自己紹介
| 2005.11.20 岡田 文淑 |
| はじめに |
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高校を卒業して以来50年を振り返ってみると、結構自分流の生き様が走馬燈のように回顧できる。20代前半はVYS(Voluntary Youth Social-Worker)活動で汗を流し、60年安保当時から政治に目が向き、労働運動に目覚める。実に充実した青春からの立ち上がりであった。不十分ながら世の中の有り様に疑念を抱き、物足りないとはいえ、自己実現に気づく。20年近い労働運動は、世の流れに棹さす反骨のようなものを自らに課し、常に弱者の立場で世の現象を見つめる癖が付いた。「公正」「公平」「平等」「平和」「民主主義」といったことを追い求めながら、「自らに求められる社会的な任務とは何か」「何のために自分はこの世に生まれたのか」など、いささか哲学じみた思考にふけったのもこの時代の貴重な体験であったし、充実していた。 人生の幸せが、いつ、何を切っ掛けにやってくるのかは不定である。世はまさに右肩上がりの経済成長期。何をしようと、何を求めようと、できないことは何もない時代であった。公務員の身でありながら年数パーセントの賃上げ、諸手当の新設、休暇の増幅など、民間企業に押し上げられたとはいえ、労働条件の改善は想像以上のものが求められ、実現した時代でもあった。 持ち物にも大きい変化を来した時代である。若い頃は、バイクを持つことが大変な時代だった。マイカーなど夢のまた夢と、ブルジョアを別人種のように眺めていた。それが今、どうであろう。世界一の飽食の国、世界一の消費大国、そして枯渇しようとしている地球資源を使っての工業立国よろしく、消費を煽り、CO2を排出する。いつの間にかというより、あっという間に地球環境への負荷を高め、あるべきはずの地域における自然環境が破壊されてしまった。残された自然資源が唯一の観光資源になるなど、情けないことである。本当に暮らしの環境破壊を危惧しなければならないような時代を迎えてしまった。今、私たちが生きている21世紀とは、正に20世紀に身につけた悪しき贅肉をそぎ落とす時代と位置づけてもおかしくはない。 |
| 農村疲弊に対しての責務は誰が担うのか? (・・・全体の奉仕者) |
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まちづくりを意識し始めた1972年、温々とした公務員暮らしを満喫していたある日、我が町を振り返ってみると、その行く末は大変なものと気づく。年を追って数パーセントの若い人たちが町を離れていく。現実には働く場を求めての逃避行であろうが、これを賞賛し、出世、栄達ともてはやし、競って町を去っていく。役場職員などは、取り残された不出来な人間として見くびられたのもこの時代である。結果は、悲惨なものである。合理化の嵐が吹き荒れた。学校がなくなり、官公署が閉鎖され、公共交通機関がなくなってしまった。買い回り品の店がなくなり、商店街が疲弊化する。何よりも、主要な産業であるべき農林業が、生産しても食っていけないと、その零細性を悲観し、離農が続く。さらには、列島改造の嵐が吹き荒れ、公共事業が疲弊する地域経済を癒すことになってしまう。そして、土木建設業が町を動かし、まちをつくる。それでも過疎と高齢化は止まらない。 過疎に悩む農村の疲弊は何が原因か、そしてこの救済への責務は誰が担うのか。首長、議会、行政(公務員)、農協、商工会、各種団体etc.と思い浮かぶが、このことに手が着けられるのは行政、農協を除いて他にはない。ただ、このことが適切だと当然のように頷く人は少ないであろう。では、行政とは何なのか、「行政とは、ただの組織である」とでも答えようか。組織とは何なのか、分かり切ったことであるが、「一定の目的を持って人が集合し、集合した人の知恵と力で動くもの」と定義しなければならないだろう。言い換えれば、そこに働く人は、知恵と力を求められ、求められるものの代償として、雇用主から賃金を受け取ることで「雇用の契約」が成立しているはずである。このことは、労働基準法の下で管理される被雇用者全ての定義でもある。さらに、求められるものは、企業社会も行政組織も雇用に対する、雇用者から見た「効用」「効果」であり、評価である。 雇用者とは誰か、企業社会であれば、利益を求めた出資者である株主であるが、地方公務員は、地方自治を裏方で担う全体の奉仕者として、行政サービスを求める地域住民である。 |
| 真の被害者は誰なのか? |
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ところが、である。20世紀後半から21世紀にかけて、この契約の対価の評価に相当の狂いが生じている。正義なき企業戦士が私的利益を求めて世の中に氾濫し、巨大企業のモラルをかなぐり捨てて、不正と不条理で国民を欺き、企業利益をむさぼっている。公共事業はといえば、国から地方自治体までが、談合と不正、便宜供与、汚職の温床と化しているし、何よりも不愉快なことは、20世紀に生きてきた私たち大人であるべき公務員の多くが、生きるための価値観として、先ずは「我が身の保身」を最大のものとして、上意下達、法令主義、慣例主義に追随し、仲良しクラブを自認し、そこから様々なものが生まれ、仕組まれ、定着してしまった。そして、悪しき結果に対しては、全ての責任を他へ転嫁し、「悪しきこと」として自覚している人自らが、我が事として対処する姿勢は見られない。「お役所的」、「公務員天国」といった言葉が生まれたのもこんな環境の中である。 この被害者は誰なのか、なぜ被害を被らなければならないのか。日常の出来事から見ても歴然としてくる。企業の利益と国民個々の損失、行政サービスの低下と行政事務の増加、不急不要の公共事業の氾濫etc.にもかかわらず、こうした世情を是として世論が構築され、国民の常識が形成されてきたのも実体である。それは国政選挙を見れば一目瞭然である。この解析を深めればイデオロギー的論理に深まり、地域づくりから逸脱するので、世情の認識としての理解に留めたい。 |
| 地域づくりに学ぶ |
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にもかかわらず、1970年代から始まったのが「まちづくり」と称する地域再生運動である。池田町、遠野市、妻籠宿、大山町etc.といった先進事例の成果は殊の外面白く、すばらしい。「まちが甦る」「住民に活力が漲る」「地域の自治が確立する」など、その成果事例には事欠かない。すばらしいまちには、すばらしいリーダーが育ち、行政をリードし、住民を組織する。そして、文化的にも、経済的にも、地方自治体が自立を図るといった実例を、世に示したことに始まったといっても過言ではないだろう。そうした中に、自治体としての生き様を垣間見ることになる。これらの事例に触発され、感動し、ライフスタイルとして学びたいと考えたのは私ばかりではない。1980年代から始まる「まちづくりシンポジウム」などは、こうした地域から発信されたユニークな情報に触れたい、学びたいと志す人たちの行動の結果である。 私は、こうした先進事例に学び、地域をリードできる「人材」としての責務を自らに課し、その実現のために、言うべきことを言ってきたし、行動に表すべく努めてきたつもりである。時には世情に対する分析、評価をして、批判、指摘をしてきたことをして偏見と見る人もいるし、誹謗中傷だとさげすむ人もいる。ただ、いい子でいても面白くないし、何よりもアイデンティティとしての「個」を失いたくはない。自分が社会や地域を批判するように、逆批判する人にはさせればいい。横並びとか、仲良しクラブの仲間入りをするのはためらいたい。 「社会正義」とは、こうした背景を背負った世の中だからこそ求められる言葉かもしれない。心の隅でこうした不条理に悩まされている人は少なくないはずである。まちづくりとは、社会的な不正義から脱却して自立し、さらに自律して、清貧であってもいい、充実した地域社会づくりであると定義したい。そしてこの地域社会の形成に貢献できる「人」でありたいと願うのは私ばかりではないであろう。 |
| 自分を変えるために |
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不十分ながら、私がこれまで言ってきた「引き算型まちづくり」とは、こんな経験や思いから始まった言葉である。職場や地域の組織を眺めながら、自らの暮らしを支える地域や、まちと町の人を眺めながら、自分の身の丈に見合ったまちづくりに参画するためには、どこかで、何かを変えようとする気構えのようなものを身に付けなければ、容易にできるものではない。変えるということは、自らが変わることから始まらないと、変えれない。 いたずらに猜疑心を養っても始まらないが、何かを基準にし、何かを拠り所にして今を見つめないと見えてこないことが山ほどある。もしかするとその山ほどあることが常識かも知れない。そんな常識に水を差して、疑って、批判し、指摘して嫌われて、それでも自らの「道」にこだわりたい。多数決だからといって正しいとは限らない。にもかかわらず選挙をはじめとして、社会的な全てのことが多数決によって決定される今の社会が、どこか間違っている。間違っていることが常識といえば最早なにもいうことはない。でもそんな常識には甘んじたくない。天の邪鬼といわれようと、変人と呼ばれようが、私は私でありたい。 |