●日産2000GT
 ~ S30フェアレディZトヨタ2000GTの意外な関係 ~



 S30フェアレディZのルーツを辿っていたら面白いことが想像できました。

S30は本当にフェアレディの系譜なのか?
 大ヒットした名車、S30フェアレディZ(1969年)以前から、日産はスポーツカーとして「フェアレディ(“Z”はつかない)」シリーズを作っており、S30の前の型はSR311(1967年)というクルマでした。(その初期型SP311は1965年)
 このSR311フェアレディも歴史に残る名車なのですが、S30とは設計思想からして全く違うクルマです。
 実のところ、SR311フェアレディはブルーバードのシャーシにオープンボディをのせたもので、性格からいえばS30よりもピュアスポーツと言えなくもありません。
 それに対してS30はアメリカ市場を強く意識し、クローズドトップと直列6気筒エンジンを持つGTスポーツクーペとなっています。


【写真01:SR311フェアレディ】
オープンで軽快なスポーツカー
 
【写真02:S30フェアレディZ
クローズドトップと直列6気筒エンジンを持つGTスポーツクーペ



S30のルーツ、幻の「日産2000GT」!
 日産はS30フェアレディZを「フェアレディ」の系譜と言っていますが、実のところ、直接のルーツは「日産2000GT」だと言われています。
 「スカイライン2000GT」ではありません。“日産2000GT”です。
 あまり語られないことないのですが、S30フェアレディZの前に日産は「A550X」という試作車を3台だけ作っていました。
 これが「日産2000GT」という名前で、1964年の第11回東京モーターショーで展示されるのではないか、という話だったそうです。

 この日産2000GTとなるはずだった試作車は写真すらありませんが、スタイル、車格、コンセプト等はS30に良く似ていたそうです。


日産2000GTは・・・ヤマハ?
 というわけで、世に出ていれば名車としてうたわれたであろう日産2000GTなのですが、実は日産製ではありません。
 この日産2000GTはヤマハ製なのです。ここがポイントです。

 「2000GT」、「ヤマハ」と聞けば皆様の頭に思い浮かべるものがありませんか?
 「2000GT」、「ヤマハ」・・・・・
 そうです。S30フェアレディZと同じように日本のスポーツカーの歴史を考える上で外せない、トヨタとヤマハが作った名車「トヨタ2000GT」(1965発表、1967発売)です。


写真03:トヨタ2000GT
一度だけ走っているのをみました。美しかった・・・。


 つまり、1964年の第11回東京モーターショーで日産から発表されるはずだった「2000GT」が、1年遅れの1965年の第12回東京モーターショーでトヨタから発表された、つまり日産は「2000GT」から「手を引いた」わけです。


日産2000GTはどこへ行った?
 どうしてこうなったのか? 日産2000GTはどこへ行ってしまったのか?

 その理由を考えてみましょう。
 考えられることは、「日産がヤマハに依託して試作した」とよく言われている日産2000GTなのですが、本当のところはヤマハ主導の企画だったのではないか?ということです。
 でなければ、日産の没企画をトヨタに持っていくことは難しいでしょう。
 実際、ヤマハの2000GTへの情熱はただならぬものがありました。後のトヨタ2000GT生産の時にわざわざ磐田工場を建てたほどです。
 また、2002年4月に放送されたNHKのTVプログラム「プロジェクトX ~運命のZ計画~」では、「ヤマハから高性能スポーツカーの企画を持ちかけられたが断った」となっているそうです(日産2000GTには触れていないらしい)。

 では、日産2000GTの知る限りの概要を見てみましょう。
  • 2000cc直列6気筒エンジン(ヤマハ製YX80型、これとは別に4気筒DOHCだったという話しもあり。)
  • リトラクタブル・ヘッドランプ(日本初)
  • 4輪独立サスペンション
  • 4輪ディスクブレーキ(しかも後輪はインボード式)

・・・これってトヨタ2000GTそのまんま。

 ついでに、S30Z, トヨタ2000GT, 日産2000GTのボディサイズの比較です。

 全長(mm)全幅(mm)車高(mm)
S30Z4,1151,6301,285
日産2000GT4,1771,5681,226
トヨタ2000GT4,1751,6001,170

 両2000GTの大きさについて、車高については56mmの差がありますが、全長が2mm差、全幅が32mm差・・・ほとんど同じと言っていい。

 ヤマハ主導ならばそれも頷けます。ヤマハは己の思い描く2000GTを作りたかったのです。
 すると、日産2000GTの写真が出てこないのは「もしかして外見もトヨタ2000GTそのまんまだからなのではないか?」と思うのは考えすぎでしょうか?

 S30フェアレディZをデザインしたのは松尾良彦氏なのですが、日産2000GTやヤマハがエンジンを提供した初代シルビア(CSP311型/1966年)は木村一男氏とされています。しかし、実のところ、初代シルビアと日産2000GTは当時の日産のデザイン顧問だったドイツ系アメリカ人工業デザイナー、アルブレヒト・グラーフ・ゲルツ氏によるところが大きいと思われます。
 シルビア、日産2000GTというヤマハ関連の日産車のデザインはゲルツ氏が関わっていることから、ゲルツ氏はヤマハとなにか関係があったのかもしれません。
 一方、トヨタ2000GTのデザインは「トヨタ自動車デザイン部」によるものとされていますが、ゲルツ氏が関わった日産2000GTから流用した部分も大きかったのかもしれません。

【写真04:CSP311シルビア】
ゲルツ氏デザインによる日本初の本格GTクーペ。



そして「2000GT」はトヨタの栄光となった。
 では、なぜ日産は、ヤマハ渾身の逸品であり、この歴史に残る名車になることうけあいの「2000GT」企画を断ったのか?
 エンジンヘッドの刻印を「YAMAHA」にするか「DATSUN」にするかでケンカしたとか、上層部同士が仲が悪かったからとか、いろいろ言われていますが、一番の理由は、ヤマハが作れという2000GTはとても国内や米国で量販出来る物ではない、という日産の判断からでしょう。

 一方、トヨタはちょうど自分達を国内外にアピールする必要性を感じていました。ヤマハの高性能スポーツカー企画はそれにうってつけだったのです。
 そして「トヨタのシンボルとなるような、非の打ち所のない、最高のスポーツカーを作る」を命題にトヨタのフラッグシップカーとしてトヨタ2000GTは誕生しました。
 ヤマハはトヨタの強大な後ろ楯の下に見事「2000GT計画」を完遂させたと言えます。
 その後のトヨタ2000GTの大活躍&伝説は皆様も御存知の通りです。

 トヨタ2000GTの採算に関して、トヨタははじめからそれを度外視していました。
 実際、トヨタ2000GTの生産性は悪く、値段はクラウンの2台分に相当しました。「いつかはクラウン」の2倍という値段は、当然、庶民の手の届くモノではなく、憧れのマシンにとどまるばかりで全く売れませんでした。
 けれど、トヨタ2000GTは、多くの記録を打ち立て、レースでも勝利を上げ、映画「007シリーズ」のいわゆる“ボンドカー”にもなって、日本だけでなく世界中の人の記憶にその名前と優美な姿を刻み込みました。フラッグシップカーとして十分な成果です。

 しかし。残念なことに日産にはそういう思想はありませんでした。経営的にも無理だったのかもしれません。とにかく「2000GT」はトヨタの栄光となったのです。

 一方、ヤマハはいずれ独自に自動車業界参入の意図もあったのかもしれませんが、そのときは技術下請けとして十分な成果だったのだろうと思います。


S30フェアレディの真実を推察する。
 一方、日産は「売れる」クルマを求めていました。
 日産が、どの段階から「売れるスポーツカー」を考えていたか分かりませんが、普通の乗用車と比べてたくさん売れるわけではないスポーツカーの場合、国内市場だけで利益を稼ぐことは難しいです。
 そこで、現在では「Zの生みの親」とされており、2000GT計画の推進者でもあった片山豊氏を、将来の有望な市場であるアメリカに派遣します。
 アメリカで営業をし、リサーチを重ねた氏は、「安くて高性能のGTスポーツクーペを作れば売れる。アメリカ人が日本車に対して持っている2流のイメージも払拭できる」と確信しました。
 そして彼はフェアレディZの企画を進め、後に大成功を納めることになります。

 片山氏のこのときの発想を逆に言えば、「アメリカで売るにはこれまでの日産のスポーツカーであるSR311フェアレディではダメだ」ということです。
 とにかくオープンスポーツではダメなのです。
 というのは、ヨーロッパならともかく、広大な国土を何日もかけて移動するアメリカでは、スポーツカーにもGT的な要素が要求されたのです。

 そのことから、2シータ-、クローズドハードトップ、ポルシェの半額の価格、アメリカ人受けするデザイン、などのコンセプトが見えてきました。
 そして、片山氏のこのコンセプトを聞いたとき、おそらく一人のスタッフの頭の中に、こんな思いがよぎったに違いありません。
 「クローズドハードトップの2シータ-高性能スポーツカー・・・そういやそんなの(もしくはその設計図)が倉庫にあったな・・・」
 日産は新しく開発するのもめんどくさいし、なにより開発費を削って値段を抑えるために、倉庫にあったアレを流用したのではないでしょうか?
 アレ・・・、そう、日産2000GTです。
 だって、くり返すけど、コンセプトとボディサイズが3車ともほぼ同じ。

 全長(mm)全幅(mm)車高(mm)
S30Z4,1151,6301,285
日産2000GT4,1771,5681,226
トヨタ2000GT4,1751,6001,170

 ちなみに、日産のデザイン部門はS30の車高を1200mmにしたがっていたことを付け加えておきます。営業部の要望でこうなったそうです。その時はお互い譲らないで大変だったとか。
 GTとして快適性の向上、そして、アメリカ市場に売り込むには欧米人の体格にあわせた屋根の高さが必要だったのでしょう。


いまこそ日産2000GTにスポットライトを!
 というわけで日産2000GTが歴史から闇に葬られたというと大袈裟かもしれませんが、あまりに語られない話である理由は想像できます。
 日産としてもトヨタにしても、大成功して社のイメージにもなったクルマがライバル社と親戚関係にあるということは消費者にあまり知られたくないことなんだよね。
 みんなのルーツなのに、みんなで幸せになるために日の目を見ることができなかった日産2000GT。なんと哀れなやつ・・・。

 付け加えて、ヤマハはトヨタ2000GTを10ヶ月で完成させ、トヨタのスタッフを驚かせたと言われているのですが、それも日産2000GTの経験(もしくは日産2000GTそのもの)があってのことでしょう。
 なぜなら、そうでないと、いくら当時のトヨタに230km/hで走らせるテストコースがなかったからとはいえ、試作車(2号車)を実際にレースに投入してテストなんて無理でしょうから。
 といっても、ヤマハは開発が早くて、シルビアYX30も日産2000GTも1年足らずで完成させたそうですが。

 で、推測として、

まず、ヤマハのYX80エンジンを載せた日産(ヤマハ)2000GTがあり、
トヨタはクラウンのものをヤマハがフルチューンした3Mエンジンを載せ、“日産(ヤマハ)2000GT超豪華版”としてトヨタ2000GTに、
日産はメルセデス250を手本にしたL20/S20型エンジン(初期型のカマボコ型ヘッドや整備用の特殊工具までそっくりだそうです)を載せ、“日産(ヤマハ)2000GT廉価版”としてS30フェアレディZに、

なったのだろうな~、ということでした。
真相を御存知の方、ぜひ教えてください。





 
25/SEP/2002



【PAGETOP】












 

●S30 フェアレディZ
 ~ プアマンズポルシェ、メイド・イン・ジャパン ~

 今回取り上げるのは日本の誇るプアマンズポルシェ、S30 フェアレディZ(1969年)です。
 私が子供の頃はまだまだ現役で結構走っていたのですが、なにせ暴走族っぽい趣味の人に愛されていたが故、私の中で下品なイメージがついてしまい、長い間見向きもしませんでした。
 しかし、最近、このクルマを見かけて自分の意識が一変してしまいました。実にコンパクトで美しいクルマです。
 S30もS31にフルモデルチェンジするまで9年に渡り販売され、Z240、Z432などいろんなバージョンがあるのですが、私は初代S30が好きです。
 特に白、ノーマルがいいですね。

【写真01:S30フェアレディZ】
かっこいい

 デザインは日産自動車第一設計部第一造形課(当時)の松尾良彦氏。

 エンジンが載っている前の部分が長く、キャビンが小さいことがお分かりになると思います。このスタイルは「ロングノーズ・ショートデッキ」と呼ばれています。
 これは、その昔、できるだけ大きいエンジンを載せ、そのパワーを有効に生かすために車体を小さくしたスタイルで、スポーツカーであることの意思表示です。

 このクルマはアメリカで売ることを考えて作られ、事実、「プアマンズポルシェ」としてブランドにこだわらない気質のアメリカ人に受け入れられ大ヒットしました。アメリカでは「Zカー(ズィーカー)」なんて愛称があるほどです。
 大ヒットの秘密は当時のスポーツカーと比べて大変安価で、高性能だったところにあります。
 居住性もラゲッジスペースも十分確保し、乗り心地もなかなか、運転も容易で、なにより安価、というフェアレディZは、それまでスポーツカーのあり方を変えてしまった、革命的なクルマでもあります。
 日産のそれまでのスポーツカーであるフェアレディ(SR311など)はオープントップのピュアスポーツカーでしたので、フェアレディZのGT的要素はそれまでのスポーツカーとは全く違う性格だったのです。

 その後、マイナーチェンジをくり返し9年にわたり愛され、レースでも活躍したS30でしたが、このあとフルモデルチェンジされた、S130、Z31、Z32、はスポーティというよりラグジュアリーな風味がどんどん強くなり、エンジンをぶんぶんまわしてコーナーを駆け抜けていくより、アメリカの広い大地の一本道を強大なトルクで踏みしめていくような乗り味が似合います。価格も「プアマンズ」とは言い難いものになりました。個人的にはそれらはあまり好きなクルマではありません。デザインもS30に勝る後継はないと思います。
 ただ、2002年に発売されたZ33は、価格も抑えられ、S30に立ち返ったような雰囲気で好印象です。

 ところで、S30の安価なところとスタイルで、同時期(1968年)に発売されたジャガーEタイプが似ています。これもそれまでのジャガーのクルマと比較して安価で売られ大ヒットした(2100ポンド、円にしていくら?)ことなどからS30とイメージがダブります。

【写真02:ジャガーEタイプ】
似ていると言えば似ている。




 
25/SEP/2002



【PAGETOP】












 

●トヨタ2000GT
 ~ ジャパニーズ・スーパーカー ~

 トヨタ2000GT(1965年発表、1967発売)は様々な記録を打ち立てた伝説のGTスポーツクーペです。
 エンジンはクラウン用6気筒OHCエンジンをヤマハがチューンナップした6気筒DOHCにソレックス3連キャブレター、その出力は標準で150ps、レース仕様は200psという当時としては桁外れの大出力のエンジンを搭載し、X型バックボーンフレームに4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション、4輪ディスクブレーキ、マグネシウム合金ホイール、ラジアルタイヤ、駆動系には前進5段トランスミッション、そしてなんとLSD(リミテッド・スリップ・デファレンシャル)装備、という先進技術の塊でした。
 しかも、それらの能力を試作段階からレースで鍛え上げ、耐久レースでも活躍するタフさも兼ね備えていました。
 そして、その実力を関東自動車工業の職人さん手作りのロングノーズ・ショートデッキ全高1160mmの優美な流線形のボディに包み、白が似合うエレガントなクルマとなりました。
 ちなみに日本初のリトラクタブル・ヘッドライト装備車でもあります。
 さらに内装も豪華で乗り心地もよくGT的な味わいもあるドリームカーです。
 トヨタはこのクルマを、自らの実力を世界に示すフラッグシップカーとして世に送り出し、生産性、採算性は度外視していました。
 従って、価格もドリームジャンボ級(?)の236万円。
 当時の「いつかはクラウン」の値段が120万円。S30フェアレディZは114万円の時代です。
 従って庶民の永遠の憧れとして買い手もなく、1970年にわずか337台で生産を終えました(大衆派のトヨタでそんなクルマはセンチュリーとこれだけでしょう。)。
 しかし、このことすら伝説に箔をつけてます。

 公道を走っている実物を見たことがあるのですが、本当にコンパクトでカッコイイです。
 まさに走る宝石。その美しさは日本的なものを感じます。
 もし私が、日本のスーパーカーは?ときかれたらこのクルマをあげます。同じように“日本のスーパーカー”といわれるNSXですらこのクルマの優美さの前には霞んで見えます。

【写真01:トヨタ2000GT】
まさに走る宝石





 
25/SEP/2002



【PAGETOP】