呑気呆恬 良寛さん

呑気呆恬の良寛さん 
呑気呆恬が大好きな良寛さんのことを少しずつ紹介します
過去記事の索引」は、こちらから。 (1月29日更新)
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蛙の歌

34. 雁鴨は(1月29日)

  雁鴨は われを見捨てて 去りにけり
     豆腐に羽根の なきぞうれしき

「きゃはは」、と嬉しくなるような、良寛さんの一句ですね

 この句に対して、なんや、かんやと
人生訓を求めるのは野暮というものでしょう、解説も説明も不要
強いて書くなら、やはり「キャハハ」でしょう
質素な中で、「きゃはは」と人生を素直に楽しめる人は幸せです

 「競争は人類文化の進歩、発展を促進する」なんて
バカな煽動にのせられて、何もかもが「競争」、「競争」
 きちんとしたルールに基づいた、「競争」、仁義を守り、
お互いを高め合う「競争」ならばこそ
過当競争、過剰競争で、凡てを奪い取り
結局は相手の息の根を止めるまで「競争」する現代社会、
はっきり言って、これは「競争社会」ではなく「狂騒社会」
殺し合いの「戦争社会」ですね

 しかし、こういう状況は今に始まったことではなくて、
良寛さんの時代にもあったようです
そうした状況を糾すべく立ち上がるのが良いのか
それとも、あれもこれも含めて「人間の性」と受け止め
「なぜみんな、気付かないのだろうか・・・」と
ただ哀しく人々を見つめ続けるだけか
良寛さんの生き方は、後者でした

 おやじギャグが判らない人のために、老婆心ながら一言だけ説明を
「雁鴨(かり、かも)」は、「雁(ガン)、鴨(カモ)」で
「ガンモ(がんもどき)」に掛けている駄洒落なのです
だから「豆腐に羽根」なんです
判ってた? きゃははは・・。

    呑気呆恬


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蛙の歌

33. 所感ありて(9月19日)

  彼れ是れとなにあげつらん世の中は
    一つの玉の影と知らずて

あーだ、こうだと、書けばいくらでも書けるが、これは分るだろう。
余計なことは書かぬが華

でも、「玉」の影はどっちから見ても○
せいぜい楕円形が伸びるくらいか?

これで判らなけりゃ

世の中は何にたとへんぬばだまの
墨繪にかけるをのの白雪
   

で、どうだ!

「黒」しかない墨絵で、どうやって「真っ白な雪」を描き出すのか

もうこれ以上、何も云わない

この意味を、今自分が生きているこの世の中に結び付ければ、
何が言いたいか、分るでしょう!

どうしても判らんという人のために、
「墨絵に描ける(を)野の白雪」

    呑気呆恬


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蛙の歌

32. 蛙の歌(6月13日)

  あしびきの山田の田居に鳴くかはづ
    聲のはるけき此の夕べかも    

先日、この数年来久しぶりにうるさいほどの
蛙の大合唱を聞いてほっとしたと「ぶろぐ」に書きましたが、
良寛さんも蛙(かわず、かはず)が嫌いではなかったようです。

  小山田の門田の田居になくかはづ
    聲なつかしき此の夕べかも
   

しかし、良寛さんの当時には農薬もなかっただろうし、
田圃の近くにいれば、さぞかしやかましかったことだろうと思いますが、
「声がなつかしい」と詠んでいるのはどういうことだったのでしょうね。

  あしびきの山田の原にかはづ鳴く
    ひとりぬる夜のいねられなくに
   

蛙の大合唱がうるさくて、独りで寝ていられない、てことではないでしょう。
これはむしろ、庭先で鳴く、一匹、二匹の優しい蛙の声だと思います。

  草の庵に足さしのべて小山田の
    山田のかはづ聞くが樂しさ
   

考えてみればこの時代、テレビもラジオもCDもなかったのだから、
音楽というものを聞くこと自体滅多になかったはずです。
きっと、特殊な人でない限り、歌を口ずさむという事もしなかったのではないでしょうか。 とすると、継続的に流れてくる音といえば、小川のせせらぎくらいしか無いでしょう。 こちらはあまりに絶え間なく継続しすぎるし、雨風の音は偶にしかないだろうし、 そういう意味では朝の小鳥の囀りと、初夏の蛙の合唱は、ある意味現代のBGM的に捉えられていたのかも知れません。私たちがオーディオを楽しむように、良寛さんは「山田のかはづ」を楽しんだのでしょう。

  春と秋何れ戀ひぬとあらねども
    かはづ鳴く頃山吹の花
   

やはりこの季節、ちょろりと出ていた新芽、若葉が一気に膨らみ、近所の山(岡)の斜面は押し寄せる津波のごとく緑が吹きだし、道には子育てのために小虫を集める燕が飛び交い、そして夜になると始まるかわずの大合唱、ということで、命の息吹を感じさせられるのでしょうね。蛙の歌

  蛙鳴く野べの山吹た折りつつ
    酒にうかべて樂しきをづめ
   

でも結局は、かはづの声を聞きながら、一杯の楽しむのが、幸せの窮みでしょうね。
納得!

如何ですか?

    呑気呆恬


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何ごとも

31. 短歌「古里に花を見て」(3月9日)

  何ごとも 移りのみ行く 世の中に
    花は昔の 春にかはらず

すべての物事が、とどまることなく移り変わっていくこの世の中だけど、
(この梅の)花の美しさと趣は昔の春と変わるところがない

と、直現代語訳すれば、こんな意味でしょう。

「日々移り変わっていく俗世間だけれど、花の美しさというものは、
どんなに時代が変わってもずっと変わることなく同じだ」という、
梅の花の美しさを詠んだ句、と言ってしまえばありきたりの春の句、
で一件落着ですが・・・。

さて、芸術作品というものは作者がいなくなってしまえば、こっちのもの。そのとき作者がどういう趣旨で作ったか、何を思っていたか、なんてどうせ判りっこないので、ここからが私、呑気呆恬の出番、やりたい放題、言いたい放題、を始めますのでしばらくお付き合いください。

この句は、ただ単に梅の花の美しさを詠んだものではありません。いま目の前に存在する、この現実世界と、そこに生きている私たち人間の本質を読み込んだ、まことに仏教的含蓄に富んだものなのです。と大仰に構えると、そうかそうかさすが良寛さんと、喜ぶ人も多いでしょう。

まっ、無駄口はさておき、説明しましょう。
兼行法師が流れる川の水と、浮かぶ泡沫に例えたように、存在するすべてのもの、私たちが生きているこの世界とその中に存在する全ての物は、一瞬たりとも同じ状態であり続けることはなく、変わり続けています。石や山のように、一見何年も変わることなく存在し続けるように思えるものであっても、実は少しずつ変わっていきます。まして人間の社会は日に日にその様相を変え、正に「生者必滅、会者定離」のありさまです。しかし、それにもかかわらず「咲く花の美しさは、千代に八千代に変わらない」と言っているのです。梅の木自体も、何百年かすれば枯れ果ててしまうというのに。

「変わるもの」と「変わらないもの」、それはどこが違うのでしょうか?
そう、世の中に存在する「実体」そのものは常に移ろい、変わり続けていくものですが、「美しさ」という「概念的なもの」は、時が経っても変わらないのです。

典型的な例は、「名前」です。
人は十年も経つとそのすべての構成要素が入れ替わってしまうと言われています。幼い子供が十年経つと、面影くらいしか残っていません。
生まれたときに「呑気ちゃん」と名づけられた赤ちゃんは、十年後には実体はまったく存在しないわけです。それにもかかわらず、成長し、元気に走り回る別の生物が、「呑気ちゃん」という同一人物として認識され、自覚し、存在し続けているのです。

人は何故か永遠の存在を信じ、汲々として求め続けます。実体は移ろい、変化し続け、消滅していくというのに、そして人間自身も、高々百年も経てば誰しもが死に、消滅するというのに、石で墓を作り、銘を掘り込んで名を残そうと努力します。

良寛さんは、下の句で「花の美しさ」を詠みたかったのでしょうか?
私には、良寛さんは逆に、変わらぬ花の美しさを見て、
「すべては無常。移ろい、消滅していくものだよ。物に執着しても、
儚いことですよ。早く気づきなさい」というメッセージを伝えたかった
のではないかと、独断と偏見で、勝手に想像しています。

お粗末でした。

    呑気呆恬


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ふる雪の

30. 短歌「ふる雪の」(3月4日)

  おく山の 春がねしぬぎ ふる雪の
    ふるとはすれど
      つむとはなしに ふる雪の

和歌(短歌、長歌、旋頭歌)は、
音(おん)の流れが
その歌を味わう上でとても重要です
でも、使われている言葉が現代と違うので、
現代人がそのまま読んでもなかなか意味が掴みとれません
若干、音が変わってしまいますが、
一部を漢字に変えるだけでとても理解しやすくなります。

降る雪の   奥山の 春が音凌ぎ 降る雪の
    降るとはすれど
      積むとはなしに 降る雪の

如何ですか?

    呑気呆恬


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長歌、月の兎

29. 長歌、月の兎
  天雲の
  むか伏すきはみたにぐくの
  さ渡る限り國はしも
  さはに有れども里はしも
  數多あれども御佛の
  生れます國のあきかたの
  其の古の事なりき
  猿と兎と狐とが
  言をかはして朝には
  野山にかけり夕には
  林に歸りかくしつつ
  年のへぬればひさがたの

  今回は、長歌だけあってとても長いです。
  そこで、全文は画像クリックしてご覧ください。
  音読みと簡単な注釈は、こちらからどうぞ。

  みなさんもお聞きになったことがあるでしょう、
  仏教説話のひとつ、「月のうさぎ」です。
  良寛さんは、この説話を自分なりにアレンジして、
  長歌に仕立て上げられました。

  物語の内容自体は、現代人の私には、
  今ひとつ腑に落ちない点もあるのですが、
  それは昔話の共通点で、ものの考え方の違いでしょう。

  慣れないうちは、すぐには読み取れないかもしれませんが、
  何度も読み返し、口ずさみ返すうちに意味が判ってくるのですね。
  やっぱり日本人だなー、と思いました。

  ということで、敢えて口語訳無しにします。
  ほのぼのとした雰囲気が、内容の残酷さと裏腹に、
  伝わってくるところが、良寛さんの技でしょうか。

  ちなみに、同じ内容の別の作品が残っています。
  こちらも比較して、味わってみてください。

     呑気呆恬


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ことにでて

28. 良寛さんの命日(1月6日)

  ことに出ていへばやすけしくだりばら
   まことその身はいやたえがたし

良寛姿 ことば(こと)で言ってしまえばたったひとこと、
とても簡単な「下痢」(くだりばら:下り腹)だけれども
実際に患っている本人にとっては、いやはやもう耐え難いもんだ

今日、1月6曰は、良寛さんの命日です。
天保二年(1831)、享年72歳で示寂(高僧の死)。
良寛さんは、当時の人としてはかなりの長命ですが、
さすがに晩年は様々な病気や老いに苦しんだそうです。

60歳までは国上山の五合庵に住んでいましたが、
行き深い山中の生活を維持することすら大変になり、
その後は乙子神社草庵に移住、69歳からは
唯一の弟子で身辺の世話をしていた、遍澄の勧めで、
島崎の木村家内の草庵に移り住みました。

良寛遺稿 70歳を過ぎた頃からはひどい下痢に悩まされていたといい、
おそらくは結腸癌だったのではないかと推測されています。
如何に人々から崇められ、慕われた良寛であっても、
私たちと同じ生身の肉体を持った人間であり、
人並みの苦しみは受容しなければならず、
またそうであったからこそ私たちにとても近しい、
人間的な親しみを覚えさせてくれるのでしょう。

    呑気呆恬


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このよらの

27. 良寛さんの命日(その2)

良寛遺稿表紙        この夜らのいつかあけなむ
       このよらの あけはなれなば
       をみなきて はりをあらはん
       こひまろび あかしかねたり
       ながきこの夜を

毎夜毎夜、下痢が続き、毎晩毎晩眠れなくて
いつになれば夜が明けるのかと待ちつづけている、
夜が明ければ世話をする女(をみな)が来て、
洩れた便(はり)を洗ってくれるだろう、
本当に長い、この一夜が明けてくれるのを、
悶々と悶え苦しみながら待ちかねている

ryoukanfigures.jpg 晩年の良寛の身辺の世話をしていた遍澄が、良寛没後、
その詩歌を集めて、『良寛道人遺稿』開板の資料としたとされている。
良寛が絶世の書、詩歌を残すことができたのも、遍澄の恩恵が大であろう。
良寛は示寂の際、この遍澄の膝に頭をのせて最期を迎えたといわれている。

     呑気呆恬


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uchitukeni
ryoukanfigures.jpg

26. 長歌冬
     わが庵は 国上山もと 冬まけて
     日にけにみ雪 降るなべに
     ふるさとびとの 音もなし
     行き来の道の あともなし
     うき世をここに 門さして
     ひだのたくみが うつ縄の
     ただ一すぢの 岩清水 
     そを命にて あらたまの
     今年のけふも 暮らしつるかも

 今回は、初めての「長歌」の紹介です。
 そのまま詠んでご自分で味わっていただくのが一番なんですが、
 とりあえず聞き慣れない言葉の意味だけ説明します。

 国上山(くがみやま):  冬まけて:冬らしくなって
 日にけに:日ごと日毎に、日に日に
 門さして:門閉して、門を閉ざして
 ひだのたくみがうつ縄の:飛騨の大工が使う墨壷の墨縄のように細々とした

 何回詠んでも、どうしても意味が読みとれない人は、お粗末ながら私の解釈をどうぞ。

 私の庵は国上山の中腹にある
 いよいよ冬が近づいて、日ごと日毎 雪が降るにつけ
 里人が訪ねて来る気配(里人からの便りの意味でも可?)もないし
 人が行き来したような足跡も見られない
 人里離れた山中で、世間世俗から我が身を閉ざし
 細々と、ただ一筋流れる岩清水
 それだけを命の頼りにして
 新しく年が代わった、今日の一日を生きている。

 ということで、良寛は国上山(くがみやま)の中腹にあった「五合庵」
 という小さな空庵を、地元の友人に斡旋してもらって定住しました。
 四十八歳のときといわれています。
 北国の、不便な山中の小屋での独り住いなので、
 当然冬の生活はたいへん厳しいものだったと察せられます。
 自ら生産することはなく、托鉢のみで生きる生活、
 自らの食にすら窮乏している人からいただく乞食(こつじき)行
 その意味するところは...
 現代人にはなかなか理解できないことだと思います。

     呑気呆恬


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25. 露はおきぬ 山路は寒し立酒を
        食(お)して帰らむけだしいかがあらむ

ryoukanfigures.jpg 良寛、晩秋の歌

冬も近くなり、夜更けの山路は露が降りてどんどん寒くなるので、
今から座敷に上ってゆっくりとお酒を呑んではいられない。
玄関口に立ったままで、熱燗をきゅっと一杯いただいて
体を暖めてから帰ろうと思うが、いかがなもんだろうかなー?

というような内容で、要するに一杯奢って頂戴ということです。
「なんて厚かましい、好き勝手なことを言っている!」
と思うかもしれませんが、それ程に親しくしていた、ということでもあり、
更にそれを歌に詠んでいるという事は、良寛が実際にそういう事を
相手に言ったかどうかは別にして、
「阿部定珍とは、これくらい仲が良いのですよ」という表現なのだと思います。
(意味は判りませんが、阿部定珍との唱和の歌、ということで、
お互いが納得していることは確かですね)

newhibatitetubin.jpg にしても、良寛の詩は実に日常的で、ほのぼのとしていますよね。
さて、いよいよ暖かい日本酒が美味しい季節になってきました。
また、自作の手火鉢を出さなくては・・・。

    呑気呆恬


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24. 夏草の田ぶせの庵と秋の野の
        浅茅が宿はいづれ住みよき

ryoukanfigures.jpg 良寛、秋の歌

朝夕めっきりと涼しくなり、ようやく秋の気配が漂ってきました。
しばらく他が忙しくて、良寛さんのコーナーに手がまわりませんでしたので、秋の気配と共に久しぶりに復活一気に三回分。

良寛は国上山(くがみやま)の中腹に「五合庵」という小さな庵を作って独りで住んでいました。
冬になって山が雪に埋もれると誰一人訪ねてくる人もいなくなります。
夏が過ぎ、秋深まるといよいよ始まる孤独な生活を前に、
親しい友人と、ときにうまし酒を酌み交しながら一夜を語り明かすことも多かったようです。
ある月の清々しい晩、親友「原田鵲斎(こくさい)」と共に田圃の畦に腰掛け、あるいは寝っ転がって歌を詠み交わしました。

夏草の田ぶせの庵と秋の野の浅茅が宿はいづれ住みよき
(返し)
山里と見ればこそあれひさかたの月の光ぞいづれことなる

「夏草の生茂った田圃の庵」と「秋になって茅が生茂った野原の宿」とあなたはどっちが好きですか?
と、いってももちろん「庵」や「宿」があるわけではなくて、
草の野原に寝っ転がって月でも見ようということだから、
当然といえば当然、
「同じ山里のことなんだから、どっちも月の光の綺麗さは変りませんよ」
と返したのです。
うーん、粋ですね、ワイルドですねー。

虫の音の涼しき茅ヶ崎我宿りせむ」なんて、興醒めかな?

    呑気呆恬 ^_^; 


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23. 思ふどち門田の畔に円居して
          夜は明しなむ月の清きに


ryoukanfigures.jpg 思ふどち門田の畔(くろ)に円居(まどい)して
       夜は明しなむ月の清きに


思ふどち:思うままに、気の向くままに、
畔(くろ):あぜ、
円居(まどい)して:のんびりくつろぐ、
夜は明しなむ:夜明かししよう

「今夜は月がとっても綺麗だから、気の向くままに田のあぜに出て、
のんびりと月を眺めながら夜明かししましょうか」
というような意味でしょう。
本当に何の束縛もない、自由奔放な生き方ですね。
現代社会にあくせくと生きている我々からすると、許されないような罪悪感すら感じてしまいませんか?
でも、なにも悪いことはない、本来の自然な生き方だと思うのですけどね。

    呑気呆恬


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22. 訪ふ人も なき山里に庵(いおり)して
          ひとりながむる月ぞわりなき


ryoukanfigures.jpg
そして秋も深まり、いよいよ冬が近くなってくると孤独なひと冬の侘しさがつのり、

訪ふ人も なき山里に庵(いおり)して
        ひとりながむる月ぞわりなき


となり、さらに

秋の夜のさ夜ふくるまで柴の戸に
         語りしことをいつか忘れむ


と、なってくるのですね。

柴の戸:小さな庵、ここでは良寛の住んでいた五合庵


    呑気呆恬


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21. 良寛さん関連、呑気呆恬の愛読蔵書紹介

今回は、良寛さんについて書かれている呑気呆恬愛読書の紹介です。
古今通じて、「良寛さん」をテーマにした書籍は山のように出版されています。
例えば、全国良寛会なる団体のサイトで紹介しているリストだけでも軽く200を超えます。
私自身、すべての本に目を通したわけではないし、人によって好みや評価も違うので、あなたにとっての良い本はきっと他にも沢山あるでしょうが、とりあえず呑気呆恬のお奨めのトップはこれ。

<ryoukannkashuu.jpg 「良寛さま」 カラーブックス (691) 小松 正衛 (著) 価格:¥714

何といっても安くて小さい(A5版ポケットブックというのかな?)。
小さいということは、常にかばんやポケットの中に入れておけるので、
通勤電車内やちょっとした待ち時間など、いつでも何処でも
取り出して見ることが出来ます。
もちろん小さいだけでなく、サイズの割には良寛さんの生涯、
歌や書の作品、童話などすべてが写真や挿絵を含めて簡潔に凝縮されていて、
内容的にもとても充実しています。
良寛さんの入門書としてなら充分で、
私は良寛さんのことを知ってもらいたい親しい知人や友人の送別などのプレゼントに、
素敵な「香のしおり」をつけてこの本を差し上げています。
プレゼント用に私が買い占めたせいか、いま在庫切れ状態のようです。
(Amazonはこちらで見れるかな?)

良寛さんの人物、思想信条をより詳しく知りたかったら、
「良寛」 中央公庫(文庫) 水上 勉 (著) 価格: ¥693 でしょう。
さすが、水上。
よく資料を調べ上げ、さらに自分自身の臨済宗僧暦に基づいた禅の知識と照らし合わせ、
良寛の修行時代の生活や、心の中まで解説しています。
仏教も禅も知らない素人が、勝手に解釈しているものとは、
それなりに説得力の違いを見せつけられます。
(Amazonはこちらから)

ryoukannkashuu.jpg このコーナーでも紹介しているように、良寛は多くの短歌、和歌、漢詩を残しています。
漢詩を除く良寛の歌のほとんどを網羅していると思われるのがこれ。
「良寛歌集」 東洋文庫 (556) 良寛 (著), 吉野 秀雄 価格:¥2,940
単行本: 333 p ; サイズ: 18 cm 平凡社: ISBN: 4582805566 ; (1992/10)
注釈や解説は必要最小限にとどめ、季節に従って列挙しているので、もともと平易な表現の良寛さんの歌を、自分なりに楽しんで詠めます。
こういうものは、型にはまった解説ややたらうがった解釈は不要で、
自分なりに想像逞しく良寛像を思い描くのが楽しいのではないでしょうか?
本書は、例えば冬の休日、昼下がり、ももと縁側で日向ぼっこ、
ちょっと早めのお酒をちびりちびりやりながら、
ぱらぱらページをめくりつつお気に入りの歌を見つけだす、
そんなときにピッタリの書です。
(ああ、なんて贅沢な、老後の楽しみですね)
(Amazonはこちらから)

一方、良寛さんの漢詩といえば、「草堂集貫華」という良寛自筆の漢詩集が残されています。
それを焼きなおし、注釈と解説をつけた本がこちら。
「良寛詩草堂集貫華」 内山 知也 (著) 価格: ¥2,940
単行本: 291 p ; サイズ: 20 cm 春秋社; ISBN: 4393434072 ; (1994/05)
漢詩に関しては説明がないとなんのこっちゃら判らないのでこの本を購入しましたが、
本書の解釈については何も言いません。
(Amazonはこちらから)

                     呑気呆恬


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furuhasakura

20. うらをみせ おもてをみせて 散るもみじ

sakura.jpg 良寛、辞世の句

一年ほど前に、掲示板上で良寛さんの「辞世の句」にふれたことがありました。
でも、そういえば、と見直してみると、このコーナーではまだ取り上げていませんでした。

というわけで、今回は「良寛、辞世の句」です。

この句は、晩年の良寛と出会い、最後を看取った貞心尼の歌

生き死にの 界はなれて住む身にも
    さらぬ別れのあるぞ悲しき


に対する良寛からの返しだそうです。

良寛さんにとっては、生き死にも、まさに木の葉が落ちるがごとく
自然で、当たり前の現象だったのです。
厭世的だとか、無気力だ、果ては人の心を持たない鬼畜生かと、
非難する人も多いだろうと思われる今の世の中ですが、
生きているときの質は考えることも無く、死を厭い、
闇雲に長寿ばかりを求める現代人より、遙かに人間的だと思います。

臨終の真際に、「偈」を乞われて返した言葉は
ただ 「あゝ」だったそうです。

ちなみに、良寛さんの生涯の略歴はこちらから

    呑気呆恬


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furuhasakura

19. ひさかたのあまぎる雪と見るまでに
          降るは桜の花にぞありける


sakura.jpg 良寛、春の歌

久しぶりに良寛さんの歌をアップします。
いつの間にか春たけなわで、一気に四首紹介。

いやー、まさにそのまま。
今年の春は暖かかったので、幾度も出された
桜はすぐに散ってしまうとの予想に反して、
以外にいつまでも満開の煌びやかさを保ち続けてくれました。
きっとこれからでしょう、桜嵐が降るのは。
桜吹雪にまみれると、しらず子供の気分になってしまうのは
誰しも変らないことだと思います。

春に浮かれて私も一句、 ひらひらと 桜の下のあまやどり

さらに調子にのって、 春雨に 宿る肩にも花吹雪

    呑気呆恬 ^_^; 


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uguisukomuha

18. 見ても知れいずれこの世は常ならぬ
            遅く疾く散る花の梢を



なんだか、どんどん激化する競争社会。
どんなに急いでも、結局は散ってゆくだけなんだよ。

意外に春をうたったものは少なく、その中でも桜は梅よりさらに少ない。
もっとも多いのは、厳しい冬を迎える晩秋の歌だそうです。
ryoukanfigures.jpg 冬は雪に閉じこめられてすることがなく、
想いに耽ることが多いから、
歌をよむ時間が多いから、
ともいえるのですが、それだけでもないようです。

浮かれた春が詠みにくいのは、なんとなく判る気がする。

呑気呆恬


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uguisukomuha

17. 鶯のこの春ばかり来ぬことは
          こぞのさわぎにみまかりぬらし



余計なお節介ですがちょっと説明。
今年に限って春になっても鶯が鳴かないのは、去年の騒ぎで死んでしまったのだろうか?
その中には、暖かくなると雪深い庵に訪ねてきてくれていた親友が、今年はまだ来ないことを心配する気持ちが込められているわけです。

ryoukanfigures.jpg さて、良寛さんの真意はいざしらず、
昨今の世情にこの歌を見ると、
なんだかおどろおどろしい胸騒ぎを覚えてしまうのは、
私だけなんでしょうか?

呑気呆恬


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umekanunokoromo

16. 梅が香をぬのの衣につつみてば
          春は過ぐとも形見ならなむ


光源氏さんなどは、「梅が枝」などという梅花香を、
豪華な着物の袖にしっかりと焚き込めて、
廊下を行過ぎるだけで光源氏だと判るほどの香りを漂わせていたそうです。

それに較べれば良寛さんの場合は、
おそらく粗末な単衣の墨染めの衣に、
淡いピンクの桜の花びらをそこここに貼りつけて、
鼻で判る匂いなどはぜんぜんしないけれど、
いかにも満開の桜の下を愉しく歩いてきたという、
そういう余韻をどこまでも漂わせながら、
ふらりふらり、ひょこひょこと野辺の小道を歩いてる、
そんな姿が思い浮かべられますね。

世間では、桜が咲けば花見の強迫観念に強いられて、
碌に花を見ることもなく、呑んでカラオケ、ドンちゃん騒ぎ
(だ、そうです、行ったことがないので知りませんが)。

本当の、春のうらうらに酔いしれるには、人のいない早朝が一番!
まだ、あたりは朝露にしっとりとした空気に包まれて、
顔を出し始めた朝陽に少しずつ照らされて、目を覚まし始める満開の桜。
たくさんの小鳥が、桜の花をひとつづつ覗いて挨拶をするように蜜を啄ばみ、
枝えだを跳び渡っていく様子は、
心の芯から命の喜びを感じさせてくれます。

呑気呆恬


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uchitukeni

15. 良寛直筆の般若心経

ホームページを「般若心経」に変更したので、
それに因んで、良寛さん直筆の「般若心経」をご覧に入れます。
今どきの葬儀家業で儲けているようなお寺はともかく、
曹洞禅の真髄は、やはり「般若心経」でしょう。

呑気呆恬


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yononakahasonae

14. 世の中はそなへとるらしわが庵は
     かたを絵にかきて手向けこそすれ


世間の人は鏡餅を注文して飾るようだ、
私の庵では絵に描いた餅を手向けるだけだが


良寛さんらしい、質素なお正月の様子です。
それでも信仰の気持ちだけは忘れていません。
ryoukanfigures.jpg そのまま、何も云うことなし。

お正月に因んで紹介しました。

呑気呆恬


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imayoriha

12. 今よりはつぎて白雪ふりぬべし
     衣手さむしけさのあしたは


これからは毎日続けて白雪が降るんだろうな、
今朝の明け方はとても寒かった

13. いまよりはつぎて白雪つもらまし
     道ふみわけて誰か訪ふべき


これからは毎日続けて白雪が積もるんだろうな、
雪道を踏み分けてまで誰がこんな山中の庵にまで訪ねてきてくれるだろうか
真っ白な雪に被われた冬景色を見るのは好きだけれど、
厳冬期になると誰も訪ねて来てくれず、長い間の孤独なー人住いが続く。

経験がないので判りませんが、
山中の小さくて不便な庵でのー人住いはどんなものなのでしょうね。
もちろん便利な電気も水道もなく、粗末な布団に囲炉裏
そしてわずかな什器があっただけのようです。

呑気呆恬


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tamahokono

11. わが宿のすすきがうへのしら雪は
     千とせ見ればか飽くこともあらむ


わが宿のすすきの上に積もる白雪も、
千年くらいも見つづければ、ようやく飽きるかもしれない
で、千年も観続けないと飽きることはない、

それほど素晴らしいという逆説表現でしょう。


呑気呆恬


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uchitukeni

10. 地しんは信に大変に候。野僧草庵ハ何事なく、
     親るい中、死人もなく、めで度存候。

  うちつけにしなばしなずてながらへて
     かかるうきめをみるがわびしさ

  しかし、災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
     死ぬ時節には、死ぬがよく候。
  是ハこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ


今回は前回と同じ、三条大地震のときに別の友人、与板の山田杜皐に送った書簡ですが、
あとがきが面白い。
こうありたい、これは嫌だと自分の勝手を言わないで、現実の流れに身を任せ、
災難も死も自然の成り行きとして受け入れれば、どんな災難も災難でなくなってしまう、
ということですね。
「まあ、自分が助かったからといって禅僧らしい好き勝手なことを言っている」
と受け取れなくもないのですが、禅を極めた良寛さんの心中を少し詳しく察してみましょう。

いつからか、人は「誕生」をやたら喜び、「死」を忌み嫌うようになってきました。
本来、ひとつの「誕生」には必ずひとつだけの「死」が伴っているのです。
それなのに、必要以上に「死」を嫌い、隠してしまおうとしています。
昔は、「死」はもちろん悲しい事ではあるが自然の経過として大切に見守ってきたと思います。
人が死ぬときは、自宅で枕頭に家族が集まり、厳粛にその死を見守っているのがあたり前でした。
今は、たとえ高齢の大往生であっても、自宅で大勢の家族、縁者に看取られて死ぬことはなく、
必ず病院のベッドの上で、チューブにつながれて話しもほとんどできない状態で、
機械に看取られながら、いつの間にか死んでいくようになりました。

人が近代の科学技術を手に入れ、「病気」や「命」をコントロールできるようになり始めるとともに、
「死」をも自分たちの自由にしようと考え始めました。
わたしは別に、「神の心に逆らった不遜な行い」などとは言いません。
ただ、自然の本質に逆らおうとしても、それは無駄な悪あがきでしかないと思うのです。
一本の紐には必ず二つの端が存在します。
「誕生」という端だけで「死」という反対の端が存在しない紐はありえません。
不可能な高望みをもち、その欲望を先へ先へと推し進めることによって、
どんどん不幸感を大きくしている事に気付くべきでしょう。
われわれは神の高みへ近づこうとして建てたと言われるバベルの塔のことを、
馬鹿げた行為として嘲いますが、今「生命」を読み解こうとしている分子生命科学は、
一体何を目指しているのでしょうね。
誰も「不老不死」を目指しているなどと明言はしません。
でも、生命科学が進んでいく先をよく考えてみれば、
結局暗黙裡に指向している先は、 私には「バベルの塔」にしか見えないのですが...

行き着く先のない望みを求めて、死ぬまでの期間をただひたすら苦労して、
不幸のうちに生きるのか、今の命の幸せを甘受しつつ穏やかに「死」を受け入れるのか、
さてどちらが人間らしい生き方なんでしょうね。

呑気呆恬


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uchitukeni

9. うちつけにしなばしなずてながらへて
      かかるうきめをみるがわびしさ


この句は、私が大好きな良寛さんの句のひとつですが、まず解説が必要でしょう。
文政十一年(1828年)11月12日、越後を襲、った「三条大地震」の後、
親友の阿部定珍からもらった見舞状に対する返書と考えられています。
良寛の庵は無事だったようですが、潰家1300余軒、死者1600余人という大災害でした。
全文をそのまま現代の文字に書き直しますと

先日大地振(震)、世間
一同の大変に候。
野僧草庵は何事も
なく候。
うちつけにしなば
しなずてながら
へてかかるうき
めをみるがわび
しさ
来春 寛々(ゆるゆる)
御めにかけ申上度候。
かしこ
臘八   良寛

定珍老  良寛

と、なります。
歌の部分は、万葉仮名を使っているので、ひらがなとの対応で想像してみて下さい。
さて、内容ですが、(「うちつけに」は「突然」、「いきなりに」の意味です)

(この大災害で)いきなり死んでしまっていれば良かったものを、
死に損なって生き長らえたおかげで、こんな悲しい有様を見なければならないとは
・i人生)わびしいものだ、

てなところでしょうか。
「憂き目を見るがわびしさ」の部分は、自分がひどい目にあって悲しい、というよりも、
良寛さんの場合、辛い目に遭っている人々を見ることが耐えられないと、解釈しましょう。
良寛は、いつもすべての物事を他人事のように超然と眺めて暮らしているように見えます。
もともと、良寛はほとんど何も持たない無一物の状態だったので、仮に被害にあっていても、
自分の命以外には失うものすらなかったのも事実ですが。

さて、良寛さんは自分では一切働かず、人々の施しだけで生きていました。
自分は働かず人に頼って生きていて、「悟り」だ「解脱」だと言っても
私たち一般人にはなんのことだか腑に落ちませんね。
もしもすべての人が悟りのために働かなくなったら、みんな揃って飢え死にです。
なぜ、良寛さんは働かなかったのでしょう?
もちろん、禅宗の中にはきちんとした意味や説明があるのでしょうが、私は知りません。
ただ、ひとつ言えることがあります。
「人が何かを見ようとするとき、その人はその対象物の外側にいないと、
そのものを見ることができない」ということです。
地球に住んでいる人間は、地球が丸くて太陽の周りを廻っているなんて判りません。
飛行機に乗って高空へ飛び上がって初めて地面が丸いこと、を実感したのでしょう。
人工衛星やスペースシャトルが当たり前の時代だから、子供でも地球が丸いと知っていますが、
自分の目で確かめた人はどれだけいるのでしょうか?
縄文時代、弥生時代の人は、自分の住んでいる地面がすべての世界だと思っていたでしょう。
その地面が水に取り囲まれていて、その遥か向こうには大きな大陸があって、
別の人間が住んでいるなんてことは絶対に想像できなかったはずです。
ある日突然、海の向こうから人がやって来て初めて、別の世界が存在することを知るのです。
今でこそ科学の力と想像力で、宇宙のどこかに人間のような生物がいるかも知れないと、
予想することができますが、あくまでも「想像」です。
人間という枠の中にいる間は、ガスのような、あるいは岩石のような高等生物に出会っていても
ぜんぜん気付かないかもしれませんよね。

現代の人間は地球から飛び出したので「地球」を「見る」ことができます。
では、「宇宙」はどうでしょう?人間はまだだれも、観測機械すら
「宇宙」から飛び出していないので、「宇宙」を外から見ることができません。
人間は「宇宙」の内部に居て、内側から「宇宙」を眺めているだけだから「宇宙の果」が
どんなもので、どこにあるのかまったく想像もできないのです。
で、ようやく話しを良寛さんに戻します。
そう、良寛は人間社会から離脱して、逆に人間社会のありのままの姿を見つめていたのです。
自分自身が社会の内側に居て、自分が社会的営みを行っている間は、どうしても
人間社会の本当の様子を観ることはできないでしょう。
きっと良寛さんは、自分は社会の外側に飛び出して、気付いた人間の姿を
社会の中に生きる人々に伝える役目を果したかったのだと思います。
「みんな気付いてよ、皆さんが正しいと信じ込んでやっている多くのことの愚かしさに!」
と、いう声が聞こえてきそうです。
私たちは、そういう人の言葉に耳を傾け、有用なことを利用して生きていかないと損なのです。
多くの観測用人工衛星を打ち上げ、そこから送られてくる多くのデーターを利用して、
便利な生活を送っているのと同じことですね。

呑気呆恬


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satokorano

8. 里子らの吹く笛竹もあはれきく
      もとより秋のしらべなりせば


近所で遊んでいる子供たちが吹いている竹笛の音が、どことはなしに物悲しく聞こえる。
もともと(竹笛は)秋の調べなんだから(物悲しいのは)当然のことなんだ
けれど、(それでもこのしみじみとした音色は心に沁みる)

上級公務員が多く住んでいるという、ある公務員宿舎で、
夏休みの朝のラジオ体操がうるさいと中止になった、という話を聞いた。

今、我が家の近所には十歳以下の男の子、女の子がたくさんいる。
夏場の昼下がりなど、きゃーきゃー、ぎゃーぎゃーうるさいことこの上ない。
冷房を使わない我が家では当然のこと、窓は開け放し。
えーかげんにせい、と怒鳴りたくなるほど、子供たちの騒ぎはけたたましい。

しかし、ちょっと待てよ。
これだけの子供が近所に住んでいて、
まるで高級住宅街のように深閑と静まり返っていたらどうだろう。

おかしい、へんだ、そんなことはあってはならない、日本の将来は闇だ!
そう、子供たちは常に割れんばかりの大声を上げ、走り回り、
適度に喧嘩して、たまにはいたずらもして、それがあたりまえなのだ。
むしろ、そうあるべきではないのだろうか?
近所の大人たちも、子供たちと一緒になって遊んでみたり、
たまには悪がきを怒鳴りつけたりしながら、さりげなく成長を見守っていく
そうあるべきものだろう。

そういうコミュニティができていれば、子供の誘拐や通り魔事件などはほとんど無くなるに違いない。
街のかしこに監視テレビカメラを設置して、
安全優先だプライバシー保護だと騒ぐなぞ、本末転倒、愚の骨頂!

一日テレビの前に転がっているおやじたちよ、
土日の休みくらいは近所に出て、己が子供、近所の子供と遊んでみようよ。

呑気呆恬


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tamahokono

7. たまほこの道のひまごとしをりせむ
      また来む秋は訪ね来むため


たまほこ:道に付く枕詞
ひまごと:隙間隙間に、
しおり:道しるべに枝を折りまげる

今年もまた、秋の季節が近づいてきた。
もうすぐやってくるであろう秋が、
間違いなく私のところへも来着てくれるように、
道々小枝を折り曲げ、道標を付けておこう。

良寛さんは秋がとてもすきだったようです。
人里離れた山の庵に一人住まいしていて、ただ寂しいというだけでなく
冬になって雪が降ると食べるものにさえ不自由する生活だったはずだ。
秋は木の実、果物がなって食べ物のおいしい季節ではあるが、
その後に迫ってくる冬の厳しさを思うと、
単純に秋のもの憂さを楽しんでばかりはいられないはずである。
先の苦労をくよくよ思い悩んでいず、いまからおとずれる
季節の素晴らしさを、存分に味わい、楽しもうという気持ちが伝わってくる。
能天気といえばそうなのだが、これもひとつの生き方を示していると思う。

現代の競争社会、物心ついた頃から他人の一歩先に立ち、
競争に勝ち抜き続けなければ、ろくにまともに生きていけないこの世の中、
特に楽な生活や名誉を望まず、のんびりと今の幸せをかみしめ、味わう、
そういう生き方が、「怠惰」「怠け者」と非難され、排除されていく。

競争し、進歩進歩と先を争い、しかとて己の行く先が本当に見えている訳でもなく、
ただ周囲の他人に勝ち名を上げること、それがいつしか目的となり、
己が幸せに気付かず見過ごしてしまう。

ただそれだけならまだ罪も軽かろう。
幸せを味わってのんびり生きる者を非難し、否定し、排除する権利は無いはずだ。
民主主義の世の中は、他人に害を及ぼさない限り、各自の生き方、主張を尊重するものではなかったか?
自分勝手な正義、真理を主張し、他人に強制する、今の自由主義国家はすべてどこかおかしい。
一部の、闘争好きな人間たちに、世界中が振り回されていると思う。

良寛の時代にも、同じことがあったようです。ねっ、良寛さん?

呑気呆恬


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kakubakari

6. かくばかりありけるものを世の中は
      何朝がほをもろしと思はむ


窈冥居士都良が身まかりし頃、前裁に朝顔のいと清げに咲けるを見て

(人は死ぬ。)
世の中というものは実はこんなに儚い(はかない)ものなのに、
どうして人々は朝顔のことばかりを儚いものだと言うのだろうか。

というのがおおよその意味でしょうか。

朝顔の花は朝に開き、夕べには萎れてしまう
人の生に比べればタイムスパンがとても短いから、
その始と終わりを続けて見ることができる。
だからはかないものと哀れむのだが、実は人間自身も生まれたら必ず死ぬものなのだ。
自分では、始まりも終わりも見ることができないものだから、
どうしても自分は別のように思ってしまう。いや思いたがるのだろう。
生まれてくる赤ちゃんも、死んでいった友人も、
そして朝顔の花も、
自分と同じく、始まりがあり終わりがある、
ただそれだけのものなのである。

呑気呆恬


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konoyosae

5. この世さえ うからうからとわたる身は
      来ぬ世のことを何思ふらむ


これは、良寛さんの真髄を言い当てた句です。
  そして,私がいちばん好きな良寛さんの句のひとつです。

人は、競い合い、戦い、周りの人を蹴落として
           生きているのが現代社会のようです。
「進歩」、「発展」という言葉に騙されて、
       自分でもいまひとつ判らぬ目標に向かって突っ走っています。
果ては「平和だ」、「自由だ」と言いながら戦争をし、殺しあっています。

怠惰だ、怠け者だと言われるかもしれませんが、
   生きていることの喜びを味わいながら、のんびりと生きていくことは、
     本当にいけないことなのでしょうか?

今の日本では、楽しむことすら、
  最新のアミューズメントへ行ったか?
    最新機器は持っているか?
  とコマーシャルに踊らされて右往左往しているだけのように思われます。
超大型高精細のテレビを買うために、高級車を買うために、
  64万色ギガビットデジタルカメラ付きの携帯を買うために、
    必死で働いているのは、どこかおかしいと思いませんか?

次から次へと,新しい物、便利なもの、刺激的なものが作り出されてくるので、
本当に自分が心から楽しめるものを見付けだすことが、とても難しい世の中だと思います。

余計なことは思い悩まず、「うから,うからとr」のんびり生きていきましょう。
;
この世に生まれたからには、人は必ず死ぬのです。

呑気呆恬


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4. 良寛さん御姿
RargFigure
右の良寛さんの肖像は,「良寛道人遺稿」に載せられているもので,
おそらく最もよく良寛の風貌をとらえたものと考<えられています.

「良寛道人遺稿」というのは慶応三年,編者蔵雲和尚によってわが国で最初に刊行された良寛の詩集です.
蔵雲和尚は良寛和尚の遺稿を見て感銘を受け,五合庵を訪ねたり,貞心尼とも会い,良寛詩集の出版を思い立ったそうです.

この肖像画は晩年の良寛の弟子で,最期を看取った貞心尼や遍澄が描いた原画を蔵雲和尚が仕上げたものとされている.

呑気呆恬


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araikeya

3. 新池や かわず飛び込む音もなし
frog4.jpg
これは勿論、かの有名な松尾芭蕉の俳句
「古池や かわず飛び込む水の音」
のパロディです。
でも、しかし、決して呑気呆恬の作ではありません。
れっきとした良寛さんの作だそうです。

一人住まいをしていた国上山(くがみやま)の五合庵に、小さな池を作った時の作ですが、さてこれはただのいたずらだったのでしょうか、それとも奥深い悟りの境地が詠まれているのでしょうかね?

一切働くことはなく他人から食べ物などを恵んでもらい、毎日ふらふらと子供と遊び暮らし、歌を詠んだり書をかいたり、なんともうらやましい乞食坊主の姿ばかりが伝えられている良寛さんですが、若い頃にはきっちりと修業をして曹洞<禅を極めた高僧としての実力者なのだそうでキ。
一休さんを初め、真摯に佛教を極めた高僧の多くは、お寺という社会システムに支えられ順応した宗教には見切りをつけてお寺からとび出しています。
今も昔も、システム化された宗教というものはすぐに腐れてしまうものなんですね。
一休にしても良寛にしても、寺院のあり方を痛烈に批判した文を残しています。
今後は、良寛さんの真面目な面も徐々にご紹介していくつもりです。

呑気呆恬


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uguisuno

2. うぐひすの 初音は今日とわがいえば
      君はきのふといふぞくやしき

uguisuhatune.jpg
比較的晩年、故郷の新潟県出雲崎に戻り、
国上山の五合庵に一人住まいをしていた頃の作

折々行き来していた仲の良い友人の一人
原田鵲斎の歌、「我が宿の梅も咲かねば鶯も
いまだ鳴かぬに君は来にけり」への返しだそうです。

楽しいですね。
「まだ梅も咲かないし鶯なんか鳴いてもいないのにやって来るなんて、
あんたせっかちだね」と言われて、
「私が今日鶯の初音を聞いたよ」と言っても、あんたに
「もう昨日聞いちゃったよ」なんて言われると悔しいからだよ
と言い返した、なんてところでしょうか。
本音はきっと、ただ一緒に一杯飲<んで世間話をしたかった、というだけなんでしょうが。
こんな歌なら作れそうな気がしませんか?
平易なのにすごく調っている、良寛さんの歌はそんなのが多いのです。

呑気呆恬


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uguisuno 1. おしなべて 緑にかすむ木の間より
     はるかに見るは 梅の花かも


いつごろの作か判りませんが、ちょうど今の季節にぴったりでしょう。
茅ケ崎の赤羽根にもちょうど同じような処があるのです。

昨年の春にも紹介しましたが、西光寺の裏山に
とても手入れの行き届いている梅林があります。
西光寺の手前辺りから眺めると、まだ灰色の山あいの木々の間に
ぼんやりと色づいた一画が、その梅林です。

晴れた春日に散歩で通りかかると、だいぶん色付いたようだから
一度上ってみようか、なんて穏やかな気持ちにさせてくれます。

花の近くで香りと一緒に楽しむのもいいですが、時には
遠くからぼんやりととけ込んだ色合いを眺めるのも、
またおつなものです。

呑気呆恬

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はじめに

最近の「呑気呆恬の館」は、イラク問題などへの怒りでなんだかとげとげしてきていました。

最初は、茅ケ崎の素敵な処や愛犬ももちゃん、日頃ふっと気が付いた事などを
徒然なるままに書き綴ろうと思っていたのですが、だんだん変わってきてしまいましたね。
もちろん見ない振りの出来る問題ではないので、これからもイラク問題などは続けていきますが、
本来の趣旨を取り戻そうと反省した次第です。

このコーナーでは、私の尊敬する良寛さpんのことを紹介しようと思います。
良寛さんは曹洞宗の禅を極めた後故郷新潟県出雲崎に独居し、数多くの句や漢詩、書を残しました。
中でも短歌は、口ずさむととても穏やかで暖かい気持ちにさせてくれるものが多いです。

できればそうした短歌を紹介すると伴に、いつもぶらぶら遊んでいた愚鈍和尚、良寛さんの心にも迫ってみたいとおもっています。

呑気呆恬

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 Warning  2004年3月26日 (金)

 ここに掲載している内容は全てオリジナルで、著作権は呑気呆恬に帰属します。
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