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2005年02月09日
「心の東京ルール〜7つの呼びかけ〜」に感じる違和感
お久しぶりです。多忙のため、長らく更新が滞り申し訳ありませんでした。今後もそうそう更新はできないかもしれませんが、ご了承とともに、これからもよろしくおねがいします。
さて、今回は、「心の東京ルール〜7つの呼びかけ〜」について取り上げたいと思います。これは、「子どもたちに教え伝えていくべき社会の基本的な『心の東京ルール』」として東京都が作成・提案しているものですが、その内容は、「・毎日きちんとあいさつさせよう、・ねだる子どもにがまんをさせよう、・体験の中で子どもをきたえよう、・他人の子どもでも叱ろう、・先人や目上の人を敬う心を育てよう、・子どもにその日のことを話させよう、・子どもに手伝いをさせよう」の7つです。
これを見て、どのようにお感じになるでしょうか。私は、どうしても強い違和感を覚えざるを得ないのです。愛国心や公共の精神を育む教育の導入に熱心な読売新聞さえ、社説等の大きなものではありませんでしたが、2004年9月19日の「編集手帳」というコーナーで、「ちょっと違うのではないかという思いもぬぐえない・・・ここからは、子どもにとって何とも窮屈な家庭の姿しか見えてこない。親の顔を見るのも嫌になってこないかと心配になる」としています。確かに、「〜させよう」という語の多さが象徴するように、かなり管理的で、「いかに子どもの心を育むか」というよりは「いかに子どもを管理するか」が前面に押し出されているように思えます。しかし、そのことと関係しますが、もっと深い問題が見えてくるように思うのです。
そもそも、「〜させよう」という語が多いのは、このように管理的な印象を受けるのは、なぜでしょうか。この「心の東京ルール」に覚える違和感の根本的な原因は、この「心の東京ルール」が誰に対して発せられたメッセージか、にあるように思います。「子どもたちに教え伝えていくべき社会の基本的な『心の東京ルール』」と言っているにもかかわらず、文面を読めば、明らかに、子どもたちへ向けられたメッセージではありません。子どもに、「子どもにその日のことを話させよう」などと言っても仕方ありません。これは、親ないしは大人に向けられたメッセージとしか捉えられないのです。
では、なぜそうなってしまったのでしょうか。ここからは、どうしても、子どもと正面から向き合おうとしない教育行政の姿を感じてしまうのです。近時、教育は多くの問題を抱えています。そして、従来の大人の常識からは考えられないような、事態や悲劇的な事件も発生しています。そんな中、大人は、子どもの心や考えを量りかね、理解しかねているようにも思えるのです。こうした場合、最も理想的な方策は、従来の常識にとらわれず、子どもと向き合い、子ども観・教育観を構築し直すことのように思えます。しかし、それは困難な作業です。子どもを理解しかねて、子どもに対して何と言っていいのか分からず、親に対して「いかに子どもを管理するか」を強調するものとなってしまっているのではないでしょうか。
直面している現実を真摯に直視すること、そして、長期的な視野から、何を目指すべきかを明確にすること、これらは、何においても重要なことと思えます。それを失ってしまっては、どんな方策も小手先だけのものとなってしまうのではないでしょうか。
それでは、このあたりで失礼いたします。