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斎藤茂吉1〜80(2007/12/12〜2008/03/03) 斎藤茂吉1 ひた走るわが道暗ししんしんと堪へかねたるわが道暗し 『赤光』(大正2年刊) 石川啄木の表現も、北原白秋の表現も、仮に自分の行為を歌ったとしても、出来た作品は作者からきれいさっぱり切り離されることをよくよくわきまえている者の表現だったが、斎藤茂吉の場合、作者にとって世界がそうであったのと同じように、その作品もまた、作者から切り離されることを拒んでいるかのようだ。 作者が作品を、自分の出来事として、自分の咽喉を通して声として世界に出すときの粘膜の粘り。その粘りの発する音を、私は茂吉の短歌から聴き取ってしまう。 ただの「道」も茂吉にとっての「わが道」としてしまうその身体感覚のありようが、以降の近代短歌史を被い尽くしたことの意味を、考えないではいられない。 斎藤茂吉2 ほのぼのとおのれ光りてながれたる螢を殺すわが道くらし 『赤光』(大正2年刊) 茂吉の短歌においては、動詞の存在感が濃い。 〈存在〉のいのちに対するフェティシズムとも云うべき粘度の強いまなざしが、螢が「光り」「ながれる」重量感と作者がその螢を「殺す」重量感とをいずれ劣らぬ濃さで彩っている。 茂吉の作り出すこの〈いのちの濃さ〉には、不健康なものがある。 生きることに手ごたえを得ることの困難な者が、これも自分の行為、これも自分がやったこと、この螢を殺したのも自分、殺したことでその螢も自分のもの、とひとつひとつ確認せずにはいられぬときの過食症的な病理が、歌に過剰な濃さを与えている。 斎藤茂吉3 あかあかと朝焼けにけりひんがしの山竝の天朝焼けにけり 『赤光』(大正2年刊) 「朝焼けにけり」のリフレインに奇妙な切迫感がある。 北原白秋の歌ならば、リフレインはオノマトペ同様、〈意味〉よりも〈無意味〉のやすらぎへの志向性を帯びて重力が軽くなるのだが、茂吉のリフレインには、必死で重力を強めようとするかのような切迫感がある。 師の伊藤左千夫死去の報に触れ、そのような朝の山竝(やまなみ)の天(あめ)はただごとではありえない、あってはならないとばかりに風景に過剰な〈重さ〉を付与してゆく手つきが異様だ。
斎藤茂吉4 鳳仙花城あとに散り散りたまる夕かたまけて忍び逢ひたれ 『赤光』(大正2年刊) 「忍び逢う」という行為を、ことさら濃い〈いのち〉の死のイメージと重ね合わせているところに、茂吉らしいどぎつさを感じる。 鳳仙花の紅さが、夕暮れの城あとの廃墟感覚を背景に散り、散ってなおそのいのちを主張するように散りたまってことさら紅い。 鳳仙花の花のいのちのありように地上的にフェティッシュに注がれた視線が、そのまま夕暮れという時刻のもつ非日常性へ、そして相聞の情緒へと途切れることなく歌い上げられて申し分なく密度の濃い短歌性を織り上げているのも茂吉的だ。
斎藤茂吉5 たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり 『赤光』(大正2年刊) 鳳仙花と「忍び逢い」が結びつくのと同じ濃度で鳳仙花と「上海のたたかい」とが結びついている。 茂吉の歌は、作者と対象とが連結する濃度において、どの歌も同じ濃度だと感じる。濃淡というものが無い。 言い換えれば、作者の一定の体液の濃度に対象が染まっているのだ。 一つひとつの対象から受けとる存在感の差異というものに脅えて、あえて過剰に対象を撫で回し、己れ自身の存在との連続感のみを対象へ逆流させてゆくような茂吉の手つきは病理的であり、対象への健やかな貪欲さと即物性をもっていた正岡子規との最も際立った違いであるとおもう。
斎藤茂吉6 巻尺を囚人のあたまに当て居りて風吹き来しに外面を見たり 『赤光』(大正2年刊) 「殺人未遂被告某の精神状態鑑定を命ぜられて某監獄に通ひ居たる時、折にふれて詠みすてたるものなり。」と詞書にある。 精神鑑定のために巻尺で頭の大きさを測るという行為に、うすら寒さをおぼえる。 当の茂吉にも、そのうすら寒さがあったのではないか。風が吹いて来たときに、ふと気がそれる。 医師としての行為全般に対して、いや、生活上の営みすべてに対して、茂吉はうすら寒いうつろな感触で臨んでいた気がしてならない。
斎藤茂吉7 紺いろの囚人の群笠かむり草苅るゆゑに光るその鎌 『赤光』(大正2年刊) 凡庸な「写生」という感覚から逸脱しているのが「ゆゑに」。 囚人が草を苅ることとその鎌が光ることとを因果関係としてとらえることで、作者から鎌までの空間が切れ目の無いぬらりとした生命体のように感じられる。 「紺いろの囚人の群」という表現も、対象を人として把握することを拒んでいる作者の生理を感じさせる。 紺色の群体のような存在(笠で顔も見えない)が操作している「鎌」であるゆえに、その鎌は、群体の身体の延長として妖しく光る生命性を獲得してしまう。しかも、一首は結句へと収斂して、囚人の群れよりも鎌の存在感が大きく、人間の輪郭は淡く後景に退く。 ヒューマニスティックな告発としての歌などではない。 人よりも鎌が光る〈存在〉のかたちにぞくっとした茂吉の興奮が伝わる。
斎藤茂吉8 監獄に通ひ来しより幾日経し蜩啼きたり二つ啼きたり 『赤光』(大正2年刊) 蜩(かなかな)が二つ啼いたのを聴いたとき、正岡子規ならばその絶対感に生命的に感応して詠むだろう。今、世界はこのようでしかありえない、というふうに。対象に即して歌うことで自ずから〈子規〉がたち顕れるというふうに。そのことで子規の肉体の〈濃さ〉が淡々と映し出されるというふうに。 茂吉においては、蜩は作者のうつろな肉体の中にたまたま二つぽとりと落ちてきたかのようだ。 「蜩啼きたり二つ啼きたり」には退行的なリズム感があり、監獄に通って囚人の精神鑑定の仕事をしている作者の肉体の〈うつろさ〉がねっとりと浮かび上がる。
斎藤茂吉9 黴毒のひそみ流るる血液を彼の男より採りて持ちたり 『赤光』(大正2年刊) 他者との繋がりのかたちがグロテスクだ。 不潔なものを持っていること、男が人を殺しそこねた囚人であること、それらに嫌悪しているのではない。 その男との直接の関わりの中では感じられない生々しさを、男の血液を手にしているときに、その血液の中をめぐるものへと感覚の触手を伸ばしてゆくことではじめて、確かなものとして握り締めている茂吉の、奇妙に安堵したようなしみじみとした詠みぶりが一首のリズムに整った力を与えている。
斎藤茂吉10 みなづきの嵐のなかに顫ひつつ散るぬば玉の黒き花みゆ 『赤光』(大正2年刊) 「みなづき嵐」と題された十首余りの中の一首。 「顫ひ」「散る」「みゆ」といった動詞が、嵐と黒き花と作者とのあわいの空間を攪拌し、うつうつと湿り気の多い「みなづき」の抑圧感の中で渾然一体となっている。 与謝野晶子の歌が〈対象〉を詠まずに〈物語〉を詠んだのとは別の意味で、茂吉もまた〈対象〉を詠まなかった歌人であるとおもう。 この歌でも「黒き花」が直接の対象であるかのようだが、歌に盛られたものは、作者と対象とのあいだに流れる空気の粘りであり、逆に云うなら、その空気が粘りを帯びるまでは歌はかたちにならなかったのではないかとおもわれる。
斎藤茂吉11 狂じや一人蚊帳よりいでてまぼしげに覆盆子食べたしといひにけらずや 『赤光』(大正2年刊) まぼしげに「覆盆子(いちご)食べたし」と言う狂人のすがたに、私は茂吉のイメージを重ねてしまう。 狂人のうつろな心に「覆盆子」のイメージがすとんと落ちてくるように、茂吉のうつろな心にも狂人のすがたがすとんと落ちてきて、しっくりなじんでいる。 人をうつろにしてしまう〈時代〉というものを石川啄木は激しく意識し続けたけれども、茂吉にはそのような批判精神はない。〈批判〉という意識が脱け落ちている自分を責める資質もない。この茂吉の資質が写生概念と結びついて近代短歌の無敵の王道を形成してしまったことの意味について、私は問わずにはいられない。
斎藤茂吉12 蚊帳のなかに蚊が二三疋ゐるらしき此寂しさを告げやらましを 『赤光』(大正2年刊) いらだちではない。 蚊帳のなかに二三疋の蚊とともに籠って、ユクスキュルが云うところのひとつの〈環世界〉を構成し、その空気を〈寂しさ〉で着彩したような。 蚊の存在は「らしき」と推定されるのみで視覚的にはとらえられていない。それゆえに作者の延長として蚊帳の中の世界を共に構成する存在となり、作者と蚊とのあいだに存在としての優劣もなく、切れ目もなく、生理的な寂しさでつながる。
斎藤茂吉13 日を吸ひてくろぐろと咲くダアリヤはわが目のもとに散らざりしかも 『赤光』(大正2年刊) くれないのダアリヤなのだが、日の光を吸ってくろぐろと咲き、作者の目の前にその存在を主張する。 「散らざりしかも」には、散るべき存在であるにもかかわらず、今それを見ている自分の目の下においては散ろうとしないダアリヤであることよ、といった感慨がこもる。ダアリヤと作者とのあいだに、なみなみならぬ存在としての連続感が構成される。 ダアリヤが日を吸うことですこやかなくれないをからりと生命的に主張するのではなく、〈黒〉という色が存在の奥からたちのぼるのだととらえるとき、自身の内奥からたちのぼる〈黒〉が重ね合わされているかのようだ。
斎藤茂吉14 ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり 『赤光』(大正2年刊) 「ダアリヤは黒し」と「笑ひて去りゆける狂人は」以降とのあいだの〈切れ〉が奇妙だ。 北原白秋の歌のように、まさに俳句的な〈切れ〉によって詩的な跳躍がもたらされるのとは異なる。 白秋ならば〈切れ〉にはきっぱりとした断絶の感覚が強くつきまとうが、茂吉の場合、あきらかに断絶よりも連続の相においてその前後をとらえており、狂人の笑いの内から、ダアリヤのくろぐろと見える様と同じ〈黒〉の妖気がたちのぼるかのようだ。また逆に、ダアリヤもくろぐろと狂気を秘めて笑っているかのようだ。
斎藤茂吉15 はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば 『赤光』(大正2年刊 ) 母という他者とのかかわりのことさらな確認作業が濃密なぎこちなさをかもし出している。 「たまへり」という敬語や「子なれば」という理由の説明が、かえって〈親子〉であることの不自然と苦痛とを感じさせる。 現在の私たちの〈親子〉のように初期設定の時点で薄い関係なのではなく、濃い関係であったものがゆがみをこうむってことさらで不幸な密度を獲得してしまったという感触。 これは茂吉の短歌において、母との関係にのみ云えることではなく、あらゆる対象との関係について云えることだとおもう。
斎藤茂吉16 長押なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺の我が朝目には見ゆ 『赤光』(大正2年刊) 「塵は」「朝目には」の格助詞「は」に主張されて、作者と対象とのかかわりのあり方が際立つ。 自分の生理が拘泥している「塵」に対して、死にゆく母のかたわらにある自分の朝の目だからこそ見えるのだという解釈を主張する。 いのちのやりとりに関わる「槍」でありながら、古色蒼然、死物としての「槍」であり、しかもそこに積もった無意味の集積のような「塵」と、今まさに意味から無意味の側へと移行しようとしている母。それらを朝の光の中でいのちの側にあって見つめる作者。 酷薄な散文性に満ちた世界を、散文的でありながらも粘度の強い因果関係でくまどるような文体のあくの強さ。 茂吉がいのちを歌い上げるほどに、くろぐろとした虚無を押し付けられたような心地になるのは、私だけであろうか。
斎藤茂吉17 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる 『赤光』(大正2年刊) 「作者」と「母」と「遠田のかはづ」とが切れ目なくぬめぬめと繋がって、両生類の無数の声として増殖し、輪郭を失い、天に昇ってゆくイメージに、茂吉の面目躍如たるものがある。 この歌において動詞は「聞ゆる」のみ。 そのことで主体の輪郭はあいまいになり、作者もその母も人としての重力を失い、「かはづ」の声と融け合いながら、しかも透明で希薄なのではない、むしろ濃く粘りのあるひとつの生命体の潮のように昇天しつつ、作者のうつろな存在を補完する。
斎藤茂吉18 桑の香の青くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり 『赤光』(大正2年刊) 桑の香の「青さ」は、このときの茂吉にとって不安定で異質な〈他者〉だったとおもわれる。 作者自身と、死にゆく母のからだと、死そのものとをやっとのおもいでひとつの生命体のように「かはづ」の声でつないでみせても、透明な朝明の光の中で、すがすがと青い桑の香は、作者と世界(母やその死)とのあいだの清冽な境界線を際立たせるかのようで、堪えがたいものがあっただろう。 このような極限状況でなくとも、茂吉には〈他者性〉を忌避する志向性があるが、母が死んでしまうのならばその〈死〉さえも異質な他者とはみとめまいとするまなざしの粘度が、彼の「実相観入」を支えていたのだとおもう。
斎藤茂吉19 春なればひかり流れてうらがなし今は野のべに蟆子も生れしか 『赤光』(大正2年刊) 「ひかり流れて」の抽象画の気配から「野(ぬ)のべ」の「蟆子(ぶと)」という具体的な対象への連続感の形成に、ねっとりした短歌性が発揮されている。 あくまで地上の論理に支配されて生きるしかない生物を酷薄に見据えながらも、その酷薄さの上に自身の塗りたい色をまったりと重ねているのが上の句。 漠然と感じる世界との異和を漠然とうらがなしい己れの春の色へと塗りかえて、下の句の酷薄で微細ないのちのありように塗り重ねることで、蟆子をも己れの延長としてうらがなしく増殖させてゆく手つきが緻密だ。
斎藤茂吉20 母が目をしまし離れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕のねむり 『赤光』(大正2年刊) 死にゆく母からしばし「離(か)れ来て」「目守(まも)る」「蚕(かふこ)のねむり」の中に、死の匂いをはらんだいのちのかたちを見て安らぐ茂吉。 同じものが無数にあるとき、一つひとつの存在が軽くなることで、柔和で観念的な〈死〉のイメージを人は感受する。たった一つの身近な死の恐怖が薄らぎ、生から完全に隔絶した死ではなく、連続感のある死が幻視される。 己れの恐れるものを、一首一首短歌をつくることで飼いならしていった茂吉の資質が露わにかなしく迫る。
斎藤茂吉21 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ 『赤光』(大正2年刊) 上の句は目の前の母のかたち。下の句には目の前の母に対して作者が観念としてどのような色彩を塗ろうとしているかが顕著だ。 自身の記憶にはないが当然事実であった「誕生」と「乳児期」を持ち出すことで、眼前の今まさに死のうとする母を別の色彩で塗り替え、己れの生理の延長へと観念的にとらえなおすときの呼びかけのリフレインが粘着的だ。
斎藤茂吉22 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり 『赤光』(大正2年刊) この歌によって、それまでの現実の側の母は向こう側へと移行した。 現実の側にいるのは「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ」であり、母は現実の輪郭をもった母から、「足乳ねの」という枕詞を冠されて輪郭を喪った母へと変容する。そのことによってもはや〈母の死〉は茂吉にとって他者性をもたなくなる。 むしろ輪郭をくっきりと誇示する「のど赤き玄鳥ふたつ」が茂吉に対して不安を呼び起こす他者性を帯びて異様な存在感をもつ。 上の句と下の句の、ことさらに〈因果〉とまでは成り切らぬ接続のさりげなさが、逆説的に茂吉の不安のありかを示しているかのようだ。
斎藤茂吉23 いのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを 『赤光』(大正2年刊) 地上的な酷薄な臨終の場面の描写であるが、「いのちある人」や、「母の死行くを」ではなく「母のいのち死行くを」という表現に見られる「いのち」という語のもつ抽象性が、〈母〉の死のかたちに観念的な荘厳の色彩を塗布している。 結句の「死ゆくを」の「ゆく」が直前の「行く」とはちがってひらがなでのリフレインであるのも、地上的な酷薄さから茂吉なりの天上的なヴァージョンへと母の死を変容させて、受け入れがたいものを捨象したかのようだ。
斎藤茂吉24 ひとり来て蚕のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり 『赤光』(大正2年刊) 強烈な熱さや冷たさ、絶対的な他者性、絶対的な孤独、善や悪。 茂吉の世界にはこういうものがない。こういうものに触れるやいなや、己れの生理の延長へと解消すべく〈環世界〉を構築し始める。 母の死に触れるやいなや、ひとり蚕のへやに来て、蚕の体温のような〈環世界〉の中で茂吉だけの寂しさに浸る。幼児の指しゃぶりのような退行的なしめりけが満ち満ちている。
斎藤茂吉25 楢わか葉照りひるがへるうつつなに山蚕は青く生れぬ山蚕は 『赤光』(大正2年刊) 茂吉が「蚕」という対象にこだわるのは、たった一つの「蚕」を描写しても、〈一つ〉の背後に無数の同じ大きさ、同じかたちの蚕を想起させるからだろう。 このことは、〈一つ〉が〈類〉を象徴しているのではない。あくまで〈一つ〉が〈無数〉を想起させるに過ぎない。だが、〈蚕〉はたしかに茂吉の望む生存感覚を象徴している。 生身の個の輪郭をもちこたえるのがつらいとき、あるいはその生存感覚のなかで既に生身の個の輪郭が喪われているとき、表現者にとってこのような〈増殖系〉のモチーフは魅力的だ。 楢のわか葉が照りひるがえる生命的な色彩は、生々しくも青く生まれたばかりの蚕と取り合わせられて、茫洋と無限に繋がるけだるい生存感覚へと変容する。 正岡子規が、シンプルな季語を即物的な写生によってコスミックにふくらませてみせたように、その生存感覚には天と地ほどの隔たりはあるが、茂吉もまた、シンプルな情景描写(楢わか葉)を即物的だが観念的な描写(山蚕は青く生れぬ)によって己れの色に染め上げてみせたのだと云える。
斎藤茂吉26 葬り道すかんぽの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや 『赤光』(大正2年刊) 「母の死」に直面したときも、それ以外の〈他者性〉に直面したときも、茂吉の作歌の手つきは同じだ。 茂吉にとって「母の死」も〈他者性〉のひとつであるとも云えるし、〈他者性〉は茂吉にとって「死」のイメージなのだとも云えるだろう。 母の遺体との道行きに当たって、「すかんぽの華」がほほけて散る光景は、これから凝視しなければならぬ現実をほほけさせてくれるかのようだ。 茂吉短歌はその意味で、常に鎮魂歌であると云ってもよいのではないか。 そしてまた、歌うためには常に〈死〉を身近に引き寄せておくことが必要だったのではないか。 〈他者性〉という死、〈酷薄な地上的現実〉という死、それらを凝視することで否応なく補完せねばならぬ全き〈環世界〉としての短歌であれば、それは常に鎮魂歌たらざるを得ない。 〈他者性〉や〈現実〉を〈死〉のイメージから解き放つこと。 茂吉の不幸は端的に云えばそのような解放の不能性であったろう。
斎藤茂吉27 おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつも 『赤光』(大正2年刊) おきな草の花の異形性が、「口あかく咲く」という擬人化によってさらに際立つ。 毒々しい赤い花が口をあけている様は、ぱっくりと口をあけて人を待ち受ける死のようだ。 「光ながれて我ら行きつも」によって、近松の舞台のような、仏教的な道行きの風情を添えて、母を葬るための道程が彩られる。 母への鎮魂というよりも、母の死を受け容れ、おきな草が口をあけて待ち受けるこの現世を生きねばならぬ茂吉自身の魂を慰撫するためのレクイエムだとおもわれる。
斎藤茂吉28 星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり 『赤光』(大正2年刊) 母の遺体を焼く火にとらわれていたのが、遺体がもはや火そのものと化すやいなや、茂吉と火と星ぞらとは異和感なく一体となったかのようだ。 「遺体を焼く」という即物的な行為によって地上にしばりつけられていた「母」は、赤々と燃える火によって「遺体」という概念から解放され、のびのびと抽象的な「ははそはの母」へと変容して「星のゐる夜ぞらのもとに」輪郭をほどいてしまうことができる。 かなしみよりも、「母」のかたちを解き放つのびやかさがダイナミックに伝わる。
斎藤茂吉29 さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも 『赤光』(大正2年刊) 「遺体」であったり「骨」になってしまったりという即物的な「母」ではなく、火として燃えている母を歌った数種は、葬送の歌でありながら、のびやかな解放感がある。 ただ赤く燃える火となった母を歌うことで、母を解き放ち、己れをも解き放っている茂吉の、観念的だがシンプルでダイナミックな歌いっぷりには、かなしみや孤独や繊細な痛みの影は見受けられない。 茂吉のまなざしにおける即物性と観念性とのギャップは激しいものがあり、一首においてそのギャップを埋めようとするとき、あの紅(くれない)の環世界が成就するかのようだ。
斎藤茂吉30 はふり火を守りこよひは更けにけり今夜の天のいつくしきかも 『赤光』(大正2年刊) ロマンティックな歌いっぷりだ。 火となって天に昇った母とのあいだには、現実のしがらみも異和も酷薄なヴィジョンによる痛苦も無い。 母の輪郭は天に融けてひたすらに遠く美しく観念的で抽象的で、それゆえに茂吉にとっては実に身近でかつロマンティックでありうる対象であったろう。
斎藤茂吉31 火を守りてさ夜ふけぬれば弟は現身のうた歌ふかなしく 『赤光』(大正2年刊) 火となり天となった母に安らいでいる茂吉とは対照的に、弟は「現身(うつしみ)のうた」を「かなしく」うたう。 弟のまなざしは、母を亡くした者の地上的な生身のまっとうな「かなしみ」であり、そんな弟との落差を、茂吉もまた「かなしく」凝視している。 だが、あたりまえのまっとうなかなしみから隔たっている自分の孤独を確認している者の、清潔な覚悟や悲哀ではなく、茂吉の場合、弟との隔たりをそのまま撫で回しているような、倫理的・文学的な凛とした跳躍力の乏しさを感じる。 天に昇った母の場所へははるばると観念的に跳躍してみせるが、地上的に自身に異和を突きつけるものとの落差は粘着的に撫で回す。 大正という時代の頽廃を予感させる資質と云うべきだろうか。
斎藤茂吉32 灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり 『赤光』(大正2年刊) 観念的に天に舞い上がっていた抒情は、再びうつろなフェティシズムの茫洋とした気分へと退行する。 灰のなかから「骨」となった母を拾うとき、ふたたび「母」を地上的で可視的なかたちで凝視せねばならない酷薄さを、あえて「骨」という単語をつかわず、「朝日子」のひかりのなかにおいて輪郭をぼかして行為を描くことで、また「ハ行」の多用によるどこかうらうらとした韻律にのせることで、焦点の定まらぬ茂吉のまなざしが浮かび上がるかのようだ。
斎藤茂吉33 蕗の葉に丁寧に集めし骨くづもみな骨瓶に入れ仕舞ひけり 『赤光』(大正2年刊) 生々しくはあるが、「骨くづ」は、無意味な断片としてではなく、「星屑」というときの「くづ」の語感を持ち、「蕗の葉」に集められて和らいだ意味を主張する。 だが「骨瓶(こつがめ)」は冷ややかで無情な輪郭を持って「骨くづ」をその内に呑みこんでしまう。「入れ仕舞ひけり」には、二度と「骨くづ」としての母に触れることはなくなってしまった、閉じ込めてしまった、といった嘆息が感じられる。 和らいだ拡散から無情な凝集へ変容した〈母の死〉のかたち。 そして無情なればこそ、ふたたびその「骨瓶」を撫で回すように凝視しようとする茂吉がいるようにおもわれる。
斎藤茂吉34 どくだみも薊の花も焼けゐたり人葬所の天明けぬれば 『赤光』(大正2年刊) 母を焼いた跡に、白い花も赤い花も焼けた姿をとどめている。 ことさらに母との間を繋ぐものとして無惨なかたちの花を凝視するまなざしと、「人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)」をうつろに振り仰ぐまなざし。 母の死に際してではなくとも、茂吉にはいつもこの粘着的な地上への凝視とうつろな観念的飛翔とが背中合わせのように共存している。というより、身体の軸の不在がそのような両様の表われ方をするのだと云ってよいだろう。
斎藤茂吉35 ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるはも 『赤光』(大正2年刊) 地上的な酷薄さへの粘着的なフェティシズムと、それと表裏一体のように観念的に高々と舞い上がる天上的な万葉調の美意識との強引なダイナミズムが濃く立ち昇る茂吉の歌の中で、この一首などは淡い抽象度に統一感があり、抒情がなだらかで心地よい。 前後の歌を読んでしまえば、母の死との連関も色濃く、花もアケビが黒々と散ったのかもしれず、山腹に赤々と燃える火も描写されており、この歌の風景も、茂吉の目には、十分茂吉的美意識にかなう風景であったのかもしれないが、ことばの抽象度が粘度を薄めていて端正だ。
斎藤茂吉36 寂しさに堪へて分け入る我が目には黒ぐろと通草の花ちりにけり 『赤光』(大正2年刊) ダリアにせよ、通草にせよ、その花の赤や紫の中に孕まれた「黒」を見出すことにおいて、茂吉の目はすぐれて粘着的だ。 そのように「くろぐろと」咲いたり散ったりするように見えるのは、己れのみであることもまた、わきまえている茂吉だが、そんな己れをまた「よしよし」と赤子を慰撫するような手つきでなだめ、あやし、孤独の輪郭を退行的な「黒」の風景に融かしてしまう。
斎藤茂吉37 見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷の花はほのかなるかも 『赤光』(大正2年刊) 遠景の花を歌って茫洋とした情趣を醸しているようだが、「山腹なだり」が一首において浮きあがった感覚を見せる。 遠景のようでありながら、辛夷の花を近々と見知っている者の視線が絡まり、「間近く見れば肉厚の、官能的なあの花弁をもつ辛夷が、ここから遠く見はるかせば山の腹をなだれるほどたっぷりの花々が咲いて、一つひとつの花の輪郭などわからぬほどにほのかであることよ」といった「遠」と「近」の共在がひそんでいる。 間近に見る辛夷の花に己れの生理的なシンパシーをすべり込ませつつ、その「個」としての花の輪郭が無数の花々の群となるときにぼやけてゆく瞬間に原点移動して恍惚としている茂吉の表情が浮かぶ。
斎藤茂吉38 山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ 『赤光』(大正2年刊) 「笹竹の子」に拘束されている視線と、「ははそはの母」に流れる思いと、同居・共存しているというよりも、一つのうつろさが即物性と観念性の二方向へ発露すると云った方が適切かもしれない。 「笹竹の子」を食う理由として「山ゆゑに」というのも投げやりで、「ははそはの母よ」の単純なリフレインにもハ行のやわらかく呆けたリズムが生まれて、一首には茫洋と虚無的な心地よさを求める茂吉の脱力感が紛れもない。
斎藤茂吉39 とほくとほく行きたるならむ電燈を消せばぬば玉の夜もふけぬる 『赤光』(大正2年刊) 「おひろ」と題された一連の中に。 「とほくとほく」というリフレインで始まっても、ロマンティシズムが匂うとは限らない。 与謝野晶子もまた、「遠方(をちかた)」という語にあこがれを込めそうで込められない歌人だったが、それは世界をわしづかみにしてしまって素材を物語として構成しようというダイナミックな力が強く働きすぎるせいだった。 茂吉においては、身近な「電燈」から「とほくとほく」まで、「ぬば玉の夜」のぬらぬらと黒い粘液質の生理的執着が埋め尽くすことで、どれほど遠いものも、他者性としては存在しない〈環世界〉となり果てて、ロマンの香りを失う。 短歌という形式がナルシシズムと親和性が強く、他者性を排除してこそ成り立つのだ、というふうに開き直るならば、晶子も茂吉も神のようなものだが、真のロマンティシズムや、真の他者性、良い意味でのナルシシズム、そういった条件を彼らよりもより強く満たしたいと、そうでなければ短歌を作る意味がないと、少なくとも私はおもっている。
斎藤茂吉40 さびしさびしいま西方にくるくるとあかく入る日もこよなく寂し 『赤光』(大正2年刊) 北原白秋ならば、一見、技巧から遠く隔たったかのような幼児的なリフレインやオノマトペには、意識的な〈無意味の安らぎ〉への志向が感じられるのだが、茂吉の場合、事実幼児のような心持で、口をついて出るままに「さびしさびし」と繰り返しているのが、ひねりのないリズムの弛緩から露わだ。 幼児性への志向をすぐれた表現として定着させることは、幼児のような状態の己れをそのままたれ流すこととはまるで違う。 茂吉の表現には、基本的に「他者から読まれる」ことに対するまっとうな自意識が欠落している。
斎藤茂吉41 放り投げし風呂敷包みひろひ持ち抱きてゐたりさびしくてならぬ 『赤光』(大正2年刊) 「さびしくてならぬ」の字余りが、ことのほか退行的な抒情を、そしてその退行に対する自意識の欠如を放恣に解放してしまっている。 放り投げた風呂敷包みを拾って抱きしめた、という己れの行為を客観的に描写することが、表現に対する、また表現を受容する人々に対するまっとうな距離の意識から遠い。 すなわち、他者および己れの内なる他者性に対する絶対的な畏怖の念というものが欠落している。 昨今の「少年ぶった」大人の、悪ずれした演戯的退行による退行の正当化、のような屈折もない。 演戯的退行も気持ちが悪いが、まっすぐに悪びれずに退行をたれ流されるのも気持ちが悪い。
斎藤茂吉42 ひつたりと抱きて悲しもひとならぬ瘋癲学の書のかなしも 『赤光』(大正2年刊) ハ行の多用、特に「ひつたりと」が効果的だ。 ひとで埋めることの出来ない洞(うろ)の中に、「瘋癲学の書(ふみ)」のすっぽりと収まっている様が、そして結句の「かなしも」が平仮名であるせいで、「悲し」から「愛し」へ転ずるようなフェティシズムの濃密さが、正直に吐露されている。 だが、ひとで埋めることが出来なかったのは、おそらく茂吉において、「ひと」と「瘋癲学の書」とがおなじまなざしで見つめられていたせいだ。
斎藤茂吉43 おもひ出は霜ふるたにに流れたるうす雲の如かなしきかなや 『赤光』(大正2年刊) 酷薄な即物性のきわめて少ないこのような歌に稀に出会うと、ほっとする。 だが、「霜」が間近に眺められてその冷ややかなわびしい感触が生々しいのに対して、「うす雲」は淡く流れて遠景としてとらえられ、朦朧とした輪郭による「おもひ出」のかたちを示す。その生々しさと朦朧としたかたちとの落差が「おもひ出」に共在して、やはり茂吉らしい粘度の高いリアリティーを生み出す。同時にそのことで透明感を損なう。
斎藤茂吉44 わが生れし星を慕ひしくちびるの紅きをんなをあはれみにけり 『赤光』(大正2年刊) 「わが生れし星」というヴァーチャルな言語感覚の超越感が、作者を伏せられて読めば今の若者の作かとおもわせるほどだ。 それでもやはり、女の「くちびる」の紅さに全感覚がとらわれているような地上性と「わが生れし星」の天上性との落差には茂吉の面目躍如たるものがある。 明治の末年から大正の初めにかけて時代を覆っていた空気の中に、現在に通ずる閉塞感とそこからのヴァーチャルな離脱願望とがあり、その両極を揺れ動く感性が当時においては非常に清新な印象を与えつつ短歌界に登場したさまを、北原白秋の『桐の花』と茂吉の『赤光』はよく物語っている。
斎藤茂吉45 すり下す山葵おろしゆ滲みいでて垂る青みづのかなしかりけり 『赤光』(大正2年刊) 「山葵おろし」へのまなざしの粘度の高さはいかにも茂吉的だが、そこからことさら天上的なヴァーチャルなイメージへ捩じ上げることなく、素直に「かなしかりけり」と歌いとめたすがたはナチュラルだ。 山葵をすりおろす行為と、そこから滲み出る水の青さと、その水に注ぐ作者のまなざしとがなめらかに一体化して「かなし」という抒情がまさに「滲み出る」さまは、茂吉的なまなざしが普遍性を獲得する場合における良質の「実相観入」の例だとおもわれる。
斎藤茂吉46 藻のなかに潜むゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし 『赤光』(大正2年刊) グロテスクなものへのフェティシズムが全開。 対象との距離感の無さに異様なものを感じる。 実に正直に、グロテスクな己れの感覚を解放しているのだが、その「解放」によっても作者がどこへも脱け出ることの出来ないことの重苦しさが、この『赤光』という歌集には悶々と立ち籠めている。
斎藤茂吉47 この心葬り果てんと秀の光る錐を畳にさしにけるかも 『赤光』(大正2年刊) 茂吉にしては鋭角的な熱っぽさのある一首。 まるでいつもいつも己れを己が手で囲い込むように構成してきた〈環世界〉にほとほと愛想が尽きたとでも云わんばかりの、「秀(ほ)の光る錐(きり)」の鋭さ。それを畳に刺す行為の俊敏さをも想起させる激しさ。 〈環世界〉に退行的に自足する茂吉ではなく、そこからこぼれ落ち、あるいははみ出してしまう、不安定な己れをもて余す茂吉の像が垣間見えるとき、ようやく明治人の魂にわずかに触れたようで楽しい。
斎藤茂吉48 ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子あり 『赤光』(大正2年刊) 「ひんがしはあけぼのならむ」と「ほそほそと口笛ふきて行く童子あり」との間に、北原白秋的な、俳句の「切れ」の感覚に近い断絶がほどよく導入されている。 そのことで茂吉にありがちな粘着感が薄れ、透明感が出ている。 童子の口笛の「ほそほそ」とした吹きようが、「あけぼの」に生命的なぎらついたイメージを抱くことのできない生存感覚を、素直に表現していて好もしい。
斎藤茂吉49 あかねさす朝明けゆゑにひなげしを積みし車に会ひたるならむ 『赤光』(大正2年刊) 対象を写そうとすることがともすれば粘り気の強い、酷薄な即物性となりがちな茂吉の歌の中で、ときどき出会うこの歌のような、透明感のある〈気配〉の感触と、生身の手ざわりとのバランスのとれた一首に癒される。 ひなげしを積んだ車に会った、という偶然を、「あかねさす朝明け」に導かれた必然のように再構築するまなざしによって、ほどよくあたたかな〈意味〉がひなげしの車から放射されてくるようで、心地よい。 車を引く人のすがたは描かれず、ひなげしの花の軽やかさ、色の透明感が溢れる一幅の絵の前に立つような。
斎藤茂吉50 売薬商人くすりを売ると足竝をそろへて歌をうたひけるかも 『赤光』(大正2年刊) 明治末年から大正の初めにかけて、人々の〈うつろさ〉が生活のはしばしに表れていることを、啄木は痛烈に、白秋はうつろさゆえに切ない存在のありようを大切に掬い上げるように、それぞれとらえて鮮やかだったけれども、茂吉の場合、対象のうつろさと深く共振して一体化してゆくときのものがなしさが漂う。 「売薬商人(くすりうり)」のなりわいゆえのパフォーマンスに、己れ自身にも通ずる、世界全体に対する無力感を見て、動力部の疲弊したような時代の空気を映し出してみせる。
斎藤茂吉51 笛の音のとろりほろろと鳴りたれば紅色の獅子あらはれにけり 『赤光』(大正2年刊) 角兵衛獅子の童を見ている茂吉。 「とろりほろろ」というオノマトペが〈意味〉と〈無意味〉の境界を揺らすとき、北原白秋ならば己れの傷にたしかに触れながらやわらかな〈無意味〉へと世界を再構築してゆく者の醒めた痛みを伝えてくるが、茂吉の場合、己れの傷を撫で回しているのは確かなのだが、既に痛みではない、痛みや対象と同化しつつある者の鈍さが感じられる。 角兵衛獅子の幼い童と、紅色の獅子と、茂吉とが、「とろりほろろ」という笛の音によって粘度を与えられた空気の中で一体化しているような、痛みの後退した風景。
斎藤茂吉52 ながらふる日光のなか一いろに我のいのちのめぐるなりけり 『赤光』(大正2年刊) 若山牧水が「いのち」や「さびしさ」という語をさらりと使って、照れたりことさらに凄んだり、というところがないのは、己れの現実の肉体の輪郭を超えて「いのち」や「さびしさ」が存在し、しかもそれらが〈肉体〉ではないがヴァーチャルな〈観念〉でもない、〈身体〉としての個別性と普遍性を持ち合わせているせいだとおもう。 対して茂吉の「いのち」や「さびしさ」は、たとえばこの歌のように、「ながらふる日光のなか」を「我のいのち」で埋め尽くさずにはおかぬ、といったフィジカルな狂気とでも云うべき粘度をもつ。 それは肉体にまなざしがとらわれるあまりに、その肉体の貧しさや限定性にこらえ切れず、「いのち」という内容物が滲み出たかのようだ。
斎藤茂吉53 ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕殺ししその日おもほゆ 『赤光』(大正2年刊) ゴオガンの自画像の何によって、ふるさとの山蚕(やまこ)を虐げた記憶がよみがえるのか。 茂吉をはじめ、牧水、啄木、白秋ら、同世代の歌人たちの幼少期には、共通する暗い影があり、家族と共有していたその時間の中に、この「山蚕殺し」に相当するような嗜虐ないし被虐の記憶が棲みついているようにおもわれる。 具体的にこれといった毒々しい事件があったというのではなくとも、彼らの親の世代が家族に垂れ流していた空気には、〈近代〉になすすべもなく時には自らすすんで蹂躙された者のすさんだ匂いがしみついているようにおもわれてならない。 そのような幼少期の空気に共通するものを、ゴオガンの、およそ日本的な旧い美意識からはかけはなれた厚塗りの油絵から感じ取っていたのだとすれば、感覚としての〈内省〉のはたらいている茂吉をこの歌から感受することができる。
斎藤茂吉54 ゆふ日とほく金にひかれば群童は眼つむりて斜面をころがりにけり 『赤光』(大正2年刊) 「青山の鉄砲山」と題された一連の中に。 子どもらが山の斜面をころがり落ちて遊ぶ様を淡々と「写し」ながら、じわっと表現としての手ごたえを感じさせるのは、「ひかりて」ではなく「ひかれば」という因果関係としての構成であり、金に光る夕日の中で転がりながらその光に身を溶かしているであろう子どもの恍惚を、「ゆふ日とほく」の字あまりのリズムでふくらませ、「眼つむりて」で一人ひとりの子どもの表情に寄り添いながらも群れとしての子どもらを把握する「群童」といった言葉の斡旋であり、周到な作歌の手つきに味わいがある。
斎藤茂吉55 いちにんの童子ころがり極まりて空見たるかな太陽が紅し 『赤光』(大正2年刊) この歌においては、「群童」の中の一人に茂吉のまなざしは集中する。 だがあくまで群れの中の一人であり、はじめから一人きりで斜面を転がって遊んでいたわけではない。 群れの中にあって、この一人の童子だけが、ころがり極まったときに空を見て、茂吉と同じ紅(くれない)の太陽を見る。あるいは、茂吉がこの童子とだけ、同じ太陽を見ようとしてそれが可能になる。そんな関係性として一首が紡がれている。
斎藤茂吉56 ながらふるさ霧のなかに秋花を我摘まんとす人に知らゆな 『赤光』(大正2年刊) 「ひとりの道」と題された一連の中に。 「ながらふるさ霧」のなかの「秋花」を歌うのではなく、その花を摘もうとする己れの行為に焦点が定められており、結句と相俟って「ひとり」であることへのかなしみとともに気負いの強く放たれた歌。 「秋花」のもつ孤独も、去りやらぬ霧に長く浸されてあれば、花はおそらくどこまでが己れでどこからが霧か、その輪郭をあやしくしているだろう。そんな花と茂吉だけの〈霧〉という密室のなかの秘めごととしての行為において、屈折した自負を歌う。
斎藤茂吉57 独りなれば心安けし谿ゆきてくちびる触れむ木の実ありけり 『赤光』(大正2年刊) 「独り」であることにこころ安らいでいるさまが、「くちびる」と「木の実」との関係に素直に、かつ濃密なエロス性をも心地よく立ち昇らせるかたちで初々しく表現されている。 「触れむ」によって、実際に触れたことの報告に堕すことなく、読み手のくちびるにも「今にも触れそうな木の実」との危うい距離感を生々しく想起させる。 「谿」をゆく清浄な空気感と、「くちびる」のほとりの生々しさとの対比も好もしい。 酷薄な現実とヴァーチャルな観念性に分裂するのではなく、このような方向性の歌風がもっと展開されていれば、「茂吉らしさ」には別の華があったろう、とおもわれる。
斎藤茂吉58 ひかりつつ天を流るる星あれど悲しきかもよわれに向はず 『赤光』(大正2年刊) 正岡子規には「真砂なす数なき星のその中に我にむかひて光る星あり」という歌があった。(明治33年) 「写生」を唱えながらけっして主観を排するのではなく、己れに見えている世界のダイナミズムを対象に即して堂々と歌い得た子規。 子規のこの歌と比較したとき、茂吉の資質のなんと女性的であることか、とおもう。 観念的な飛翔ぶりによって茂吉の本質に「ますらおぶり」を見るのは大きな誤読とおもわれてならない。 釈迢空がたおやめぶりで茂吉がますらおぶりだとするのは、きわめて表面的な相違に過ぎず、いずれも同根の病理と近しい資質の持ち主であったろう。 ただ、迢空の方が己れの女性性に対して正直であり、茂吉はその女性性に正しく表現を与えそこなって屈折した観念性を獲得し、それがゆえに近代短歌史を通じて多大な影響力をもってしまったと云える。
斎藤茂吉59 行くかたのうら枯るる野に鳥落ちて啼かざりしかも入日赤きに 『赤光』(大正2年刊) 酷薄な現実を撫でまわしながらヴァーチャルに観念的に飛翔するという茂吉的あざとさがないために、死の想念に浸された歌でありながら、まっとうな素直さで孤独な抒情の伝わる一首である。 己れのひとり進む行方のうら枯れた野に、赤い入日の光に浸されて鳥の〈死〉の無音の姿をイメージし、そのイメージに対して茂吉としては最大限の畏怖のおもいとなつかしみの念とが交錯している様が、歌の「格」とも云うべきものを整えている。
斎藤茂吉60 はるばるも山峡に来て白樺に触りて居たり独りなりけれ 『赤光』(大正2年刊) 対象とのあいだに無理やり粘度の強い環世界を作るのではなく、白樺に触れる手つきの素直さがそのまま自然な孤独の表情を示すこのような歌は好もしい。 白樺と己れとの距離感に、満ち足りた感触がある。透明感もある。 あの粘液質の環世界は、人に混じってそのうつろな身体の中に濁りが満ちてしまったときの歌であろうか。 澄み切った歌境の方へと展開できなかったとすれば、そのうつろさを脱して「独り」を鍛えそこなった内省力の欠落を問わねばならない。
斎藤茂吉61 土のうへに赤棟蛇遊ばずなりにけり入る日あかあかと草はらに見ゆ 『赤光』(大正2年刊) 「赤棟蛇(やまかがし)」が遊ばなくなった土の上。 狂者が自殺したことによる世界の〈気〉の変化を感じ取ったかのような、生き物の息の潜めようが不安をそそる。その〈不安〉の低くたれ込めた地を入日があかあかと染める。 いくたびもいくたびも茂吉がその歌において世界を染めてみせる「紅」。 いくら染めても染め足りないかのような過剰さは、現実においてこの「紅」が欠落していたことによるのだとおもわれる。 それは生でもあり死でもあり、己れでもあり世界でもあるようなカオスの色であったろう。 自然主義的に閉塞し縮小する世界に対して茂吉の身体が抗うときの、己れの身の内からにじみ出る唯一の色であり、フィジカルでありながら観念的なうつろさをも秘めた病的な「紅」。
斎藤茂吉62 赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遥けかり野は涯ならん 『赤光』(大正2年刊) 〈死〉を地上的に撫で回す視線も嫌なものだが、ことさらに荘厳な風景に昇華させようとするまなざしも不自然であり、両者を往還するのが「赤光」という表題に象徴される茂吉の身構えであろう。 ありのままの自然さというものは、ことさらにありのままであることを凄んだりはしないし、わざとらしい意匠も必要とはしない。 そのような自然さから隔たって在ることの不安が、明治末年から大正の初めにかけての表現に噴き出してくる。 地上的な「ありのまま」への過剰な偏執が自然主義の本質であり、そこには真の〈ありのまま〉からはるか遠ざかった者の神経症的なおびえが存在するし、そのことへの反発としての象徴主義もまた、現実からの撤退・退行という脆弱さを抱え、過食症と拒食症のように、ともに摂食障害であることに変わりはなかったのだ。 茂吉の表現は、過食と拒食を交互に繰り返す者の奇妙にエネルギッシュな〈食〉の姿にも喩えられるだろう。
斎藤茂吉63 火葬場に細みづ白くにごり来も向うにひとが米を磨ぎたれば 『赤光』(大正2年刊) 作者にとっては重い〈死〉の風景の中に流れ入る、白く濁った米のとぎ汁の細い流れ。 「火葬場」よりもむしろ不吉な感触をもって描かれたこの〈細みづ〉は、茂吉のとらわれている世界風景に無関心で無縁で冷ややかな他者のかたちであり、淡々と描写された〈生〉と〈死〉の対照・共在の風景のように見えて、他者性に対する茂吉の嫌悪が粘っこく潜められた一首となっている。
斎藤茂吉64 うそ寒きゆふべなるかも葬り火を守るをとこが欠伸をしたり 『赤光』(大正2年刊) 「葬り火」の番をする男は、作者の思いから遠くかけ離れて「欠伸」をする。 「こんなときに、欠伸をするとは。」という倫理的な怒りではない。 「こんなとき」とはかかわりなく作者が己れの世界とかけ離れて存在する者に対して抱く「うそ寒さ」の象徴としてこの場の風景があるのだ。 現実の世界のものごとの生起が、母の胎内とはどうやら異なるらしいということに、初めて五感が慄いた幼児のような、どこか駄々っ子めいた苛立ちの表情がある。
斎藤茂吉65 自殺せる狂者をあかき火に葬りにんげんの世に戦きにけり 『赤光』(大正2年刊) 狂者の自殺に接して動物園へ駆けつけ、さまざまなけだものたちの生の姿のあれこれを見ることで自分の居る「にんげんの世」の何に戦いたのかを感覚としてとらえようとする茂吉。 狂者と己れとの間の親近感により、狂者が自殺せねばならなかったならば、己れも自殺せねばならぬ存在ではないのか、という問いが茂吉を苦しめる。 自殺しようとせぬ己れの根拠をどこに置けばよいのか。 肉を食い、眠り、欲しいものがあれば声をあげて啼き、自らいのちを絶とうとはせぬけものたち。 かれらけだものの〈生〉の場所にフィジカルに身をすり寄せることで、「にんげんの世」を相対化し、「にんげんの世」から身をもぎ離すことによって自殺せぬ己れを正当化する根拠を得ようとするかのように、けものたちのすがたとの間に環世界を構築しようとする歌が続く。
斎藤茂吉66 けだものは食もの恋ひて啼き居たり何といふやさしさぞこれは 『赤光』(大正2年刊) 「けだもの」の場所によって人間の世を相対化しつつ、己れが狂者のように自殺しない理由をさぐろうとする茂吉。 〈理由〉が欲しいせいで、けだものが空腹によって啼く行為を「やさしさ」として解釈し、そのシンプルな〈生〉のかたちを〈理〉によって肯定しようとする分、茂吉的環世界の構築としての力が足りない歌になってしまっている。
斎藤茂吉67 ペリカンの嘴うすら赤くしてねむりけりかたはらの水光かも 『赤光』(大正2年刊) 狂者の自殺に動揺した茂吉の、感覚として希求する場所の誠実な表現。 かたわらの「水光(みづひかり)」に包まれて自らの身をうっすら赤く染めて眠るペリカンの姿に、しみじみと生理的な、感情ならぬ感覚移入とも云うべき同化に浸る茂吉。 明治の末から大正の初めにかけての、「倫理」に対する不機嫌を秘めた退行のかたちが粘っこくフィジカルに露出しており、いかなる方向性をも秘めながらどこへも向かえない時代の空気が重苦しい。
斎藤茂吉68 くれなゐの鶴のあたまを見るゆゑに狂人守をかなしみにけり 『赤光』(大正2年刊) もはや〈社会〉の課してくる〈意味〉などまっぴらごめんだ、という空気が大正のものであるなら、白秋も茂吉も、最初の歌集からそのような空気の方へ歩み出しているが、茂吉の場合はことのほかその〈意味〉への嫌悪を己れの表現の軸にする志が薄かった。 感覚の海をまさぐっている自分が何を目指しているのか、自分に何が足りないのか、自分を苦しめているものが何なのか、それらを見ようとしない頑なさのようなものを感じる。 この歌に流れるうつろさと奇妙に強引な「因果」による構成にも、うけもちの狂人を自殺させてしまった自分を意地でも正当化するための感覚的なものさしを求めるまなざしが強固である。
斎藤茂吉69 世の色相のかたはらにゐて狂者もり黄なる涙は湧きいでにけり 『赤光』(大正2年刊) 「世の色相(いろ)」の「かたはら」に居るしかない自分を認識するとき、茂吉が流す「黄なる涙」を私は哀切なものとして受け止めることができない。 「黄なる涙」が湧き出る自分だから、十分傷ついたから、と免罪している姿が好きではない。 己れのいのちは愛しいのが人間です、と人間の定義をひとり決めして開き直るのも好きではない。 狂人のように自殺することもできない自分だと思うならば、その表現には背負わねばならぬものもあるはずだし、自分の生の根拠を突き詰めようとするべきだ。 時代を忠実に映す表現をしていながら、本人は時代のもっとも苦悩に満ちた空気を見つめそこない、掬い上げそこなっている、そんな歯がゆさが茂吉にはいつもつきまとう。
斎藤茂吉70 郊外に未だ落ちゐぬこころもて螇蚸にぎれば冷たきものを 『赤光』(大正2年刊) 素直に世界に溶け入るのではなく、異形の媒介物を常に求めている茂吉にとって、「郊外」に身体がなじむには、ここでは「螇蚸(ばった)」が必要だった。 だが、まだこころの冷えている身で螇蚸をにぎっても、それは世界との媒の役目を果たしてはくれない。 世界との親和を求めているにもかかわらず、その媒となるものには異和をはらんだ己れの異形性が投影されたものを求める、自虐の影をひそめた手つきが〈写生〉に屈折した息づかいを与える。
斎藤茂吉71 曼珠沙華咲けるところゆ相むれて現身に似ぬ囚人は出づ 『赤光』(大正2年刊) 「社会」というものを介在したときの、世界と自分との関係に落ち着きの悪さを抱いている茂吉ではあるが、ではその落ち着きの悪さをどう表現すべきかというときに、囚人や狂人や異形の動植物を求めて感情移入するのだが、それらに対しても異和や嫌悪を抱いている茂吉もいて、表現にはまっすぐな流れが出ない。 この歌における「囚人」にも、曼珠沙華の気配を引きずった不気味な妖気がある。 その存在感にぞくりとしながらも、彼らによって自身を象徴させることへの躊躇が屈折した距離感となって歌を口当たりの悪い解放感の乏しいものにしている。 あらゆる矛盾を解消してくれるのが茂吉にとって「紅」という色だが、ここでの曼珠沙華にその役割を担わせようとしても、囚人の存在感はそこから微妙にはみ出してしまったという風に歌が作られている。
斎藤茂吉72 草の実はこぼれんとして居たりけりわが足元の日の光かも 『赤光』(大正2年刊) 郊外の風景にたち顕れた囚人たちに対する異和と親和のはざまで揺れる心象が詠み重ねられる中に、ふと挿まれた一首はやわらかく素直な不安のかたちを繊細に伝えてくる。 「囚人」にとらわれる心には、〈社会〉との距離の不安がいじましく絡み付いているが、その不安を別の深みのある次元でとらえなおすならば、つまり己れの存在のかたちや根拠を〈社会〉とは別の媒介項を通じて世界の中に位置づけるならば、茂吉においても折々はこの歌のような透明で、かつ不安から目をそらすのではなく、不安にあたたかな居場所を与えるような一首ともなるのだとおもわれて好もしい。 全身に浴びるのびやかな日の光を詠んだのではなく、こぼれようとしていた「草の実」のほとりの「わが足元」のささやかな風景である。 全体感や絶対感からはぐれた存在としての自己ではあるが、その不安を「草の実」が代わってほろほろとこぼすかのような刹那の一体感が、うるおいのある懐かしさを醸す。
斎藤茂吉73 赭土はこぶ囚人の眼の光るころ茜さす日は傾きにけり 『赤光』(大正2年刊) 「囚人」にとらわれる心が妖しい親和性の方へ傾く。 「赭土(はに)」や「茜」といった茂吉の矛盾を解消してくれる色に包まれて囚人の眼が光る。 「囚人」という社会的な位置と輪郭を撫で回しているうちにいつしか存在の妖しい本体が顕れ出たという風に。 対象に拘束されているがゆえの、いわばサドマゾ的な解放感ではあるが、少なくとも〈社会〉のフレームが一瞬消え、歌にはきちんと的を見据えて矢を引き絞るような安定感が現われる。
斎藤茂吉74 トロッコを押す一人の囚人はくちびる赤し我をば見たり 『赤光』(大正2年刊) 「囚人」との間に連続性や親和性のよすがをさぐろうとする。その「くちびる」の赤さに茂吉の生理が反応する。〈社会〉の枠組みがはずれそうになるが、囚人に見られることで再び自意識がはたらく。「囚人」と「我」を隔てるものが茂吉の中で浮上する。 対象に激しく「とらわれる」資質の茂吉。何ものにもとらわれない場所へ脱け出ることは難しく、またそのような方向性を目指してもいなかった彼にとって、「とらわれる」ことがくるしい場合には他にとらわれる対象を見出すか、「くれない」の環世界にすべて包摂するかしかなかっただろう。 ある限定された狭さで構築された世界の、分厚い弾力のある皮膜のようなものが茂吉を閉じこめている。 彼の作品にたち籠める悶々とした窒息感・閉塞感の根深さをおもう。
斎藤茂吉75 秋づきて小さく結りし茄子の果を籠に盛る家の日向に蠅居り 『赤光』(大正2年刊) 蠅など詠んだ短歌はこれまでなかったことよ、とわくわくするような心踊りで蠅の存在感に向き合ったのは正岡子規だったが、茂吉に詠まれた「蠅」の存在感はまったく別様だ。 小さく結(な)った茄子を籠(こ)に盛る家の日向の光景には「秋」が穏やかに息づいているが、そのぼうっと輪郭の融けた光景の中に居る「蠅」は、小さな存在でありながら全体感をかき乱す不穏さを抱えている。ちょうど世界の全体感をかき乱すのが狂人や囚人やもしかしたら自分であるように。 「蠅」という対象に向き合うのではなく、「蠅」を通して世界との異和のかたちを感覚的になぞろうとしているような歌。 全体と個のあいだの異和や軋轢が、対象に向かうまなざしの中に滲まずにはすまない時代の不幸が茂吉においても顕著だ。
斎藤茂吉76 女のわらは入日のなかに両手もて籠に盛る茄子のか黒きひかり 『赤光』(大正2年刊) ダリヤの花の中に「黒」を見たように、茄子の紺色のつやの中にも「か黒きひかり」を見る茂吉。 その「黒」を秘めた茄子を少女が両手で籠(こ)に盛る風景は、例によって入日のくれないの光に包まれて在る。 穏やかな秋のひとこまの風景の中に茄子の「黒」を見ているのは自分だけだ、という自負を、歌の響きが告げているところに一首の存在感がある。
斎藤茂吉77 白なみの寄するなぎさに林檎食む異国をみなはやや老いにけり 『赤光』(大正2年刊) 茂吉のふとくつろいだ自然な息づかい。 異国人としての異形性をまるで意識していないかのように、海辺で林檎を食べる女性の、自然な呼吸、自然な老いのさらし方に、ゆったり癒された茂吉のリズムが伝わる。 少し疲れて、だが自然体の女性のほのかな老いの表情の好もしさは、己れの異形性にとらわれてぎくしゃく粘着的になっている茂吉にとって思わず見とれる絵画性を構成したにちがいない。
斎藤茂吉78 もも鳥はいまだは啼かね海のなか黒光りして明けくるらむか 『赤光』(大正2年刊) 「もも鳥(百鳥)」の啼き出す夜明けの生命力に満ちた透明な音のにぎわいはまだ始まっていない。 海の静寂のかたちは、「もも鳥」の豊饒な響きを想起させられて後否定された上で「黒光り」のイメージを中心にして提示されることで、夜と朝の境目の妖しさとともに深さと広さを帯びて顕ち上がってくる。 「海(わた)」の存在のまっとうでない不穏な力強さが、もも鳥のあたたかく澄明な世界を否定したり凌駕したりするのではなく、根底において支えるものとして「黒光り」するのだととらえるならば、茂吉の最良のまなざし、上質の世界観として肯えるものがある。
斎藤茂吉79 海のべに紅毛の子の走りたるこのやさしさに我かへるなり 『赤光』(大正2年刊) 「紅毛の子」の海辺を走るさまに「やさしさ」をおぼえる感受性。 異国において〈異形〉でありながらその〈異形性〉にことさら自意識をはたらかせている風でもない子どもの自然なのびやかさに、しみじみと慰藉をおぼえている茂吉の、己れの〈異形性〉に対する悶々とした鬱屈を見るおもいがする。
斎藤茂吉80 月ほそく入りなんとする海の上ここよ遥けく舟なかりけり 『赤光』(大正2年刊) 素直なロマンティシズムが好もしい。 いつも対象に高い粘度でとらわれている茂吉の短歌世界において、この歌のように舟が「ない」ことを詠んで遥かな感覚を励起させる秀歌に癒されるおもいがする。 月が「ほそく入りなんとする」彼方までの世界に、茂吉の執着と拘泥を表現した対象物が「ない」ことは、読み手にとってなんと透明な幸福感をおぼえることか。 それは茂吉にとっても幸福な一刹那であったからだろう。 (C)Kirishima Ayako |