こんにちは、すいちゃん、私がご主人よ

— 始まりは突然、ドタバタと —

"膵臓 (すいぞう)" って臓器、どこにあって、何をしているのかご存知ですか。私は、名前と大体の位置ぐらいしか知りませんでした。もっと考えたら、インシュリン (最近は、インスリンとも呼ぶみたいです) くらいは思いついたかもしれません。しかし、"インシュリンって何 ?" と聞かれたら、今でもきっぱり、"知りません !" と答えます。

好き勝手な食生活をしていた古きよき時代。それは、今年 (2004 年) 3 月に終止符を打ちました。"あのお腹の痛みがなかったら、楽しい日々が続いたのに..." ここでは、このページを作るきっかけとなったある事件、つまり、ことの始まりをお話することにしましょう。

そうした認識を変える大事件は、2 月に起こりました。でも、男女関係にしてもそうですが、運命的な出会いは突然訪れるもの、2 月も終わりにさしかかったある日、上腹部 (ちょうど、胃の辺り) の猛烈な痛みによって、膵臓 (以後、親しみを込めて "すいちゃん" と呼ぶことにしましょう) が自己主張を始めました。もちろん、その時は、すいちゃんが... とは思っていないので、暴飲暴食や不規則な生活が原因の胃痛だと思ってました。痛みはすぐに引くだろうからと、様子見を決め込んでいたのですが、その気配はちっともなく、仕事に支障をきたすほどだったので、嫌々ながら、病院に行くことにしました。ついでに言うと、当初は、痛み止めに "バファリン" が効きました。その薬で痛みが治まっている間 (数時間のものでしょうか) は、"これは偽りの現実なんだ" と分かっていながらも、浮かれるほどに効きました (これは、"背に腹は変えられない" というだけで服用しただけで、すぐに効かなくなりますし、頭が痛いとか解熱目的以外に、この薬を服用することは決してお奨めしません)。

で、生まれて初めての胃カメラ。どこかのカップ麺の宣伝で "地球はうまかった" というのがありましたが、"胃カメラはまずかった" というのが実感です (ちなみに、この時、検査を担当した医者からバファリンを服用したことについて、火に油を注ぐようなものだとくそみそに言われました - この種の薬が胃を荒らすことは知っていたので、"確かにそうだけど、夜も眠れないくらいに猛烈に痛いんだし、しゃーないじゃん"、とは思いました)。でも、胃には炎症が少しあった程度で問題はなく、私の主治医となった S 先生 (胃カメラの検査をして下さった先生とは別の方です)、困ったのかマニュアル通りの手順なのかは知りませんが、超音波 (エコー) 検査を行ないました。しばし検査の時が流れ、検査を進める中で、"膵臓が悪いですね" とポツリ、"検査入院をお奨めします" とのたまいました。この時、生まれながらにお付き合いしてきたすいちゃんがいることを初めてそれとして自覚した訳です。もちろん、その時は、入院などまっぴらごめん!ということで、色々理由をつけて断固拒否した訳ですが、その日以降も、"検査は続くーよ、どーこまでも" ということで、次は CT (つまり、胴体の輪切り写真です) と続きました。それまでの検査結果を説明する前に、S 先生が誰か身内を呼ぶように言われたので、S 先生には、この時点で、がんだと分かっていたのだと思います。診断は、すいちゃんから十二指腸への出口に、大きさが 3 cm 程度と言いますから、でっかい梅干程度でしょうか、その程度の大きさの腫瘍があること、既に十二指腸も巻き込んでいること、更に、肝臓にも転移しているので、手術はできないとのことでした (ちなみに、腫瘍の大きさが 1 cm になるまでに、約 10 年を要すると聞いたことがあります、それが正しければ発病後も何年にも渡って、そして今も!、すいちゃんは、黙ってその仕事を果たしてくれていた (いる) ことになります - "あー、愛しの我がすいちゃん !!") 。かくして、入院決定とあいなりました。入院の手続きをしている間に、S 先生は、義母に "末期の膵臓がんで、このまま何もしなかったら、余命 3 ヶ月、抗がん剤を使って 1 年 ..." と言われたようです。2 - 3 日後、義母からその件は聞かされましたが、不思議と動揺はありませんでした。かーちゃんと子供のことを考えた以外に、"ふーん、そうなんだ。残された時間に何をしようか" と思ったことを覚えています。言い忘れましたが、すいちゃんが炎症を起こしていることが分かった時点で、座薬による鎮痛剤 (名前は忘れてしまいました) を出してもらい、"さよなら、バファリン" ということにあいなりました。よかった、よかった。

そして、3 月 16 日、入院。予定は、2 週間ということでした。まず、行なった検査は、ERCP (内視鏡的逆行性胆管膵菅造影検査) です。これは、口から内視鏡 (胃カメラと思って下さい) を患部まで送り込んで、造影剤をぶちまけて、その部分の X 線写真を取るものです。この数日前に胃カメラの検査を行ないましたが、そんなものかわゆいもので、ひどくしんどいものです (詳しくは知りませんが、検査中に患者が死亡する場合もあるようです)。長時間に渡って、内視鏡をくわえている訳ですから、受ける側からするとたまったものではありません。逆に、検査を行なう医師にとっても、内視鏡を動かしながら患部を探し出し、写真を撮る訳ですから、技術を要するとっても大変な検査であると思います。検査が終わると、ストレッチャーに乗せられて病室に戻ってきました。"行きはよいよい、帰りは怖い" です。これは、もう 2 度とやりたくないと思いました。私は、内視鏡が嫌いです!!

予定では、検査で病状が確定した後、抗がん剤による治療に移るはずだったのですが、ここで、伏兵が現れます。黄疸です。要するに、すいちゃんにある腫瘍が、胆管を圧迫して、胆液が十二指腸に流れなくなり、血液中に逆流して、体中が黄色くなってしまいました。黄色くなった腹部や足を見るのは、自分でも不気味です。それはともかく、これは、血液検査の "T-BIL" でも分かるのですが、基準値が 0.3 - 1.2 のところ、9 を超えていたようです。これでは、抗がん剤の投与はできないということで、まず、黄疸の治療を行なうことになりました。治療は、胆管の出口に "ステント" という名前の金属製の網を入れ、胆液が十二指腸に流れるようにするものです。と書くと、"なーんだ、そんなことか" と思われるかも知れませんが、魔法を使ってそこにステントを入れることができる訳ではありません。S 先生、再び、エコーを使って、注射によって、ステントの挿入ができないものかと調べて下さいましたが、それもかなわぬようで、ここで内視鏡の再登場です。今度は、患部を見るのではなく、そこに網をぶち込む訳ですから、その辛さは、ERCP の比ではありません。これには、1 時間以上を要しました。"治らなくてもいい、もうやめて!" と何度思ったことでしょうか。それに、そう言いたくても、内視鏡をくわえているのですから話すことなどできません。私の願いが通じる訳もなく、治療は、果てしなく続きます。看護婦さんの "もう少しだから、がんばって" という言葉がどんなに虚ろに響いたことか。もちろん、そうした言葉をかけてくれる看護婦さんに感謝こそすれ、恨む気持ちはありません。ストレッチャーに乗せられて、半死人の体 (てい) で、病室に戻ってきました。だから、再度言ってしまいます。私は、内視鏡が大嫌いです!!

書き忘れていましたが、この頃、鎮痛剤が座薬から、MS コンチン (10mg) に変更されました。これまで使っていた薬が胃によくないからという理由でした。新しい薬は、モルヒネ入りです (白状すると、これにはすごく抵抗がありました)。でも、ウェブで調べるとすぐ分かりますが、これは、決してこわい薬ではありません (もちろん、健康な人から見れば、こわい薬ですが)。麻薬だからといっても、正しく服用する限りにおいては、習慣性になったりとか麻薬特有の症状が現れるといったものではありません。私場合、この薬に替わってから、患部の痛みはほぼ治まっています (最近、ほころびが出ていますが)。しかし、副作用には個人差がありますから、服用して QOL (Quality of Life = 生活の質) の観点から耐えられない場合は、医師と相談して服用を止めるかどうかを検討すればよいかと思います。

ということで、黄疸は徐々に治まり、いよいよ、抗がん剤の投与ということになりました。この間に、これまでお世話になった S 先生が異動になり (ありがとうございました)、後任に I 先生が着任しました (よろしくお願いします)。そして、同じ時期に、担当の看護婦 T さんも異動になりました、ありがとうございました - 後任は N さんです (よろしくお願いします)。それはともかく、膵臓ガンの場合は、ジェムザールという薬が一般的で、私の場合、これを 1 回 1200 mg (この量は、体重により変化します)、点滴によって 30 分かけて投与することになりました。個人差があるので、私の場合が常にあてはまる訳ではありませんが、抗がん剤は、ひどく疲れます。午前中に点滴を行なうと、午後から夜は、食事よりも何よりも、寝ていたいという感じです。人によって異なると思いますが、私の場合 (これが一般的なパターンなのですが)、4 週間を 1 つのサイクルとして、その間は週に 1 回投与を 3 週行ない、1 週はお休みというパターンです。ここで思い出すのは、治療方針について S 先生が説明して下さった時、"体力のない人には、抗がん剤による治療もできない" と言われたことです。この疲労感を経験すると、S 先生、このことを言っていたのかな、と思ってしまいます。それはともかく、抗がん剤は、決して体に (そして、財布にも) やさしい薬ではありません。ガン細胞だけでなく、健康な細胞にも作用します。一番こわいのは、血液の成分を作る骨髄に悪さして (骨髄抑制と言います)、白血球や血小板などが減少することです。これは、要するに、抵抗力がなくなったり、出血が止まらなくなったりするということですから、普通の人にとっては何ともない、ちょっとした風邪や傷が命取りになったりする場合もあります (と言いつつ、退院後、すぐに風邪をひいてしまいました。なかなか直りません)。要するに、風邪はひくな、けがをするなということなのです。それ以外に、食欲不振などの副作用が出る場合があります (もちろん、個人差はあります)。

こうした検査と治療を行なって、4 月 16 日、晴れて退院ということになりました。黄疸を発症したため、予定の倍、病院にいたことになります。病院のスタッフの皆様方には感謝しています。知ってたつもりでいたけれども、看護婦さんって本当に大変な仕事だなーと感じました。本当にありがとうございました。

何の因果か、退院するその日の中日新聞 (朝刊) に "すい臓がん" に関する記事が掲載されていました。それによると、膵臓がんは、

という困ったちゃんです。また、次のような記述もあります。

——五年後生存率はどのくらいですか ?
完全に切除できた場合、国内で最も成績の良い施設で 20 - 25% 程度、一般的には 9 - 10% 程度です。さらに、例えば百人が膵臓がんにかかった場合、八十人は判明した時点で他臓器に転移したり、がん自体が大きくなり過ぎて切除の対象になりません。残り二十人のうち、最も優れた施設でさえ五年生存率は二割程度ですから、助かるのは多くても四 - 五人なのです。

要するに、"覚悟を決めてもらわないといけない病気" だそうです。これが事実だとすれば (事実なのでしょうけれども)、助かるのは、"残りの二十人" がその分け前を独占していて、"八十人" 枠の人には、座席は一つも残っていないことになります。確かに、統計的数字としてはその通りなのかもしれません。我が家では、女の子ばかり生まれる (あるいは、その逆) といっても、国民あるいは人類全体では、男女の比率はバランスが取れているというのと同じことです。しかし、個々のケースがどうなのかと言えば、それは別問題です。数は少ないかもしれませんが、余命宣告を受けてからも何年も生きておられる方もあります。私の場合は、上の引用で言えば、"八十人" という多数派! に属する訳ですが、"なっちゃったものは仕方ない、ここは、神の下したもうた試練と思って、がんばるだけよ!" と開き直って治療に励むだけです。

ということで、私の場合の膵臓がん発覚時のドタバタを書いてみました。ここでは、始まりを書いただけで、闘病の本当のところはこれから始まるのだと思います。退院後も通院は続いています。あのしんどいジェムザールといつまでお付き合いできるのか。でも、もうすぐ死ぬんだとあきらめたら、何のための治療だったのかということになります。同じ病気と闘っているすべての皆さんとともに、希望をもって生活していきたいと思います。

これが、"膵臓がんです" と宣告された人の参考になれば幸いです。皆さん、がんばりましょうね。

最後は、かっこよく — ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンとともに

ただ希望なき人のためにのみ、私達には、希望が与えられているのだ。
(Nur um der Hoffnungslosen willen ist uns die Hoffnung gegeben.)

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