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 新しいDVD
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7回目の「被爆者の声を受け継ぐ映画祭」が明治大学で開催され、ここで、映画 『もうひとつのヒロシマ』
が20年ぶりに上映されました。1986年、朴壽南監督が最初に取り組んだコリアン原爆被爆者の実態に迫ったドキュメンタリー映画です。今回の上映を記念に映画をDVD化し、7月7日より販売を開始しました。 作品/hh:58分/16mm/カラー/定価3000円 |

7月7日、東京駿河台キャンパスのリバティータワーにて
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| 私が初めて広島へ被爆した同胞を訪ねたのは1965年の夏である。 日本の植民地支配からの解放20年目を迎えるこの夏、韓国は騒然としていた。被害の賠償と請求権を主張して14年間、難航していた韓日会談が妥結。 日本は10万人にのぼる朝鮮人被爆、「従軍慰?安婦」の存在も隠蔽したまま61年、軍事クーデターにより政権を掌握したパク・チョンヒ暫定政権と「有償2億ドル、無償3?億ドル」という代価で政治決着したのである。 韓国各地では、「屈辱外交」「売国協定」の批准に反対する闘いが連日、日本に報道される最中での広島入りだったのである。 しかし、私が出会ったのは誰ひとり被爆したことを名乗り出ない同胞らの深い沈黙と孤独であった。 韓日国交以来、ますます南北の対立が激化する広島で、私は「ピカ・原爆に38度線はない」と同胞らに呼びかけ、67年には「韓国人・朝鮮人被爆者の声を聞く会」を組織し、証言運動を広島で展開した。 被爆同胞自身による存在の回復の闘いが始まったのである。これに連動、韓国の被爆者が沈黙から立ち上がり「韓国原爆被害者協会」を設立、日本での公表を託して、続々と三菱重工や徴兵によって被爆した被害者の手記が私に送られてくる。 73年、これらの手記などを含めてコリアン被爆者の証言を調査、資料をまとめて『朝鮮・ヒロシマ・半日本人』(三省堂)出版した。朝鮮南北の被爆者の証言運動は、
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| 唯一の被爆国、核の被害者としてスタートした日本の反核運動に対し大きな衝撃を生んだ。 この一本の映画は、1987年8月、広島、長崎の原水禁世界大会で上映され、「日本の植民地支配によって被爆を余儀なくされたコリアン被爆者に日本は国家補償をせよ」とする大会採択を獲得する多大な影響を与えた。被爆から42年、あまりにも遅すぎる採択であった。私のこの報告を受けて、韓国原爆被害者協会が当年12月6日、日本政府に26億ドルの賠償請求をしている。
朴壽南
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 「アイゴ―この国に来てみた ら、私らを見る日本の人の目 が、人が人を見る目じゃなか っ たよ」韓桂山(ハン・ケサン )被 爆当時54歳。夫、二人 の子、 孫三人が被爆
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「政府がやらないのならば我々民間が」と韓国被爆者の治療を受け入れた河村病院
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日本の朝鮮植民地支配の結果、広島、長崎で7万もの朝鮮人が原爆被害を受け、生き残った3万人のうち2万3千人が独立を果たした祖国に帰っていった。 現在、大韓民国2600余名、朝鮮民主主義人民共和国300余名の被爆者が、各国の被爆者組織に登録されている。 日本政府にはこれらの被爆者に対する補償責任があるが、未だに補償していない。在韓被爆者は1965年に、日本との国交が回復するや否や、対日補償請求の声を上げた。 しかし、日本政府は、補償はおろか、被爆者援護のための法律(現行法は「被爆者援護法」)を適用することさえも拒否した。そのため、在韓被爆者は1972年以降、日本政府を相手に、被爆者法の適用を求める裁判を10数件も提訴しそのすべてに勝訴してきた。 その結果、今日では在韓被爆者も韓国で各種手当を受け取ることができるようになったが、その後も日本政府は韓国での医療費に援護法を適用することを拒み続け、在韓被爆者は今も医療費支給を求める裁判を闘っている。 いっぽう、在朝被爆者は日本政府から完全に放置されたままである。 「戦争加害国」日本はアメリカの原爆投下で「戦争被害国」になりすました。日本政府が在韓・在朝被爆者への補償を行わず、裁判で何度負けようとも援護法の適用を拒み続けるのは、「戦争加害者」である自分の本当の姿を直視したくないからであろう。 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」 会長・市場 敦子
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「生きていても何一つ喜びがなくて…」 失業対策の仕事で被爆した夫と生活する 朴永分(パク・ヨンブン)
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韓国から治療のため来日した朴在善(パク・ジェソン)。 三菱重工へ連行され作業中に被爆
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李永淳(イ・ヨンスン、22歳)は。で山口県の炭坑へ強制連行され、落盤事故で負傷。 移住した広島で被爆
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被爆者の声をうけつぐ映画祭2013
「もうひとつのヒロシマ-アリランのうた」
朴
壽南監督が1986年の第一作目の映画・「もうひとつのヒロシマ」(16ミリ/58分)が20年ぶりに都内で上映されます。なお、映画祭は6・7日の2日間です。 ● 詳しくは→ http://hikakueiga.exblog.jp/ 【日 時 】 7月7日(日)
19時より 【場 所 】 明治大学リバティータワー1階 リバティホール(地
図 )
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朴壽南は、1965年より広島の原爆スラムに住み、年老いたコリアン原爆被爆者が次々に亡くなって行く中で、彼らの沈黙を破らせ証言の掘り起こしに取り組む。1965年の日韓協定以降ますます南北の対立が激化する中で「ピカに38度線はない」と呼びかけ67年には「韓国・朝鮮人被爆者の声を聞く会」を組織し、証言運動を広島で展開した。その証言や調査した資料を著書「朝鮮・ヒロシマ・半日本人」(73年)「もうひとつのヒロシマ」(82)にまとめて出版。 そして「コリアン被爆者たちの沈黙の恨(ハン)を伝えるには映像しかない」と、私財をなげうって初めて記録映画に取り組んだ。在韓被爆者の渡日治療は1980年にようやく始まったが、86年に打ち切られるという状況のもと、上映運動は全国に展開されていった。 |
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