ここではゲームに登場していない武将や人物を偏った人選で紹介していきます。
新武将を作るからには実在の人物を作りたいけれど、
あんまり詳しくないから大河ドラマのヒロインくらいしか知らない。
でも、少しだけ凝った新武将を作りたいという方の参考になれば幸いです。
戦国時代の女性は本名が史料として残されることが稀で、
現代に伝わる名の多くは嫁ぎ先でつけられた呼び名や法名である。
この「嫁ぎ先でつけられる呼び名」のパターンとしては、
姫の出身地や嫁いだ城、住まわされた館の名を用いたものが多い。
「美濃から来た姫」ということで「濃姫」と呼ばれた帰蝶などが良い例である。
逆アプローチとして後世に「物語などで仮に名前をつける」場合は、
法名から一字をとることがままあり、
セガの「天下人」に登場する「吉岡林」などがこれに相当する。
ちなみに当時は嫁ぎ先の姓に改姓するという習慣がなく、
一説には洗礼と共に改姓した「細川ガラシャ」がその先駆けであったとか。
村松殿(1565?〜1630)
真田昌幸の長女で、真田信之・幸村の姉。
真田家家臣・小山田茂誠に嫁ぎ、弟達と親しく文通を続けた。
大谷渓(?〜1649)
名は「信長の野望」より。
ちなみに「太閤立志伝」では安岐。
真田幸村の正室。
石田三成の親友であった豊臣家奉行・大谷吉継の娘。
幸村が大坂に出仕していた頃に嫁ぎ、2男3女をもうけた。
関ヶ原の合戦後は、幸村の配流に従って紀州九度山で暮らす。
幸村の大坂籠城にも付き従うが、落城寸前に娘達を連れて脱出した。
真田阿梅(1604?〜1687)
真田幸村の四女。
母は正室の大谷氏か。
父の大坂城入りに同行し、
落城後は伊達家家臣・片倉重長に保護される。
重長の正室が亡くなった後は後妻として、
前妻の娘・喜佐の長男を引き取って養育した。
お春(生没年不詳)
前田慶次の母。
(名は「花の慶次」より)
はじめ滝川益氏に嫁ぐが前田利家の長兄・利久と再婚した。
信長四天王・滝川一益らと同郷の甲賀忍者であったともいわれる。
篠原まつ(1546〜1617)
豊臣五大老・前田利家の従妹であり正室。
前田慶次の義理の叔母にあたる人物で、
ねねとは家族ぐるみで付き合っていた親友。
聡明で教養深く、武芸もたしなんだ才色兼備の女性である。
豊臣秀吉に続いて夫の利家が没し、
乱れようとしていた天下を収めるべく自ら徳川家康の人質となった。
物語などでは慶次の初恋の人として描かれることが多い。
生駒吉乃(1528?〜1566)
織田信長の側室で、信忠・信雄・五徳の母。
はじめ土田弥平次に嫁いだが、
夫が戦死したため実家に帰ったところを見初められた。
正室である濃姫には子がなかったため、
側室ながら正室に近い扱いを受けていたともいう。
織田五徳(1559〜1636)
織田信長の長女。
母・吉乃が早世して後は兄の信忠同様、
濃姫によって育てられたのではないかと思われる。
徳川家康の嫡子・信康の正室になるも、
姑・瀬名との不和から築山殿事件を招いた。
織田冬姫(1561?〜1641)
織田信長の次女。
若き天才武将・蒲生氏郷の正室。
氏郷が若くして病没した後、
言い寄る天下人・豊臣秀吉を拒んで尼となったという逸話がある。
織田永姫(1574〜1623)
織田信長の四女。
前田利家の嫡子・利長の正室。
本能寺の直前に8歳で20歳の利長に嫁いだ。
子に恵まれず、利長の弟・利常を養子に迎えて家督を譲った。
妻木煕子(?〜1582?)
明智光秀の正室。
光秀の流浪時代を支えた糟糠の妻である。
一般に、光秀は側室を持たず煕子だけを愛したという。
明智綾戸(1554?〜1582)
明智光秀の長女。
名前は舞台劇などで最も知れ渡っているもの。
父が美濃の名門であった頃に生まれ、
流浪の日々を共に過ごした。
はじめ荒木村重の嫡男・村安に嫁ぐが、村重謀反に際して離縁。
光秀の重臣である明智秀満(「鬼武者」の左馬介)と再婚する。
父が山崎の戦いで敗れた後、夫と共に坂本城で自害した。
しかしながら縁者であった長宗我部元親を頼って土佐に逃げ、
後に坂本龍馬を輩出する坂本家の礎を築いたという伝承がある。
明智雪子(1557?〜1582)
明智光秀の次女。
名前は舞台劇などで知れ渡っているもの。
織田信長との家督争いに敗れた弟、
信行(正しくは信勝)の息子・津田信澄に嫁ぐ。
本能寺の変に際して光秀の娘ということで夫と共に討たれた。
直江景綱の娘(生没年不詳)
上杉謙信を支えた名臣・直江景綱の娘。
謙信の初恋の人といわれ、
若き日の謙信が詠んだ雅歌(恋の歌)の相手と思われる。
比較的早い時期から謙信の身の回りの世話をしており、
相思相愛の仲であったらしい。
不犯の誓いから謙信が生涯独身を貫くことを決めたとき、
同じく独身を貫くとして出家した。
武田梅(1543〜1569)
北条氏政の正室。
武田信玄の長女で、信玄に最も愛された娘。
三国同盟の一環として北条家に嫁いだが、
信玄による同盟破棄に伴い離縁させられる。
見松院(?〜1622)
武田信玄の次女。
穴山信君に嫁ぎ、武田家を裏切った際にも付き従う。
一族よりも夫への愛を選んだ女性である。
武田真理姫(1550?〜1647)
武田信玄の四女。
木曽義昌に嫁ぐも、義昌は織田信長に通じる。
真理姫の兄・勝頼はこれを許さず、
人質であった真理姫の一男一女を処刑。
夫の裏切りによって息子と娘を兄に殺された真理姫は、
木曽の黒沢山中で隠棲生活を送った。
武田菊姫(1558〜1604)
武田信玄の五女で、上杉景勝の正室。
武田家と上杉家が同盟を結んだ際に嫁いだ。
甲州夫人・甲斐御前と呼ばれ、
上杉家中では敬愛を受けている。
子供はなかったが、諸費倹約を奨励した賢婦人として名高い。
武田松姫(1561〜1616)
武田信玄の六女。
織田信長の嫡男・信忠の許嫁であったが、
例によって信玄による西上によって破棄。
以後、文通を重ねて来た信忠を想い独身を貫く。
武田家が滅亡した後に信忠は松姫を捜し出し、
改めて側室として娶りたいと文を贈る。
松姫が本能寺の変での悲報を聞いたのは、
愛しい信忠の下へと向かう道中の事だった。
相模の方(1564〜1582)
武田勝頼の正室。
北条氏康の娘であり、氏政や早川殿の妹。
落日の武田家に14歳で嫁ぐ。
天目山での敗戦の際、勝頼は北条家に戻るよう勧めるも拒否。
夫に殉じ、自害して果てた。
田村愛姫(1568〜1653)
伊達政宗の正室。
征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫である福島の名門、
田村家の三春城主・田村清顕の娘。
命名の由来は東北弁の「めんこい」。
容姿端麗で和歌や書道に長じたと言う。
豊臣秀吉の小田原征伐の後、豊臣家への人質として京都伏見へ。
次いで徳川家への人質として江戸に移る事となる。
大人しくも芯の強い女性で、
秀吉やねねに気に入られていたという。
猫御前(?〜1612)
飯坂の局、吉岡の局、新造の方とも。
伊達政宗の側室。
飯坂城主・飯坂宗康の娘。
鼠を追い払う様が猫に似ていたから猫御前と呼ばれた。
政宗の最初の側室であり庶長子・秀宗を生んだ。
伊達五郎八姫(1594〜1661)
伊達政宗と愛姫の長女。
通常は「ごろはち」と読むのだが、
彼女の場合は無理矢理「いろは」と読む。
母親似の聡明な美人であったとも、
政宗を「男だったら」と嘆かせた女丈夫ともいう。
徳川家康の六男・松平忠輝に嫁ぐも、
幾度も謀反を企てた忠輝は家康の遺言により勘当。
五郎八は離縁して仙台に帰る。
この22歳でバツイチになった娘を政宗は溺愛し、
弟の二代藩主・忠宗も何かと頼りにしていたという。
キリシタンであったともいわれ、再婚はしなかった。
林えい(1524〜1596)
妙向尼。
森蘭丸の母。
本願寺との対立の真っ最中に、
三男の兜に『南無阿弥陀仏』の前立てをつけた剛の者。
織田信長と本願寺との講和成立に一役買った。
森うめ(?〜1622)
森蘭丸の末姉。
ねねの甥・木下勝俊の妻。
突撃大好きな猛将一家である森家の娘に相応しい烈女で、
夫の不甲斐なさに腹を立て三行半を突きつけたという。
池田ひさ(?〜1599)
森蘭丸の次兄・長可の妻。
織田四家老・池田恒興の娘で、輝政の姉にあたる。
通説では長可との間に「おこう」という娘をもうけた。
朝日姫(1543〜1590)
豊臣秀吉の異父妹。
貧農と結婚するも死別。
後に秀吉家臣の副田甚兵衛と再婚するも、
徳川家康との政略結婚のために離縁を強いられる。
甚兵衛は切腹。
徳川家でも人質扱いと、不遇な生を受けた。
羽柴豪姫(1574〜1634)
前田利家の四女であり豊臣秀吉の養女。
数多い養子の中で、最も秀吉に愛された子供。
同じく秀吉の養子であった、
豊臣五大老・宇喜多秀家の正室となる。
熱心なキリシタンであり、洗礼名はマリア。
阿知和久(生没年不詳)
本多忠勝の正室。
阿知和玄銕の娘。
徳川家康の媒酌により1569年に結婚。
稲姫の弟である嫡男・忠政、忠朝らをもうける。
松下乙女(生没年不詳)
本多忠勝の側室で、稲姫の母。
松下弥一の娘。
正室の久よりも早く嫁いでいて、
忠勝が晩年を共に過ごした最愛の女性。
関口瀬名(1542〜1579)
今川義元の姪。
人質時代の松平元康(後の徳川家康)の正室。
築山殿事件にて、今川家から独立した家康の手の者に殺された。
皎月院(?〜1600)
石田三成の正室。
豊臣秀吉の弟・秀長の家臣・宇多頼忠の娘で、
その兄弟にあたる宇多頼次は真田幸村の妹の夫。
関ヶ原で夫・三成が敗れた後、
小早川秀秋を主力とする西軍の裏切り部隊に攻められ自害した。
浅井江(1573〜1626)
浅井三姉妹の三女。
豊臣秀吉の仲介で佐治一成に嫁ぎ、
秀吉の命令で信長の四男・羽柴秀勝に嫁ぐ。
秀勝死後は徳川家康の三男・徳川秀忠に嫁がされた。
その際、娘の完子は姉・茶々が養子として引き取っている。
女である身を政略の道具として弄ばれ続けた江であったが、
最後の夫・徳川秀忠と巡り会ったことで安息を得た。
その後、千姫や三代将軍・徳川家光を始め二男五女をもうけ、
徳川幕府の300年に及ぶ血脈の礎となった。
近江の方(生没年不詳)
浅井長政の姉。
濃姫の異母兄・斎藤義龍の側室で、斎藤龍興の母。
浅井マリア(1542?〜1618)
浅井長政の姉。
かつての主家であった京極高吉に嫁ぐ。
長女・竜子を除く一家全員でキリスト教に入信し、
豊臣秀吉によるバテレン追放後も信仰を貫いた。
京極竜子(?〜1634)
京極高吉の娘であり、高次の妹。
母は浅井長政の姉・マリアであり、
浅井三姉妹とは従姉妹にあたる。
京極氏は足利幕府の四職家の一つであり、
家臣の浅井氏に権力を奪われたものの名門であった。
はじめ武田元明に嫁ぐも、本能寺の変の後に死別。
美貌を見初めた羽柴秀吉の側室となる。
(これによって明智光秀についた高次の首がつながった)
従姉妹の淀殿こと茶々とは女の戦いを繰り広げたそうな。
茶々(生没年不詳)
島左近の妻。
「多聞院日記」に名を残す医師・北庵法印の娘。
島珠(生没年不詳)
島左近の娘。
柳生最強と名高い柳生兵庫助利厳に嫁いだ。
宰相殿(?〜1607)
実窓夫人、広瀬夫人。
島津義弘の妻で、島津忠恒の母。
下級武士・園田清左衛門の娘で、
同じく下級武士である広瀬助宗の養女とされる。
夫の代理として展開した籠城戦で謀略を用いて敵を撃退し、
義兄・島津義久にも頼りにされていた聡明な女性。
問注所仁志姫(生没年不詳)
西姫とも。
立花道雪の二人目正室で、立花千代の母。
問注所鑑豊の娘。
道雪とはお互いに再婚で、
千代の異母兄姉にあたる一男一女を連れて輿入れした。
直江船(1557〜1637)
直江兼続の正室。
上杉謙信の初恋の相手であった女性の妹。
はじめ、長尾信綱を婿養子に迎える。
信綱は上杉景勝を支える重職にあった奉行だが、
「御館の乱」のいざこざに巻き込まれて亡くなった。
その後、景勝の命で樋口兼続と再婚。
信綱との間に子供は無く、
後夫・兼続との間に産まれた一男二女も早世。
老後は、景勝の嫡男・定勝の教育に深く関与している。
北条春(?〜1613)
名は「信長の野望」より。
早川殿。
今川義元の嫡子・氏真の正室。
北条氏康の娘であり、おそらく氏政の姉にあたる。
三国同盟の一環として今川家に嫁いだ。
今川家が壊滅した後も、
各地を転々とする夫に最後まで付き従った。
寿桂尼(?〜1568)
今川義元の生母。
京都の公家の娘であり、
足利家に並ぶ名門であった今川氏親に嫁いだ。
氏親の晩年を支え、氏輝・義元の家督継承と確立に尽力。
その手腕から「女大名」と呼ばれた。
彼女が没した九ヶ月後、
今川家は義元の嫡男・氏真の代で滅ぶ事となる。
若宮千代(1557〜1617)
山内一豊の正室。
織田信長主催「馬揃え」での逸話があまりにも有名で、
日本で初めてファッションショーを開催したとか、
千代紙の由来になった人物であるとか逸話に事欠かない才女。
実は出生に諸説あり、千代という名すら本名であるか灰色。
美濃の遠藤家に生まれたという説もあるが、
「功名が辻」では浅井家家臣・若宮友興の娘説を採っている。
幸円(1552〜1627)
秀吉の天才軍師・黒田官兵衛の正室。
官兵衛は、生涯幸円だけを愛したという。
関ヶ原の合戦の際に、
大坂城から脱出イリュージョンをやってのけた剛の者。
春桃(?〜1615)
柳生石舟斎宗厳の室。
利厳や宗矩など五男六女をもうける。
剣の道に生きる夫を支えた。
彦鶴(?〜1618)
鍋島直茂の正室。
はじめ龍造寺隆信家臣に嫁ぐも戦死。
実家に戻り、直茂に見初められた。
後の佐賀藩初代藩主・勝茂を筆頭に二男二女を産む。
聡明活発で慈愛に満ちた賢夫人として、
直茂を良く補佐して鍋島家を守った。