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古刹 「常在寺」



大黒天物語 (常在寺所蔵)のお話
常在寺は寺伝によれば和銅元年(七〇八)行基の開基と伝えられ、塩田の町を見下ろす高台にある真言宗のお寺です。
常在寺七世の成紹法師の頃です。後鳥羽上皇のご病気がよくなられるよう加持祈.かじきとうをなさいました。天皇のご病気もよくなられましたので褒美ほうびとして大黒天をくださいました。ところで或る日の事、成紹法師は台所をのぞいてみますと味噌が少なくなっています。
「明日にでも塩を買ってきて準備をするか」
と独り言を言っておられました。さて翌日の朝のことです。
「塩を持ってきました。どうぞお使いください。」
「さてどなたでしょうか。」
「五島の名主さんからたのまれまして塩田津に塩船を入れました。どうぞお使いください。」
との事です。聞けば「お寺から、塩が必要ですから勧進(かんじん)してください。」
と背の低い色の黒い大きな袋を背負った和尚さんが来られたとの事でした。「さて誰だろうか。」と首をかしげられました。
また秋の事です。稲も実ってさあ今日は稲刈りをしようと田たん圃ぼへ行き、見ますと稲がきれいに刈られています。さてさて奇っ怪なことだと思って調べて見ますと、小さな足あとが田ん圃からお寺までついています。更に足あとは本堂の大黒天の所までついています。成紹さんは、
「さては大黒様が勝手になされたのだ」
と腹をたて、大黒様を塩田川に流してしまわれました。
ところで翌朝の事です。川の近くの子どもがにわかに狂い、
「私は大黒天だ。塩田川の川岸で浮き沈みしながら苦しんでいる。早く助けてください。お寺にもとのようにお返しくだされば法師様の心にそむく事はいたしません。」
とさけんでいます。法師様は、川から大黒天を引き上げてもと通り祭られました。そして二度と勝手に出られぬように厨子の前に金網を張られました。
常在寺に今も秘仏としてまつられ、有名な大黒様です。
十二月は大黒天まつりもあります。
常在寺には昔、籾(もみ)岳(だけ)にまつられていた籾岳観音、不動
明王、勝軍地蔵、薬師如来等おまつりしてあります。

仁王尊
「仁王」辞書には、「仏法保護のため寺門または須弥檀前面の左右に安置した一対の神像。ふつう口を開いた阿形を金剛、口を閉じた吽形(うんけい)を「力士と呼び、また左を蜜迹金剛、右を那羅廷金剛とも称する。いずれも勇猛な忿恕の形相をなす健脚の神ともされ、大きな草鞋(わらじ)
等が奉納される。」とある。
■塩田の代表的な石造物に仁王尊がある。
◎光桂禅寺仁王尊
山門の左右に、高さ二b五十aの堂々たる仁王尊である。
 小城郡砥側住
 平川与四右衛門
 陣内善次良
と刻まれている。平川与四右衛門は肥前石工として名を知られ、刻銘のあるものは、元禄元年から享保二十一年まであり、光桂寺仁王尊には残念ながら年号は刻まれていない。しかし町内での仁王尊では一番古く、塩田町の文化財にも指定されています。
◎ 本応寺仁王尊
山門の右に立つ仁王尊は、高さ約二b、右手を腰にあて左手に金剛杵を握っている。左に立つ仁王は逆になっている。肩が盛り上がり、忿恕の願貌であるが、表現は細部にこだわらずおおらかである。全体的におとなしく、ややユーモラスである。
施主は下久間村 寛延二年
 下田彦左衛門
 古賀権左衛門
と刻まれている。残念ながら石工は不明、町指定文化財である。
◎ 常在寺仁王尊
参道の石段中ほどにある高さ二b四十aほどの塩田石で刻んだ大きな仁王尊である。塩田郷の方々の寄進により、文政八年塩田石工、筒井幸右衛門他五名の手によって造られたものである。
筋肉たくましく、腰には裳をまとい、天衣を長く垂らし、金剛杵を握っている。細かいところまでよく彫刻されており、塩田を代表する名作であります。
この仁王尊も塩田の文化財に指定されています。町内には多くの優れた石造物があります。昔の人が寄進され、塩田石工が精魂こめて刻まれた石仏様、大事にしたいものです
教王寺・常在寺
幾多の伝説を秘め持つ常在寺には御本尊の他多くの御仏像がまつられています。
平安末期の作と推定される御仏像、応永三十一年(一四二四)と墨書銘のある覚ばん上人像、永正十七年(一五二〇)と記された地蔵菩薩、元禄十二年(一六九九)の銘のある薬師如来、昔籾岳にまつられたと伝えられている籾岳観音様などまつられています。境内には「塩田大明神」「二の宮社」「金毘羅社」等まつられ神仏習合の名残りを示しています。また塩田石工の作になるあまたの石仏が寺の境内にまつられています。
塩田石造物の代表的名作、仁王像は塩田郷の庄屋達によって寄進され、石工は筒井幸右衛門宗五郎、伊右衛門、幸吉政継、夘右衛門、瀬頭平次兵衛によってきざまれ、文政八年(一八二五)重陽吉辰(九月九日)に時の常在寺住職頼厳によって開眼された仁王であり表参道中腹に立ち仏法を守っておられます。
上町川の参道を登れば「鳥羽天皇勅願寺旧跡、後鳥羽天皇御下腸大黒天鎮座」の石碑があり更に登れば安永六年(一七七七)筒井松右衛門によって刻まれた地蔵さまがまつられています。
塩田上町古賀中寄進の二の宮社、また金毘羅社、篠山大神の石祠或は寛政九年建立の馬頭観音、二十六夜尊、近代になっては筒井儀八が刻んだ弘法大師、現在では藤右衛門、五代目石工筒井信夫の作になる南無慈母観世音菩薩の台座、八田石材店作の塩田大明神鳥居等すぐれた石造物があります。
常在寺の裏には塩田、鹿島、嬉野と各地の信者の寄進による石仏が並んでおられます。その石仏群の中で江戸時代に書かれた『肥前古跡縁起』に記されていますが成紹法師が帰郷のおり一の谷で過ぎる源平合戦のおり武運つたなく討ち死にした平家の公達敦盛卿を供養して建立された塔もまつられています。
また常在寺の境内に接してもとの塩田公園内には次の句碑もあります。
地靄もや晴れつつじ次々
        現はれぬ
          森 錦綾
陶石舟春しほにのぼる旧き町           
         池田 風葉
端然と唐泉そびえ桜咲き  
         高橋 清斗