のの心の広場

 

<お薦めの本>

 

1.「他人を見下す若者たち」

2.「喜びの旅路」−狭間を生きるキリスト者たち−

3.本当に赦すということ―この最もやりがいのある神からの願い―

 

 

 

1.「他人を見下す若者たち」 速水敏彦 著者

    講談社現代新書  定価750円

【書評】

 現代の若者のやる気や動機が低下しているのは日本の高度経済成長と関連がある、と著者は分析する。戦後半世紀、日本は経済大国となるため、各人がプロ意識を持って必死に頑張ってきた。
それが他者を馬鹿にすることに繁がり他者に共感しない殺伐とした時代に向かわせている。そこから自己肯定感の渇望が生まれ「自分は並以上だ」という感覚を持とうとし、現実を自分に都合よく解釈したり想像したりする、という。
 著者によれば、その偽りのプライドを持つと、努力を軽視するために失敗し、失敗を認めたくないために先手をうって他者を馬鹿にする。その結果、周りと望ましい人間関係が形成されず、他者にあまり共感しない。共感性に乏しい現代の若者は、本物の悲しみや喜びに乏しい、というのだ。
 そして著者は、このような傾向にある若者の脱却の解決策として(1)しつけの回復(2)自尊感情の強化(3)感情を交流できる場を増やすことなどを述べている。
 確かにこれらの解決策は、現代の若者の自尊心や他尊心を育成し、良き社会形成をなすためには有益だといえる。しかし、解決策だけなら多くの人が語れると思うし、人々も知っているように思う。それをどう実践するかで人々は困惑し,助けを求めているのではなかろうか。本書では、他人を見下す若者たちの概念的理解はできるのだが、彼らと具体的にどうかかわればよいのかが記載されていない。もちろん、概念的理解は、心的理解に変革するかもしれないので、その意味では非常に有益な書物だとはいえる。
 なおクリスチャンにとって一番大切なのは、キリストの御腕の中へ常に帰ることだと私は思う。彼こそが愛の源泉であり、人間は愛してくれる人とたくさん時間を共有する中で愛を知り、愛を他者と共有できるようになると思うからである。それこそが現代の若者の真の自尊心と他尊心を育み、良き社会形成を成しえる道であるように私は思える。

<リバイバル新聞掲載>

 

2.「喜びの旅路」−狭間を生きるキリスト者たち−
    ジェームズ・フーストン著、長島勝訳

    いのちのことば社   2520円

【書評】

自己完結しない「個」

 

 霊性神学のパイオニアJM.フーストンの最新作の翻訳をカウンセラーの視点から読ませて頂きました。
  この本は、誠実なキリストの証人になる事はどういうことなのかを3部に分け、1部2章ずつ全6章に分けて深く言及しています。
 特に目を留めさせられたのは、「孤独は、私たち一人一人が独自な存在であることの必然的な結果なのです。しかし、孤独は、私達の人生において神が臨在してくださるための余地(スペース)を与えます。」という一文です。このスペースの意味がセキュラーのカウンセリングの意味と大きく違う事は、目に留めるべき重要なポイントのように思われます。セキュラーでいうスペースは、個(自立した存在)になるためのスペースを意味しますが、著者のいうスペースは、個(関わり存在)になるためのスペースを意味します。著者のいう個(関わり存在)即ち、関係の中で生きる人間になることは、「苦しみさえも届かない神の深い愛の内に根を下ろさない限り」不可能な事です。言葉を変えて言えば、神の愛を知っているつもりではなく、神の愛を真に知るキリスト者でない限り、人との関わりの最中(日々変化する最中)に生きる存在にはなりえないのです。それは、著者がいうように決して生易しいものではありません。例えるなら、心に嵐が吹き荒れる最中の自分に対して、安らぎを覚えるようなものだからです。これは一見カウンセリングでいう所のあるがままの自分を認めるという意味に近いように思えますが、正確にいえば相当違います。カウンセリングのあるがままの自分を認めるというベクトル(方向)は、自分のためという自己完結の世界であり、神の愛を知る真のキリスト者としてのベクトルは、他者のためという共存世界なのです。誤解のないように補足するのですが、此処でいう所の他者のためという共存世界は、共依存でも、個依存でもなく、父、御子、御霊の愛の交わりの招きに応答した時に真に個(関わり存在)として生きる事が出来るという世界です。
 この本は、キリスト者としての共存世界への旅路を喜び歩んで行くために、自分の既成概念や捕らわれている所から脱出せよとのメッセージを発しています。この本をじっくり味わい、自分の内面を深く充分に探索するならば、自分の心の癒しという枠を超え、神や人々との関わりの関係回復の真の意味が見えてくるのではないでしょうか。それに加え、真の安らぎと癒しが魂に満ち、真のコイノニア(交わり)を体感でき、本当の教会とは何かを知ることになるでしょう。 キリストにあって愛する兄弟姉妹や、苦しくて人生の崖っぷちに立っている人々、そして、心の癒しに興味ある方々には是非読んで頂きたい書物です。

<リバイバル新聞掲載>

 

3.本当に赦すということ――この最もやりがいのある神からの願い――
                                     R・T・ケンダル著
      生ける水の川   1785円

【書評】

本当の感情にも向き合おう

「世の中の人々でさえ人を赦すメリットに気づき始めているのですから、遅れているのはクリスチャンのほうかもしれません」と、本書が語る通り、人を赦すメリット(あえてこの言葉を使わせて頂きます)に気づいていないクリスチャンが多いように思います。
そこで、著者は人を赦すメリットについて語っている訳ですが、私も著者と同様に、人を赦すメリットとは、過去の心の傷に縛られながら生きることから解放され、今この時を大切にして生きていけるようになることだと思います。そして、その赦しのメリットを人々が知り、本当の赦しの中を歩んで行くことが、神様の切なる願いだと思います。
「表面上では赦せても、本当の意味で人を赦せない。どうしたらよいのか」という悩みの渦中にいる人々に対して、著者は「自己正当化とプライドが無くなった時に神は介入してくださり、私たちを通して働かれます」と語ります。
私個人、本当の意味で他者を赦すために大切なことは、偽りのない本当の自分の感情――他者への嫉妬心、他者に認めてもらいたくても認めてもらえない悔しい心、人に抱く不安な心、人から傷つけられた悲しい心など――を充分に知り、それを神様の御前に携えていき、十字架での赦しを、今一度自分自身で体感するひと時を持つことだと思います(ただし怒りの感情についていえば、それは本当の自分の感情ではなく、悲しさや嫉妬心にふたをして覆い隠している状態の感情で、偽りの感情といわれています)。
私を含め、現代クリスチャンは、御言葉に耳を傾けることはあっても、自分の偽りのない本当の感情には全く耳を傾けていないように思います。自分の本当の気持ちにふたをし、神様の命令に従わなければという律法的な思いで生きていては、いずれ燃え尽きてしまうのではないでしょうか。また自分が神様に赦されている真の実体感はできないでしょうし、本当の意味で赦すということを知らずにいることになると思います。
神様の願いとは、人が神様に本当に赦されたことを実体感し、そのことを信者一人ひとりが追体験していくことだと思います。その大切さを教えている素晴らしい書物です。是非お薦めです。

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