● ランチア ストラトス
  ~ 妾腹の意地 ~

 1970年代後半、実用性を無視した超高性能/超高級車に注目が集まったスーパーカーブームというものがありました。
  「スーパーカー」という言葉自体が既にないものだと思います。「スーパーカー」とは今でいうところの「エキゾチックカー」です。
  時代背景は、公害などが問題になりつつも、科学や技術への期待感が頂点に達していました。
  「もっと速く」「もっと高く」「もっと強力に」という情熱が爛熟し、現実には意味がないものであったあとしても、その異常な情熱が経済的事情を超えて具現化されることも珍しくない時代でした。

 ロータス/エスプリ、ランボルギーニ/カウンタック、デ・トマソ/パンテーラ、マセラティ/ボーラ、童夢/零、フェラーリ/365GTB4デイトナ、ポルシェ/911カレラRS・・・・、エキセントリックで未来感溢れるクルマ達に子供達は夢中になりました。たとえミッドッシップでガンディーニデザインであってもフィアットの廉価ポーツカーであるX1/9や、ビートルと同型エンジンのポルシェの914などは注目されませんでした。そのポテンシャルの高さ、楽しさ、親しみやすさは意味のないものでした。
  スーパーカーはあくまでもシンボルでありステータスであり、実用性は要求されていません。
  そのせいでしょうか?その時代に注目を浴びたクルマ達にはどこか儚げなイメージがあります。

 しかし、そんな中にあって異彩を放つマシンがありました。
  流麗なボディに無骨で巨大なライトポッドを装着され、泥や埃にまみれて山岳路や荒野をしなやかに疾走するたくましさは、他のスーパーカーにはないものでした。

 その名はランチア/ストラトス
  ラリーで勝つことだけを目的にした、いわゆるパーパスビルドマシンです。

 

【ランチア・ストラトス】  

モンテカルロ・ラリーでの一コマ。

やっぱり戦っている姿が似合います。


  わずか3.7mほどの全長に対し全幅は1.75m。ホイールベースは軽自動車より短く、ドレッドは1.4mを超えました。車高は1.1m強しかありません。超軽量、超コンパクト。これはコーナーリング性能を徹底的に追及した結果です。
  さらに搭載されているエンジンは、いろいろな「ツテ」で入ってきた、フェラーリ/ディーノ246GT用V6。これを横置きミッドシップレイアウト。セッティングは加速重視。
  60年代のWRCを席巻したアルピーヌ・ルノーA110も「レースに勝つために作られたクルマ」ではありましたが、あくまでも市販車であり、最初は自動車の馬力制限という戦後フランスの社会背景の制約から生まれたマシンでした。
  しかし、このストラトスは違います。
  「勝つためのクルマを、レースの『年間5000台以上生産されているグループ3のエヴォリューションモデルで、連続する12ヶ月に500台生産』というレギュレーションにあわせて量産したのです。
  つまり、これは本来、年間5000台以上生産されている自動車をベースにさせるためのルールだったのですが、「エンジンを換えるのではなく、ボディを『追加装備』したのだ。」というルール違反ギリギリの拡大解釈で、オリジナルのクルマを作ったのです。
  では、なぜそこまでしなければならなかったのか、それにはストラトスに関わる様々な会社、様々な人々の思惑がありました。

 ランチアは、1669年に業績不振からフィアットに吸収されます。しかもラリーシーンでの活躍も不振。なので、ラリーで勝利することで高性能車メーカーとしての栄光を取り戻し、業績をあげなければ、と考えていました。
  それにはそのときのレース参戦車「フルビア」ではなく、新しいマシンが必要です。しかし、お金がありません。

 一方、親会社のフィアットはランチアの業績を上げたいと思っていました。そして、それには斬新なニューモデルが必要である、と考えていました。

 そして、カロッツェリア・ベルトーネは、蜜月関係にあるランチアとカロッツェリア・ピニンファリーナの間になんとか喰い込みたいと考えていました。
  ベルトーネのチーフデザイナーはマルチェロ・ガンディーニ。そう、あのカウンタックやX1/9をデザインしたデザイナーです。

【各社の思惑を整理してみますた】

 

 そこでベルトーネはランチアの新マシン開発に際し、コンセプトモデル「STRATOS ZERO」を70年に提案します。
  それはあまりにも斬新な、そして異形なマシンでした。

【ストラトス・ゼロ】

 なのでこのコンセプトモデルにランチアはあまり乗り気ではなかったそうです。
  しかし、この「ストラトス ゼロ」に可能性を見いだした人物がいます。それは、のちのF1フェラーリ・チームの監督であり、その時、ランチアのラリー・チームの監督であったチェザーレ・フェリオです。
  また、カロッツェリアでありながら開発・生産能力を持つベルトーネは、ランチアにとっても魅力的でした。
  そこでフェリオとランチアの社長ピエロ・ゴバットはストラトス・ゼロの実現を目指します。

 そして71年、トリノ・モーターショーにてプロトタイプを発表。
  72年からレースに参戦、73年ファイアストーンラリーにて初優勝。74年にFIA(国際自動車連盟)から交付を受けるやWRCに参戦。
  ターマック、グラベル、スノー、ステージを選ばず活躍し、74,75,76年のWRCメイクス・タイトルをランチアにもたらします。WRC三連覇は史上初のことでした。
  また、75年にはサファリでも2、3位を獲得しています。

 しかし、その栄光の反面、ストラトスにとって不幸だったのは、オイルショックの影響もあって、市販バージョンがまったく売れなかったことです。まあ仕方ありません。あまりにもレースにあわせていて実用性が薄く、フェラーリのようなステータスにもならない車です。
  当然、親会社のフィアットととしては面白いわけありません。車を売るためにストラトスを作ったのですから。
  そこで、77年からフィアットは131アバルトラリーでWRCに参戦することになります。ランチアチームには、出場を取りやめさせるなど、政治的な圧力をかけてきました。

【フィアット131アバルトラリー】

 しかし、それでもストラトスは勝ち続けました。
  面白くないフィアットは78年にランチアへ最終通告を出します。ストラトスは素晴らしい栄光を築いたにもかかわらず、ワークス活動を終了しました。



  ここで、ストラトスの伝説は終わり・・・となりそうなところですが、まだ終わりません。
  ワークスは終了しても、個人参加のチーム、プライベーターたちが好んでストラトスを採用していたのでした。
  最後の勝利は81年のツール・ド・コルスでした。4年落ちのプライベーターのマシンがワークスマシンに勝ってしまったのです。

 フィアットの131ラリーでとった手法は、まさに現在のWRCの「エヴォリューションモデル」という手法です。中身は別物でも、市販車に外見を似せているわけです。
  確かにスバル/インプレッサや三菱/ランサーなどで、「WRC」や「エヴォリューション」というラリーイメージのタイプの方が、それ以外のタイプより会社に利益をもたらしているのを見れば、商売の方法としては至極まっとうであることは確かです。

 だからこそ、ストラトスの存在の希少さが際立ちます。
  いろいろな人の思惑が絡んだ、すべての人に祝福されなない身として生まれても、彼の美しさと栄光は、時代が生んだまぎれもない自動車史の1ページです。
  その後にやってくる、グロテスクですらある「モンスター」達のグループB時代を考えれば、なおさらそう思わずにはいられなかったりするのです。





 
LAST MODIFIED:03/JAN/2006
ON SET :02/JAN/2006