桃花の想い出




 その日は花見で大宴会だった。


 仕事も(半日分だが)やって、賭の胴元もやって。酒も飲んだし料理も食ったし、自分からは絶対会いに行けない友人達にも会って大騒ぎした。
 その友人達も全て送り返し、気が付けば日付が変わって一時間。そろそろ寝ようと寝室へ辿り着いてみたならば。
「おう、一杯つきあえ」
「…………飲みたいんなら宴会やってる間に来りゃいーじゃんよ」
 見慣れた顔がのうのうと転がっていたりして。
「旦じゃあるまいし、堅いことゆーな。おぬし、ワシを賭けのダシにしてかなり儲けたのだろーが」
「―――お前ェいつからいやがった」
「まあ良いではないか♪。ほれ、酒は持参しておるし」
 そう言いながら彼が見せる瓶の中には淡い桃色の液体がゆれている。
「お? きれいだな、それ」
 そしてその中には先ほどまでの宴会の肴―――桃の花が舞っていた。
「ふふん、こいつはワシが造った酒よ。なかなかの逸品であることは保証してやる。なんと言ってもこいつはなぁ…………」


「これで良し、と」
 ゴトリと最後の瓶を置き、肩やら腰やらぐきぐきいわせながらつぶやく彼。
「今回の方が出来も良いことだし、当分楽しめるのう!…あんのジジイめ、材料はともかく苦労して造ったのはワシらだぞ?なのに断りもなく全て飲んでしまうとは!!その意地汚さ、あれで崑崙の教主であるとは信じられーん!」
 仕草といい口調といい、自分の方がよっぽどジジくさいその少年はそう言うが、そばで微笑んでいる彼の友人に言わせれば、
「もちろん元始天尊様は素晴らしい教主だし、僕らのお師匠様で、望ちゃんってば最近ますます似てきたよね」
 と、いうことになる。


「ねえ望ちゃん。疲れてるのはよく分かるけど急いで帰らないと。バレちゃったら元も子もないよ?」
 地面にべったりと腰を下ろしすっかり動かなくなってしまった彼、同期で仙人界入りした幼なじみで親友で、現在のところ共犯者でもある太公望にそう声を掛け、普賢は明かりを手に取った。
 ここは人間界。本来ならまだ修行半ばの道士である彼らが勝手に降りて来られる場所ではない。許可がどうこうと言う事もあるが、むしろ問題は手段である。なにしろ崑崙山は空中に浮かんでいるのだから。それならばどういう理由でどうやって、彼らはこんな場所―――人里近くの洞窟の中なんかにいるのか。
 とある違反行為の産物を隠すために、例のごとく無断で持ち出した黄巾力士を使ってやって来たのである。
「じじいもいい加減警戒してたようだが、さすがにワシらも食べる昼食に睡眠薬が入っていたとは気付かなかったようだな」
「先に解毒剤飲んどいたの、うまく効いて良かったよね」
 本当はそこまでしないで二人に甘い他の十一仙や白鶴に協力を頼んだって良かったのだが、太公望は今回、秘密厳守の構えだった。


 太公望は基本的には甘党だ。しかし師匠が元始天尊。泥酔拳など習ったおかげで今ではすっかり無類の酒好き。食べれば甘く、水から手軽に二日酔い無しのうまい酒が造れる仙桃がもっか大の好物で、師匠の倉から失敬してくるのが日課である。そんなある日、白鶴からお手製の果実酒を貰った彼は仙桃で酒を造ることを思い立った。術で造るのではなく、一からきちんと造るのだ。
 早速倉から大量に仙桃をかっぱらってきた彼は一人では大変だからと普賢を巻き込み、仲の良かった太乙の施設を借りて密造酒制作に取りかかったのである。
 結果から言うと大成功&大失敗。うまい酒は造れたのだが、太乙がうっかり口を滑らせたため(そう、だから秘密厳守!なのだ)、元始天尊に没収された挙げ句ほとんど飲まれてしまったのである。太公望は非常に悔しがり、今回のリベンジと相成ったわけだ。

 計画はごく簡単。造ったら見つかりにくいところに隠す。それだけ。
 『造る』のは邪魔されない自信があった。相手も酒好き。絶対出来上がってから横取りしようとするだろう。自分だってそうするのだから間違いない。問題は隠す方だった。
 崑崙山内はそれなりに人目があるし、そもそもが元始天尊のテリトリーなので完璧に隠すのは不可能だ。地上なら比較的見つかりにくいだろうが、自分たちが酒を隠している間に所在を探られたら、そこでおしまい。
 元始天尊は千里眼を使えるのである。
 色々出し抜く手を考えたのだが、結局シンプルなのが一番だろうということで、使い慣れているからこそ相手も油断している『眠らせて黄巾を失敬』のバリエーションで決行したのである。
 千里眼は確かにあらゆる所を見通すが、なんの変哲もない無機物を探るのは得意ではないという噂。その場に自分たちが居なければ見つかる可能性はグンと下がる。一応地上の村人の備蓄のようにカモフラージュしたり、ダミーとして何カ所かに分けたりもした。後は元始天尊が目を覚ます前に崑崙に戻るだけ。


「それなのにこんなところでぐずぐずしてると、元始天尊様起きちゃうじゃない。そうだね、早ければあと1時間くらいだよ」
 そう言うと普賢は唯一の明かりを持ったまま、洞窟の入り口へ歩き始めた。しかし最初の曲がり角を過ぎ、彼の周囲はもはや真っ暗になっているだろうに、それでも太公望はついてこない。
(計画立てたの望ちゃんのくせに…)
 心の中でため息をつきながら来た道を戻る。そんなに疲れているのなら二、三十分休んでいこうかと思ったのだが。
 太公望ときたら瓶の一つを開けて一杯やっているではないか。
「…………………ぼうちゃん?」
 ちょっぴり固まった笑顔で呼びかける普賢。
「む。ああ、いや、すぐ行くぞ?しかしほとぼり冷めるまでは来られまいからな。ちょっくら味見をしていこうかと」
 少々慌てながらも極上の顔で笑ってみせる太公望。それからちょっとばかり上目遣いになって、
「…怒ったか?」
 いつも穏やかな太公望の親友はそれくらいでは怒ったりはしなかった。本当は少しばかりお説教しようかと思ったのだが、彼は友人の上目遣いに弱かった。
「…まったくもう。でも、そういうことなら僕にも一杯くれないかな」
「おう、こりゃ気が利かんかったな。スマン。ほれ、こぼすなよ」
 親友が多少呆れてはいても確かに怒っていないことが判ると、太公望はご機嫌でそれまで自分が使っていた柄杓に酒をくみ、明かりと交換に普賢に手渡した。
 透明な液体は薄明かりの中で曖昧にゆれて甘い香りを放っている。
 材料の仙桃より数段強い香りだが不思議とやさしく、決して不快な物ではない。肝心の味はといえば度数がすこぶる高いため、一気に飲むと手痛い目に遭うのだが。

 一瞬ぼーっとしていたらしい。
「どうした、普賢。やはり疲れたのか? そりゃ周りにバレにくいように黄巾の操縦にゃワシらの仙気も使ったからのう。…しかし飲まないんならワシがもらうぞ」
 気遣いながらも所詮は飲ん兵衛の太公望だった。しかし普賢には(そのどうしようもないセリフもだが)気遣いの言葉もまた口先だけのものではないと分かるから、冗談では返さなかった。
「それはまあ、望ちゃんと同じ程度には疲れてると思うけど。そうじゃなくってね、ただ、こんな風に望ちゃんとこのお酒、次に飲めるのはいつになるかなって考えてたんだ」
「……いつでも飲めばいいではないか」
 余裕のある笑みで答える太公望。けれど答える前の一瞬の間と、何よりその態度で彼も知っているのだと普賢には分かった。
「そういう訳にも行かないでしょ。弟子をとったら、その子のお手本になってあげなきゃいけないんだよ?授業の上手なサボり方とか、おいしいおつまみの作り方とか、崑崙昼寝スポットなんて教える訳にはいかないんだから」
「そ〜りゃそうだ。そぉいう知識は師匠から盗むか、自ら身につけるかする物だからのう!」
 カーッカカカとひとしきり笑った後、彼は普段ならその親友の方が浮かべるだろう柔らかな笑顔で続けた。
「分かっておるのだろう?それが仙人になるということだ。…少々寂しくなるが、たまには遊びに行くでな」

 太公望は仙人になる気がない。崑崙には修行時間を弟子に削られるのを嫌って道士のままでいる者も居るが、それと似た、しかし根本的には違う理由で彼は道士でいるのだ。今のままなら彼は決して仙人にはならないだろう。
 修行をサボりがちな道士の太公望と十二仙入りも確実な、もうすぐ仙人になることが決まった普賢。多分目指す方向は同じなのだろう。けれど歩む道はもうすぐ分かれることになる。
「ズルイよね、望ちゃんは。自分だってとっくに仙人になれる実力はあるくせにさ。一緒に仙人になろうねって約束してたのに」
「おいおい、普賢。そりゃ普通ワシのセリフだろうが?大体おぬしは一応仙人になりたくて修行しておったのであろう。もっと素直に喜んどけっつーの!」
 普賢の頭を捕まえてぐりぐりする太公望。これは結構痛い。
「もちろん喜んでるよう」
「なら祝杯だ、飲め飲め」
 いくら仙桃で出来ているとはいえ酒は酒だ。帰りの黄巾力士の操縦が少し不安だったが、普賢はそれを断ったりはしなかった。受け取った酒をゆっくりと飲み干す。
「ん、好い飲みっぷりだ。後はここにつまみの一つ二つ……いや、塩でもあれば」
「何言ってんの望ちゃん。さあ、帰るよ」
 言いながら太公望の両脇に手を差し込みヒョイと立ち上がらせる、見た目を裏切る怪力な普賢。やれやれ、という顔をしながらも今度は太公望も素直に従った。早ければ後三十分もしない内に元始天尊が目を覚ます。ダミーの隠し場所がバレるのは計算の内だが、本命のこの場所を見付けられては堪らない。
「まあ、せっかく酒を飲むなら花見なり月見なり、もっとそれらしい場所で楽しんだ方が良かろうからな」
 こんな辛気くさい洞窟の中でなく、と続けながら、本当はそんな事柄には大してこだわっていないのだが。
「そうだね。お酒は大勢で飲んだ方が楽しいよね」
「それではあっちゅーまに無くなるではないかっ」

(大勢で飲む宴会、むしろ大好きだよね 望ちゃん。大体『酒は飲み物で置物じゃない』ってのが持論なんだし。…たまにはほんの数人で、会話を肴に飲みたい時もある、ってトコかな)
 普通ならどう考えても『太公望はどケチ』としか思えない発言を聞きながら、本心はそんなところだろうと普賢は思う。けれど太公望は今、その胸に個人が持つには大きすぎる物を抱えている。胸の内を透かしてしまうような、そんな飲み方はしようとしないだろう。
 きっと、普賢以外とは。

「ねぇ、望ちゃん」
 てくてくと出口に向かいながら振り向かず背後に話しかける。
「うん?」
「何かさ、色々。全部。終わったらさ」
 後何十年掛かるかも分からない、太公望の計画が終わったら。
「また一緒にあのお酒飲もうね」
 太公望は答えない。明かりを持って先に立つ普賢には、彼がどんな表情をしているのかも分からない。しかし構わず続ける。
「きっとその頃にはお酒造っても没収されたりはしなくなってるだろうし、新しくいっぱい造って。そしたらみんなでお花見したりお月見したりしようね」
 やはり背後からは答える声はない。代わりに前方から光が射してきた。出口だ。角灯の火を消すのに気がそれた瞬間、不意に太公望に追い抜かされた。彼は無言のまま一段高くなっている出口まで進み、そこでくるりとこちらを向いた。
「その頃にゃワシら、元始天尊様並のじじぃかも知れんぞ」
 逆光で表情は見えないが実に楽しそうに言う。
「そしたら孫弟子なんかもいるかもしれないね。となるとやっぱり宴会は大勢だね」
「つーことはナニか、あの酒はそれまでずっとおあずけって事か?」
「おあずけとは言わないけど、少し残しとこうね。望ちゃん時々際限なく飲むんだもん」
「そんなのお互い様ではないか」
「そうだよ、お互い様だから♪」
 にっこり笑って受け流す普賢。対する太公望一瞬絶句。そして苦笑して、
「…おぬしには勝てんな」
 登り易いようにと普賢に手を差し伸べた。そして一気に引き上げる。

 その時普賢は気付いただろうか。親友が泣き笑いの表情をしていた事に。―――その約束を果たしたいと思いながら、おそらくは反故にしてしまうだろうと分かっていたから。
 けれどそれは語られることはなく。



 くずした出入り口が再び開かれるまで、それはきっとお互いに秘密。



 後はもう彼らの日常。
「いよおっし、完了!全速力で帰るぞ普賢!!」
「そうだね。でも、もう間に合わない可能性50%近いけど」
「楽しそうに言うでないわぁっ。それならそれでここに居ってはいかーん。計画変更、ダミーの隠し場所に急行する!」
「場所どこにする、望ちゃん。十カ所以上あるけど」
「どこでも良い、まかすっ」
 慌ただしく去って行く黄巾力士。その巨体がいなくなってしまうと辺りは飲み込んだ秘密の存在すら忘れてしまったかのように静けさを取り戻していた。

そしてそれは二十年ほどの長さにわたったのである。



「おい、太公望よぉ。何だってそーいう曰く付きの酒を俺なんかと差し向かいで飲んでんだよ、お前は」
 ここは武王=姫発の自室。満天の星の並びはすでに深夜というより明け方寄りの時刻であることを教えている。
「何じゃい、うまい酒を飲ませてやってるのだからいーではないか。何となく誰かとのみたい気分だったのだ」
 そっぽを向く伏義=太公望。すっかりあきれ顔の姫発は続ける。
「大体お前、さっきまでやってた宴会に普賢さん来てたんだぜ?とっとと約束果たしてやりゃあ良かったのによ。ふらふらしてんのは構わねえけど、顔くらい見せてやれよ、いい加減。色々全部、終わったんだろ?」
「まだ休み足りーぬ。下手に顔なんぞ出したら燃燈あたりに折檻くらうと分かっておるでのー。ほとぼり冷めるまでは絶対見付かったりはせーぬ」
 あさっての方向を向いてひよひよと身体をくねらせながら答える太公望。
「まあいーけどよー」
 部分的にだが時間を置けば置くほどほとぼりが冷めるどころか怒りやら心配やらが溜まっていってる奴らがいるのに、こいつはマジで気付いていないんだろーか。
「今日はワシが酒を用意した訳だから、次はおぬしが用意せえよ♪。また近い内に寄らせてもらうでな」
 それでいて自分のところにはこうやってちょくちょく顔を出して行くのだから、嬉しい反面バレると自分にも災難が降り掛かってくる予感がひしひしと。
「(その内俺の方からバラしちゃる)」
「何か言ったか〜?」
 窓枠に足をかけながら振り返る太公望。
「あ、いや。またなっ」
「おう」
 ニヤっと笑うと黒装束の彼は夜の闇に紛れるようにして姿を消した。
「さーて、俺も早よ寝よ。明日は今日休んだ分まで仕事だもんな」

   やがて明かりが消え、辺りは静けさに包まれた。しかしそれは一時にすぎない。夜が明ければ人間界も仙人界も騒々しい一日が始まる。今は闇の中でも、約束はいつか果たされるだろう。明けない夜は無いのだから。

2001/9月 初出

 

 

 ●駄文な気分●

 桃花酒宴から派生、先に書き上がった物。―――ええ、再録です。この話はサークル「カクタス・カクテル」のコピ本第1弾でした。……もう持ってる方ほとんど居ないはず。居らっしゃったらまあその、時効と言うことで勘弁してくださいごめんなさい。

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