古刹 「本應寺」
無量山・寿経院本応寺
本応寺は天正十四年(一五八六)、鍋島助衛門尉の妹で直茂の姪、原豊後守直景の後室である華岳妙栄大姉が大檀越となり、誓誉上人の開基により建立された浄土宗の名刹であります。
『無量山寿経院本応寺中興縁記』に「上人応諾して塩田の城主原左近太輔氏長、戒名本応道詮大居士の因縁を引き当寺を本応寺と寺号有之候由申伝え候」と寺号のいわれを記してあります。また直茂より薪山として朱印状を賜っていましたが、三代寂誉上人のとき一切の重宝とともに雷火により焼失してしまったそうです。
本応寺建立の大檀邦となられた妙栄大姉その息女春林妙花大姉の墓は本応寺山、杉の木立の中にあり、うやうやしくまつられています。元文二年の記録には、「長崎街道を通って塩田宿に幕府の役人等が宿泊されるときは本陣になった。」とあります。元禄九年に末寺が美野村、石垣村、五町田村、東冬野村、嬉野等に十一寺が報告されています。
山門は享保十七年完成、堤休右衛門が頭領となり太良村岡与平次等により完成されました。山門横の仁王像は寛延二年、下田彦左衛門、古賀権左衛門の寄進になるものです。
『塩田郷土史』によれば「当時未だ一小庵に杉ざりしが約百余年を経て、傑僧覚誉上人あり、俗名を橘三郎と称す。31文学を嗜み特に吟詠に巧なり、近松門左衛門と相来往せり(略)覚誉大いに法捨を長崎街道に求め巨財を獲て帰り一大寺院を建立せり現時の堂宇即ち是なり(略)」とあります。覚(鶴)誉上人は宝暦元年の寂です。境内には天保十五年に建立された芭蕉の句碑もあり、塩田津の方々の文化活動もしのばれます。また、塩田の名石工、筒井幸右衛門による石造阿弥陀仏は本堂横にまつられ、形も整いその大きさと言い塩田石工の名作です。
現住職は第三十四世熊谷靖彦師、門信徒の御教化また保育園の経営に、また文化活動にと努力しておられます。
芭蕉翁句碑
塩田の商人や西山の窯業者達の間に俳諧が盛んに行われていた。天保十五年(一八四四)に境内に建立されている。
春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅
芭蕉