矢代幸雄「受胎告知」新潮社 1973年
寺院建築におけ受胎告知描出の特殊位置
イタリアの町で嬉しいものは広場である。町に散在する所々の大寺の前には、必ず広場がある。各大寺の祭礼に、広場には市が立つ。広場に直して豪族の邸宅と公共的大建物とが並ぶ。それであるから、広場を取り巻くものは、古色に寂びた歴史的大建築である。市が立って田舎から集まる参詣人は、今は田舎にのみひそむ古風な顔と言葉と服装とを持っている。フィレンツェに数ある広場の中で、アンヌンツィアータ大寺の広場くらい、文芸復興期の昔を保守する広場はない。そこを取り巻く柱廊の大部分は、棄子の病院、イタリァの美しい言葉で呼べば『罪なぎ者の病院』、病院の柱廊は、ルヵニァラ一ロッビァの傑作、むつきに包まれた赤児を円形の輪郭に入れたマヨリカ焼の浮彫で、連続装飾されている。広場の鋪石も、一部分は、今もなお亀甲形の古形を残し、中央の噴水には、青銅で鋳た魔物が筋交いに細い水を吹いている。アンヌンッィァータ祭に立つ市くらい、現世に珍しく盛大であって、そしてまた古めかしく、かつトスカーナの地方風俗を示すものはない。近隣の農民がいっぱい集まって来るからである。『聖の極みアンヌンツィアータ大寺』の通俗信仰は、全カトリック国を覆って、昔も今も篤いのである。(p.44)
広場の北側に、ギルランダイオ設計、半月形構図倣入細工の受胎告知を入口の上に輝かしているのが、アンヌンツィアータ大寺である。入口の両側に、物乞い、細長い赤と白の蝋燭売り、マリアは花を好む花売り、キリストの聖心をあらわす金銀鍍金の心臓を売る老爺、こういう雑多な屋台店や人々が並ぶので、いかに各地方からの巡礼者が多いかが、知れる。参詣者は、入口を通ってから、まず壁に囲まれた前庭に入る。アンドレア・デルサルトの名筆がその四壁に聖母一代記の連続画を描いて、学者をして高潮復興期の絶頂はここにありと言わせたのは、これ等の壁画故であった。取りわけ名作は聖母誕生図である。この前庭から再びまんまくをくぐって寺内に入る。一度に暗い。そして群集が膝まずいている。左側の隅に金荘厳の立派な心堂を構えて、四二個の銀燭が眩しいように輝いている。この小堂内には、すべてのキリスト教国にたった一つという最も有名な受胎告知画が蔵められてある、と言う。
伝説によると、いつの世にか、フィレンッェにバルトロメオと呼ぶ腕冴えて心の謙遜な画工がいた。彼は「我等が母」の優秀と完全とをいろいろに思い廻らして或る日、坐っていた。いかに『我等が母』は神の如く美しくして、自分の力では、いかにして彼女をその尊さに於て充分に表わすことが出来よう、と情けなく思って、それで、ふと、睡りに落おた。覚めて見ると、出来かけであった聖母のお顔が、驚くべぎほど立派に、完成されている。確かに、天使が来て描いてくれたか、それともまた、マリア様の真の肖像を描いたと言う使徒聖ルカが、わざわざ天国から降りて来て描いて下さったか、に相違ない-
伝説はこう言うのである。天使或いは聖ルカによって描かれたと伝えられるこの受胎告知画は、人間が肉眼で見るにはあまりに尊いというので常には、前にまんまくを垂れてある。まんまくの上には、アンドレア・デル・サルトの筆でキリストの顔が描かれてある。毎年、春の初めのアンヌンツィァータ大祭には、まんまくをつりあげていわゆる御開帳をするが、前には四二の銀燭がぎらめいて、内側は暗く、名画の正体は、何も解らない。ただ明らかなことは、民心の愛着がどれほど聖母に対して篤く、そしてまた、聖母信仰にどれほど受胎告知の神秘がそれを開く関鍵として重要であるか、を具体的に示していることである。民間では、受胎の聖母は安産のお護りになって、広い信仰が行われている。(p. 46)
「聖の極みなる告知の処女」本寺
このように一般意識に於て信仰と愛着との集まるところ、数多くの名画が、受胎告知の題目の下に作られなければならない。実に、中世末期から文芸復興期の芸術に於いて、いよいよ盛大になって行く聖母信仰に伴って、受胎告知は『東方聖者礼拝』とともに、カトリツク芸術の二大主題を成す。前にも別の方面から述べたとおり、中世末期から文芸復興期にわたっての時代精神は、より明確になって行く自然と人間とへの自覚であった。カトリツク芸術の題目は、この時代精神の伸長をより多く含めば含むほど、流行することが出来、また名作を生んだのである。東方聖者礼拝の図は、あたかも全宇宙の代表者が星に導かれて一地点に会合し、救世主の出生を慶び、新しい世界の中心の形成を祝う大盛典、そこには異人種とその風俗、酪駝、孔雀、猿猴、香料、熱帯植物、高貴な宝石、豪奢な織物等々、初めて人類が多種と異様とに驚きの眼を瞠った自然の諸相の大綜合を描く機会を得たために、受胎告知図に到っては、神の意志と処女の情感とが共感交響する大聖劇、しかしながら、それはまた自由に、人間的解釈を容れて恋愛の心理的構図をも形作ろうとしたために、日に月に進んで行く文芸復興期芸術の全能力は、この両主題の上に充分に発揮されたのであった。したがって名作は忙わしいばかりに生れた。(p. 47)
受胎告知の原典 ルカ伝第一章
新約聖書を読んで、ルカ伝第一章にある受胎告知の抒情詩のような美しさに動かされないものはないであろう。
『--ガリラヤのナザレと名づけた邑の、ダビデの家の、ヨセフと云える人の聘定(いいなずけ)せし所の処女に、神よりガブリエルという天使を遣されたり。其の処女の名はマリアと云えり。天使この処女に来りていいけるは、慶(めでた)し、恵まるる者よ、主爾とともに在す。爾は女の中にて福なる者なり。処女その言を訝り、この問安(あいさつ)は如何なることぞと思えり。天使いいけるは、マリアよ、懼るる勿れ。爾は神より恵みを得たり。爾孕みて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。かれ大いなる者となりて、至上者の子と称えられん……。マリア天使に曰いけるは、我いまだ夫に適(ゆ)かざるに、何にして此の事あるべぎや。天使こたえて曰いけるは、聖霊爾に臨(きた)る。至上者の大能(いきおい)爾を庇わん、この故に爾が生むところの聖なる者は、神の子と称えらるべし。それ爾の親戚エリサベツ、彼も年老いて男子を孕めり。素妊なぎ者と称われたりしが、今すでに孕みて六月になりぬ。そは神に於て能わざる事なければなり。マリア曰いけるは、我は是主の使女なり。爾が曰える如く我に応かし。天使ついに彼を去れり』
心理分析して可能性の多いこの奇蹟は、中世を通じて、神学者およぴ詩人によって種々の解釈と想像とが与えられ、受胎告知に関する教理、伝説、および詩の形成は、空想に乱れ咲く花のように、多様であり、意外である。中世から文芸復興期へかけて、画工や彫師は一般信仰を代奏する注文主に命令され、僧侶の指揮の下に、神学と聖伝説とを典拠として製作したのであるから、芸術上の受胎告知を研究する上にも、ジェームソン、或いはヒルン教授がやったように、受胎告知伝説の進化を精査し、それに応じて受胎告知図の発達を跡づけるのも、確かに一つの方法である。しかし聖伝説を組織化並びに詩化させてゆく心理過程は、それを具体的に自然事実として画面に生かして描いて行く芸術家の心のうちにも同じく行われ、その場合、芸術家の持つ特別な敏感は、聖伝説の蓬化の根本である人間化の問題に最も有力であったから、私は従来の受胎告知図研究で比較的閑却されてぎた芸術家の立場からの進化、換言すれば画面の絵画的進化を主として、この問題を考察して見ようと思う。(p.48)
金色背景の受胎告知画中の最も有名なものは、言うまでもなく、ウフィーツィ美術館の第二室正面を飾るシモーネ・マルティーニ筆のゴティク式大荘厳画である。それはさすがに名画である。シモーネの大たる名声を悦かしめない。しかしながら、後にマリアの心理解釈の場合に考察するように、稀有な天才シモーネのあまりにも人情的な解釈と、それに伴って、一三三三年の製作としては時代錯誤のように繊細微妙な自然描写、否、官能描写、とは、このウフィーツィの名画の内容に或る矛盾を惹ぎ起してはいないか。この画の前にしばしば佇んだ私の心持には、常に一種の混乱があった。人物を見れば、あまりにも察せられる自然女の矯態があった。それがあまりにまざまざとした金光大荘厳の世界に行われている。両者は確かに相矛盾している。(p. 62)
王侯貴族として描いたマリア或いは大天便ガブリエルに、しばしぼ羽根の生えた小天使を侍童のようにこしょうさせて、重たく引摺る錦衣の裾を持たせたりするのである。これ等の北欧画は、それ自身に於て貴族趣味の統一があり、立派でたくはないが、我々が受胎告知の好画題に対して抱く芸術的憧憶と想像とからは、すこぶるかけはなれたものと言わなければならない。ジェームソンはこの種の北欧貴族趣味の作晶を評して、『大礼服を着た大使が参内して女王に信任状を奉呈しているようだ』と言っている。ちようどそういう王朝風俗画としての興味は認められるけれども、かくあるべぎという受胎告知画ではなくなっている。
かくて単純性の貴さそのものから、世界を通じて、フラ・アンジェリコこそ理想的な受胎告知の画家であった、という結論が出て来る。単純に修道院に生涯を送った画家といえども、その想像が単に単純であるとは限らない。反対に、修道院の孤独しょう散の生活を強いられたがために、却って想像に於て複雑と濃厚と塊碕とを貧った僧侶画家が決してないではない。ドン.ロレンツォ・モナコ、ましてフラ・フィリッポ・リッピ等の聖母画には、思いがけない絢欄艶美から、往往にして媚態と見えるものが付着して采る場合がある。フラ・アンジェリコの想像にも、この種の餓えた者の甘美な想像が決して絶無とは言われない。それが識域以下の人間的地層をなしたがら、しかも彼の倫理生活の純一と清浄とが、彼の作画を簡素に、単純に、謹厳にしたからこそ、天と地との恋愛とも見られる受胎告知の題目に、彼は誰よりも適合したと考えられる。前に述べた、彼が修遣院内の出来事として受胎告知画を描いたことは、彼が聖母伝説に従って製作したか否かの問題よりも、そんなことが気にならないほど、彼の単純にして真率な童心に触れさせてくれて有り難い。サン・マルコ修道院内に、彼が受胎告知の二名画を壁画に描いたことは、よく人の知るところである。その一つは柱廊における出来事として描いたもので、これに就いては、すでに述べた。今一つは、白壁のかげる独房内の出来事として措かれている。ともにひたすらに理想世界に描かれていて、両者の間に優劣があるとも思われない。観る者はその時々の己が心の陰影によって、或る時は、早春の夕方に中庭に起った受胎告知の奇蹟を、細い列柱を透かして、目撃したような気持になって、歓ぶ場合もある。(p.71)
中世紀芸術にあっては、受胎告知の場面には、天使の挨拶のほかに、聖霊が神意によって来て、処女マリアを覆う、という光景を描かなければならない。この聖語への文字どおりの忠実が、造形美術の自然法則を破って不合理な伝統的形式を作ることは、察するに難くない。すなわち、受胎告知の光景には、画家は三つの要点を表わさなければ、宗教家を満足させないのであった。第一、神の意思表示、第二、聖霊が処女マリアに臨ること、第三、天使による告知。原始時代の画工は教理に忠実にこの三要素を同時に表わそうとしたから、画面に混乱せざるを得ないのであった。
神の意思表示は、教義的に非常に重要である。画家は画面の中で、神の意思がマリアを選び、神の意思の発動によってこの慶でたい奇蹟が起ったことを、明示しなければならない。そこで古い画家は、間違いなく、天の一方を破って『父なる神』の全身或いは半身を乗り出させ、片手を廷ばして花嫁を指し、他の手には、或いは宇宙を象徴した球形を持たせるか、或いは『我は姶めであり、終りである』という意昧で、ギリシア文字のアルファ、オメガの両字を記した本を開いて見せるところにして、自ら至上者たる所以を証明させるのであった。そしてその神のマリアに対する意思表示としては、或いはマリアに向って祝福の手つぎをするか、或いは彼女に向って神から特別な光明を発射するか、等の行為をするのであるが、北欧の原始画家のうちには、神の口から恐るべぎ光線を発射して、マリアに浴びせかけているところを描いたものもある。このように神の口から光線が発射するとなす解釈は、テルトゥリアヌスその他の神学者讃美歌作者によってしばしば試みられた解釈であって、神がマリアに向けて息を吹ぎかけた、神の息によってマリアが受胎した、神の息は「外に太陽が照る時、窓の硝子を透して美しい光線が流れ込むよう」に天から降下してきた、とする意味を挿絵したのにほかならなかった。(p. 87)