決めてしまって良いとは思えないのですが?」
羌族の統領でもある邑姜だ。国の首脳部にそんな人間が参入するのは充分大事なはずなのだが。
「旦には話を通しておくから大丈夫だ」
現・実質的指導者は邑姜を気に入る可能性100%。
そして国の最高権力者はといえば……続けて口の中だけでつぶやく。
(それに発は相手が女なら絶対退けたりはせぬしのう)
「今なんて言いました?」
いぶかしがる邑姜を軽く手を振って誤魔化す太公望。後は姫発達の問題だ。
「ま、これで気がかりも無くなった! 周ももう安泰だな…」
再び木にもたれかかり、目をつぶる。日が透けて薄く赤い闇の中、ほんの少し怒っているような声が響く。
「武王の心配をご自分でなさる気はないんですか?」
「ま、わしも姫昌に頼まれた口だが…これでも息子のように思っているつもりだぞ? しかし、おぬしらがついておれば安心であろう」
「息子ですか? いいとこ兄弟にしか見えませんよ」
少し間をおいて返ってきた声はかすかに笑みを含んでいた。
「ふふふ……そう、か…?……」
「太公望さん……?」
彼女の視線の先に横たわる少年は満足そうな表情をして、寝息を立てていた。
「まったく、もう…見逃してあげるのは今回だけですよ。もっとも、あと30分くらいのことでしょうけどね」
クスリと微笑って、邑姜は静かに部屋を後にした。太公望には太公望の戦いがあるように、彼女には彼女の役割があった。きっとそれは太公望にとっても望み、願うことだろうと今の彼女は知っているから、その後ろ姿は揺らがない。