2005年8月31日 (水)
中学野球最後の公式戦
総社ボーイズ大会が最後の公式戦となった。
場所は、倉敷マスカットスタジアム、宮崎のマリンスタジアムに似て大きく美しい球場だ。
準決勝、強豪 八尾フレンズに対して3打数3安打、そして
決勝 兵庫ミラクルボーイズに対して3打数2安打2ベースヒット2、
本日強豪に対し6打数5安打2ベース2とし、最後に調子が戻った。
ある保護者から、励ましの言葉を聞いたからだいう。
親以外の第三者の影響力は大きい。感謝 |
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2005年8月27日 (土)
鶴岡杯
試合前にコーチが緊張を解そうと選手控え室で簡単なゲームををやったのだが、潤は全然乗ってこない。前の試合が終わってベンチに入った。残暑が厳しい。グランドの黒土はパウダー状になっていた。ベンチ前の水撒きを行いながら、オーダーが気になった。電光掲示板には、予想通り潤の名前はなかった。まぁ仕方がない。3回裏にライトの交代要員で守備についた。場内アナウンスとともに潤の名前が電光掲示板に照らされた。しかし、あったまに来た。字が違っていた。ワシは前日、スコアボード用のシステムに選手全員の名前を入力していた。出来上がったパンフレットを見ながら選手の背番号と氏名を入力するのだが、このパンフレットに潤の名前が間違って記載されていた。毎度の事で嫌になってしまう。だから正しい名字でシステムに登録したのだった。余談だが、春の大会では、舞洲球場で電光掲示板が壊れていて5番のところが点灯せず、潤の名前が表示されなかった。柔道の大会でも、潤の名前(名字)が間違って記載されていた。こっちは、記念にと思い掲示板を写真に採ろうと思っているのにがっかりしてしまう。私は観覧席から放送室にダッシュで降りていった。この大会に協力してくれる近くの女子高校生が場内アナウンスとスコアボードのオペレーションを行ってくれていた。そして、パンフレットと潤の名字をチェックして、違っているため、ご丁寧に、誤った方に訂正してくれていたのだった。放送室は、カギが内から掛かっていたのでやきもきした。名前を訂正してくれるよう頼んだ。子供が見たら可哀相。やっと出番が来たのに、しらけてしまう。わしにできる精一杯の段取りのつもりだった。回が進んで潤の打順、結果を出すことが出来なく。迷いのあるスイングアウトだった。元気がない。自信喪失しているのだろうか。早く元気を取り戻して欲しい。 |
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2005年8月26日 (金)
合宿2日目
昨日のフリーバッティングで、オーダーが決まったのだろうか。午前中のノックを終え午後からの2チームに分かれての練習で潤はBチームになった。打順は何番かはわからない。バッテリーが先なのでかなり後方だったと思う。昨日結果が出せなかったため、仕方がない。それでも今日何とかなるだろうと思っていた。球入れが親父のワシだからいけないのかなぁ。結果を出さなければと焦って萎縮していたように感じた。丁度投手がボール先行で球を置きにいくときのような、元気のないスイングだった。打球は昨日よりは良いものの、相変わらず芯を食うクリーンな当りがない。あぁ、明日スタメンないなぁ、こりゃぁ。 |
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2005年8月25日 (木)
鶴岡杯合宿初日
呉ニ河球場に11時に集合した。顔合わせの後、スポーツ館で昼食を採った。
その後、打撃練習を行った。私はピッチングマシンをセットアップして球を入れ係をやった。選手の背丈に合わせて微妙なセッティングをする必要がある。結構、面白い。さすがに選抜メンバーばかりなので、殆ど皆、面白いように打つ。バッテリー,野手の順に打つのだが、皆上手に打つので、外野手の潤は打順後半で、かなり緊張しているようだった。殆ど打球が上がらず、ボテボテかゴロばかりとなり、アピールは出来なかった。気持ちの問題だと思う。バッティングセンターと変わらないじゃないかぁ。練習を終えて、スポーツ会館で8人部屋3つに20人がそれぞれ分かれて泊まる事になった。夕食はかなり豪華でこれまでの遠征で一番良かったのではないかと思う。豚生姜焼き、うなぎ、スイカにその他添え物だった。私は宿に泊まる予定はなかったのだが、急遽、世話係を支部長と監督から依頼され、メイを家に残したまま、泊まる事になった。下着をコンビニで購入した。鶴岡杯の記念Tシャツが私に支給された。中学3年生の世話は、以前、リトルのコーチをしていたときと比べて、格段に楽だった。さすが選抜メンバーという感じで騒ぐ者はなく、門限の9時頃まで、各自素振りをしていた。夜10時には消灯した。 |
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2005年8月15日 (月)
プール
巷ではお盆だと言うのに私は仕事である。今月は野球で結構休まなければならない日が多いので、こういう時に日数を稼がねばならない。潤は友達家族に連れられてチチヤスプールに出かけた。この夏2回目の野球以外の日だ。とは言っても、友達は野球関係者だ。私の仕事部屋には、窓が無いが、天井の採光窓が、暗くなることで、天候が崩れるのがわかった。折角のプールなのに可哀相だなぁ。そのうち、ドスーンという音とともにぱらぱらと激しい雨音が屋根にあたるのがわかった。そしてゴロゴロと続いた。雷雨の中で如何しているのだろう。でもまぁ、保護者がついていてくれるから、大丈夫だろうなぁ等と思いながら仕事を続けた。夕方電話があり、夕飯は友達家族と外食すると言う。私は、適当に夕飯を食えとのことだった。家に、冷や飯があるから、それに、ククレカレーでもぶっ掛けて食うかぁ等と考えた。午後7時を過ぎてバイクで帰宅、その途中で迎えに来いと電話があり、急いで家に帰り、ファミリアで迎えに行った。潤は五日市駅のベンチにチョコンと腰掛け私が来るのを待っていた。寒かったけど、面白かったらしい。「わし、ブリ腹いっぱい食ったけぇ、動けん。」話を聞くと、全部費用を出してもらったらしい。なんともあつかましい。家に着いてお礼の電話を留守電に入れた。ありがたい。でも本当は、私も一緒に行きたかったなぁ。 |
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2005年8月13日 (土)
友達と遊びにいった
今日は練習が無いので、朝私が出勤するバイクの後ろに潤が乗り、友達の家まで送って行った。何処へ行っても良いから、遊んで来いと告げていた。お金もそれなりに持たせていた。偶に、こんな一日があっても良いかと思って昨日仕事中に考えていた。バスカードは3000円分を渡したので交通費は十分に足りる。帰って潤に聞くと、市内に出て、ぶらぶらしていたらしい。すき屋で豚丼を食べたと言う。そして、今晩は、吉野家で、豚焼肉定食だ。何だか、代わり映えのしない一日のように思えた。そして、バッティングセンターに行って練習した。やっぱり、いつもと殆ど同じなのかなぁ。お金も殆ど使わなかったらしい。 |
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2005年8月5日 (金)
久しぶりに家で夕飯
結局、優勝はオール枚方だった。いわきは橿原に負けていた。そして、橿原が準優勝、思った通りの展開だった。昼過ぎににボーイズリーグのHPで確認した。あぁ、1回表を責めて3点で凌いでいれば、結果は違ったであろうと思う。今ごろになって悔しさが込上げる。負けた所為でモチベーション的には悪くない。それがせめてもの救いだ。ひょんな事で10月後半に、良い話が舞い込んだ。学校を休ませて参加させようと思っている。家に帰り潤に優勝チームを報告した。今日、RPCの練習に参加したのだが、その時ボーイズの監督が見に来ていて、丁度潤がセンター前を打ったところを見て貰えたと嬉しそうだった。昨日は3打数2安打だったそうだ。夕べ、兄ちゃんが家に帰ってきて、飯を炊いていてくれた。しかし、昨夜は夜中までバッティングセンターに居たため、兄ちゃんは22時ごろ、自分の家に帰ってしまっていた。そんなわけで、飯が4合、炊いたままになっていた。野菜サラダと、ピラフを作った。先週の土曜日から、練習しっぱなしなので、今日はバッティングセンターはお休みにした。家でのんびり1時間掛けて二人で食事した。今月初めての家での夕食だ。潤は、やっぱ、家で食べる夕食が一番落ち着けて美味いという。たいしたものは作って居ないのだが、それが、家庭の味なんだろうなぁ。 |
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2005年8月4日 (木)
喧嘩
遠征疲れで、眠気が取れない。潤はRPCの研修生として練習に参加するため、私の通勤バイクの後ろに乗り、途中待ち合わせのコンビニまで送って行った。がんばれよ、怪我するなよ。何となく別れを惜しみながら、会社に行った。6時に仕事を終えて、家に帰ると潤が寝ていた。ワシは、メイを散歩に連れ出し、その後一風呂浴びた。夕飯を作らぬまま、バッティングセンターに練習に出た。バッティング練習を楽しそうにやっているので、ワシは頭に来た。遊びに来ているのではない。ワシは疲れていたので、その後うとうとしていて、それを、潤がちゃかした。ワシは無視していたが、それが、今度は気に入らなかったらしい。全くくだらない事で喧嘩になった。ワシが怒ると潤は面白がって、携帯のカメラのシャッターを切った。「どんな顔しているかわかる?」この事で、午前0時まで喧嘩をしていた。練習に行く前に、実は、アンダーアーマーのバッティンググラブと、スパイクを購入に行っていた。バッティンググラブは既にボロボロで、スパイクは皮底のローリングすの旧モデルだった。それでも二つで1万5千円はする。親は、どのような気持ちで、その道具を買い与えるか、子供には解るまい。ワシも通勤靴は1500円の中国製、何処を節約して、金を捻り出しているか解るまい。バッティングセンターだって、アップで2ゲーム行うが、このアップだけで600円も掛かるのだ。この前の遠征費も7万5千円もしている。大会は後3つある。そして、宮崎にも行かなければならない。もう少し、真剣に考えて欲しい。ワシが、怒る方がおかしいか?確かに、今は疲れていて普通じゃないかもしれないが・・・。 |
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2005年8月3日 (水)
広島へ戻る
チサンホテルを9時に出発、一路広島へ、それにしても今回のバス移動は難儀だった。座席数は足りないは、エアコンの利きは悪いは、窓が開かないはで、最初から、嫌なムードだった。バスの座席の件で、行きに内輪もめがあったほどだ。1年生が4人がけの最後部座席に5人で座った。それでも席が足りなく、大人はステップの階段に腰掛けた。補助席すらない。エアコンは、埃っぽく目が痛くなる。参った。敗戦で帰るなか、今回の遠征は、最初から問題があった。嫌な予感が的中した。後発隊でエスティマを出した保護者がいて、途中の三木SAから私はそちらに移った。やっぱエスティマは良いなぁ〜、外は34度以上あるのに寒いくらいにエアコンが利いた。東広島で、緊急事態が発生した。前を走るバスからの電話だった。エアコンがついに全く聞かない状態になった。icを降りてガソリンスタンドに緊急避難した。何てことだろう、バスに行くと、そこは蒸し風呂状態だった。外からの熱を避けるため、カーテンは全部閉められていた。全く、、、、怒りが込み上げてきた。エアコン用エンジンのガス欠というお粗末さだった。室温は恐らく30度を軽く越えていたであろう。外の方が涼しかった。大体何で、エアコン全開だと言いながら、運転手席は、窓を開けているのだろう。エアコンが利かないからではないか、そして、運転席は1階にあり、客室は2階にある。2階は1階の運転席よりはるかに暑かった。広島に着いたのは午後3時20分、最後の大会が、酷い遠征になってしまった。家に着くと、メイが小さな声でワウワウと、文句不満を言うような吠え方で出迎えた。ソファーの上で小刻みに尻尾を振った。二泊三日放りっぱなしだった。エアコンも21.5度にセットしたままだった。可哀相な事をした。途中のコンビニでメイのために買ったパンを与えた。ご機嫌をとるしかなかった。メイを宥めた後、外出した。遠征に行かなかったコーチの処に土産を渡しに行った。その後、バッティングセンターで練習した。明日はRPCの練習に参加する。 |
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2005年8月2日 (火)
本番
1回表、1アウトで7点を先取された。投手交代後難なくゲッツーだった。悪夢の20分だった。打者12人の猛攻だった。我方、アップが間に合わなかった。声だしもしていない。気合が入らないうちに試合が始まってしまった。ダッシュもしていない。まぁ、言い訳だがそういうことだった。3回まで1点ずつ返していったが、それ以降、出塁するも、得点には結びつかず、結局7−3で涙を飲んだ。潤は5番レフトだった。初回、センターに抜けるかと思いきや、セカンドに阻まれた。2打席目は、カーブを決められスイングアウト。3打席目は、サード線強襲でレフト前となった。結局3の1打点は無かった。外角高めだったので逆らわず、チームバッティングに徹したとの事だった。この大会は、前の教訓で、打球を打ち上げることは無かった。失点は初回だけだった。初回が全てだった。試合終了後、誰もが悪夢を見たような思いだった。誰も負けたことを信じる事は出来なかった。昼食を空虚に済ませ、次第に負けた事が感じられるようになった。指導者は昼食に手をつけていなかった。ホテルに帰り、この時期恒例の、5者面談が行われた。監督とコーチ2名、それに子供と保護者1名の5者である。ホテルの709号室で行われた。背番号順である。高校進学を中心に話が進められた。本当にありがたい事である。当時、ボーイズリーグに入った頃は、ここまでお世話になるとは考えていなかった。8月は後少し、しかし、まだ3大会を残している。潤は、監督を胴上げしたいと、面談を終えてから言っていた。 |
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2005年8月1日 (月)
日本選手権へ出発
仕事を終えて、家に着いたのは7時半だった。潤を起して、8時15分に出発した。広島駅に10時集合だ。わしは、駅のすき屋で牛丼を食べた。潤は、セブンの弁当で朝飯にした。バスが走り出すと、眠気が襲ってきたが、深い眠りにはつけなかった。うとうとしているうちに大阪は心斎橋チサンホテルに着いた。午後3時15分、順調に移動できた。一度チェックインを済ませ、主力メンバー13人でバッティングセンターに練習に行った。私は引率役だ。心斎橋バッティングドームだ。ここは、春の選手権大会の時もお世話になっている。軽めの調整で一人160球の打ち込み練習を行った。予め値段交渉していた為、通常の2割引きで行う事が出来た。皆、物足りなさそうだったので、自腹を切って、12回券を購入した。それで打順通りに一人ずつ打たせた。今までは6箇所のケージにバラけて打っていたのが、一つのケージで皆から注目されながら打つことになった。子供一人一人特色があって面白かった。ホテルに帰る頃は6時前だった。一度部屋に戻り、1階のレストランに行くと皆、テーブルについた後だった。久しぶりに、ビールを飲んだ。子の1年間を振り返り、話題が弾んだ。明日は、大丈夫かなぁ。 |
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