眠りに就く前に 〜周の休日〜
「すまない、頼む。…と言われたのだ」
過去の記憶は時に二重三重に重なりながら、それでも自然にここにある。それをたどることは容易く、違和感を感じることもない。だから、それらは確かに自分の記憶だ。
今の自分が生まれた時のことだって覚えている。原始天尊に連れられて、魂魄のみの失われた非常に都合のいい赤子の身体に宿った時。
未発達な器に宿ったことで一時的に再生不能になっていく自らを感じながら、酷く安心したことを思い出す。そして同時にかすかな罪悪感を。
笑えてしまう。それは馬鹿げた感傷だ。
……誰に対する罪だというのか。
例え枝分かれしようと、この記憶は全て連続している。自らの物に間違いはないのだから。
しかし、だ。現在の自分とその時の自分はやはり同一人物とは言い難い。自らの魂魄を受け継ぐ者―――太公望という生を歩んできたこの自分―――に対し消えつつある意識の中謝罪の言葉を吐いた彼とは、人格としては連続していない。長い時間の中で人は変わってゆくものだが、それとは違う。明らかな断絶がある。その言葉故に。
「それでも何故その思考に至ったかの記憶はあるしそれを理解できるわけだ。……あまりにもな。だからまあ、他人と言うには近すぎるのだが」
そう言いながらうっすらと笑い、杯に自ら酒をつぐ彼は現在 太公望と名乗っている。その事に対して実際の所どうなっているのか尋ねたら返ってきたのはそんな言葉だった。
「ふーん。ま、そうでもどうでも俺はお前のこと太公望って呼ぶけどな」
「おう、そうしてくれ。わしもおぬしのことは発と呼ぶしな」
「んだよ。まだ王様が板に付いてないとでも言う気か」
「カカカカカ、そうは言っておらぬ。…良いではないか、名前ぐらい呼ばせろ」
雰囲気を一転させて明るく笑う相手に一応はふてくされては見せたが、近頃では公の場どころか私的な場ですら武王という名を用いられる自分にとって、長年慣れ親しんだ姫発という名を親しい者に呼ばれるのは耳に心地よい。
多分それを見越した上で甘やかしてくれているのだろうな、と相手を見やれば早くも空にした自分の皿をうっちゃって、こちらの皿を引き寄せているところだった。……あれだけあった干果物は全て食べ終わったのか。
「おン前なぁ……そーゆートコは変わらねェよな。いや、変わったっていや変わったけどよ」
「わしはもう仙道ではないからな。別に良かろうよ」
皿の中身を一つ取ってこちらに戻してくる。発もそこから良く焼けている物を選ぶと、ほどよい大きさに裂いて口に放り込んだ。噛み締めると強い塩気と海の味が口いっぱいに広がる。
「するめは耳だよな、やっぱ」
「いや、ゲソもすてがたい」
「年の割に歯がしっかりしてて良かったな」
「わしはまだ若いわい」
それを認めるのはやぶさかではないが、大人げなくも口を左右に引っ張って歯をむき出しにしなくても良いだろう。
「そんなことしてねーで。ほら、空になってんぞ、注いでやるから」
「ん」
相手はザルだが、それでも多少はまわったのだろう。目元をかすかに赤くして、素直に杯をこちらに突き出してくる。下足を一本銜えたままもぐもぐやっているのはご愛嬌だ。
よく分からないほどの年寄りの癖に時折こうやって見せる外見相応の仕草のせいで、実のところあまり年上という気がしない。かといってこうして共にいれば彼に寄りかかっている自分を自覚しないでもないので、年下扱いしているわけでもない。ただし、頼りにしているのとは違う。
とにかく一緒にいると楽だし、楽しい。多分それは相手も同じなのだと思う。
太公望は未だ蓬莱には顔を出していないのだという。周に、というか発の所には時折ふらりと立ち寄っていくが、交わされる会話のかけらからすると何処かに居を構えているということも無いらしい。
何故、と聞けばおそらく答えてくれるだろう。おぼろげに予想される答えを聞きたくないから、尋ねないけれど。
もう仙道で無いというなら周にいればいいのにと今でも思うが、冗談以上の形では口にしないようにしている。何かを聞けば大抵に答えてくれるのは、おそらく発が彼とは全く違う人生を歩み そして先に果てることを想定してのことだ。一緒にいると楽だし、楽しい。その形を壊すのは引き留めようとするその一言だと発が解っているから、太公望はここに来るのだと思う。
誰でもいいから彼を引き留めて、逃げ出させないで捕まえてやれればいいのに。……自分には出来ないけれど。
出来るのは、それをしないこと。肝心なことは聞かないで。
彼のために。
自分のために。
傾けた徳利はしずくを二、三垂らすと 後は振っても何も出なかった。
「…あん?もう空かよコイツ」
「なんだ、もう終いか」
不満そうに眉をひそめるが、その徳利の中身を手酌で大半飲んだのは太公望だった。軽くにらんでやると肩をすくめて椅子を引く。深夜の酒宴はいつも突然始まりあっけなく終わる。
「もう帰んのか」
「酒も無いでは長居はせぬよ」
「つれねェなあ」
「そう言うな。…次は珍しい酒をどこか見繕ってやるから」
最後に約束を一つ残して、それから頭にぽんと手を乗せて。
手の重みと共に姿も消える。
「いつまでもガキ扱いしてんじゃねえよ、バーカ」
照れ隠しの悪態も聞こえているのかいないのか。多分聞こえているのだろうけれど。
最近独り言が増えたと言われるのはきっと彼のせいに違いないと、ぼやきながら床につくのが姫発の休日の終わり。
2005/11/28
●駄文な気分●
大変久しぶりな文章更新。読んでる方には分かりにくいですが地味に脳内設定詰め合わせな話です。多分太公望Ver.の話もありますね、これ。でないとバランスが取れませんよ。(他人事のように)(書くのは自分だろう)
太公望と発ちゃんの組み合わせってどうしてか書きやすいんですが、その理由の話でもあるような気がします。続きはいずれ。