リトルリーグも余す所6ヶ月、そして2ヶ月後には学ランに袖を通します。輝いていた小学1年生の頃のように、野球少年は間もなくピカピカの中学1年生。一緒にグランドで遊んだ思い出は、子供がくれた、私へのプレゼントだと思います。

  • 2003年3月22日
    昨日の敗戦で、一層団結したチームメイトの一人A君が昨日今日、明日とうちで合宿に入った。昨晩はバッティングセンターで打ち込んだ。今日は、メリハリを着ける意味で練習はない。しかし各自自主トレというカタチになったようだ。チームメイトが数名、グランドに上がって、練習をしていると、ある保護者から連絡が入った。あいつら、頑張ってるなと思いつつも、その電話をボウリング場の中で受けた。ボウリングを2ゲーム行って、気分をリフレッシュ。そして、倉重運動公園に行って、バスケットボール。続いて、キャッチボールとピッチング。広いグランドに移動して、内野ノックと外野ノックを行った。その後は、フィールドアスレチックで潤とA君は鬼ごっこをして遊んだ。私は、芝生の上で昼寝をした。水曜日からの嘔吐下痢症と試合の疲れで、ちょっと動くと眠たくなるのである。ようやく、2人が遊びに飽きて帰ってくる頃には3時になっていた。昼飯を食いに、一度家に戻った。子供達にヤキソバを作って食べさせた。私は、相変わらず腹痛で何も食べる事は出来なかった。そのうちに、眠たくなって、6時半まで、変な昼寝をしてしまった。なんだか寒気までして、喉が痛くなった。2人の子供は私が具合が悪いのを知って、2階の部屋で、何やら大人しく遊んでいたようだ。私は疲れてソファーには、寝ずにいつのまにかフローリングの床の上に、クッションを枕にして寝てしまった。私がゴロンと寝ると、必ず愛犬のメイがやって来て、丁度お腹の辺りに寄りかかって添い寝をしてくれる。そのおかげで、その部分だけ暖かく、どこかに行かないでくれと願っているうちに意識が無くなった。目が覚めると辺りは暗くなっていた。堅い床で寝たので身体が痛かった。再び、バッティングセンターに行って、一人420球を打ち込んだ。手がガチガチになってきて、A君は手の平の血豆が潰れた。バッティンググラブを一度外して、テーピングをぐるぐる巻いた。そして、その上から、バッティンググラブを着けて、練習を行った。潤も、手にテーピングを巻いて行った。ベンチには救急箱を置いて、私らだけが、週末のバッティングを楽しむ普通の人たちとは、違っていた。一日のバッティングセンター代で4000円以上使っているなんて、普通じゃない。それでも、打率が一割上がる保証はないが、なにか、やらざるを得なかった。明日は全体練習があるし、そこでも結果を出して置きたいと考えたのは、2人の子供も同じはずである。デジカメで撮影しながら、フォームチェックを行った。家に帰ってそれをPCにLOADして、分析した。子供達が寝たのは午後11時過ぎ、私は、彼らが寝てから片付け物をして、腹痛と戦った忙しい一日は、ようやく終わった。
2003年03月24日 13時44分36秒

  • 2003年3月21日
    キリンレモンカップの1回戦は勝ち上がってきた広島南が相手だった。潤は3番センターで出場した。困ったことに、サード予定のY君が嘔吐下痢症で休みである。実は、私も水曜日から、同じ症状で、試合会場まで、車で1時間半の移動中に、コンビニのトイレに2回寄った。幸いにして、潤は無事であった。捕手とサードを兼ね打順1番の病欠は、痛手だった。どうしようか、頭の中で、ぐるぐる考えて見たものの、戦力ダウンは否めない。監督は、大丈夫へっちゃらと言っていたが、暫くすると、「休みか・・・」等と、独り言を言う。監督も私と同じだったと思う。今回、チームの仕上がりは、良かっただけに残念である。潤は、初回ランナー1塁で痛烈なライト線2ベースを放ち打点1とした。2回にセンター前で打点2、その後、セカンドへヒット性の当り、しかし、相手に上手く捌かれてアウト、その後、フルスイングの三振、打率5割で試合を終えた。打ち勝った試合だった。しかし、結果的には味方の守備のもろさに泣いた。事実、4つのエラーは、全て相手得点に絡んでいた。これが、一般的な敗戦理由だろう。だが、私は、そう思わない。昨年度のように、得点が取れなかったのである。少なくともクリーンナップにチャンスは2回はあった。この時、根こそぎ得点に持っていけなかったことが敗因である。残塁の山であった。スタメン君一人が休んでいても、あと8人はスタメンではないか。エラーしようとして守る人間はいない。打撃が、今後の課題である。それにしても、潤の最後の打席のフルスイングの空振りは、迫力があった。思い切り気持ちが入っていた。サードコーチャボックスから見ていた私は、一生懸命やった息子が、嬉しく輝いて見えた。
2003年03月24日 12時27分36秒

  • 2003年3月20日
    タイムリミットが迫っていた。よりによって卒業式の日が、イラク攻撃の日になろうとしていた。朝のニュースが気になった。もし、戦争が起きれば、当然のこと、私の記憶に潤の卒業式の思い出と共に一生残ることだろうと思う。思い起こせば、長男が産まれた日に、旧ソビエトのブレジネフ書記長が亡くなっている。暗い記憶はゴメンだ。デジカメ以外のカメラを撮らなくなって、もう1年以上になる。戸棚の奥から、ミノルタのカメラを取り出した。フィルムがまだ残っていた。どれどれ、大丈夫かな?バッテリー表示が、元気なくブリンクしていた。フィルムも巻き取らない。電池切れであった。全く、準備の悪い私に、腹が立った。どうして今日に限って電池切れなのだろう。数週間前にチェックした時は、大丈夫だったのに。潤は、食事を済ませてから、着替えた。普段なら、適当に、ぱぁーっと着替えるのだが、今日は、小学1年生の時のように、着慣れない服に手間取っていた。ゴムで引っかけ式のネクタイも上手く着けれず、私が着けてやった。すると、玄関の大きな鏡の前に走って行って、鏡に姿を映して、何やら、ポーズを取っていた。そのうちに、洗面所に走って行って、今度は、髪を濡らしてきた。スポーツ刈が伸びて目に入るくらいの長さになっていた。串で松井の髪のように、不慣れに左右に分けた。満足した所で居間に戻って来た。今度は、登校時間を時計と睨めっこして待っていた。「お前、いつも、遅刻多いんだから、最後ぐらい、早く行けよ。」「いいんじゃ、まだ行かんよ。」行きたいのだが、なんだか照れくさい。ソファーに座り、メイを手で撫でながら、時間を潰していた。漸く7時40分になり、行く決心が出来たのか、リビングで新品の靴を履いて、そのまま、玄関に下りて家を出た。私は、デジカメを持って、追いかけた。周りをきょろきょろ、自分と同じように正装した子供がいないか、探しているようだった。在校生は普段通りの私服なので、照れくさかったのだろう。潤が見えなくなるまで、私はサンフランシスコジャイアンツのパジャマを着たまま、学校への坂道を登って行く姿を目に焼き付けた。部屋に戻り、シャワーを浴びて卒業式の準備をした。会社は、当然休んでしまう。忙しいのだが、そんな事は言ってられない。久しぶりにスーツに袖を通した。まずい、ズボンがきつい。段々、私も体型が崩壊していく。年をとったと言うことだろう。息を全部吐き出して、やっとズボンが捌けた。相変わらずテレビでは、10時タイムリミットが迫っていることを頻りに告げていた。目出度い日、煩わしいテレビを消した。潤の小学校は、歩いて約300m、坂を一度下って250mほど登るとそこにある。校舎や体育館が、家を出た所から良く見える。プラタナス並木を真っ直ぐ行けば5分で着く。潤が毎日通った道を同じように歩いて学校に行った。もう、通学でこの道を登ることはない。潤が幼稚園の頃、神奈川県から広島に越してきて、ここは潤のふるさとになった。何故って、潤の兄ちゃんは、引越しで小学校は、3つ通ったし、私も東京の三田小、千葉の柏第三小、東京の巣鴨小と3個所に通った。潤がこの小学校に入りここで卒業することが出来て、本当に良かったと思う。体育館の前には、沢山の卒業生が、集っていて、式の時間調整をしていた。写真を撮り合うもの、照れくさそうにふざけるもの、今日は、皆輝いていた。私は保護者席のパイプイスの前から2番目に座った。式が始まり、在校生の合奏に合わせて、卒業生が式場へと入って来た。潤はすまし顔でゆっくり歩いていた。一人だけ薄黒い肌の色で皆の中に入ると分かる。野球をしているからではない。フィリピンの血を引く潤、卒業式を母親に見せることは出来なかった。自分で言うのも変だが、よく、曲がらず真っ直ぐ育ってくれた。周りや地域の方々に感謝したい。昨日、ぎりぎりで購入した服は、よく似合っていた。今更ながら、昨日の買物、後10分遅かったらと思うと、背筋が寒くなった。こんな綱渡り的な生活をこれまで送ってきた。それでも、何とか満足に卒業式を迎えられた。潤の名が担任に呼ばれ、ハイ!と大きく返事をして、卒業証書を校長から受け取った。落ち着いていて素直で立派だった。式の後、教室に戻り、担任やクラスの仲間と、最後のお別れとなった。潤のクラスは、4階の部屋で席は真中後方だった。みんなで写真を沢山とった。この6年間、通った学校は素晴らしい環境にあった。クラスから瀬戸内海が一望できる。高さ200mの高台にあるため、眺望が素晴らしい。校舎も白と淡いグリーンで統一されていて、美しい。潤の目線での記録を残そうと、校舎からの眺望をデジカメに残した。クラスからグランドにみんなで下りると、在校生が正門まで整列して拍手で見送ってくれた。さぁ、式は終わった、これから、送別会が美鈴ガーデンで行われる。急いで家に帰りいつも通りの服に着替えて出発した。今日は、学生服を買わなければならないし、練習もしなければならないし、忙しい。潤をボウリング場に送り届けた、約半分ぐらいの子供が、親と一緒に来ていて、バイキングを食べた。私は、昨日から、体調が悪かったし、母親の輪に入って行く勇気など無く、駐車場に車を停めて待っていた。一眠りしてからボウリング会場に行くと潤は頑張っていた。何と2位の成績で、賞品にボウリングのタダ券3枚を貰った。表彰の後、担任を囲んで写真を撮ったりしていたようだが、わし、担任と相性合わなかったし、潤も好きではなかったのでさっさと撤収した。砂入り呉服店に行き学生服のサイズを合わせた。本来なら、3月初めに注文で明日21日に三和中学体育館で品物受け渡しだが、どちらも都合がつかない。明日は、キリンレモンカップである。そんな訳で、今日、ここで買うしかなかった。一度家に帰えると、私は、益々具合が悪くなって、寝てしまった。夕方になり、起きてテレビを着けると、イラクに空爆が開始されていた。何たる事か、ついに始まってしまった。具合が悪く、気分も重い。明日、試合に行けるのだろうか。監督に電話して、もし、具合が悪かったら、潤を代わりに連れて行ってくれと頼んだ。私が具合悪くても、潤はピンピンしている。エスティマに乗せ五日市バッティングセンターに練習に行った。軽く調整し150球で終了。夕食の準備もしていないので、ラーメンを食べに行った。紺のれんという店で五日市のコイン通りの宮島海道よりにある。醤油ラーメンがベースでトンコツではない。潤も私もトンコツは好きではない。潤がネギ豚ラーメン、私は、激辛味噌ラーメンを注文した。腹が下っていたが、丸一日食っていなかったので、どうしても何か食べたかった。激辛を食って汗を吹きながら食べれば、少しは良くなるかなと考えた。激辛スープを全部飲んでやった。辛いスープで毛穴全開で汗をかいた所為か、幾分気分が戻った。潤も平田ラーメン以外にも美味い店があったと満足げだった。卒業式の一日は、終わった。潤は、元気の良い父さんを期待していたが、今日はそれが出来なかった。明日は、大丈夫だろうか、情けない。
2003年03月26日 14時53分39秒

  • 2003年3月19日
    仕事中に潤から電話が掛かってきた。「わし、明日の卒業式、何着ていくん?」何か小奇麗な格好でもさせてやろうと思っていたが、未だ何も無い。卒業式の服を買う機会は今晩しかない。今晩は、潤が塾に行っていて帰りは9時半を過ぎる。困った。最後の一日、何とか満たしてやりたい。6時を40分過ぎて仕事を終えた。渋滞に巻き込まれつつも、乱暴な運転で先を急いだ。広島西バイパスを波出石で下りると直ぐ左にユニクロがある。渋滞で車が進まないので、ユニクロの駐車場に車を滑り込ませ、ダッシュで店内に駆け込んだ。卒業式、卒業式と独り言を言いながら店内を駆け足で回ったが、それらしい服は、やっぱりない。カジュアルしかない。先生が正装してこいと言っていると潤は、言っていた。私は、てっきりいつもの格好で良いと思っていた。潤が珍しくしつこく言うのでやっぱ、そういうモノなんだと考えるようになった。もし、うちの子だけいつモノジーパンとティーシャツだったら、母親がいないからとか、あのうちはとか、言われるだろう。私は、構わぬが、潤が一番辛い目に会う。段々事の重大さが時間と共にプレッシャーとなって迫ってきた。ユニクロを飛び出して、サンリブ五日市店に着いたのは閉店20分前だった。2階の子供服売り場に走って行った。自分で探していても、要領が悪かったので、店員さんを捕まえて、「卒業式に着て行くような、洋服ありますか?」と尋ねた。そうすると、親切に案内してくれたが、既に、売り切れていて、殆ど何も無い状態だった。無理も無い、明日が卒業式だもの。紺のダブルのジャケットが1着だけあった。それに会うワイシャツを探したがサイズが無い。仕方無しに2番手候補をチョイス。Vネックのセーターも要るな。チェックのスラックスも見つかった。裾上げどうしよう。悩んでいると、裾上げテープが1階の洋裁ショップに売っていると教えてくれた。レジに、荷物を預けたまま、1階に駆け下りて、それを購入した。まてよ、靴は?黒の靴がない。そのまま靴屋にダッシュで、黒の革靴もどきを購入した。再び2階に上がってやっと一安心、間に合った。お金を払うと閉店の放送が流れてきた。もう少しのところで、買いそびれる所だった。荷物を大事に抱えて、車に積み込んだ。恐らく一度しか着ないであろうに、出費は痛かった。でも、塾から帰って、潤の喜ぶ姿が目に浮かんだ。家に着いて、荷物を隠した。潤が帰ってきて、開口一番「父さん、わしの明日の服買った?」「買わんよ。」とわし。「先生が言っていたのに、どうして買ってくれんの、わしだけ恥ずかしい。可哀相と思わんの?」これ以上、意地悪なウソは着けなかった。買ったことを告げると、途端にニンマリして着ようとしたので、風呂に先に入れと一喝した。カラスの行水のように素早く風呂から上がって、和室に来て、それらを試着した。そして、ズボンの裾ををクリップで留めた。靴も履いて踵の長さに調節した。靴もサイズはぴったりだった。ズボンを脱がせて絶対に失敗しないように、何度も何度も裾上げテープの説明書を読み直して、慎重に行った。時計は明日になっていた。値札を全部外して、潤が明日、気持ち良く着れるように、ハンガーにつるして、しばし、6年間を振りかえった。何とか、親の役目を果たせたかなぁ。
2003年03月25日 18時30分33秒

  • 2003年3月16日
    試合当日、またも雨である。連絡がまわってこないので、仕方なく車で出発した。グランドで集合した時は、本降りになっていた。それにしても、今日も遅刻してくる者がいた。いったいなにを考えて居るのだろう。私も監督も、いい加減呆れていた。挨拶をすませ、試合会場にそれぞれの車で向かった。私と監督は、監督が会社に用事があったため、一度会社によって用事を済ませてから、試合会場に向かった。開会式の時、一度は晴れ間が見えた。しかし、第一試合が始まると再び雨が降ってきた。可哀相に、外野も内野も水が浮いている。すでに、外野は田んぼ状態。こんなコンディションで公式戦を見るのは初めてである。両チーム了解の上、行っているようだったが、選手が思い切りプレーできていないのは、明白。気の毒な試合だった。我々は第三試合だったが、第一試合終了と同時に、本日中止が告げられた。続きの第二試合からは、21日の金曜日から行われることになった。21日は潤の中学用品購入指定日である。こまったな。こうなったら、個別に購入に行かねばならない。学生服の注文もまだである。解散は現地解散となった。雨の中、昼飯を食って解散となったため、時間が余ってしまった。帰り道を運転中に同じチームのY君から電話が掛かってきた。バッティングセンターに練習に行こうと誘われた。それじゃあということで、監督も一緒に連行した。わし、監督のアッシー君も兼ねていたので、一緒に行こうと言うと快く承諾してくれた。一番先に私らがバッティングセンターに到着した。コイン数枚行っているうちに、うちのメンバーが3人やってきた。普段なかなか、個人練習まで、目が届かない。しかし、今日はこども4人で私と監督がケージの後ろで目を光らせていた。皆真剣に行っていた。いつも、こう、真剣だと直ぐに上手くなるのになぁ。A君は指摘すると直ぐに、悪い所が改善できた。良かった良かった。
2003年03月19日 18時55分20秒

  • 2003年3月15日
    試合前日なのに、監督お休み、もう一人のコーチもお休みである。従って私一人で面倒みにゃならなくなった。困っちゃう。昨年度、卒団の保護者コーチを電話で呼んだ。潤は、具合が相変わらず悪かったので、エンジン掛けっぱなしの車で暖房をつけて、お寝んねしていた。息子が調子悪いし、指導者、わしだけで困っていた。午前中は、ピッチングマシンと私で頑張った。昼過ぎには、私の中指には、血豆が出来て潰れんばかりに、ぷんぷくぷん。500球ぐらい投げたと思う。暫くして、昨年度卒団した保護者コーチが応援に駆けつけてくれた。やった、ピッチャー交替!。潤も起きてきて、アップして、打撃練習に加わった。あまり、無理をして欲しくなかったが、自分で起きてきたのでそのままやらせた。婦人部が心配して、声を掛けてくれたが、要らぬ心配である。具合が悪ければ、自分で、判断するっちゃ。練習が止まって、しらけてしまうので、私は、これが、少々気に障った。本当は、心配してくれたお礼を言わねばならないのだが。潤は主将だし、そんなことぐらい、自分で判断できる。というか、他の子も皆具合が悪かったら、言うことができるよ。そういう環境で野球を教えているつもり、だけなのかもしれない。練習している時、ネットに向かってティーをやる選手のトスを潤が上げていた。不幸は重なるものである。みぞおちに打球を受けてしまって、うずくまってしまった。またまた、婦人部が、潤君大丈夫かしら・・・。大丈夫だっツーの、顔見れば、大丈夫って書いてあった。その事で、全員が止まってしまうことの方が、わし、嫌だった。結局何ともなかった。投手の仕上がりをチェックしようと、私は、ブルペンのバッターボックスに立った。内角をえぐる球、投げてみい!「はい!」あいやーー、私目掛けて、ボールが飛んできた。まずい!当る。左肘に「ふん!」と力を入れたら、ボテっと球が下に落ちた。どうして、私の時は、みんな、笑うの!明日、早いので4時半で練習を終えた。それからは、潤が具合が良くなったというので、バッティングセンターに行って、練習した。240球打ち込んで、サンデーサンで夕食を食った。潤にとっては、久しぶりの飯であった。早く体力回復すると良いなぁ。頑張れよ、潤!
2003年03月17日 19時25分48秒

  • 2003年3月14日
    朝練しようと、潤を起こすと、微熱があった。そういえば、昨夜、腹が痛いと言ってトイレに何度か行っていたのを思い出した。あぁーこりゃだめだ。朝練中止。学校もお休みである。昨日疲れて、体力が落ちているときに、夜練して、その後、生ものを食わせた。多分、食あたりだと思う。しかし、ワシ、今日、会社を休むわけには行かない。大事な客先を訪問しなければならないアポイントがあった。おかゆを作った。そういえば、冷蔵庫の中は、空っぽで卵も一つもない、ベーコンやウインナーもない。牛乳もない。おかゆのご飯は、情けないことに、一昨日の残りの冷や飯で作った。黄色く変色し始めていた。ごめんな、こんなもので、かゆを作らにゃならないなんて。しかし、冷蔵庫の中に、スポーツドリンクがあったので、万が一、嘔吐しても、喉を潤すものがあると一安心した。黄色い冷や飯を湯せんして、お湯の中にいれて、鰹節を入れて薄く塩味をつけた。朝は気持ち悪くて食えないと言うので、一旦火を止めて、昼にでも電子レンジで暖めて食えと言って、会社にでた。今日は客先を回らなければならなかったので、車で出かけた。家を出て10分もしないうちに、潤から電話が携帯にかかって来た。気持ち悪くって、間に合わなかった。じゅうたんの上に戻してしまった、と。トイレットペーパーで包んで捨てろと指示した。もう、戻してしまったんだから仕方がない。後は、弱気にならないように、しっかりしろとしか、言えなかった。潤が気にはなったが、結局そのあとは、帰るころまで電話をすることができなかった。大事な会議があったので、携帯電話のスイッチは切っておいた。今日は、金曜日で塾があるが、塾の先生に、事情を話して、欠席を告げた。広島西バイパスを廿日市で乗った時に潤に電話した。大分気分がよくなったという。3時ごろ、おかゆを食べたと言っていたので一安心した。何か、すっぱいものを食べたいと言っていた。スーパーのフレスタで大急ぎで買い物をした。夕べ、腹が痛いと私の布団に潜り込んできたときに妙に潤の足が冷たかった。母さんに似て冷え性なのかなあと思って、鉄分とらにゃぁと、鉄分は、何で摂れるかなあなどと考えた。結局、いつもの半額のカットフルーツの盛り合わせと100円引きのシールの張られたイチゴを買った。急いで家に帰って、ポテトサラダとフルーツの盛り合わせを作った。ポテトサラダにノンオイルのツナを加えた。いきなり、生野菜は、どうかと思ったが、食いたいと言うので、出すことにした。そして、温かいスープを飲ませて、風呂に入れた。風呂から出ると、潤は、さっぱりした顔で気分がよくなったと、いつもの潤に戻りつつあったが、まだ、自分に言い聞かせているだけで、くぼんだ目を見れば、本調子でないのはわかった。明日の練習は、大丈夫であろうか。
2003年03月16日 00時34分51秒

  • 2003年3月13日
    朝練でシャトルティーは、そこそこにして、トントンステップで、ワンバンを投げる練習をした。投げた後、前足に3秒乗っている練習をした。前足に乗れない、野手投げが、潤の悪いところである。練習で、投手の投げ方をしても、速い球を投げようと意識すると、野手投げになってしまっていた。この、トントントンとステップして3歩目に前2mぐらいのところに、ワンバンを投げて、その後、前足に乗る練習をすると、肩も肘も痛くない。理想のホームの腕の巻き込みができた。どうして今まで、これに気がつかなかったのだろう。口でいくら言ってもわからなかったのが、簡単にできてしまう。これは、野手投げの子には、超お勧めであると、今更ながら、気がついた。最初は、マイナーみたいな練習させやがってと、怪訝な顔をしていたが、次第に潤の顔は次第に自信と喜びの顔に変わっていった。何でこんな簡単な事に気がつかなかったんだろう。潤もお気に入りである。今日は、卒業式の練習があるために、残念ではあるが、練習を早めに切り上げた。練習から帰る途中、クラスメートが通りかかり、その子をしばらく待たせて、潤は家に帰り、大急ぎで、クロレラジュースを飲んで、飛び出して行った。なんだかうれしい朝であった。会社から帰ってきて、自転車置き場から、居間を覗くと、メイがちょこんとソファーに座っていて、その下に潤がメイの毛布を引っかぶって寝ていた。わんこ用の汚い毛布であるが、潤もメイも似たようなもの。というか、ほとんど兄弟みたいなんで、まあいいかぁ。潤は時々メイの鼻をかじるし、メイも潤の口の中にべろ突っ込んだり、ふざけているのだが、傍から見ていて、おぇ〜っと思ってしまうぐらいである。動物と仲良くするのは、よいが、お前ら、やりすぎ、そういう関係かと思ってしまう。練習に行こうと、潤を揺さぶり起こした。すると、息苦しい。酸素薄いなどと訳のわからないことを言い出した。とりあえず車に乗せて、ファミリーマートで買い物をした。潤が、マカダミアチョコを食いたいというので、よったのだが、まだ寝ぼけているらしくって、父さん買ってきてときた。ワシが買ってきた方が選り好みしなくて早いので、買ってきてやった。潤に渡すと、最初の一粒目はハンドルを持って運転している私の口に入れてくれた。バッティングセンターに着いて、素振りをして、ケージに入った、またしても、酸素薄いと訳のわからないことを言った。今日、自転車で、友達と遊んで疲れたのだという。なんだか元気なく練習を終えた。150球しか、打たなかった。帰りに祭り寿司に行った。温かいものが食いたいと言ったので、茶碗蒸しを頼んだ。それから、いくら、山芋ウズラ、上はまち、上マグロをお召し上がりになった。ワシはかに味噌があったので、これを食った。蚊に味噌の軍艦巻き、これ、大好き。潤が食欲ないので、白状させた。といっても、ワシが、帰りが遅いからいけないのだが、駄菓子のベビースターラーメンを3袋食っていた。家に帰ると、なんだか気分が悪いと言う始末。居間のソファーにごろんとねっころがった。今度は、頭が痛いと、アイスノンを頭にあてがった。おいおい週末試合だぞ。勘弁してくれー!
2003年03月15日 23時56分40秒

  • 2003年3月12日
    水曜日だけど、朝練を中止にした。肩を休めるためである。今週末が試合のため、無理をさせたくない。今日も潤が学校に行った後で、潤の自転車を修理してやろうと思った。昨日の続きである。今日、自転車の修理を終わらせないと、夜、塾に行くのに困ってしまうからだ。フレームはアルミで錆が出ないのだが、フロントフォークのエアサスペンションの部分が錆びていたので錆落しクリームで奇麗に磨いた。ハロゲンライトを取り付けた。サドルを外して、折り畳み自転車のサドルと交換した。ギアにオイルをさして、奇麗に磨いて完成!我ながらびっくりである。新品になっちゃった。潤には何も言っていなかったので、会社からメールを入れた。私が会社から家に帰ると、自転車が無かった。自転車で塾に行っているのだろう。どんな気持ちで乗っていったのかなぁ。喜んでくれていると良いが。潤が帰ってくる前に、白菜と豚肉を炊いて、洗濯物を裏の物干しに乾していた。自転車の音がして、潤が帰ってきた。「父さん、自転車、ピカピカじゃん。どうやったの。イスも奇麗になっている。」と喜びを表した。潤が喜んでくれると、本当に嬉しくなる。でも、まだ、前輪が歪んでいて、それが気になる。潤が気になるかどうかは知らないが、私が修理していて、これじゃ乗りにくいなぁと感じた。今度は、前後輪、新しいものに換えてやろうと思うが、そうこうしていると、新品の自転車を買った方が安くなるかもしれないな。潤が腹ペコで死にそうというので、豚肉と白菜を焼酎で炊いたやつを玉子でとじて、どんぶり飯の上にぶっ掛けた。簡単で、味は上々と結構、気に入ってくれた。これ監督から作り方を教わった。バッティングセンターに行けない日は、なんとなく物足りないが、生活的には、家の仕事が出来るし、楽で良い。
2003年03月13日 18時46分31秒

  • 2003年3月11日
    朝、潤が学校に行った後で、潤の自転車を修理してやろうと思った。庭で私の自転車と潤の自転車を並べて置いた。私の自転車は後輪のブレーキが擦り減っていたので、先ずこれを修理することにした。今日、自転車で会社に出勤するし、坂を1キロ以上下らなければならない。ブレーキゴムが既に擦り減ってなくなっていて、金属部分が露出して、リムを削り、ガガガッと音をたてていた。これ以上放置は危険だと思って最初に修理した。続いて潤の自転車のライトを着けて・・・と思ったが、まずい、時間切れ。会社に送れちまう。結局、自分の自転車だけ手入れした。夜バッティングセンターに行った。まだ火曜日なのでコイン3枚90球の軽目の調整をしただけに留めた。帰りに、レンタルビデオでDVDを借りた。潤が今日発売のCDが欲しいとせがむので、明林堂でシングル一枚を購入した。CDを買うと、帰りの車の中は、楽しい。潤が思いっきり気がね無く、適当に唄うから。
2003年03月13日 18時00分52秒

  • 2003年3月10日
    月曜の朝は、辛い。潤も同じだろう。朝飯の用意をして、潤を呼ぶと、普段なら、ばたばたと階段を下りてくるのだが、月曜日は、片足だけで一歩一歩踏みながら階段をゆっくり下りてくる。目玉焼きを2個作った。そして、パンを温めてやった。野菜とハムを切らしていて、なんだかバランスの悪い朝食になっちまった。今日は完全オフなので、練習は一切しなかった。夜、家に帰ると潤が寝ていたので、起こさなかった。いつもならたたき起こして、バッティングセンターだが。程なくして潤がお目覚め、ディック五日市店に自転車の部品を購入に行った。錆落しとサドルとライトが必要だった。しかし、サドルは売っていなかった。とりあえず、ライトが買えたので一安心。サドルは、あきらめて、今使用していない折り畳み自転車のサドルと取り替えれば良いとひらめいた。買物の間、潤は、店の外に陳列してある新品の自転車の前ををうろうろしていた。潤は中学生用のアルミフレームの籠付きの27インチのチャリが欲しいようだった。中学生になったら、ダブルサスペンションのマウンテンバイクは、ガきっぽくて、恥ずかしいのだという。贅沢者が、何を抜かしやがるか!と思った。しかし、まぁ、考えて見れば、色んなところで、潤は不憫な思いをしているし、私も絵に描いたような馬鹿親なので、約束した。「この大会、本塁打を打ったら、買ってやるよ。」と、ついに言ってしまった。どうなるかは、お楽しみ。
2003年03月12日 19時41分03秒

  • 2003年3月9日
    今日は、竜王公園のグランドに移動しての練習日である。いつもなら、高低差200mを走って移動するが、今日は、今年度初めて、車での移動にした。荷物がいっぱいあったので、選手がくたびれちゃったら、時間が掛かってしまうからである。今日は荷物がいっぱいである。私のエスティマにガソリン式の発電機とピッチングマシンとキャチャー道具、救急用具、ファンゴバットケース、マシンボール200球等など積み込んだ。8人乗りのエスティマだが、シャコタンになっちまった。駐車場から、グランドまで、高低差が20mぐらいあり、荷物運搬が一苦労である。本来なら、グランドまで車が入れるのだが、心無い暴走族に公園内を荒らされていらい、頭の悪い管理人が車両進入禁止にしてしまい。グランド利用者にしてみれば、えらい迷惑を被っている。ここの馬鹿管理人は自分が手抜きをして、利用者に迷惑を掛けている。需要過多なため、いやなら借りるな!が、まかり通っている。そのうちに、上層部(広島市)に訴えてやろうと思う。それぐらい、荷物搬入が大変なのである。私以外の車には、ドラム延長コードや外野ネットを2巻き積んで、ネットの鉄杭14本とハンマー等、それはそれは、大仕事である。子供をアップさせている間に、グランド設営を大人6人で行った。試合が近いのでクッションボールの練習が必要だからだ。午前中は、ピッチングマシンと、大人が投げて、2個所で打撃練習、兼守備練習を行った。投手は守らずに、打撃練習と、ブルペンで投げ込みをした。潤も投げ込みをさせてもらった。打撃練習では、打席をかなり後ろに下げていたので、61mフェンス越えはなかった。それでも素晴らしい打球が、右へ左へセンターと放たれた。唯一フェンス越えをしたのは、ホームラン競争のライバルの4番のY君だけであった。遠征で彼に、タイに並ばれた。打率は潤が圧倒的に良いがそれでも悔しいものがある。しかし、彼は、人知れず(多分)努力していると思う。成長が著しい、背がデカイし、何をするにもやはり大きいということはそれだけで優位である。潤と、このY君で、これからも引っ張っていって欲しい。潤は、打撃練習で、完全に、自信を取り戻した。迷いがあったトップの作り方がやっと固定できた。この事は、監督と私も意見が一致しており、監督と潤と私で打撃の話しになると潤はそれを楽に受け入れることが出来るようだ。子供にとってありがちなのが、あの人はこう言う、でもほかの人は違うことを言う、これでは、子供は上達できない。だから、監督コーチ以外の他所の人の話しを、子供が真に受けて聞いてしまうと、とんでもないことになってしまう。というか、故障の原因にもなり兼ねない。子供が、何か問題がある時は、私は必ず監督に相談して、意思統一を図っている。一つの結果を導き出すにしても、そのアプリケーションの組み立て方は様々である。無理の無いように順序を追って行っているのに、悪気は当然、全く無いのだろうが、ぶち壊されることがままある。こうなると、子供が可愛そうである。いやな方に話しが進んだが、現場での意思疎通は大事だと思う。だから、指導者以外は、口出しせんで欲しいと思う。でもね、グランドのお手伝いは必要出し、ここらの、大人のマナーが難しい。と奇麗事は言うのは止めて、勝手なことするな!バーロー!が本音である。断って置くが、我が子に言うのなら良いのである。間違っても他所の子に勝手なことを言って欲しくない。親御さんが間違っている場合は、はっきり、違うって言いますよ。そんな、事を思い考えてしまうことがあった。大人は良かれと思って言っても、きちんと子供に伝えないと、子供は、正しく理解しないのです。勿論その大人の理論は間違っていません。でもね、子供には、言い方があるのよー。これがね、非常に大事なのさー。午後からは、マシンを撤収してシートノックとゲームノックを行った。潤は肩痛くないのかなぁ、ガンガン投げちゃっていた。ちょっと、心配だった。それにしても、時折、小雪が降る寒い天気だった。このグランドに来て、寒くない日はない。昼休みの間に私と監督は下界に下りて、サツマイモを買ってきた。七輪の炭で焼きいもを婦人部に焼いてもらった。練習が終わる頃に、丁度焼き上がり、皆で焼きいもを食べた。残念ながら、私の分は火が通っていなくって、お持ち帰りにした。今日も無事に練習を終えた。夜練習の後は、監督と2人で午後8時までミーティングした。可哀相に潤は、車で2時間お寝んねしてまっていた。ゴメンなー、話しが長くなって。
2003年03月12日 19時22分00秒

  • 2003年3月8日
    来週から公式戦だと言うのに、またしても雨である。これで4週連続土曜日に雨が降った。風が強くって、時折青空が見えるが、雲がやってくると、雨である。家を出る時には、ざんざん降りであった。こりゃ、また駄目かと思いながら、車を走らせた。グランド状態は水溜まりが点在するが、差ほど悪くない。うちは、打って勝つチームなので、打撃練習を行った。ピッチングマシンと大人が投げて、打撃練習を行った。マシンだけでは、子供は、タイミングの取り方が分からないため、やはり、人が投げた方が良い。隣りの駐車場には、車がいっぱい止めてあるので、ゴロ打ちの練習をさせた。潤は、潤なりに、タイミングを取っているので、言うのは止めた。潤の今のテーマはタイミングの取り方を習得することである。色々な方角に広角打法で打ち分けていた。いや、タイミングがずれていただけかも?まあ、どちらでも良い。普段、空振りは、ホント、少ない潤というか、マシンでは、空振りしない潤であるが、今日は、珍しく、空振りが目立った。恐らく、自分で考えて試しているのだと思う。だから、この事は敢えて指摘しなかった。練習が終わって、ボウリングに行くことにした。2人っきりで、遊びに行くことにした。美鈴ガーデンで3ゲーム行った。大人や、プロの選手は、試合前のボウリングでバランスを崩して、不振に陥ったということが聞いたことがある。恐らく、パワーボウリングで、重い球を、ぶん投げたからではないかと思う。事実かどうかは、さて置いて、私は、前足に乗る感じといい、球の適度の重さで、上腕のトレーニング的に良いのではないかと思って、敢えてボウリングをさせた。潤も私もパワーボウラーではないし、バランスを意識させて行っているので、良いと思うが、如何なものなのかは、不明。スコアは、やや不調、潤116でわし177がハイスコア、もう、3ゲーム目なんてどうでも良くなっちゃう、腹へって。んで、ボウリングが終わったら、飯じゃなくて、打撃練習である。五日市バッティングセンターに行って、練習、練習、また練習。700球以上打ち込ませた。この間、ケージを出て、休みを1回だけ入れた。の最後の方は、打席に立っているのが、やっとといった感じで、バットが回らなかったが、このぐらいやって、なんとなく、安心してボールを捉えられるようになるのだと思う。一線を越えないと、見えてこないものはある。潤がついにギブアップした。時計は9時半で、最後の一人の客になっていた。隣りのサンデーサンで夕食にした。潤はフォアグラの乗ったハンバーグとドリンクバー、わしはテキサスビーフのステーキとドリンクバーを注文。2人で、あれが美味いこれが不味いなど交換しながら食べた。わし、生まれて初めて、フォアグラを食った。たいしたことなかった。これなら、カワハギ(広島ではハゲという)のきもの方が、100万倍美味いと思った。明日も練習があるので、飯を食い終えると速攻で帰宅した。潤が風呂から上がり、寝る前にスポーツマッサージを行ってやった。ると、マッサージして、筋肉疲労を癒すクリームを塗ってやった。今日はちょっと、練習しすぎたかもしれないな。明日、起きれるかな?
2003年03月11日 13時32分28秒

  • 2003年3月7日
    体調が悪くって今日も車で会社に行った。このまま、だんだん年をとって、身体が動かなくなっちまうんだろうか。頭が痛くって思考力が低下して、仕事もうまく捗らなかった。家に帰ると、潤は塾に行った後で、台所の小さな灯りが一つ点いていた。暫くすると、雨が降ってきた。今日も雨が降ったり止んだりの一日だった。家にだれも居ないのは淋しい。考えて見れば、潤がいつも学校から帰ってきたら、「お帰り」と迎えてくれるものはない。メイだけが、お愛想で尻尾を振るだけだろうと想像できる。潤が塾から帰ったら美味いものを食わせてやろうと、フレスタ河内店に買い物に出た。カットフルーツミックスを買って、アサリを買ってステーキを買ってドリンクを買って、何か足りないものは無いか、疲れを癒すものはないか等とばかり考えて、スーパーの中を回った。潤が帰って来るころに雨脚が強まった。潤の自転車にはライトがついていなかったので、自分でライトを取り付けたと電話で言っていたが、広島の山道は街灯がまばらにしかなく、心配だった。車で隣の藤木台まで迎えに行くことにした。自転車はエスティマに積んで帰れば良い。午後9時15分他の生徒に遅れて潤が最後に塾から出てきた。私に気がつかないで、自転車を漕ぎ出そうとしていた。携帯を鳴らして私が居ることに気がつくと、助かったといわんばかりの顔でやってきた。お尻を押さえていた。聞くと、自転車のサドルが破けていて、そこから、雨水がしみて、塾に行くときに、既に尻がびちゃびちゃにぬれたのだという。塾のストーブで乾かしたが、乾かなかったと悔しそうに話した。家に帰って、先ず風呂に入れてその間に、夕食の支度をした。カットフルーツの盛り合わせは、非常に助かる。グレープフルーツ、ブドウ、メロン、イチゴ、キウイが、彩りよく入っていて、私がいつも買いに行くころは閉店近くなので、いつも半額の200円で買える。潤に申し訳ないので、半額のシールだけ、はずして、食卓に置くと、まず、一番にそれを食べるのである。今日も、最初に食べた。食後は、パソコンでバッティングとシャトル投げの画像をスロー再生して、ああでもない、こうでもない言いながら、居間で練習した。練習を終えて、潤は一度、部屋に上がって行った。自分の部屋でのんびり寝るのだろうと思った。ところが、しばらくすると、降りてきた。私が、相変わらず、PCの前で潤の画像を解析しているのを、知っていて、気遣って、言葉をかけにきた。もう早く寝ろとでも、言いたかったのだろう。照れくさそうだったが、その意思は私には、はっきり伝わった。ありがとうな、心配してくれて・・・。
2003年03月09日 00時23分22秒

  • 2003年3月6日
    3月に入っても寒い。今朝は、雪が降った。みぞれ混じりなので朝練中止した。私は、このところ風邪気味で練習したくなかった。というか、本当に具合が悪かった。潤に牛乳プリンとホットミルクを与えただけで朝飯は終了した。ホントはこんなのでは、いけないが・・。今朝、卒業文集用の写真が必要だった。今日までに、写真と、親が一言書いて学校に持っていかねばならない。ここの所、写真は撮っていない。デジカメ撮影はCDに焼いちゃっているし、プリントアウトは、紙が悪い。探しているうちに、ハワイ遠征の写真をやっと一枚見つけた。そして、「潤の良いところは、あきらめないことです。」と文集の台紙に書いた。そこに写真を貼って子供が、なにか、言葉を付け加えるようになっている。朝の出際にやっと写真を貼って、一言書いた。他所の親御さんは、こういうのは、きちんとやるんだろうなぁ、と思いながら、潤に渡した。もうすぐ卒業式だけど、そう言えば、まだ、学生服注文していない。わし、シッカリしなくちゃ。体調が悪くって、今朝は自転車通勤せずに車で会社に行った。来期の予定は、思いっきり不安が残ったままである。なんだか、忙しいだけで、元気の出る話題が無い昨今である。夜、潤とバッティングセンターに行った。朝降っていたみぞれ雪は、雨に変わり、夜になってもずっと降っていた。いつものように、運転席の隣りにちょこんと座り、ヘッドライトで照らす暗闇を見つめている潤を見て、このまま、母親を知らず大きくなるのかと思うと、自分の小さい頃とダブってしまう。大概、潤は、隣りに座ると、CDをフルパワーで鳴らし、お気に入りの曲を大声で歌うのだが、大人しくしている時は、辛い。暫くして、お腹空いたというので、コンビニに車を止めた。潤は店の入り口まで雨の中を走って行った。暫くして、マカデミアチョコを持って帰ってきた。見通しが悪い駐車場から車を出す時に、潤が最初に私の口の中にチョコを入れてくれた。その後は、自分の好きなように食べていつもの元気な潤になった。雨の日のバッティングセンターは、コントロールがこれが、かえって練習になる。今は、タイミングを取ることを意識して行わせた。これが、出来ることで、メンタル的にかなり、楽になると思う。外角低目も上手くライトに持っていくことが出来た。タイミング(シンクロ)と球筋を見ることを、分けて考えることで、球が見やすくなったようだ。ヒッチの時に、バットが起きてしまうのが気になった。こうしてしまうと、肘が身体の後ろに巻き込んでしまうため、軌道がぶれる。これを行わないようにトップの角度は保持するようにさせた。潤がヒッチで上手く行かなくなったのは、ここにも原因がある。家で夕食を作ろうとしたら、冷蔵庫に野菜が無かった。仕方なくスクランブルエッグとドライカレーを作って、野菜ジュースで野菜の代わりにした。なんだか、質素な夕飯だったので、潤の元気を出させるために、潤の部屋を今から中学生用に模様替えしようと提案した。大喜びで、大賛成した。先ず、潤の部屋のエアホッケーを移動しなくてはならない。扉を外して、今は、下宿を始めて、居なくなった兄ちゃんの部屋にそれを移動した。ベビーダンスの上のダンボールや、要らないおもちゃ、雑誌を処分した。そして掃除機を掛けて。兄ちゃんの部屋から、ベッドを一度分解して移動した。潤の部屋を一通り片付けて、今度は、使っていない兄ちゃんの部屋を片付けた。時間は深夜1時まで掛かってしまった。居間のソファーで寝ていた潤を呼んで、自分の部屋のベッドで寝かせた。2年ぶりに自分の部屋にベッドが戻ってきた。でもそれは、本当は、兄ちゃんのベッド。潤の本当のベッドは、私の寝室にある。だから、まぁ、好きな方で寝れば良いことになる。もう、これからは自分の部屋で寝るようになると思うが・・・。
2003年03月07日 12時02分05秒

  • 2003年3月5日
    会社に潤から、怒りの電話があった。しかも携帯電話でなく、内線電話にである。「父さん、電話、通じんよ。わし、これから、塾だけど、家に食い物が何にもない。可哀相だと思わないの?」ありゃーしまった。わし、遠征疲れで体調不良で少々家事をサボっていた。飯も炊いていないし、カップ麺の買い置きも無かった。潤に、ヤマザキでおにぎりを2個買って食えと言った。これからは、塾のある日は仕事が少々長引いても、潤が帰って来るのは9時なので楽である。でも、間食を用意する必要があるな。家に着いたのは午後8時、メイが一匹、ソファーの上でまっていた。私は、炊飯器をセットすると、洗濯、掃除、風呂張りを気ままに行った。1時間時間があるので、結構気楽である。9時に合わせて、夕食を準備した。9時半を過ぎた。潤が帰って来ない。心配になったので(いや、訂正!本当は腹が減っていらいらしていた。)、塾に電話をした。すると先生は、今帰りましたと答えた。何だ、塾は9時半までだった。子供の、細かい所まで、神経が回っていない自分に反省した。電話を切ると直ぐに、元気良く潤が帰って来た。今日は英語の授業で、楽しかったと言う。「わし、絶対に英語頑張るけえ。」とやる気満々だった。中学になったら、自分の部屋を使えるようにしたいと、食事中に言い出した。潤の部屋は6畳程であるにはあるが、全然使っていない。小学1年の時に机を買って以来、潤は、机に何回座って勉強しただろう。恐らく6年間で20回も無いと思う。勉強は必ず、居間で済ませて教科書やらノートやらはすべて、居間とクローゼット代わりに使っている和室におきっぱなしである。おまけに、潤の部屋には、畳1枚より大きい、アメリカ製のエアホッケーがどーんとおいてある。ゴールが4個所あり4人で遊べるやつである。これに部屋を占領されて、ベットも置けない。これをどかして、自分が中学生になるんだから、ちゃんと機能する自分の部屋にしたいのだと言う。そりゃそうだと、思ったが、ゲーセン張りのエアホッケーを移動して、ベッドを私の寝室から潤の部屋に戻すのは、半日仕事である。疲れている私には、頭の痛い話しである。潤の部屋の本棚を久しぶりに見た。そこには、ひろみ幼稚園に通っていた頃の絵本がそこにそのまま残っていた。机の中も、小学一年生の時に買った新品のミッキーの鉛筆が数本残っていた。私は、潤が小学生のうちに、親として、何かしてやること忘れていたのでは無いかと、不安な気持ちになった。そして、過ぎていった日々を振返り、普通なら、この本棚が、毎年新しい本で埋め尽くされていたはずだと、後悔した。
2003年03月06日 18時12分49秒

  • 2003年3月4日
    朝練でシャトルティーを行った。潤は、幾つかバッティングスタイルを持っている。自分でどれが良いか、決め兼ねている。私は、バリーを薦めている。今回の遠征でバリーは行わなかった。結果も思わしくなかった。昨年暮れより、打率も長打力も無くなったように感じる。それは、潤がバッティングのミートに重点を置いているためだと思う。遠征で監督から、珍しく、スタンスの指摘を受けた。そんな事があって、今朝は、迷いが無い。以前のフォームに戻した。すると、どうだろう、シャトルが、駐車場向うの壁まで勢い良く飛んでいった。年を明けてから、ちっとも勢いが無くなっていたのに。潤は、ヒッチのタイミングが判らなくなっちゃって、難しく感じていたという。リトルではリリースから、バットまで13mしかない。バッティングセンターは18mでアーム式、リトルのピッチングマシンはローラー式、どこで、シンクロすれば良いか、それぞれ違う。私は、以前、「潤はスイング、速いんだから、球が出てから、どうするか考えろ」と言っていた。そうなると、フッと力を抜いてヒッチするタイミングを無視してしまう。バッティング動作は、ヒッチから既に始まっているのにである。この言葉で、タイミングを難しいものにしてしまったようだ。バッティングセンターの場合は、アームに合わせてシンクロし、ローラー式の場合は球の補給ガイドの転がりにシンクロして、投手が投げる時は、投手のケツにシンクロする必要がある。この事を、明言してやった。これで、迷いは取れるであろう。球が放たれてから、考えるのは、コースである。シャトルティーを終えて、ピッチング練習。しかし、硬球は使わない。シャトルを投げさせた。下半身の使い方と、前方への体重移動がテーマである。それゆえ、敢えて、負荷の掛かる投球は控えた。腕は、自然に振れば良い。腕の振りは同じでも、下半身の使い方で、シャトルの勢いは、全然違ってくる。腕がスッポ抜けると言うかも知れないが、そんな事はない。シャトルを投げることを目的としていない。潤は、どちらかと言うとクローズステップで前足をロックしてしまう。こうすると前方でのリリースが難しい。上体も比較的、起きたままでリリースしやすい。そうなると、右肩が前方に出ないために、上腕の肩の付け根を痛める可能性がある。先ず棘下筋の当りと上腕部、骨頭をやってしまうと、また昨秋の再発になり兼ねない。クローズして着地する前足を、本来のキャッチャーへの延長線上に持っていくと、シャトルは投げた方から見て左に流れてしまう。シャトルを使って、このブレを直したいのである。私は、潤の正面4mぐらいの所にデジカメを持って仁王立ちして撮影した。これを家に持ち帰って本人に見せ、修正させるのである。さて、夜は、五日市バッティングセンターで練習、明日は塾でこれない。3月から、塾の時間帯が中学生用に変わった。水曜日と金曜日は午後7時から9時半までになった。だからこれからは、水曜日と金曜日はバッティングセンターでの練習はできない。今日は、ちょっと多めに練習した。最初の1枚のトスバッティングから、バリーで行った。やっぱり、これ、潤はこれしかないと思う。後は、実際の投球でシンクロさえ上手く行けばOKだよ、潤!
2003年03月06日 17時39分07秒

  • 2003年3月3日
    月曜日の朝は、辛いな。洗濯物置き場は、遠征の荷物であふれている。朝飯はケロッグスだけ準備した。疲れている時ほど、シッカリ食べなくちゃいけないのに。夜、会社から帰宅すると潤がソファーで寝ていた。買物とバッティングセンターに行こうと身体を揺り動かしたが一向に起きる気配は無かった。まぁ、本当はバッティングセンターには行かない日なので、このまま寝かせておいた。私は、夕食の買物に、フレスタ河内店に買い出しに行った。遠征で、私は海の幸を腹いっぱいご馳走になった時、ミネラルたっぷりの海の幸を潤にも食べさせたいなと思っていた。普段はどうしても、肉と野菜の食事が多く、食材の工夫が足りない。今日は、ウナギの蒲焼きとアサリのバター焼きと野菜サラダとカットフルーツの盛り合わせにした。汁物は、家にあるポタージュスープにした。なんだか、和洋折中で、でたらめであるが、ラーメンを食いに行くよりは、ましであろう、多分・・・。
2003年03月05日 11時35分44秒

  • 2003年3月2日
    6時40分に目が覚めた。5階のホテルの部屋の窓から笠岡市を見渡した。あれだけ雨が降ったので、空気が澄んでいるのだろう、あちこち水溜まりは残っているが、遠くに見える行き来する車が、ハッキリ見える。春を思わせる朝だった。手早く着替えて、ロビーに下りた。朝のニュースと新聞を読んだ。朝食の集合時間が分からず、夕べ合流した監督に電話した。お土産があるから部屋に来いと言うので行って見ると、マテ貝の塩焼きがあった。昨夜、監督と飲めない私は、別行動だった。2次会でどこやら行ったようで、そこで焼いてもらったものをお土産として持ってきたという。昨晩、私の部屋を訪ねたそうだが、私は、寝ていて気づかなかったのだろう。幅3cm長さ10cmぐらいの方の良いマテ貝だった。なんだか、犬のおチンチンみたいな形で、ちょっとグロテスクだが、食べてみると絶品、極美味だった。朝食前にこれを10個もつまんでしまった。夕べ居酒屋で沢山食べて胃が未だ張っているのに、調子にのって食べてしまった。焼きはまぐりより、味がしっかりしていて、濃厚な感じだった。皆で朝食を食べに2階のレストランに下りたは良いが、腹いっぱいで、ベルトの穴を一つずらしてしまった。情けない。マイクロバスでグランドに移動した。水溜まりがあって、大人達が一生懸命グランド整備をしていた。うちの子供達は、各家庭から連れられて一個所に固まって、私らの到着をまっていた。マイクロバスを見つけたのだろう、子供達が、走ってやってきた。潤が駆け寄ってきて、昨晩の様子を聞かせてくれた。焼肉を食べに連れてってもらって、ゲーセン行ってボーリングを2ゲームしたそうだ。やれやれ、大分お金を使わせてしまったらしい。夜はゲームを深夜までやっていたと言う。おまけに二日分着替えを持たせたのに、洗濯までして頂いた。これは、何と言うお持て成し。恥ずかしい。はずんだ声で口早に様子を聞かせてくれた。さて、荷物を持って、3塁側に陣取った。グランドコンディションが回復し次第、練習試合になるので、のんびりしていられない。まだ、昨日の遊びムードが残る子供達を集めて、アップを開始した。体操をしに、センター奥の芝の上に移動した。このグランドは広い。ほぼ正方形で1辺が約200mある。ファールグランドを大きく取ってあるので2面しか取れないが、かなり立派である。その外周を笠岡選手達は、走っていた。ストレッチの合間に走っている選手に何周するか、尋ねたら、10周すると言う。1周800mだから、8キロと言うことになる。しかも、だれも歩いたり、かったるそうに走る者はいない。良くトレーニングされていると、感心した。うちのグランドと違って、まっ平らな所だから、十分に走ることが出来るということは言えるが。ただ単に走ることに関して言えば、うちはせいぜい彼らの半分くらいしか走っていないと思う。ストレッチが終わり、彼らと同じように、外周を走らせることにした。但し、うちは、彼らの半分の5周だから、4キロである。試合の内容はここでは書けないが、潤はサード3番だった。スコアブックが手元に無いので、正しくないと思うが覚えている範囲で書くとする。何故、覚えていないか?潤との約束でヒット1本幾らというのを廃止にした。私が止めさせたのではなく、潤からの申し出だった。貰っても無駄にお金使っちゃうから、もう要らないとのことだった。そんな事があって、スコアを気にしなくなった。その変わりと言っては何だが、シッカリ、ベースアップも要求した。午前中の試合は、四球2個に1見逃し三振だった。相手チームに潤やうちの情報に詳しい人がいた。昨夜の飲み会で、潤の守備や打順がポロっと出たのでビックリした。やれやれ、これは打たせて貰えないぞと感じた。そんな事が、思い出された。試合が終わってお昼ご飯、テントの中に招待された。ぶりと大根の煮付けや、ばか貝の炭火焼きやうどんをご馳走になった。本当に、色々良くして頂いた。感謝感激モノである。こんなに、子供も保護者もまとまりがあるチームである。近い将来、必ず頭角を現してくるに違いないと感じた。腹は、昨日から張りっぱなしで、なんだか不安になる。今回の遠征は、とにかく食べっぱなしである。第二試合は潤が先発、そして2ベース、シングルヒット2とまずまずだった。大事を取って無失点で2回投げて降板した。潤と相手投手はマイナーの時、秋の大会で1回戦で当ってコールド負けしたことがあった。3年ぶりの対戦であった。今回は、勝たせて頂いた。しかし、潤が降板してサードに着いた時、潤絡みのミスで要らない点を3点もやってしまった。サードゴロを、2塁ランナーを釘付けしようと、牽制してからの1塁送球で1塁セーフでランナー1、2塁。相手チーム打者は殆ど左で足を使った作戦が多かった。2、3塁間のランダンプレーも刺せなかった。サード強襲を後逸した。ゲームセットまでは、気を抜いては行けない。この試合後、こっぴどく監督から説教されていた。時間が押し迫っていたが、折角来たのだからと3試合目も行った。私はカメラマンと化していたので、試合には、殆ど参加しなかった。なごり惜しいような気がして写真を取り捲った。しかし、私のデジカメ、光学倍増レンズが無いので、彼らの表情豊かな写真が取れなかったのが残念ではある。試合が終わって、挨拶をした。すっかり皆友達になっていた。バスをいつまでも走って追って来る子供が何人もいた。あぁ、もういなくなっちゃた。と思ったら、今度は、道を曲がった先で、子供が待ち伏せしていた。なんて、素晴らしい子達なんだろうと、感激しながら、笠岡リーグを後にした。家に帰ったのは、午後10時、解散後、潤と2人で、サンデーサンで、フルーツパフェを食べていたので遅くなった。メイを丸二日家の中に閉じ込めていた。いたずらせずに、ちゃんと、家を守ってくれていた。御褒美に、おつまみのビーフジャーキーを腹いっぱい食べさせてやった。メイの留守番のお駄賃は1000円のジャーキーだった。遠征は、疲れたけれど、やっぱり、野球少年達と遊ぶのは、楽しいな。
2003年03月04日 14時04分47秒

  • 2003年3月1日
    朝4時に起床。遠征に持っていく、パジャマが乾いていなくて、潤お気に入りの、サンフランシスコジャイアンツのパジャマは、置いて行くことにした。替わりに、ジャージと先輩から譲り受けたティーシャツをパジャマ代わりに持たせた。朝、トイレで踏ん張っていると、裏の物干し場の屋根の雨音が聞こえてきた。雨天の場合は7時集合に繰り下がる。折角、早起きしたのに。6時に家を出て、事務局長を迎えに行った。そして、7時ちょい前にグランドに到着した。雨合羽を着て、冷たい雨を避けながらマイクロバスに荷物を詰め込んだ。バスの中で、保護者の好意で全員に朝食が配られた。私は、バスの出発と同時に睡眠。夕べ殆ど寝ていなかった。監督不在で、気が重い。でも雨となりゃ、体育館で体力作り、これ、私の専門だから、まあ良いか。適当に考えているうちに寝ちまった。途中、小谷サービスエリアで、コーヒーを一杯飲んで、また仮眠。潤は、バスの最後方真中で、友達と盛り上がっていたようだ。笠岡の体育館に着いて、ようやく目が覚めた。どこを通ったかは、全然知らない。体育館前に子供を整列させて、笠岡リーグご挨拶。既に、笠岡リーグは、アップを終えていた。午前中は、体育館を半分借りて、別々に行った。でも、相手の様子を伺いながら。子供達は、両方とも興味津々、ちらっと見ながら、一生懸命やってるのが可笑しい。最初はよそよそしいが、昼食を挟んで直ぐに仲良くなった。午後からは、笠岡リーグに全部お任せした。私は、子供に混じってシャトルを投げてやった。両リーグごちゃ混ぜで班を作って、行った。そして、暫くたつと一人ずつずれて行く事で、また、違う子と友達になる。体育館の床は滑るので、スライディングをして、シャトルの取り合いをして、いつのまにか、皆ジャレていた。最後にプラスティックバットでティーボール大会。ユニフォームを取り替えて、帽子を取り替えて、赤、青チームに別れた。これが、結構盛り上がった。空振り三振なし、ファール3回でアウト、但しファールで1球でもスタンドに入れたらアウト、センターのスタンドに入れればホームランというルールで行った。クッションボールなので、投げると弾いてとれない。ワンバンで投げないと、アウトを捕れなかった。それを、知らない、西の子のミスが目立った。まぁ、しゃーないな。ランダンプレーでボールを投げて走者に当てたらアウトと勘違いしている潤にも笑えた。夕方まで楽しく遊んだ、いや、練習した。ホームステイの保護者の方々が、迎えにこられて、自己紹介、なんだか照れくさそうだった。潤の泊り先が紹介された。今晩は、潤が居ないと淋しい。子離れできない、ばかオヤジの私。挨拶をしてそれぞれの家庭に引き取られて行った。大人は一路バスで笠岡グランドホテルにチェックイン18時の集合まで、一人部屋で休憩。ユニットバスの風呂を張って、湯船に浸かり暫く、ぼーっとしていた。15分ほど、空虚な時間が流れたと思う。張ったお湯はどうせ捨てちゃうんで、そのままシャンプーして、身体を洗ってバスタブの栓を抜いた。家では、こんなもったいない水の使い方はできない。髭を剃って、歯磨きして着替えを済まし、シングルベットにゴロンとなって、潤にメールを打った。2通送ったのに、返事が帰ってこなかった。楽しくやっているのが想像できた。父さんは、淋しいよ。18時にホテルのロビーに下りて、皆と合流し、居酒屋「どん」で笠岡リーグの皆さんと楽しい一時を過した。私は、飲めないので、食う専門、美味い料理を目にすると、また、子供の事を思い出してしまう。酔っ払えないのは、辛いな。でも、頂いた焼酎は、美味かった。生ビール一杯と焼酎少々、普段なら頭が痛くなるが、今日は、爽快だった。帰りにラーメンを食ってホテルに戻った。睡魔に襲われ、ベットの上に倒れ込んだ。そのまま朝まで意識を失って、遠征一日目が終わった。
2003年03月03日 18時17分19秒

  • 2003年2月28日
    会社に、監督から電話があった。「砂ちゃん、明日の遠征、わし、遅れていくから、宜しくね。」ななななぬ?来るのは、夜で、ホテルに直接入ると?練習試合どうすんのよ。全て任せるだって、んんんな・・・・。高校訪問するのだという。まあ、これも大事な事、色々教え子がいるのでしょうがない。うちのこいつら、未だ小学生だし。明日の事は、明日考えようっと。会社から帰って、潤とバッティングセンターに行った。最近、潤はトップを作るのが大きい。かっ飛ばそうと、テイクバックが大きくなる。確かにそれ、飛ぶのだが、おい、リトルは投手のリリースポイントから、バットまで13m無いんだよ。それじゃ、間に合わないよと思った。これ、バッティングセンターの弊害である。毎日来れば、アームの上がり方を見ていれば、タイミングが染み付いちゃう。だから、潤は、五日市バッティングセンターでは、絶対にタイミングが合ってしまう。やっぱり、リトルのマシンの方が難しいと思う。ローラー式だし、13mで打たす必要を感じた。それと、近い距離からのシャトルティーが良いと思うな。今晩は外食、明日4時起きだし、残飯出すと始末が悪いから。サンデーサンで生姜焼き御膳を食べた。明日、潤は、ホームステイ、わしは笠岡グランドホテル。遠征が楽しみ、ちょっと不安、また、監督代行かよ。
2003年03月03日 10時59分08秒

  • 2003年2月27日
    朝練は、シャトルティーゲームとキャッチボール。夜は、バッティングセンターで練習。寒かった。練習が終わってから、潤はレプトンで何やら、カードをお買物、それと、要らなくなった、ゲーム攻略本を売って260円稼いだ。
2003年03月03日 10時44分18秒

  • 2003年2月26日
    朝、シャトルティーは短めに行った。今日は、いつにもまして、緩急を着けて、シャトルを投げてやった。タイミングをはずしておこなう、これが、面白い。潤も完全に入れ込んでしまう。試合形式でカウントを取る。シャトル投げも慣れると、速球やチェンジアップが投げれるようになる。それに、時折吹く横風でカーブやスライダーにまでなる。わしのシャトル投げは自分で言うのも変だが、プロ級。カウントに合わせて、投球を組み立てる。これ楽しい。腹の探り合いである。潤が不得意なのは○○、これで三振に切って取った。しかしこの後、2連続ジャストミートの後、今期最高の大当たりを放った。全く楽しい。笑い転げながら終了。ピッチング練習は、スナップスローと、下半身の練習を別々に行って、後でミックスした。スナップスローはスクラッチせずに、頭の後ろから、鞭のように柔らかく手を使う。下半身の練習は、ボールを持たず、前足着地までをシャドウで行う。そして最後にワインドアップで実際に投げる。時々変化球も混ぜて行った。変化球が、今後の課題かな、気持ちの問題だけだと思うんだけどな。夜は、いつもの通りバッティングセンターで練習した。マシン調整のおじさんがマシンの横から、「ナイスバッティング」と思わず、声を発したのが、ケージの後ろで見ている、私にまで聞こえた。潤は、殆ど毎日ここで練習しているので、多分特別、わがままを聞いてくれる。低めにせよ、だの高めにせよだの、本当に、いつもすみません、この場を借りて、お礼を言いたいです。ありがとうございます。いつも、フランクリンのバッティンググラブ着けるのだが、今日に限って、家に忘れて来た。朝練して、ミズノプロ高津モデルの中に丸めておいたのを忘れという。段々振りが雑になってきて、顔をしかめて、手を振っている。マメ作っちゃったみたい。まぁ、しゃーないな。これ以上やってもお金の無駄。さっさと撤収して牛丼を久しぶりに食いに行った。やっぱ、楽くだなぁー、外食は。
2003年02月27日 10時58分19秒

  • 2003年2月25日
    今日は、火曜日だけど、朝練中止した。これは、昨晩から決めていた。今週末遠征が有るため、肩を休めることにした。夜は、バッティングセンターでいつも通り練習したはず。わし、疲れていて、駐車場の車の中で寝ていた。だから、知らない。今晩は、牡蠣フライと、電子レンジでチンのハンバーグを作った。ご飯に少量のバターを混ぜて、それにシラスをぶっ掛けて混ぜ合わせて、シラスご飯の出来上がり。後は野菜サラダとインスタントのポタージュ。適当だけど、結構、豪華になっちまった。腹いっぱい。いつから、ダイエットしようかな。
2003年02月27日 10時24分13秒

  • 2003年2月24日
    完全オフ日です、朝寝坊。夜は、ミヤケスポーツに中学校のジャージ、体育館シューズやらを注文に行った。本来なら、2月19日に学区で採寸するのだが、いかんせん、忘れちまった。それと、学生服の採寸も未だである。ゴメンね潤ちゃん、父さんがいかんの。後、何、注文すりゃええのかな?どうにかなんじゃろ。ミヤケスポーツといえば、軟式の頃からお世話になっている。展示してあるグラブをはめて、遊んでいた。帰りに、夕飯の材料を買いに、ザ・ビック五日市店に行った。夕飯は中華丼と麻棒豆腐等。中華丼って良いよな、色んなモノが入っていて、八宝菜の材料に、シーフードミックスと豚肉をぶっこんで、強火で簡単に出来るけど、材料揃えるのが面倒くさい。また、冷蔵庫に中途半端な、野菜が枯れていく。冷蔵庫の人参なんて、ミイラだもんね。今日はバッティングセンターも行かない。たまには、家の事、しなくっちゃ。
2003年02月25日 18時14分34秒

  • 2003年2月23日
    雨が上がった。しかし、太田川グランドは水捌けが悪く、水溜まりがあることが想定できた。私はスコップを持参で出発。案の定、水溜まりがマイナーグランドレフトとメジャーグランドライトと1塁横に出来ていた。スコップで穴と水の逃げ道を掘った。ダイエット体操ってところ。おかげで、アップは監督任せ、わし、汗びっしょりかいた。一息着く暇も無く、試合開始のアナウンス。公式戦に備えて、審判団、婦人部による場内アナウンスの練習でも有る。呼び出されて、集合。あれ?監督がいない?土手の向うで薪を拾っていた。「あんた、やんなさい。」ありゃー、まぁいっかー。練習だもん。ノックタイム5分、多少時間オーバーして、無事終了。わし、いつも外野専門なのにな。力が入り過ぎて、センターのフェンスオーバーを打ってしまった。お間抜け、恥ずかしい。さて試合開始、潤は3番センターで出場した。困ったな、うちの2遊間2人とも塾の模擬テストで午前中欠席である。そういう事で、シフトを変えざるを得ない。未だ未勝利投手の彼を何とか一本立ちさせないと、公式戦では、勝ち残れない。周りで雑音が聞こえるが、気にしない気にしない。他のチームメイトの士気も下がってしまう。でも、監督は言う。絶対に大丈夫だと。今、勝てるとかでなく、そうしないと行けないのだという。私は、監督を信頼しているし、その子を何とかしようとも思う。子供達が疑問に感じ始めているのも知っての事だと言う。監督も、私を信頼してくれているのだろう。何でも話してくれる。勿論良い事ばかりじゃない。「うるさいから、黙っとき。」など、日常茶飯事、誉められた事ではないが、このやり取りを見て笑いを誘う。まあ、周りが明るくなればそれで良いが。試合結果は、8−10で負け。しかし、少しずつでは、あるが、ピッチ君、調子を上げつつある。そして、4回、投手交代の後から、凄かった。うちの打線が爆発。あわやコールドゲームで試合を終えて暖を取れるかと思いきや、あれよあれよと、追い上げた。なんだか、みんな吹っ切れた感じもしないでもない。潤は、この試合4打席、3打数2安打1四球1ツーベース、1シングルでまずまず。昼食を挟んで、継投策で行こうと監督は、私の様子を伺うように言った。私は、「潤、やる気になっていますよ。」と告げた。選択肢的には、継投でも良かったが、このところ負けが込んでいる。今年既に4連敗、勝ちが無い。これじゃまずいと思ったのだろうか。今度は3番ピッチャーで出場した。3点リードの後に3点取られてしまった。前回の試合、球が上ずって、制球に苦しんだため、1、2回をセットポジションで矯正しての登板だった。監督指示だった。あまりフォームを気にするばかり、球が走っていない。しかもストライクに集中し過ぎる。変化球も無い。ピッチ、キャッチが呼ばれ、お前らアホかと怒鳴られた。潤は未だ復帰後変化球の感じが戻っておらず、キャッチがサインを出すと首を振っていたようだ、キャッチャーは5年生君、6年生の潤の言うことを聞いてしまう。3回からワインドアップに戻した。途端に自由に投げ出した。四球ゼロで被安打ゼロで終わってみれば、23−3だった。この試合、打率は5打席5安打、1スリーベース、1ツーベース、3シングル、5打点。一日中、ライトからホームに向かって風が吹いていた。左に不利だった。風に逆らわずに、センター、レフトに流せと言ってやった。これで、気持ちも楽になったと思う。ライトへの痛烈な当たりもあった。今日は上出来である。完投勝利なら5千円と昨日約束していた。それに3ベース300円、2ベース200円、シングル100円、打点1点につき100円と毎日小遣い100円って事は、ん?幾らになるんだ?ワシ、払えんよ〜そんなに!試合中、私がサードコーチでコーチャーボックスに立って、潤がスライディングで滑り込んできて、にんまり笑って、金勘定している。ばか野郎、試合中に不謹慎にも小さな声で「○百円、○百円」と言いながらである。相手の三塁手が、「なにそれ」と潤に聞く始末。呆れてしまう。にたにたしながら試合するなっつーの。試合終了して、最後に、背番号を回収した。そして新しい背番号を貰った。今度は5番、つまり、公式戦登録はサードである。これは、監督と色々競技して決めた。チーム13人それぞれに意味を持たせた。ところが、子供はそこまで深く考えていないのである。新しい番号を逆さまに張り合って、キャッキャ言いながら騒いでいる。むしろ、親御さん達かな、複雑なのは。帰りに監督を送り届け、その足でサンデーサンで夕食にした。潤はハンバーグ、私はサバの味噌煮御膳、2人でフライドチキンを追加した。食後にボウリングをやろうということになり、疲れた身体に鞭打って2ゲーム行った。肩や足腰の丁度良い、ケアにもなるからだ。家に帰って、風呂を沸かして、宿題やって、潤は床についた。ベットの中で、グラブを左手にはめたままだった。
2003年02月24日 18時27分46秒

  • 2003年2月22日
    あいたーーー。また、雨でやんの。勘弁しちくれ〜。時間を早めて練習する予定だったのにい〜。屋内練習場も取れず、結局練習中止になった。明日の試合、どぼじましょ〜。まてよ、皆条件一緒じゃん。ってことで、ストレッチしたら、気が晴れた。そうだ!遊び行こう。ゲーセン、ゲーセン。早速着替えて五日市サンリブのゲームセンターに出かけた。コインストック沢山あるから、お金一円も使わんの。良いでしょ。あらら、午前中は、からっきし駄目、コインのパチンコ機と台からコインを落とすドラゴン何とかって入うゲームを2人でやっていた。800枚あったコインが、200枚まで減ってしまった。このままやってたら、飲まれてしまうと思い、作戦タイム!マックで昼食を食った。マックチョイス1とハンバーガー3個で600円くらい。安いよなぁ。食事を終えて、戦場に出発!(そんなアホな)起死回生とばかりに潤は色んなゲームにチャレンジ。わし、止めた。これ以上、潤に迷惑をかけれない。「ほれ父さん、やりんさい。」とコイン100枚くれたが。辞退した。こういう時だけ、親子逆転する。完全に、あいつがイニシアティブを取る。ゲームなんて殆ど運任せ、7を揃えるやつなんて、確立の問題である。そのようなゲームはやらずに。幼児向けの、ゲームでコインを地道に稼ぐ作戦に変更。バント作戦ってところかな。カエルぴょんぴょんてやつだっけな?コインを飛ばして、ハスのお皿に乗っけるゲーム、これが当った。ゲーム機のコイン補充を3回やってもらった。200枚にまで減ったコインが、このゲームだけで1200枚に復活した。わし、見て入たら、眠たくなっちゃって、途中で車でお昼ねした。1時間ぐらいねたかなぁ、潤がやってきて、バッティングセンターに練習に行った。今日も文句は言わず、黙ってみて入るだけ。気をよくして、乗ってる潤は、ボウリングに行こうと言い出した。だけど、明日、試合があるので、駄目ってことで、パワーは温存してもらうことにした。明日が楽しみ。雨、上がると良いな。家に帰って、サンスポ用の作文を書いた。書くと行っても、誤字脱字の心配があるから、PCで書き上げた。なんか、これで良いんだか、悪いんだか。まっ、いっか〜。
2003年02月24日 16時04分26秒

  • 2003年2月21日
    シャトルティをワンラウンドで終了した。ピッチングに時間を割くことにした。潤は、ちょっと焦り気味、というのは、カーブがすっぽ抜けて定まらない。だから、私のくどい軸の説明を一々聞きたくないのである。時間がないから、焦ってしまう。結局、遅刻ギリギリの時間になったので、車で送ってやった。車で送ってやれば、今度は、門の側だと恥ずかしいから見えない所が良いという。年頃なんだよなぁ。自立が芽生えてきているの。ここら辺は、汲んでやらないとね。お節介しちゃうと、ぎくしゃくしちゃう。門のかなり手前で、さよならした。バッティングセンターでは、今日は、絶対に文句を言わないで、自由にやらせてやろうと、会社に居る時から決めていた。絶対に言わない。良い当りの時だけ誉めてやる。こう決めた。夜のバッティングセンターで、5枚のコイン150球の打ち込みをした。私は、ケージに入らず、外から見ているだけ。いつもと違う様子に気付いたようだが、振返ってる暇も無いので、唯、集中して打っていた。作戦大成功である。そりゃ、最初の1枚のコインは、アップしているようなもの。トスバッティング風に腕をだして合わせるだけ。徐々にスイングに切り替えていく。こちとら、金もったいないから、「おい、早く打て!」といいたくなっちゃう。でも、これだめだめね。車も暖気運転あるっしょ。おんなじよ。自由に打てると気付いて、フルスイング、そして、自分で主体的にやっている。今日は、最高のスイング。良い形で明後日の試合に繋げられそうである。ケージから出ても、修正個所などあえて言わなかった。潤は、私がコメントしないので、自分から如何だったと聞いてきた。そりゃーそうだ。わしに文句言われなかったから、そしてフルスイングで芯食っていたから、自信満々である。試合前のこの方法、超お勧め。
2003年02月24日 15時38分28秒

  • 2003年2月20日
    朝、風が強くって、シャトルティー中止した。投球練習は。下半身の使い方と上半身を分けて行った。下半身の使い方は、シャドウ中心、上半身は、スクラッチモーションを小さくしてスナップスローの練習を中心に行った。バッティングもそうだが、最初小さく大きくなるにつれ加速する必要がある。原理原則は同じである。夜練習は、バットが良く振れていた。週末に向かってこの調子を維持してほしい。明日の図工で使う絵の具がないので、文房具屋に行って絵の具を購入した。夕飯は長崎チャンメンで、たんたんメンと餃子を食べた。店内は潤と二人で貸切状態だった。冷たい雨が降っていて、寂しい夜だった。明日の学校の準備で買ってきた絵の具を取り出して、古いのと入れ替えた。もう何年も絵の具を買っていなかった。聞くと、友達に借りていたという。やっぱり、目が行き届かないと反省、そういえば、給食のナフキンを先生に新しいのと変えろと、以前指摘されたっけな。学校でオルゴールを作るという。何ができるか楽しみ。潤の作品は、うちの良いオブジェになる。これは、お金では買うことができない。
2003年02月21日 23時20分59秒

  • 2003年2月19日
    今朝は、彩が丘公民館の前でシャドウをやって実際に投げさせてみた。まあ、まあかなぁ。大分さまにはなってきたが、身体が温まらないので投球も全力ではなく、控えめになる。朝は、時間が十分にとれないので仕方がない。バッティングのように少しずつ無理のないモーションにはなりつつある。試合までに間に合うかどうかは、微妙なところ。昨日あんなことがあったので、今日はお互いにちょっと距離を取り合ったって感じ。夜バッティングセンターに行く前にちょいと気分転換にサンリブのゲームセンターに寄った。閉店まで45分しかない。コインストックは800枚に減っていた。潤と二人で100枚ずつ、下ろして、ゲームを楽しんだ。私は、パチンコ台で大当たり2回、でもわし、本当のパチンコは一切やらない。人生の無駄使いと思っている。潤は、色々試して少しずつ増やしていた。終わってみれば、合計1021枚にまで戻していた。二人で上機嫌で、バッティングセンターに向かった。ケージをどこかの軟式シニアがユニフォームを着て占有していた。暫くしてケージが空いたので、潤と私がケージに入った。潤のスイングは全然見劣りしない。むしろ一番綺麗。シニアの選手たち、ちょっと治せば良くなる子が沢山いた。もったいない。うちのリトルの選手の方がスイング綺麗って言いすぎかな。指導者らしき人は誰もいなかった。なんだか気の毒、でも治外法権口出し無用、潤は見てどこが悪いかすぐ言ってしまう。バカ!聞こえるだろうが。サンデーサンで食事をした。監督から電話がかかって来て、今週末までに作文を書けと言った。なにやら、サンケースポーツに記事を載せるらしい。2月26日か27日の新聞だという。今回、うちのリーグの番だそうである。ただそれだけなのだが、顔写真もでると言う。ほんまかいな。潤は僕の抱負というような題で4百字書かなければならない。何を書くやらお楽しみ。なんだか楽しみが増えた。でも、わし、サンケースポーツ自分で買って読んだためしがない。これを機会に読まなくっちゃ。スポーツ誌のエロ記事とギャンブル欄がどうも嫌いなのである。わし、変態かも。
2003年02月19日 23時20分28秒

  • 2003年2月18日
    朝練は、昨日の続き、あほが、学校に行くジーパンを履いてしまった。「足が上がらんだろうがそれじゃぁ。」しかし、考え方をちと変えて上がり難い足を勢いを着けてあげるのも良いかと思って、そのまま行わせた。昨日はグラブを着けづに行った。左足と左手のタイミングをどう動かすかを観点にしていたため、グラブを省略していた。今日はグラブを着けて実施。驚きである。考えて見れば当たり前であるが。左手にグラブ(重り)を着けていた方が、振り上げた左足を降ろして、前方へ並進してなお且つ左腕を時計回りにねじ込み易いのである。そして、引き戻しも威力がある。慣性の法則を上手く使えばこうなる。ここら辺を意識して、前足着地までと、左腕の関係を練習した。そんな訳で、それ以外は、でたらめになってしまった。これは、今後修正すれば良い。今は新しい取り組みが必要。今は、標的(キャッチャー)を見ていない。胸を張れていない。前足に乗れていに等あるが、とりあえず、頭の済みに置いて無視。夜、会社から帰って、自転車置き場から、リビングを覗くと、潤は、玉子ご飯を大きな口で掻き込んでいた。塾から帰って、腹が減っていて、私を待っていられなかったのだ。部屋に上がって、私は潤のそれが美味そうだったので、自分も玉子ご飯を作って、口の中に掻き込んだ。そして、2人でバッティングセンターに練習に行った。いつもと同じく140kmのケージに入って、軸がぶれないように、練習した。当りはとても良い。ここまでは、良かった。気の緩みが出た。段々、遊び感覚になってきた。気持ち的には、行け行けムードで非常にプラスに向いていて良かった。しかし、私がカウントを取り始めた時に、潤のスイングが途端に悪くなった。カウントとは、ファールや、ポップフライ、空振りは−1(空振りはせんけど一応)そしてクリーン打は+1という具合に積算して行く。コースがボールでも手を出したら、カウント対象、ストライクの見逃しもカウント対象である。潤は、折角楽しくやってたのに、といった所だろう。そして、カウントを取り出した途端に、集中できない。それを、私の所為にして、ご機嫌斜めである。私はケージから出て、車に引きこもった。「勝手にしろ」と吐き捨てた。暫くして、最後のコインを終えたのか、車にやってきて、ああ言えば、こう言う始末。試合で結果を出さにゃー全く無意味な練習である。何百万回振っても、試合と同じ気持ちで振っていなきゃ別物。それでなくとも、バッティングセンターなんて、死んだ球である。前回先々週、の敗戦の反省、教訓は無いのか?今週末も試合である。どうしで、打席で別人になったか。この事を言っているうちに、最終的には潤は、謝ったが私は後に引けなかった。私は、そこでバット1万回振れと、無理なことを言った。すると、1、2、3、と振り出した。私は車で一人潤を置いて帰宅した。暫く経って、私の携帯に何度も電話が掛かってきた。「父さんゴメンね。もう喧嘩、止めやようや。」「今どこ、何してる。」私は「今、お前の服、洗濯してるんじゃ。自分で帰って来い。」洗濯物を乾して潤が帰ってくる前に風呂を沸かした。潤は、駐車場で、鼻を垂らしながらバットを振っていた。寒い思いをしているだろうに。バットを裸でもって、バッティンググラブを両手につけて、踵が完全に擦り減ったアップシューズを履き、鼻を垂らしながら、とぼとぼ歩いてくる姿を想像した。玄関の呼び鈴が鳴って、直ぐにメイと私で玄関に飛んでいった。「練習中に隙を見せるな。」「相手が10人いれば、10人色んな事を言うだろう。でもその誰一人にも隙を見せては行けない。」そう言うと、肯いた。早く風呂に入れと、促した。喧嘩はこれでおしまい。風呂から上がると、ガチンコファイトクラブ最終回がやっていた。「あいつらの涙、わかるかい。」等と話しながら夕食の焼肉を食べた。後悔の涙だけは、流したく無い。今日の出来事といい、タイミング的に良かったな。いつも、楽しく、集中してやりたいよ。この大切さは、中々わからないかも知れない。私は、時間が無いと思っているし、子供は時間が沢山あると思っている。早く分かり合えたいな。私と潤の大切な時間だもの。
2003年02月19日 11時43分09秒

  • 2003年2月17日
    昨日の日曜日、私の所為で一日潰れてしまった。そんな訳で、今日は月曜であるが、チョコっと朝練。朝練っていっても、ちょっと頭脳プレー、自分に足りないものは何か、を見出す練習である。左足の動きと、体幹の動き、それを誘発しリードする左腕のタイミングを習得する練習を行った。PCで画像を再生しながら、イメージをいつも頭に入れ、デジカメでまた撮影する。家の中で行った方が手っ取り早かった。フローリングは滑るため、ゴムのラバークッションを2個所に置いて行った。しかし、もうちょっと、地面の代わりの床に工夫がいりそうである。夜はバッティングセンターで練習した。潤がケージで打っていると、小学生がケージの後ろに張り付く。そうなると、カッコ悪い所魅せられないので、断然スイングが良くなる。疲れていても、ヒーヒー言いながら振るようになるので、こりゃ、助かる。バッティング仲間?の草野球のおじさんがケージの空きを待っていたので、譲った。そして潤は90kに移つって練習。今日は、まずまずの出来だった。
2003年02月19日 10時47分18秒

  • 2003年2月16日
    昨晩降り始めた雨は、朝方小降りになったが、止んではいない。午後から晴れの予報だった。朝の連絡網が回ってきて、中止であることが伝えられた。良いやら悪いやら。というのは、実は、今日は私、大事な会議が午後1時からあり、どちらにせよ、試合会場の呉市から廿日市市の取引先まで、11時半には帰ってこなければならなかった。試合がないのは、つまらないし、やっぱり、少しだけでも試合を見てから出勤したかった。潤は、遊びに行くと言い残して、T君の家に行ってしまった。私は会社に向かった。会社で昼飯を食った。潤はこの頃、何食っているんだろうと心配しつつ、大盛りカレーをパクついた。結局会議は午後9時を回った。潤から何度も電話があった。腹減っただの文房具を買いに行きたいだのと。会議が終わると挨拶もせずに、エスティマをぶっ飛ばし、14分で家に到着した。携帯電話で連絡していたので、潤は家の前に出て私を待っていた。五日市駅前の福屋(デパート)の文具売り場は午後10時まで開いているので、そこに連れて行った。潤は、ボールペンとフェルトペンを探していた。私は書籍コーナーで、大リーグ関係の本を探したが、良いものが無かった。しかし、伊良部の連続写真を見つけ、その2、3カットだけのために900円を支払って購入した。今日は、結局何も練習しなかった。バッティングセンターは9時半で終了している。エレベータの中で、2人きり、で外の暗い町の様子を見ていると、何で日曜日なのに、午後九時まで子供を一人きりにしておき、今頃こんなところで買物しているんだろうと思うと、「潤、今日はゴメンね。」という言葉が自然に出た。炊飯器にはご飯が炊きあがっていたが、家に帰って作ったんじゃ、時間が遅くなる。祭寿司に行った。潤は、腹が減っていたので、自分で玉子ご飯を一膳食べたと言った。2人で20皿と茶碗蒸を食べた。食べながら、先ほど購入した。伊良部の連続写真を見ながら、昨日Kさんに指摘されたところを2人で確認した。家に着いて、潤はストレッチとダンベルを始めた。私はPCでメールチェック。潤からメールが来ていた。いつもなら、会社で読むんだけど、今日は、一日会議だったから、メールのチェックは、家に帰ってから行った。潤のそのメールはメイの寝顔写真が添付されていて、「早く帰ってきてね。」と書かれていた。
2003年02月17日 14時04分35秒

  • 2003年2月15日
    土曜日は、いつも朝寝坊をさせている。一週間でただ、一回ゆっくり眠れる潤。私は、相変わらず、掃除洗濯、メイの散歩。潤が起きていたら、相手せにゃならず、面倒くさいことが多い。寝かせておけば、色んな事が早く片付くし、潤も楽だろうと思い、午前中練習が無い土曜日はそうしている。11時頃、御目覚めの潤を連れて練習に向かった。明日、呉東リーグと練習試合が予定されている。今日は、ポジションを決めて、ノック中心に練習した。ゲームノック形式で実際に打たせた。潤のライトフェンス越えを期待して、ライトフェンスの向う側の駐車場の車を打球が飛んでこない安全な場所に移動した。しかし、そんな心配は無用だった。是っ不調のレフト前とセンターフライで、やっぱり、軸がぶれる。私が、睨むと眉をひそめて、嫌な顔をする。今日は監督がお休みで、私が主体で子供達を見ていた。こういう日は、絶対に言うことを聞かない。これが嫌で、私は以前コーチを辞めようとも思った。全部上手く行かないのは私の性にでもしたいのだろう。思考がマイナスに向いていた。投球練習も悲惨だった。カーブがやたらすっぽ抜けて、かなりヤバイ状態。おいおい何人殺すんだよって感じだった。普段、バッティングセンターもそうだが、ピッチング練習も練習でしかない。本番のつもりで「気」が入った練習をしていないと、そこでは、全く行かされない。練習していないのと同じ状態になってしまう。今まで、どんだけ練習してきたか、それが全く出せていない。出ているのは、私に対する不満だけ、この影に、自分がこれ迄やってきたことが隠れてしまっていた。明日の試合を想定して、左投げの前期コーチが特別参加してくれたが、そちらからも、私と同様の、軸、左が下がる指摘を受けていた。左投手対左打者、打ちにくかろう、しかし、左カーブはアウトローに飛んで来る。インハイにも来る。全く、情けない状態だった。人は、羨むと思うが、父親コーチ、主力選手、主将は、子供にとっても、私にとってもやりにくいし、辛い。夕方、雨が降り出した。明日の試合が微妙である。あまり、出来が悪かったので、居残り練習をマウンドを使って行った。私と潤のやり取りを見ていて、帰り掛けていた事務局長がマウンドに上がり、潤に色々指導してくれた。助かった。事務局長の息子は今は高校球児である。優しく潤にゆっくり説明してくれた。そして、もう暗くって球が見えないけれど、しばし投げ込んだ。今日は、バッティングセンターにも寄らずに帰宅した。潤は、帰りの車の中、「父さん、Kさんどう思う。優しくって良いよね。」と、普段の潤に戻っていた。その後、くたびれたのか、車の中で眠り込んでいた。私は潤が寝ているのでエンジンと暖房を掛けたまま、スーパーを2件回った。今晩は、潤の大好きなそぼろご飯にした。
2003年02月17日 13時37分08秒

  • 2003年2月14日
    金曜日だけど、ピッチング練習した。今週雨が降って思うように練習できなかったからだ。足の運び方を集中して練習、シャドウ中心に行った。今日は小用があり、自転車ではなく、エスティマで出勤した。潤から会社に電話があり、サンリブで遊んでいるから、帰りに迎えに来てくれとのことだった。仕事が少々長引いていた。会社で恒例の義理チョコをもらった。今年は昨年より豪華、包みが大きい。食べてしまわずに、潤に持ち帰ることにした。母さんがいたら、潤はチョコレートを貰えるんだろうな等と考えながら、広島西バイパスを五日市方面に走らせた。携帯電話で、連絡をとり、タクシー乗り場で待ちあわせして、潤を拾うとバッティングセンターに行こうとしたが、腹ペコの潤、吉野屋で先に腹ごしらえした。そして、甘いものが食べたいと言うので、ファミリーマートでシュークリームといちご大福を買って即食べた。良い感じで腹8分目、バッティングセンターに行った。左が下がるのでこれを指摘した。打つ前に軸がまたぶれてきた、3cmも投手よりに動いたら、軸の意識が出来ていないと思う。腰と頭の線が絶対にミートまでぐらついては行けないのだが、どうも、分かっていて、やっているとしか思えない。重要なことだと思っていないのだろう。この軸を作れないで、打ちに行ったら、タイミングを取るのが難しくなると思うのだが、言うことを聞かない。そして、タイミングを左肩を下げて合わせる。体重は、右足に乗っけて。最後の一枚のコインの時に、全部ライト打ちするから、見ていてと潤は、言った。確かに、殆どライト打ち出来る。やれば、出来ると言いたいのだろう。でも自分の思うやりたいように、やりたいとでも言うように、中々こっちが言っている大事なことが伝わり切っていない。私としては、ライト打ち(バットに乗っけて巻き取り)って事より、意味を本当に理解しているのだろうか、分からず不完全燃焼ぎみである。家に帰って、つゆだくネギなしの牛丼をメイにやった。夜9時半まで、家が真っ暗で一人ぼっちで御留守番のメイに御褒美の牛丼だった。今日頂いた義理チョコを潤にあげた。しかし結局、みんなで分けようということになり、2人と1匹で仲良く分けた潤はダンベルしなが、私はPCいじりながら、メイは牛丼、そっちのけで食っていた。
2003年02月17日 12時54分16秒

  • 2003年2月13日
    昨晩テレビで伊良部が前足着地で悩んでいるというのを見た。クレメンツやその他3人の投手から、前足着地を変えた方が良いと指摘を受けたという。これを潤と興味深く見た。そういえば、ライアンも同じ前足着地である。今朝は、これを練習した。私は、シャトルティーの投げる係りなので、この前足着地を真似して約100球程投げると感じを掴んだ。投げたシャトルも勢いがある。私、ますますいい気になった。潤はティーを打っているので、この快感が分からない。何がよいかって、手投げじゃないから、肩が痛くならないのである。続いてやっと投球練習、ワインドアップでこの前足着地を反復練習。シャドウで練習。続いて、キャッチボール。事件は起きた。潤が前足の振り上げ、手を抜き出した。私は練習を中止にした。違和感があったのだろう。そりゃ、伊良部でさえ悩んでいるんだもの、考えて見れば違和感があって当然。口を利かずに、私はメイと散歩に出た。メイを公園で放して、私はぼーっと考え込んだ。良かれと思って、また怪我をしないでくれと思って指導しているつもりなのに中々、伝わらないもどかしさ。家に帰って、潤にA4用紙で手紙を書いた。潤も機嫌が悪いまま学校に行ったに違いない。算数の教科書が今の机の上に置き去りになっていた。午後4時ころ会社に電話があった。朝のこと、明日は大丈夫だということだった。私は、仕事が長引き、午後8時に帰宅した。塾から帰って腹をすかせた潤はヨーグルトを食べて、宿題を終わらせていた。今日も昨日と同じく、炊飯器をセットして、バッティングセンターに出かけた。実は、今日、所持金が殆どなかった。カードを忘れて、家を出て、現金を引き出せなかった。そんなわけでいつもは、私が買うが今日は潤が回数券を自分で購入した。自分で買うと真面目にやるな。もったいないって気持ちになるのかな?まぁ、打撃については、コメントすることが今のところない。帰りにセブンで牛乳とバスカード1000円を購入した。友達とバスに乗って遊びに行きたいらしい。しょうがない、交通費だからと、馬鹿親の私はバスカードを買い与えた。さて、家に帰って、今日はエビフライ、ホクホクご飯に、キノコの味噌汁を作った。魚系の夕飯の時は、ゆっくり食べる事ができる。メイが寄ってこない。勝手にドッグフードをおとなしく食べてくれる、おりこうさんのメイ。でも、付け合せのミートボールの匂いはしっかりかぎつけやっぱり今日も、フローリングがよだれでベタベタになった。ミートボールをかすめとると、再び自分のえさを食う。まあ、これが我が家のいつもの夕食の風景。わんこが1匹いるだけで、二人だけの夕食が楽しくなる。食事を終えて、いつものメニューをこなし、「美女か野獣」を見て就寝。明日の朝練、起きれるかなぁ。
2003年02月14日 00時04分09秒

  • 2003年2月12日
    昨日練習日だったので、今朝は朝練なし。会社から家に帰って、米をといで炊飯器にセット、バッティングセンターから帰ってくるころに飯が炊ける。2月に入って、バッティングに迷いがあったが、昨年年末のように調子を戻しつつある。原因は左肩が下がることにあったようだ。自分で色々な打ち方を試しているうちに、何が本当か分からなくなっていた。でもやっぱり、暮れの打ち方が一番ミートポイントまで速い。小笠原や、松井スタイルだと、ミートは良いが、スイングが遅く感じる。ケージで潤が大きな声で、叫んだ。思い出した、感じが戻ったという。何で、毎日バット何百回って振っているのに忘れんのかなぁ。多分、表面は、私に合わせて、心の中で違うことを試しているのだろう。それは、それでよいのだが、自分で、少々混乱しているようでもある。潤は、だいぶ、科学的、物理的に物事を理解しようという気持ちが芽生えてきている。小さな子って、僕は凄いんだ、特別なんだ、将来はヒーローなんだって思い込む。今は、自分の非力をどう克服するか、バッティング、ピッチングにおいても考えるようになってきた。僕は、普通の人間、どうしたら、人より上手になれるか、どうしたら、パワーが出るか、どう振ったらスイング速くなるか、どう腕を使ったら、肩や肘が痛くならないか、どうしたら、怪我防止できるか、どうしたら、速く体重移動できるか等々考えているようである。身体の違い、力の違い、動きの違い、外面的に容易に比較できる部分だけでも秀でているに越したことはない。それに、培われたセンスや感性が加わり、やっと何とか人並みといったところ。後は、めぐり合わせや運である。まぁ、これは今色々考えてもしょうがない。今、ちょっとずつ、練習の意味が分かってきたのかなぁ、潤は。家に帰ったら、いつものメニュー、チューブとダンベルは、毎日欠かさない。私は、焼肉とアジフライ、サラダと味噌汁を作った。最近、私が料理すると、豪華だと潤はいう。だって、思いっきり練習しているじゃない。食わにゃー、身体大きくならんよ。
2003年02月13日 23時28分24秒

  • 2003年2月11日
    道路が濡れていて、練習できるか不安。建国記念日の今日は、リトルの出陣式の日。今年も頑張りましょうって事で、みんなで、昼にカツ(勝つ)カレーを食べる、そして、役員会議等行って、意思疎通を図る。まぁ、私は、現場(グランド)担当なので、会議には、不参加で子供の面倒を見ていた。午前中はグランドコンディションが悪くって、アップとキャッチボール、そしてトスバッティングをする頃から、雨が降り出し、一時練習中段、雨宿り。そして雨が小降りになったら、レインボールでトスバッティングを再開。グランドに水が浮いてきて、コリャもう駄目。早目の昼食のカツカレーをクラブハウス2階に上がり、車座になってみんなで食べた。御代わりしたかったなぁー。でもダイエット。午後から雨が上がらず、解散になった。解散になっても、潤と私は、これからが、練習。今日のリーグの練習なんて、おまけみたいなもの。五日市バッティングセンターに直行。潤は車の中で、更に栄養補給、移動時間を上手く使わなくっちゃ、もったいない。車で休息後練習開始。約1時間、打ち込んだ。その間、潤は殆どケージから出ず行った。やることやったら、今度は遊び。潤は、宿題の卒業文集も終わらせていたので、気楽で良い。サンリブのゲーセンにまたしても、野球のユニフォームで行ってしまった。コインゲームでコインが減ったり増えたりの攻防。1000枚から、800枚の間を行ったり来たり。午後4時から結局閉店の8時まで、何も飲み食いせず、1円も使わず、ただひたすらゲーム。私は潤の横にチョコンと座り、この時は、主導権は潤が握る。私は、一喜一憂している潤を見て楽しいので、自分ではゲームはしない。ゲーセンの照明の灯りが落とされ今日も最後の2人組み、終わって清算してみれば、コイン1915枚の過去最高枚数。それにしても、時間を掛け過ぎてしまった。夕食を何処かで食わなければ。久しぶりに吉野屋に行った。潤は牛皿2、ケンチン1、おしんこ1、半熟玉子1、私は牛丼並み1だけ。腹八分目の後は、運動しなくっちゃ、って事で、ボウリングをしに、美鈴ガーデンに出発。ボウリングは、下半身使うし、右腕の強化も兼ねる、そして楽しい。潤は来ん所上手くなったなぁ。まぁ、100以上は、当たり前だけど。しかし、まだ、わし、潤に一度も負けたことはない。なんたって、わし、中学の頃、学校帰りに、ボウリングに行ってたもんね。そういう世代なの。時間は午後9時をとうに過ぎて、でも私と潤は、ユニフォーム着たまま、今日の練習は昼で終わっているのにもかかわらず。家に帰ってもやることがある。チューブとストレッチダンベルを行わせた。そして風呂上がりに、特製ミルクセーキを作ってカンパイ。卒業文集の下書きを私に朗読してくれた。私がPCで作業をしている間に、潤はいつのまにやら、ソファーで眠り込んでいた。疲れたんだろうなぁ。
2003年02月12日 15時44分40秒

  • 2003年2月10日
    今日は月曜日なので、完全オフ日。足が痛くって階段を下りれない。普段、グランドで怒鳴っているだけなので、昨日のランニングは堪えた。今晩は、バッティングセンターに行くこともないので、フライドチキンと鰯フライ、野菜サラダと味噌汁を作った。やっぱ、ちゃんと、食事を作ると、潤も沢山食べてくれる。普段は、手抜きだから、プロテインや、ビタミン剤、Ca、Mg錠に頼ってしまう。こんな食生活、よくないって分かっていても、外食の時は、これらに頼ってしまう。責めて、運動の後ぐらいは、手料理を食べさせてやりたいな。
2003年02月12日 14時52分17秒

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