夜討峠(ようちがたお)は下関市豊北町田耕下太田、上太田との境に近いところにある。1864(元治1)年11月上旬、田耕杣地で遭難した中山忠光の遺骸を一旦埋めたところ、あるいは血染めの衣を埋めて祀ったところという。古くは杣地から五千原を経て上太田に抜ける峠道があった。1914(大正3)年春、地元の下太田青年会により「故侍従中山忠光古蹟」の石碑が建立されている。2015年現在、個人宅の庭を抜け、シシ除けの網をくぐり、ほとんど獣道の山道を行かねばならない。分かれ道もあり、場所を知らずにたどり着くことはほぼ不可能。なお個人所有の山である。
![]() | 国道435号線から入った県道270号線を脇道に入る。入口には案内板が立つが、つきあたりは個人宅。2015年3月撮影。 |
![]() | 個人宅の庭を抜けて小川沿いに伸びた道をたどり裏山へ入る。昔は畑を作っていたというが、今は持ち主により植林されている。 |
![]() | しばらく行くと道が三手に分かれるので、真ん中の登り道を辿ると、わりとすぐに石碑が建つ。 |
![]() | 尾根筋に立つ石碑。 |
![]() | 尾根筋に立つ石碑。正面に「故侍従中山忠光古蹟」、側面に 「今去五十有餘年」、背面に 「大正三年春立 下太田青年會」とある。1945(昭和20)年頃までは祭祀を行っていたという。 |
![]() | 石碑から右手の下の道が本来の夜討峠の道。 |
![]() | 真ん中を伸びてくる夜討峠の道。遺骸はこの道を通って運ばれ、血染めの衣が落ちていたという。 |
![]() | 上太田に向かう峠道。山田庄屋宅の裏手につながっていた。 |
中山忠光古蹟
夜討峠
元治元年十一月五日夜、痛恨やるかたなき惨事に遭われ
中山忠光卿の遺骸を一時この地に埋めて指示を受けることにしたが此処は適当でなかろうということになり再び柩にもどしてその夜のうちに下関にお供して行くことになったという。そして此地には遭難の時に着ておられた血のついた衣類を埋めたと伝えられる。年を経て下太田自治会の人々によって供養がなされ
「故侍従中山忠光古蹟」の石標が建てられたのは、大正三年ここから五〇〇米位、山の上である。
昭和五十五年三月十五日
豊北町
豊北町観光協会
| 年代 | 月日 | 事項 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 1914(大正3)年 | 春 | 「故侍従中山忠光古蹟」建碑。 | 碑文 |
国道435号線から、バス停「出合」から豊田町西市方面すぐのT字路を県道270号線を入る。カーブをふたつ曲がったところで右手に案内板が立つ。駐車場はこれといってない。