| The Journey to Italy by The Marquis de Sade in 1975-76. | ||||
| 1775.7.15 | ラ・コスト発 | |||
| モン・ジュネーヴ | ||||
| 7.25 | トリーノ着、発 | |||
| アスティ | ||||
| アレッサンドリア | ||||
| ピアチェンツァ | ||||
| パルマ | ||||
| モーデナ | ||||
| ボローニャ | ||||
| 1775.8.3 | フィレンツェ着 | 町の様子 | フィレンツェ市はアペニン山脈の麓に位置し、アルノ川で二分されています。この川は山脈のすべての川と同じく、厄介なものなのです。これらの川は夏にはほとんど乾上がっていますが、冬にはつねに危険をもたらすからです。この川は都市をほとんど二等分しており、四つの橋で連結されています。 四つの橋のうちの一つ、ポンテ・ヴェッキオと呼ばれる橋が築かれていなかったなら、これらの橋は素晴らしい眺望をなすことでしよう。ところがこの橋(ポンテ・ヴェッキオ)が見晴らしを妨げ、悪印象を与えるのです。 川沿いに、清潔で広くて、かなり美しい家並みの河岸があり、 |
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| サン・ロレンツォ教会 | この教会では、新聖具室を見学するのを忘れてはいけません。この小室にはミケランジェロの最も称賛に値する作品が収められています。そこにはこの上なく壮麗な墓廟が二基見られます。第一の墓廟はヌムール公ジュリアーノ・ディ・メディチのものです。その両脇に「昼」と「夜」の彫像が付随しています。 これらの彫像は未完なのですが、これ以上に生々しく、これ以上に美しいものを見ることは不可能です。第二の墓廟はロレンツォ・ディ・メディチのものです。「曙」と「黄昏」がこの墓の寓意像です。これらの作品は眺めていて飽くことはありませんし、眺めたあとでは、これほどの大家がこれほどの美しい作品を未完のまま残したことを残念に思うだけです。誰であれそれを仕上げようとするほど無謀な者がいないであろうことは、容易に想像できます。 この聖堂の背後に見えるのがメディチ家の礼拝堂です。トスカーナ大公フェルディナンド一世のもとで、一六〇四年に建設が始められたものです。これ以上に華麗で素晴らしいものを見ることは不可能です。コーニスに至るまで壁の仕上げは、すべて宝石でできています。この上なく美しい碧玉や東方の現磯や青金石や玉髄が至るところで輝いているのが見えます。 この美しいモザイク細工が完成すれば大祭壇をすっかり覆うことになるでしょう。この礼拝堂の形には威厳があります。そこに用意された装飾はこの上なく壮麗なものとなるでしょうし、この礼拝堂が完成した暁には、きっと世界で最も美しいものになることでしょう。 |
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| 大聖堂 | サン・ロレンツォ聖堂の後で見るべきは、大聖堂です。これはイタリアでも最大の教会の一つです。一二九六年に建設が始められました。伯爵夫人さま、貴女さまもご存じのように、この時代には、建築はまだゴシック様式でした。最初の建築家はチマブーエの弟子アルノルフォ・ディ・ラーポで、彼が設計をし、その大半を実行させました。 大層美しい円蓋はブルネレスキの作です。けれども、彼がそれを着想したかどうかについては議論があります。ドメニコ会士たちの教会であるサンタ・マリーア・ノヴェッラの回廊の一つの礼拝所の中にブルネレスキよりはるか以前の古いフレスコ画がありまして、そこにもこの大聖堂の円蓋の描写が見られるからです。 この美しい教会の壮大な外観は、白と黒の四角い大理石ですっかり覆われています。 ですが、フィレンツェの教会がみなそうであるように、この教会も正面(ファサード)を欠いており、少々見栄をよくするために建築装飾を幾らか描き込むだけにとどめられています。仕事全体は決して完了したわけではありませんし、この優れた建築にもまだ多くのものが欠けています。 |
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| 鐘塔 | 教会のそばには鐘塔があります。これはジョットの設計によって建てられました。約二七〇フィートの高さがあり、教会の外観と同色の大理石で覆われています。 | |||
| 洗礼堂 | 大聖堂の真向かいにある洗礼堂はイシスの神殿だと言われています。内部は非常な古さを示しています。この八角形の建物の青銅製の三つの門扉の限りなく精巧な細工には、とりわけ感嘆せずにはいられません。この仕事は極美そのものです。 | |||
| ドゥオーモ広場 | この壮麗な聖堂が建っている場所はドゥオーモ広場と呼ばれています。この広場には喫茶店が多くあり、供回りの一行がみな夕方、付近に集まって、一息ついたり、茶菓をとったりしています。この界隈の喫茶店が出す茶菓は上等でして、他の都市のものより格段に優れています。 | |||
| ミケランジェロの邸宅 | まず興味を持って一見する値打ちのあるものは、ミケランジェロの邸宅です。彼自身の設計によって建てられたのですが、この上ない簡素さを漂わせています。この有名な芸術家の子孫であるブオナッロティ家の人々はこの邸宅を見せるのを喜びにしています。画廊には巨匠たちによって描かれた、ミケランジェロの生涯のさまざまな活動を物語っている、種々の絵画で飾られています。そこでは、興味深いことに彼の手になる最初の習作や、若いときに壁に描いた鉛筆デッサンさえ見られます。これらから、彼がいつの日かどういう者になるかをすでに認知できるのです。彼の子孫のうちの、上品さや審美眼を欠いた或る者たちが、この巨匠の幾つかの傑作を譲渡してしまったのですが、こうして彼らは、今日ではフィレンツェに才能や美的センスのある人物の数がいかに少ないか、学芸がいかに退化したか、またどれほど悪趣味が数世紀来、文学や芸術の趣味に取って代わったかを証明したのです。 | |||
| 私がここに引用せずにはおけない一例だけでもそのことの証明になります。大公が、青年貴族たちに不可欠のものであってしかも彼らの身を飾るためにつくられたあらゆる学問を、無料で教授する一種のアカデミアを建てたことがありました。資金を当てがい、教授たちも任命しました。お信じになりますか、伯爵夫人さま。費用のかからぬことならばフィレンツェ人たちは好むはずなのに、この君主の好意と偉大さにふさわしいこのアカデミアは、その創設当初からひどく荒廃してしまったものですから、もはやただ一人の生徒もそこへ通いはしないという有様になっているのです | ||||
| こんな国民から何が期待できましょう。また、ダンテやペトラルカやマキャヴェッリやミケランジェロやその他の人物が、このかつての芸術の祖国に蘇って、自分たちが今日みじめな境遇に追い込まれ、滅亡に瀕しているのを見たとすれば、何と言うでしようか?このような省察は、この国民に快い影を投げかけはしません。少し念入りに調べれば、この国民を大いに栄えることはきっとできますまい。ほとんど一人のフィレンツェ人も自分の子どもたちに読み書きを教えることをしておりません。現在のところただ一人の天才でもこの都市から挙げることは不可能でしょうし、何らかの知識を得たがるあらゆる人びとに対して開放されている素晴らしい公共図書館には、赤貧しか住み着いてはいないのです。私は或る図書館の中で二人の貧しい聖職者を見かけましたが、司書の話によると、館を出入りするのはほとんどこの二人だけで、彼らは家に帰ればパン一切れあるだけの致命的なおぼつかなさに加えて、ほとんど裸同然の生活をしているとのことでした。貴族は、その先人たちが入念に収集した莫大な文学の宝庫を利用しに行くことが品位を落とすことになるとでも思っているのでしょう。放蕩三味にこの遺産を浪費することで満足し、昼の一時を午睡に過ごし、他の時間を女みたいに大きなネッカチーフを首に巻き、頭に麦藁帽子をかぶり、ナイトガウン姿で街路や橋の上をぶらついて夕刻を無為に過ごすのです。こうした身なりは滑稽でもあり、だらしなくもありますが、私見によれば、この滑稽な連中に基づいて風俗や精神を考慮することが許される限り、これは風俗の荒廃と、精神の堅実さや闊達さの不足とを証明するものです。見るもの、聞くものをこのように吟味してみますと、フィレンツェ人は、その本質的価値の点では、取るに足りないものに縮小されてしまいます。 | ||||
| 女性たちとて、もっと甘美な色彩で描かれる値打ちはありません。ここの女たちは高慢で、無礼で、醜く、下品で食いしん坊ときています。この都市の貴族階級全体を通して、きれいな婦人は六人と数えられません。残りはひどいもので、もっと悪いことに、気難し屋で出しやばりです。他のどこよりもこの都市で盛んな婦人へのご機嫌とりの風習のために、外国人がこれらの婦人の誰かに惚れ込んで言い寄ろうとしても近づけそうにありません。どの夫婦も手筈を心得ています。つまり、夫が妻と一緒に行けば礼儀を失することになるのです。この妻は、女に尽くす付き添い男と呼ばれている者を選ぶ必要があります。この男は彼女から片時も離れず、彼女の些細な気まぐれにも屈服して、いつでもそれを満たしてやるのです。それだけがすべてではありません。それだけですめば、私に言わせれば、彼はたいへん幸せ者でしょうが、彼の財布はもろにその影響を被ることになります。謹んで仕えている奥方の支払いをすることが習慣になっているのです。それは付き添い男の任務の、うちでも最も名誉ある特権の一つなのです。 | ||||
| パラッツォ・ピツテイ | ||||
| パラッツォ・メディチーリッカルテイ | ||||
| パラッツォ・ヴェッキオ | ||||
| ウッフィツイ(美術館) | これら三つのギャラリーは偶像彫刻や古代の彫刻断片で装飾されており、とりわけすべてのローマ皇帝の胸像を集めた唯一にして完全なコレクションは注目すべきものです。さらにこれら三つのギャラリーのコーニス部分は、祖国に貢献した偉人たちの全肖像画から成る、たいへん興味深い行列で満たされています。また、これらの回廊は優れた画家たちによる膨大な数の絵画によっても装飾されてりますが、これらについてはよくご存じですので、ここで詳細に立ち入ることは致しません。 | |||
| これら三つの長い部屋から成るギャラリーに沿って、世界中で最も高価な品々のすべてを収蔵している部屋が全部で九つあります。 | ||||
| 第一の部屋 | 第一の部屋は「画家の部屋」と坪ばれ、二つの小展示室から成っています。そこでは三百以上もの著名画家たちの肖像画コレクション(彼ら自身の手によって描かれたもの)が見られますが、このコレクシヨンは最も興味深いものの一つです。私が見たときには、第二の小展示室に、ティツィアーノの愛人だと言われているこの画家のあの名高い作品『ヴィーナス』がありました。それはこの世で最も美しい眼をもち、繊細というよりは目鼻立ちの通った、金髪の美女です。彼女は白いマットレスの上に全裸で横たわり、一方の手で薔薇を散らし、もう一方の手で自然から与えられた部分を覆っています。この姿勢は扇情的であり、卓越したこの作品の美しい細部を逐一鑑賞しても飽くことはありません。私が見たときには、どちらかと言えば凡庸な一人の画家がこの絵を模写しておりましたが、この絵が場所を変えてこの部屋に置かれていたのもそのためだったのです | |||
| 第二の部屋 | 第二の部屋は「偶像彫刻の部屋」と呼ばれ、無数に多くのブロンズや古代の偶像彫刻と、異教徒の儀式に用いられた道具類を収蔵しています。東方由来のアラバスター製の美しい円柱が目に入ります。 | |||
| この部屋には一五〇点ほどの絵画がありますが、すべて極美のものです。この部屋ではとりわけ中央を飾っている書きもの机に注意して眺める必要があります。そこには多数の宝石や、聖史のいろいろの場面を描いた、この上ない忍耐力と綿密さを要求されたと思われる細密画が見られます。 | ||||
| 第五の部屋 | そこを出て降りてゆくと第五の部屋があり、ここはほとんど飾り気がありません。古来の方式に従った二つの球、つまり地球儀と天球儀が見られるだけです。壁面はフレスコで描かれたトスカーナ地方の地図で飾られています。かつてそこにあった算術、天文学と物理学の数枚の図は、階下の博物学標本室に移されてしまったのです。 | |||
| 第六の部屋 | ここからは「トリブーナ」と呼ばれている第六の部屋に通じています。入り口で真っ先に注目を引くのは、かの有名なヴィーナス像です。室内の奥に置かれており、その近くには幅対として、それに劣らず美しいアポロン像が置かれています。 このヴィーナスの作者と古さに関しては意見はいろいろ分かれていますが、いずれにしてもこれは私が生涯に見た最も美しい作品です。これに見取れながら甘くかつ敬虔な興奮が全身に染み通るのを感じますし、また美しい細部を観察していますと、彫刻家がこの見事な作品を完成させるのに五百個もの異なるモデルを用いたとされる伝説にも驚きません。 この作品は、ですから、ギリシャのあらゆる美の成果のようなものなのです。この崇高な彫像のプロポーション、優美な姿、四肢の神々しい輪郭線、そして喉と尻に刻まれた優美な皺は、今日、自然そのものと競い合わさせうるような傑作です。たとえアジアとヨーロッパ中のあらゆる美しいものから選りすぐって用いられたモデルの二倍をもってしても、比較に耐えうるほどのたった一つの産物をはたして供しうるものやら、私には疑わしいです。 その彫像は高さが約五フィートあり、三フィートの台座の上に設置されています。やや前方に傾斜した彼女の姿勢は、後方部分の全体を目立たせるためになされたものなのですが、仮にすっかり直立していたならば、おそらくもっと高く見えたことでしょう。アトリビュートとして役立っている海産二枚貝とイルカは、この彫像がギリシャの海のヴィーナス〔アフロディテ〕であるという説。。。 |
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| マルチェッリ図書館 | ||||
| ヴイラ・テイ・ポッンジョ・インペリアーレ | ||||
| 10.21 | フィレンツェ発 | |||
| 10.22 | シエーナ着 | |||
| 10.23 | シエーナ発 | |||
| ヴイテルボ | ||||
| 1775.10.27 | ローマ着 | |||
| サン・ピエトロ大聖堂 | ||||
| ポルタ | ||||
| サンタ・マリーア・テル・ポーポロ教会 | ||||
| ヴイラ・ジューリア(博物館) | ||||
| サン・パオロ・フォリ・レ・ムーラ教会 | ||||
| サンタ・アニエーセ・フオリ・レ・ムーラ教会 | ||||
| サンタ・マリーア・デッラ・ヴィットーリア教会 | フェリーチェの泉の脇に、マドンナ・デッラ・ヴィットーリアと呼ばれているカルメル会修道者たちの小さな教会が見えます。この教会は、ローマで最も贅を尽くした、最も装飾を凝らした教全の一つです。全体が大理石と金で覆われており、まるで壁面はほとんど消えているかのように見えます。左手の礼拝所はヴェネツィア出身のコルナーロ家に属するものですが、この礼拝所には天使から傷つけられんばかりになっている有名な悦惚の聖女テレサの彫像があります。これはべルニーニの傑作です。この作品は、それを特徴づけている迫真的雰囲気からしても至高なものです。けれども、これを眺める際に、聖女が描かれているのだということだけは肝に銘じておかねばなりません。なにしろ、顔を炎に包まれたテレサの悦惚状態の様子から、これを勘違いし易いであろうと思われるからです。つまり、天使は愛神エロスとして、またテレサはエロスの母親として、つまりキューピッドの邪心の美しき犠牲者として、解釈されても一向にかまわないでしょう。それはともあれ、この彫像は賞賛に値します。ただ私には、聖女の衣紋表現に少々行き過ぎが目につき、また天使が矢を番えている様子にはあまりに気取りすぎた点があるように見えます。ですが、過度の凝り方がベルニーニに持ち前の欠点であることは周知のところなのです。そうは言っても、この彫像の置き場所をもっと良くしたらよいのに、と望まれるところでしょう。あまりに高く、しかもあまりに奥まったところにあるため、この作品をよく観察するのに骨が折れるのです。 | |||
| サンタンテレア・アル・クイリナーレ教会 | ||||
| サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会 | ||||
| ヴィラ・ドーリア | ||||
| カンピドイリオ | ||||
| サンタ・マリーア・ダラコエリ教会 | ||||
| セッテイモ・セヴェーロ凱旋門 | ||||
| サン・ジュゼッペ・ディ・ファレニャーミ教会 | ||||
| サンテウゼビオ教会 | ||||
| サンタ・ビビアーナ教会 | 奇跡について | 祭壇の下に置かれている東方のアラバスターによる贅を尽くした石棺の中には、ビビアーナ、デメトリア、ならびに彼女らの母親ダフローサの遺体が集められていると言われています。人びとは信じたいことを信じているわけです。実際、体刑の後で遺体はテーヴェレ川に投げ込まれるのがほとんど常だったのですから、これら殉教者の遺体が、この石棺におけるように、二人の姉妹とその母親が一緒にこうして同じ家におれるようにさんざん配慮して集められているなどという、可能性がどうしてあり得ましょうか。伯爵夫人さま、貴女さまのように哲学的精神をお持ちの方なら、こんな絵空事はお認めになり難いでしょう。白状いたしますと、私とてもこんな事を事実と想像することはほとんどできませんし、そんな事を信じている人びとの不条理さたるや、私に言わせれば、奇跡以上にもっとむかつかせます。 | ||
| ミネルヴァ・メデイカ神殿 | ||||
| サンタ・クローチェ・イン・エルサレム教会 | ||||
| サン・ピエトロ・イン・ウインコリ教会 | ||||
| サン・マルテイーノ・アイ・モンテイ教会 | ||||
| サンタ・プラッセテ教会 | ||||
| サンタ・マリーア・マジョーレ教会 | ||||
| サンタントレア・テッレ・フラッテ教会 | ||||
| サンテイ・アポストリ教会 | ||||
| サン・ロムアルト教会 | ||||
| サン・ルイージ。ディ・フランチェージ教会 | ||||
| ヴイラ・メデイチ | ||||
| パラッツイオ・テイ・モンテチトリオ | ||||
| サンテイクナツイオ・テイ・ロヨラ教会 | ||||
| サンタ・マリーア・テソラ・コンチェツイオーネ教会 | ||||
| サン・イシドーロ教会 | ||||
| ヴイラ・ネグローニ | ||||
| トリニタ・テイ・モンテイ教会 | ||||
| サンタントレア・テッラ・ウァソレ教会 | ||||
| サンタ・マリーア・ソプラニミネルウァ教会 | ||||
| パンテオン | ||||
| サン・ジョヴァンニ・デッコーラート教会 | ||||
| サンタ・サビーナ教会 | ||||
| サン・ポニファチオ・エ・アレッシオ教会 | ||||
| サンタ・マリーア・デル・プリオラート教会 | ||||
| モンテニアスタッチオ | ||||
| サンタ・マリーア・イン・コスメディン教会 | 真実の口 | ここはむしろ真実の口(ボッカ・デッラ・ヴエリタ)の名で知られています。前者の名称コスメディンは、かつてこの教会がごてごてと装飾されていたことに由来しており、この語はギリシャ語で飾り、装飾を意味しています。後者は柱廊下に見られる、白大理石の大仮面に由来しており、なんでも証人は正直さを保証するためにこの仮面の口に手を入れることを強いられたと言われています。ですが事実はどうかと言えば、この仮面はたんに水飲み場の装飾に過ぎなかったのです。少なくともこれが有名なヴェヌーティの意見でして、彼以後、世界の古い首都のこの記念物の信憑性についてとやかく言う必要は皆無なのです。 | ||
| カラカラ浴場 | ||||
| チルコ・マッシモ | ||||
| サンタゴステイーノ教会 | ||||
| サンタ・マリーア・エジツィアカ教会 | ||||
| フォルトユーナ・ヴイリーレ神殿 | ||||
| ポンテ・ロット | ||||
| フォロ・ポアリオ | ||||
| ヤヌスのアーチ | ||||
| アルジェンタリのアーチ | ||||
| サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会 | ||||
| ヴイラ・ルドヴージ | ||||
| バルベリー二広場 | ||||
| サン・クリソゴーノ教会 | ||||
| サンタ・チェチリア・イン・トラステーヴェレ教会 | ||||
| サンタ・マリーア・テル・オルト教会 | ||||
| サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会 | ||||
| タンタ・マリーアーイン・トラステーヴェレ教会 | ||||
| サントノフリオ教会 | ||||
| サン・グレゴリオ・マーニョ教会 | ||||
| 12.末 | ローマ発 | |||
| 1776.1.初 | ナポリ着 | |||
| 6.18 | グルノーブル着 | |||
| 6.26 | ラ・コスト着 | |||
| 出展:マルキ・ド・サド「イタリア紀行 I」 谷口勇訳 ユー・シー・プランニング 1995年 | ||||