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12月春に向けて、体調管理万全で望んで欲しい。強く逞しく力を溜めろ!

2007年12月15日 (土)  宮崎に再び

先週の初め頃、学校の連絡網が回ってきて、緊急保護者会が土曜日に開かれた。その関係で、金曜の夜広島を発ち、早朝宮崎入りした。年内もう行くつもりは無かったのだが、しょうがない。必ず来てくれとの事だった。話しは、学校で起きたある問題の事だった。それに野球部員が直接は関係していないのだが、うわさがうわさを呼び、チーム内は拙いようになっていたので、その説明会が行われたのだった。とりあえず、一安心だ。高野連にも届けてあった。学校として対処したので、特にお咎め無だった。私的には、特段、問題視はしていなかったので、なんだ、これぐらいの事でという感じ。というか、アウェイだから、情報が入ってこないのだ。まぁ、良かった事は、これがあったから、また潤に会いに行く事が出来たという事だ。まぁいいかぁ。

2007年12月14日 (金)  電話

潤から、電話があった。夕べ母さんから電話があったという。日本のどこかにいるらしい。年末年始は母国に帰るという。3年卒業後か、3年の冬に一緒に行こうと言われたらしい。どんな気持ちで電話を聞いたのかなぁ。潤は小さい頃置き去りにされたのに・・・。潤には、「母さんが居ないのは現実だ。みんな人それぞれだよ。これが現実なんだから、正面から受け止めて、強くならなければいけない。」と小さい頃から話していた。潤は、母さんの事を考えないようにしてきたはずだった。きっと、もう若くはない母さんの事を心配しているのだと思う。

2007年12月9日 (日)  はやいなぁ

早いなぁ、宮崎から帰ってきてはや一週間過ぎてしまった。ボーイズリーグの練習を終えてから、潤に電話をしてみた。今日も紅白戦があったという。 午前中7イニング、午後5イニング行われたという。午前の試合4番レフト第一打席レフトライナー、当たりは良かったらしい。第二打席、ライト線へあわやHRの当たりが向かい風でライトフライに倒れた。第三打席ランナー1塁で右中間オーバーの3ベースヒット。午後の試合、4番センター、第一打席外角のフォークをあわやセンターに抜ける当たりをショートがファインプレー、しかし、1塁セーフの内野安打その後盗塁を決める。第二打席も同じく内野安打だったという。ネット裏で、指導者が、潤の守備に着いて、良くなったと言っていたらしい。その事を、一年生が教えてくれた。潤に最近言っている事は、思考回路を変えろという事。思考回路を変えれば、今まで出来なかった事が出来るようになる。重たい大きな扉をこじ開ける事が出来る。どうしてそれに気が付いたかというと、健康診断で私自身の血液検査で結果が思わしくなかった。それを、改善しようと、ブートキャンプを始めたのがきっかけだった。会社の同僚誰からも、冷ややかに嘲笑された。ところが、どうだ。出来たではないか。この私でも、出来たのだ。しかも、きつくて辞めたいと思ったことは一度も無い。悔しかったのだ。DVDの綺麗なねーちゃんが平気な顔で踊っているのに、わしはゲボを吐いた。最初はそうだったが、というか、今は楽しくて仕方が無い。今日もボーイズリーグの練習の後2セット行った。2セットやると約2時間かかってしまうが、既にライフワークになっている。現在−14kg、ウエスト−14cmだ。何を変えたか?考え方を変えただけ。血液検査の結果は、きっかけに過ぎない。昔のような独身時代の体型に戻ってみたかった。このことを、徹底的に回想し、楽しいイメージを膨らませた。そして、一週間もすると、身体の変化に気が付いて、そして、やめることが出来なくなった。昨年一度死に掛けた身体だ。自分の変化を試してみたかった。そして、苦痛や苦労を感じることなく出来たではないか。しかも、嗜好まで健康的に変わってしまった。つまり、何が言いたいかというと、「思考は実現する」ということ。これは、ナポレオン・ヒルの言葉だ。この短い言葉に、生き方のヒントが凝縮されていると思う。潤にこの事を改めて、伝えた。

2007年12月1日 (月)  交流試合と送別会

潤のベットを11時頃起きて、寮の廊下に出てみると、3年生の保護者が、部屋の片付けを行っていた。早いなぁ、そうかぁ、今日交流試合と送別会を終えてしまえば、3年生は今月22日には、寮から居なくなってしまう。郷里に帰るのだ。そんな事もあって、親御さん達が、大型のカラーボックスや家具を少しずつ処分したり、荷造りしていた。潤も来年の今は、進路も決まって、同じように今日の日を迎えるのだろうか。色んな事が思いこされた。小さい頃に母さんが居なくなった事、野球を始めた事、美味い飯を作ってやれなかったこと。バッティングセンターから、深夜10キロ歩いて帰らせた事等々。母さんの誕生日に潤はメールと電話をしたと言う。でも、どちらも繋がらなかったという。母さんが居ない事の所為にせず、強く逞しくやさしい青年に育ってくれたと思う。環境が潤を強くしたのだと思う。そして、今厳しいポジション争い中の高校野球だ。矛盾だらけの事もある。納得いかないこともある。これら、全てが、強くなるための材料だと思えば、立ち向かって行けるかも知れない。じつは、昨日、車を運転しながら、この事がぐるぐる頭の中を巡っていた。家で、いつも一人だったけど、母親を恨んではいない。やさしいヤツだ。グランドで13時から試合が始まった。3年生21人対2年生20人だ。総力戦だ。潤はレフト4番だった。電話やメールで4番が多いとは聞いていたが、まさか本当に4番とはなぁ。とはいっても、実際には、故障者が居たりや1年坊主が試合にでないから、微妙といえば微妙なのである。まぁ、いいかぁ。試合は、圧倒的な審判の誤審いや、特別ルールというか圧倒的3年生有利の大笑いのジャッジで場が盛り上がった。また、2年生は、守備では態と落球したり、3年生の打席を回すことに気を使ったりもした。理事長や学校首脳陣が見守る送別親善野球大会となった。潤は四打席二安打だった。後で叱ったのだが、いくら、親善試合でも、ボール球を打った事(兎に角四球が嫌だったらしい)と1アウトランナー3塁で1ボールの次の難しい低めのボールに手を出して、セカンドゴロになったのは頂けなかった。ランナーを帰すつもりなら、バッティングカウント迄待つか早い段階で手を出してはいけない。この冷静さがどんな時にも持ち合わせていなければ、4番などお笑い種である。と言う事で試合中に潤の打席全部について、論評をメールしてやった。一方守備は、レフトから、ホームをライナーで刺したのが非常に良かった。それとレフト前をダッシュで追いつきハーフウェー上の1塁走者の帰塁をもう少しで刺すところだった。この2個は評価に値した。強肩とコントロールがアピールできた。なんだか申し訳なかったのだが、潤以外の選手は、結構メンバーが代わっていたのに、潤には守備交代も代打も無かった。この調子で春を迎えられれば良いのだがなぁ〜。試合は、3年生の圧勝で無事に幕を閉じた。最後は保護者も選手もみんなで記念撮影を行った。夜はレストランを借り切って送別会が行われた。なんと余興の司会進行は、潤だった。総勢160名の会場でマイクを持ち時折ギャグを飛ばしていた。このような、キャラだとは、親の私も知らなかった。練習不足で、間が持たない事もあったが、度胸が据わっていて、ちょっと嬉しかった。会の終盤子供から親への感謝状を朗読する場面があり、色々な思いが込められて、会場の誰もがもらい泣きをしていた。まぁ、いずれにしても後8ヶ月しかない。そして、送別会まで後1年。今日のこの会で色んなことが心に刻まれたはずだ。高校生活後1年、爆走するにちがいない。