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野呂先生の最後の手紙

 

2005年1月5日

島谷様から妹の最後の手紙を送っていただいておりますので転送します。

妹があと一週間も生きていれば私達のところに帰って来たでしょう。無念です。

今井啓子

 

 

お姉さん

シマヤです。

野呂先生からお送り頂いたお手紙をデジタル化した物をお送りいたします。漢字、仮名遣い、改行、全て原文ママとしています

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島谷さん

 

 わざわざ浜松町までお出かけ下さり、ありがとうございました。

 あの日から、はや3週間が経ちました。”?基金”の運用報告を一応しておきます。対象をマイリサバの子供たちだけでなく、ウガンダ カクトの卒業生まで拡げていますが、いかがでしょう?

 ここにいると、いろいろなことがあって、頭の整理が着かないくらいです。

 安全といわれていたサイカに、2回空き巣が入り、前回は耕さんたちの貴重品を盗まれ、今回はコンポや携帯電話を盗まれてしまいました。従って、私の携帯は無効になりました。

 今、カマウさんがビザ取得のため、ケニヤを離れ、タンザニヤからマラウィを回っているようです。

 その前に、6年まえまで運営していたウガンダのカクトにある元職業訓練校に、私も連れて行ってもらいました。今は学校として、100人の子供たちが勉強しています。ここに、カマウさんは再び訓練校を始めるつもりのようです。ここではここで、先生たち10人の給料を含め、訓練校の運営費などやはり資金が必要で、Newtopiaとカクト用に残金90万ケニヤシルを大分意識しているようです。

 私はことばもわからないし、手伝えることもなさそうなので、日本へ引きあげ、わずかな年金から少しは援助するくらいしかできないかと思い始めています。

 しかし、ウガンダでは卒業生たちが会いに来たり、カマウさんを手伝ってもいいという人もいるのですから、ケニヤとは大違いです。Yisaもいい人です。

 ケニヤ、ウガンダそれぞれの人が主体になれていくのがいいと思いますが、ケニヤにはなぜ育っていかないのか民族性(?)の違いなのでしょうか。私にはケニヤの人のことが今もってよくわかりません。

 

カマウさんが11月末帰ってきたら、私の方向をはっきり決めるつもりです。日本からいくばくかの援助しか、今のところ私にはわかりません。

 

一応基金の報告をしておきます

 

2004.11.15

野呂

 

追伸

 

こちらから岡部さんにも送るつもりでしたが、諸般の事情により、島谷さんの方からお願いすることにします。

 

コピーをして転送をお願い!

お手数おかけします。

 

※ナイロビの安い便箋を買ってきてもらったら、ピンク色でした。まことに失礼します。

 

カマウさんにはいろいろついていけないところがあります。

でも、まあ志を大筋理解して……??

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