■おちゃっぴぃ■ > □中山忠光遭難夜話□ > ★遺跡:京都・其の一★

中山忠光遭難夜話

京師(2015/01/12)

■ 遺跡 ■

★京都・其の一

◆京都府京都市

京都にある中山忠光関係遺跡(史跡)をご紹介します。基本的に、観光地として整備されているところ。


◆中山家旧邸(祐井)

◆所在地:京都府京都市上京区(京都御苑内)

京都御苑の中にある中山邸跡。中山忠光の実家である。京都御苑は入園自由、無料。御苑内、京都御所の北東にある。江戸時代には、京都御所を中心に公家の邸宅が立ち並び、公家町を形成していた。

中山家旧邸・風景
中山家旧邸御苑内は基本的に散策自由だが、公家町の建物跡は立ち入り禁止のところも多い。中山家旧邸は明治天皇生誕地である。柵が設けられ中には入れない。2008年4月撮影。
明治天皇生誕の地・祐井の碑柵の間から覗くと、明治天皇生誕の地・祐井の碑が立つ。祐井の石碑は、1877(明治10)年建立。撰文は当時の府知事・槇邨(村)正直。
祐井祐井(さちのい)。1853(嘉永6)年、日照り続きの夏に井戸を掘ったところ清水が涌き出たので、孝明天皇が、前年にこの地で生まれ養育されていた明治天皇の幼名祐宮の名から井戸の名をつけたという。

当頁TOPへ

◆学習院跡

◆所在地:京都府京都市上京区(京都御苑内)

京都御苑の中にある学習院跡。京都御所の東側、中山家旧邸の南側にある。幕末1847(弘化4)年に設けられた公家の教育機関だったが、尊王攘夷派の公家と志士たちの集会所として利用されるようになる。1863(文久3)年8月18日政変後、尊攘派と長州藩の勢力は京都を追われ、学習院は本来の教育機関に戻った。東京にある学校法人学習院は直結はしないがこの学習院の流れを汲み、1877(明治10)年に設けられた華族学校にはじまる。

学習院跡・風景
学習院跡芝生が整えられており、建物跡などの遺構はない。意識して歩かないと見落としそう。2008年4月撮影。
学習院跡の碑1863(文久3)年8月14日「萩藩士益田右衛門介「親施」・同桂小五郎「孝允。後木戸準一郎」・同久坂義助「通武」・浪士平野二郎「国臣。元福岡藩士」・久留米藩士真木和泉・同水野丹後「正名」・同木村三郎「重任」・同池尻茂左衛門「始」・熊本藩士宮部鼎蔵「増実」・同山田十郎「信道」・同加屋栄太・津和野藩士福羽文三郎「美静」・高知藩士土方楠左衛門「久元」等に学習院出仕を命ず。」東京大学史料編纂所・維新資料綱要データベースより。

当頁TOPへ

◆方広寺

◆所在地:京都府京都市東山区正面通大和大路東入

方広寺は京都市東山区にある天台宗寺院。境内は拝観自由。1595(文禄4)年、豊臣秀吉によって創建され、京の大仏が安置されたが、慶長伏見地震により倒壊、度々再建されるも江戸時代に失われる。1863(文久3)年8月14日、中山忠光・吉村寅太郎・松本奎堂らは、ここ方広寺を出発して淀川を下り、堺に上陸して奈良五條へ天誅組の歩みを進めることとなる。

方広寺・風景
方広寺境内方広寺はもともと大仏殿を管理する寺院として創建されたという。2008年4月撮影。
方広寺本堂本堂には大仏眉間仏や10分の1に縮少した大仏(阿弥陀如来像)が安置されているとのこと。
方広寺の鐘方広寺鐘楼の鐘。1814(慶長19)年、豊臣秀頼が大仏再建の際に鋳造した釣鐘の銘のに「君臣豊楽」「国家安康」の文字があったことが徳川家康の怒りに触れ、大坂冬の陣の契機となった「方広寺鐘銘事件」の鐘である。現役。「君臣豊楽」「国家安康」の文字は白枠で囲まれ見ることができる。

当頁TOPへ

◆参考

◆環境省:京都御苑
◆学校法人学習院
◆東京大学史料編纂所:維新資料綱要データベース
◆フィールド・ミュージアム京都(京都市歴史資料館情報提供システム)
◆一坂太郎『幕末歴史散歩―京阪神篇』中公新書2005年

当頁TOPへ

■おちゃっぴぃ■ > 中山忠光遭難夜話