Split スプリット
古代ローマ時代の宮殿外壁と民家が合体した町
スプリットの最初の住民は、ディオクレチアン皇帝、彼は紀元293年、住み心地のよさそうなこの入り江に、3万平方キロの豪華な宮殿を建てた。ローマ皇帝の座を退いてからはここに隠居した。その後の何世紀もの波乱の時代に、蒙古民族やスラヴ民族から逃れ、近隣のサロナ(現在のリソン)からやって来た人々によって、この町は出来上がった。


1700年前の想像図、昔は南門が海の面していた。


南門(銅の門)は店の間に隠れるようにある。ここは当時、海に面していて、船で訪れる人のための入口に使われていた。
謁見の間(ヂィオティアヌス帝の地下室)、南門をくぐるとそこはホールのような空間。

ここには土産物屋が列を連ねる。

しばらく進むと登りの階段がある。

その階段を登るとそこが宮殿の玄関、ここは列柱のある中庭になっている。

皇帝の住居の玄関があった場所、1700年以上耐え、現在に至る。

ヂィオティアヌス帝がエジプト遠征の際に持ち帰ったスフィンクス像。

鐘楼





北の門(金の門)を出たところの緑地には左手に聖書、右手を高く上げたグルグ−ル司教の銅像。
左足の親指がピカピカに光っている、触ると幸運が授かるとのこと。


