2006年10月31日 (火)
宮崎に帰る
10時40分に家を出る予定だ。潤は朝風呂に入り、近所の酒ショップに挨拶に行った。玉子焼きのケチャップがなかったので買いに行かせた。本当は如何でも良かったのだが、以前、酒ショップのおばさんに、帰る前に一度お店においでと言われていた。それで潤は昨晩挨拶に店に行くと、寮では食べる事の出来ない駄菓子を袋に詰めてくれていた。寮に持って帰るお土産を用意してくれたのだった。そして、なにやら、お小遣いまで貰ってきたのだった。潤が幼稚園の頃から知っているおばさんだ。そこに最後の挨拶を行かせたのだった。朝飯を済ませ。学生服を着た。靴は新しいクラリーノを履いた。革靴は荷物がいっぱいなので、今度私が宮崎に行くときに持って行く事にした。潤が、ボソリと帰りたくないと言った。時計を見た。2時間半後には、潤も私もいつもの生活に戻ってしまう。また一人だ。潤は日々奮闘が始まる。良き中間は居るだろう。しかし甘える事が出来ない戦いの世界だ。潤を空港に送る車の中で、潤は携帯で、私の動画と写真を撮った。広島西飛行場の入り口で、潤の携帯で二人顔をくっつけて写真を撮った。今時の普通の高校生はオヤジとこんな事せんだろうなぁ。潤は良いヤツだな。定刻になり、潤は握手をすると搭乗口に消えて行った。私は北側の駐車場の端に飛行機が離陸する様を見に行った。一人また一人、35人乗りのプロペラ機に乗り込んでいった。潤は恐らくもう乗り込んだ後だと思う。飛行機につながれていた大きなパイプと小さなパイプが外され、空港の整備の車2台が飛行機から離れた。右のプロペラに続き左のプロペラが回りだした。プロペラの音がバタバタ言う音から、プーンという静かな音に変ると、機体が動き出し、滑走路に向かった。滑走路は北から南に突き出している。暫くの停止の後、機体が滑り出し、数百メートル走ると、ふわっと離陸していった。あぁ、行ってしまった。飛行機は左南東に旋回し小さな点になりやがて見えなくなった。現実の世界に引き戻された。さて、車を運転して帰らなければならない。目の事や左手の事もそうだが、脱力感で暫く、運転席でハンドルを握ったまま駐車場で暫く、ぼーっとしていた。家に着いたのは、潤が宮崎に着いた時間とほぼ同じだった。玄関を入り、メイがちょこんと首を覗かせた。ソファーにごろりとなった。暫くして無事に着いたと連絡があった。一安心だ。寮母さんがちゃんぽんを食べに連れて行ってくれたらしい。練習に間に合う時間だが、今日は休んで良いと監督から言われたそうだった。今日は寮でノンビリできるらしい。良かった。 |
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2006年10月30日 (月)
病院
朝から、喧嘩である。朝飯をボーっと食っている。ピザトーストを作ってやった。私は今日、脳神経外科の診察があり、CTスキャンの予約をいしている関係で、病院に行くためにタクシーを呼んでいたが、久しぶりのテレビを見て、口元が止まっちゃっていた。こっちは、焦っているのにぃ。着て行く服がないから出せと、わしは、病人だぞと言いたい。潤は付き人だろうがぁ。まぁいいかぁ。無事タクシーに乗り、二人仲悪く病院へ。潤にとったら、病院は、勝手が分らず、暇なところだ。月曜日でごった返していた。CT撮影を終え、診察室へ呼ばれた。事故当時の画像と今日の画像を照らし合わせた。事故当時の頭部の画像は、左目の置くが出血していて、鼻の奥が奥が折れていた。頬骨の折れた箇所の骨が二重に重なっていて、うっすら写った皮膚の部分が、右頬と比べて、倍以上の厚みに複雑に膨らんでいた。今日の写真では、出血部分は綺麗に消えていた。頭部左半分の感覚麻痺は依然続くが、脳神経外科での治療はもうないということで再診不要とお墨付きを貰った。硬膜外出血の再発はないという事らしい。頭は割れたままではあるが・・・。頭蓋骨や頸部は、耳鼻科のテリトリーらしい。耳鼻科は8日に再診だ。潤と病院のとなりのサティーに服を買いに行ったが、めぼしいのがなく、断念した。タクシーで、波出石交差点のユニクロに行った。秋物の服がないので、購入した。なにやら、女の子と後で会うらしい。会いたいとメールを貰ったらしい。ユニクロの大きな袋を抱え、歩いて、近所の回転寿司で腹ごしらえをした。めがね21で事故で壊れためがねの代わりを購入に行った。あの事故のとき、めがねが目を守ってくれたのだと思う。左目の直ぐ横には、切り傷があった。そして、めがねの形の赤黒い内出血が目の周りについていた。今日3度目のタクシーで家に帰った。私が疲れて、ソファーで横になっている間に、潤は着替えて、デート?に出て行った。夕飯はフライドチキンと豚しゃぶとホワイトカレーを作った。夕食を食べながら、借りてきたゾンビのDVDを見た。私は、目が辛かったので、見ている振りをした。今晩もバッティングセンターに出かけた。ビデオとDVDを返却しに行った。その後、満腹な潤は、車で寝息を発て始めたので、本屋さんに寄った。暫く駐車場に停まっていた。起こすのが可哀想だった。家に帰った時ぐらいノンビリさせてやりたいと思った。寮では毎日5時半起きで11時寝だと言う。目覚めた潤は、そこがバッティングセンターではなかったので、訳が分らない様子だった。本屋だよ、どうせこのまま行っても寝ぼけているから、ココで少し休んでいこう。好きな本買っていいぞ。娯楽雑誌でも買いなさい、と告げた。私と潤は広い店内で別々に動いた。15分程して潤は一冊の本を持っていた。雑誌ではなかった。娯楽雑誌を買えばいいのに・・・。潤が持っていたのは、アスリートのための栄養学の難しい1800円の本だった。故障して、色々考える事があったんだろうなぁと思った。私は、週刊ベースボールを買った。読むところは3ページしかないのだが、この3ページを出来るだけ潤に理解して欲しかった。大事なところは、以前はメールしていた。バッティングセンターで練習した。今日は久しぶりにデジカメで撮影した。1回25球でHRの的に2回当たった。狙っている訳ではないが、良い打球が飛ぶので、当たり易いのだと思う。潤の打球は、他のプレーヤーのそれとは音が全然違う。もっとも、月曜日のこの時間帯は遊びでやってくるあんちゃんか、酔っ払いしかいないから、当たり前かとちょっと納得。あんちゃんは、ちらっと見て意識しているようだった。9ゲームやって終了。今日も遅くなった。潤は、自分が買った本を興味深げに読んで、私に説明してくれた。カロリー計算や試合前の食べ物、朝食について興味深げに読んでいた。私が、以前から煩く言っていても判らなかっただろうし、潤にとってベストの食事環境とは掛け離れた外食三昧だった。私は自分が潤に食事を上手く準備してやれない分、沢山食えと、かなりプレッシャーを掛けていたと思う。また、足りないものをサプリメントに頼っていた。そうやっていつもせかされるのが、嫌だったと思う。まぁしかし、それが、今自発的に考えられるようになって来ているのではないかなと、今後に期待をしている。もう故障はして欲しくない。良く食べて、良く寝て強い大きな身体を作って欲しい。 |
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2006年10月29日 (日)
つかの間の休日
朝食は夕べフレスタで買った680円の230グラムのステーキ、サラダ、パンにバターと蜂蜜を塗ってやった。ミルクティーを作った。今日は潤とは別行動だ。私はリハビリを兼ねて、庭木の手入れを行なった。潤は中学時代の友達と遊ぶため、出かけて行った。時間が十分あったので、焦らずノンビリ庭木を刈った。刈れてしまったコニファー3本をのこぎりで切り倒した。刈った落ち葉や小枝は米袋5袋分になった。複視で手元が見えないので、片目で変りばんこに見る。左目の画像が右に傾いて見えるので左目を使うと目眩がする。肩が凝って頭痛がした。普通に目が見える時が懐かしい。普通に見えるは何と素晴らしいんだろうと不自由になって気がついた。メイを庭に出して、芝生で白い椅子に座り、ボールでメイを遊んでやった。この目と左手との戦いはいつまで続くのだろう。潤は6時になったら帰って来るといって外に出たが、5時頃電話が掛かってきた。話し振りで延長したいのが分ったので、7時頃帰ってくれば良いと伝えた。潤は、まじめだなぁ。一人しかいない親に気を使って電話をしてきたのだった。中学生じゃあるまいし、本当は何時でも良いのに。バッティングセンターに行った。懐かしい。腰を痛めているので心配だったが、腰を回転させるのは、比較的大丈夫らしい。走ったり、かがんだりするのが、まだ抵抗があるようである。7ゲームして終了した。中学時代と、打球が全然違った。前腕と広背筋を故障者リストの間、鍛えていたと言う。上半身はボクシングの亀田みたいだ。広背筋はそれ以上だ。6月頃の前腕と、今では全然違う。これなら、スナップも利くし、打っても投げても、身体に無理なく行なえると思う。帰りに、紺のれんで食事をした。ラーメン屋さんだ。ココも練習帰りに良く行った店だ。時間帯もちょうど良い。中学時代と同じ午後11時30分を過ぎている。この時間、良く通ったものだ。 |
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2006年10月28日(土)
ジャガーズへ
ジャガーズに挨拶に行った。高校の学生服で出かけた。軽く練習が出来るように、ジャージを持って出かけた。既に3年生が引退しているので、知った顔ぶれは、半分以下になっている。早いなぁ、月日が経つのは。トスマシーンとティーバッティング、軽めのキャッチボールを行なった。午後3時頃、グランドを後にした。潤の日用品を買いに行った。夕べ靴を直しはしたが、やはり心配なので、新しいのを購入する事にした。疲れたのだろう、グランドか、靴の安売り王までの30分の間、車の助手席で寝息を発てていた。私は、相変わらず、目は下半分が複視になって物が良く見えない。昨日までの交通手段はタクシーだったが、やはり、タクシーでは、自由が利かないので、今日から、車を運転する事にしたのだった。背もたれを立てて、あごを引いて、上目遣いに見れば、メーター以外は、だいたい見えるようになった。首が非常に疲れるのだが、疲れたときは、片目運転で引いた顎を元の位置に戻し運転する。今現在も自分の両手を見下ろす事が出来ないのである。まぁ、おかげで、低速運転の安全運転だ。学校指定革靴と同じデザインのクラリーノがあった。雨や汚れに強くて丈夫である。私はクラリーノが好きだ。これから、寒くなるし、蒸れもそう心配はない。雨で湿った革靴を履くより何ぼかマシだと思う。靴下を4足ついでに購入した。その後レンタルビデオショップで男達のヤマトとゾンビの映画を借りた。吉野家で夕飯後家に帰り、二人で映画鑑賞した。中学時代の日常に戻ったような気がした。明日は、潤は友達と会うらしい。 |
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2006年10月27日 (金)
帰ってきた
広島西飛行場にタクシーで迎えに行った。夕方5時35分の到着予定通りに、飛行機は夕方の赤く染まる空から、ライトを照らしやってきたので直ぐに見つける事ができた。今日は寝室とリビングの大掃除をした。目が悪いので、下が良く見えないので、頭をうんと下げて掃除をしていたため、肩こりで頭が痛かった。潤が7ヶ月ぶりに帰って来きて潤にどう接するか考えてみた。今、私は自分が後遺症で、普通の事が上手く出来ない。しかし、人生もそうだと思う。普通でいても中々上手くいかない事は世の中に多いと思う。失敗や試行錯誤しないで上手くいかない事の方が多いと思う。高校生になり、が体はでかくなっても、潤は子供だ。飛行機に一人で乗るのも初めてだし、人は色んな経験をして大人になっていく。帰省の金が足りなくて、寮のみんなから貰ったお見舞金を使ってもよいかと、一昨日電話があった。私は潤がコンタクトレンズの代金8000円くれと言うところ、24日1万円を送っていた。2000円ばかり余裕は有る筈なのに金が足りないと言う。寮母さんが送っていってくれるという言葉を、潤は空港までと勘違いしていた。JR住吉駅までと後で分かった。空港までの電車賃500円が無く、それでお見舞金を使ってもよいか相談してきたのだった。その事を、頭ごなしに怒鳴りつけ、一昨日は電話を切っていた。しかし、考えてみれば、お父さんの事故でお金が要るからと言う事で、父母会や寮母さんらが集めてくれたお見舞金だ。私だったら、足りなかったから使ったと事後報告するに違いない。潤は、ちゃんと電話で困った状況を、相談してきたのだった。何で怒鳴ったのだろう。失敗は付き物だろう。今度は上手くやれとどうして言えなかったのだろう。子供には人の気持ちを考えろとか、感謝の気持ちを持てと言うけれど、結果に対して腹を立て、金が足りない事に、怒っている。理由も聞かず無駄は敵とばかりに、自己防衛が働き、どうして、潤が電話をしてきたかなど全く相手の立場を考えない一方的な怒りになっていた。子供が心を開いているのに、それをバタンと強く閉め追い払ってしまったのだ。7ヶ月ぶりに私の見舞いで広島に帰って繰る潤に対してだ。その事を冗談交じりに人に話して見て自分の愚かさがわかった。残酷なダメ親父だ。自分だって失敗するじゃないか。失敗を咎めたら、子供はどこでそれを失敗できるんだ。失敗しても心を開いて良い方法を授けなければ、どんな大人になるだろう。少しの困難を恐れ、ミスを隠し通し、自己防衛の働く利己的な人間になるであろう事は、想像するに難しくない。まして難しい年頃に差し掛かっている。一言で傷つく年頃だ。飛行機が滑走路に滑り込み、一度向こうの端まで行って引き返してきた。夕焼けが紫色の空に変わり、駐車場の端の飛行機が良く見えるところで携帯電話のムービーで着陸の様子を撮っていた。飛行機が空港ターミナルについたので慌てて、到着ロビーに向かった。35人乗りのプロペラのコミューター便だ。最後の方に出てきた。学生服に野球のバッグを肩から下げていた。私の口からは、やさしい言葉は出なかった。そのままタクシーに乗り込んだ。漸く話ができた。結局お見舞金には手をつけず、ジュースを飲んで200円余ったとの事だった。潤とタクシーで回転寿司に乗りつけた。潤は10皿食った。履いている革靴の甲の部分と、横の部分の縫い合わせが切れていて、、歩きにくそうだった。家から通っていたらこんな思いはしないだろうなぁ。潤と歩いて近くのサンリブに靴を探しに行った。学校指定の革靴に似たものは無かった。カップめんと炭酸を買った。それと半額になった。ハンバーグの肉の塊を買った。タクシーで家に向かった。メイに抱きつき、荷物を置くと、団地の友達に会いに公園に出て行った。約一時間友達と話をしてきたと言う。風呂に入っている間にハンバーグを作ってやった。ハンバーグもスープもインスタントだけど、生野菜を沢山入れてやった。文句も言わず、全部たべて、流しに片付けた。部屋が綺麗になっていると、喜んでいた。潤が寝た後、壊れた埃だらけの革靴をテーブルに新聞紙を敷き置いて暫く眺めた。甲の部分がほつれてスリッパのように引っ掛けながらカポカポ音を発てて歩いているのを思い出した。黒の木綿糸を4本に束ねてほつれた部分を縫った。甲と両サイドが2足とも切れていた。左手親指が動かないし、目が良く見えないが、刺繍張りは直ぐに糸が通り、片目で見れば物は見える。遠近感は、右手で弄り革靴に開いた糸の穴を見つけるのはさほど難しくなかった。それでも深夜2時になってしまった。靴墨を塗りブラシで磨いた。糸をボンドで補強もした。明日の朝、制服でお世話になったボーイズリーグに挨拶に行く。踵は磨り減っているがまだ暫くは使えそうだ。黒光りした靴を玄関にそろえて置いた。喜んでくれるかなぁ。 |
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2006年10月23日 (月)
予約
夜降った雨は朝には上がっていた。会社に出勤、デスクワークなのに机の上が良く見えない。視線の下半分が、相変わらず見えない。むっちゃ肩がこり首が痛い。会社に交通手段変更の申請をした。バイク通勤から、バス電車を乗り継いで出勤するように申請した。久しぶりに保険屋さんから電話が掛かってきた。このままタクシー使い続けるのも何だから、公共交通機関で出勤したいと告げると、平衡感覚失ったままで公共交通機関の利用は、何かあったらマズイから、やめてくれと言われてしまった。保険屋さんも慎重になっているようである。移動はこれまで通り、当分はタクシーになりそうである。既に運転手さん数名とは仲良しになっている。1年前、潤と私は社会人野球にまぎれて、宮崎遠征した時、バス乗り場まで送ってくれた運転手さんが覚えていてくれて、いつも野球の話になる。営業トークだろうが何となく嬉しい。甥っ子が広商出との事だった。インターネットで飛行機を予約した。週末なのでスカイメイトは、使わない。裏技は先輩から聞いて知っているのだが、面倒くさいから使わない。そんな元気はない。27日金曜日に帰って来る。学校の許可は2日の休みだが、勝手に3日休ませる事にした。土日を挟んで5連休だ。一応名目上は看病。宮崎に戻るのは31日火曜日だ。30日は私が脳外の診察があり、CT撮影の予約があるため、飛行場まで行けない。それで、一日伸ばしてリハビリをサボる事で31日にしたのだ。潤が広島に帰ってきても、車を運転できないので、不便だと思う。タクシーを乗り回すのも気が引ける。まぁ、何とかなるかぁ。 |
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2006年10月22日 (日)
帰省許可
昨日は、ちょっと言い過ぎた。潤がどんな気持ちで、久しぶりに電話を掛けてきたか、その気持ちを考えずに、自分の思いだけをぶつけてしまった。潤は自分の腰の故障に加え、親父の交通事故でさぞかし、心身ともにメイっていただろう。通院費も嵩み、それを言い出せずに居た事もあった。可哀想な事をしたと思う。昨日は、事故直後の私の写メールを潤に送りつけて、「これを見ろ、これが父さんだ。これを見て如何思うか、お前なりに考えて頑張れ。」等と、頑張っている潤にこれ以上どうしようもないのに、追い討ちを掛けるひどいメールを送ってしまった。ぎりぎりまで追い詰めているのかも知れない。今日は、こちらから電話した。昨日の事を先ずは謝った。昼頃、潤のユニフォーム姿の写メールが来ていた。元気そうだったので嬉しかった。今日、部長と監督から、話があったと言う。故障している上、実家で一人のお父さんが交通事故だから、公式戦も終わった事だし、学校を休んで良いから、少し、家に帰って来いと言われたという。潤の言葉に、どうしてよいか、揺れ動く気持ちが見えた。私に何か言われまいか困惑している様子だった。帰って来いよ。初めての帰省だ。夏休みも帰っていない。一年生でただ一人、一度も帰っていない潤だ。金曜日の飛行機で広島に帰ってくればよいと告げた。声が弾んでいた。 |
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2006年10月21日 (土)
落胆
8時ころ電話があった。一年生大会は1回戦負けらしい。3−1で大宮に敗れたらしい。潤は故障者リストだ。1年生は全員背番号をもらえるらしい。潤は20番を貰って喜んでいた。故障者の中で一番番号が若いらしい。馬鹿やろーだ。全く腹が立つ、小中学校と腰だけは傷めないように気をつけてきたのに。バッターは腰が命、スポーツ選手で腰が悪かったら終わりである。そもそも原因は無理をしたことである。体重をカバーしてそれ以上の事をするから壊れるのである。飯を食って身体を作らないからそうなるのである。必然的に壊れたといっても言い。バカヤローだ。体重が11キロ落ちて、そんな中無理をした。体を作るのが先だ。現在も中学3年の体重には戻っていない。寮の飯は決して満足な飯とはいえない。それでも、みんな何とかやっている。飯を食えないやつがいけない。サプリメントなど飲んでも、基本の基本、飯を食えないやつは、スポーツする資格などない。身体を作れないやつは、辞めたほうが良い。バカヤロー |
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2006年10月21日 (土)
体の状態
事故から一ヶ月経つ
外傷的な怪我は、殆ど治りつつある右足太もものかさぶたと左手親指の縫合にかさぶたが残っている。左目尻に小さなかさぶたがある。全身打撲で左肩が上がり難い。左手親指は間接が外れ後ろに反り裂けた部分より第2関節と手首の腫れの所為で第一関節が曲がらないのだと思う。外れた第一関節は縫合の傷口はあるが、全然痛くない。第二関節の腫れの所為でロックしているような感じを受ける。左目の画像のぶれは、先週に比べ、ゆっくりではあるが回復に向かっていると信じたい。最近、ちょっぴり諦めムードが漂っている。目線より下半分が、画像がダブって、何がなんだか分からなくなるのだ。だから、たとえば食事をするときは、目線を下に向けると右目の正常な画像と、左目の右に寄った(寄り目)かつ全体的に下に下がった、かつ、右下がりに傾いた画像が同時にみえるので、頭がくらくらして、どうにもならない。これを回避するには、うんとあごを引いて、頭を垂れて、上目使いにして、眼球が上を見るようにしてやるか、右目か、左目で変わりばんこに食卓や手元を見るしか、方法が無い。普段の生活で、歩く時などは首を前に突き出し、頭を1時の方向にちょっとだけ傾け、あごを引いて上目遣いにすれば、中遠距離は見えるが足元は当然見えない。会社では椅子に良くぶつかる。メイの散歩では、糞を拾うのが一苦労である。頭を、股を覗くような感じまで下げないと、地面が見えないのである。口は相変わらず指2本分は開かないので、ゆで卵やバナナを食うのが難しい。顔面及び頭部前半は相変わらずしびれている。左額はナイフで切られても、感じないだろうと思う。口の左側のよだれの調節が上手く出来ない。最近漸く勇気が出て、顔面の骨折部位を指先で感じ取れるようになった。会社のセキュリティーシステムでパスワードと顔認証がある。カメラで顔を認証し本人確認するやつである。これが、顔面の陥没骨折以来、エラーではじかれて、入室できない。困ったものである。確かに、左半分が、以前とは違うと思う。頬の出っ張りと目が落ち窪んでいるように感じる。どうしても、両目でモノを見ようとするので、首を前に出し猫背で上目遣いで頭が右に傾いているので、非常に疲れる。車は、当然運転できない。自転車、バイクは、全然無理である。人ごみも歩けない。診断書によると、外傷性硬膜外出血、眼窩底骨折、上顎骨折、左頬骨骨折、肺挫傷、左第一指脱臼、全身打撲、顔面打撲眼球運動障害と言う事らしい。 |
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